こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜



2008.12.27

顎がはずれた〜の巻

驚天動地、顎がはずれるようなビックリニュースが多い今日この頃。
実際に顎がはずれた経験はおありだろうか?
未経験の方に、心構えとしてお教えするが、「第1回目顎はずれ」は、かなり動揺しますわ。
でも、これから書く経験談をお読みになれば、大丈夫! はずれても慌てることはないでしょう(恐らく、もしかすると、かもしれないが、責任はもてない)

あれは、24〜25歳ごろですわ。

皆さんも、朝起きたら「あぁ〜!」とかって、あくびしてのびをしますね。
ちなみに、ハムスターもあくびして、のびをしますね、ビックリなことに。
まあ、彼らの場合は「朝」起きるわけではないのですが・・・。
とにかく、起きたら、 前足の1本を前にぐいぃ〜と伸ばし、同時に後ろ足も伸ばして背中をそらせ、口をあけて「のび」をします。人間の動作と同じです。その時、頭がへこむので、最初見たときは「脳みそはどうなったん」とビックリしました。

さて、わたしも起きたらすぐに、おおきなあくびと「のび」をするのが習慣でした。
「起きたでぇ〜!」という気合みたいなもんです。その習慣が途絶えたのは、24〜25歳ごろのあの朝からです・・・・・・。

いつものように起きて、眠い目をこすりながら、これまたいつものように、あくびとのびをして、「さぁ〜、起きよか!」と思った次の瞬間です。
「あれ、なんかおかしい。でも、なにが? えぇ? 口が元に戻らん!」
えらいことですわ。あくびして開けた口が、元に戻らんようになってしもたんです!
頭の中では、「どないしよ! なんとか元に戻さんと!」と焦っているのですが、全然口が閉まりません。
「大変や〜。このまま外に出なアカン。いや、それはできん。
よだれがどんどん垂れてるし、なんでこうなったか説明しようにも説明できん!口が動かんのやから!」
頭の中をぐるぐると考えが回ります。
「このまま治らんかったら、どないしょ。えらいこっちゃ〜」
よだれとともに、涙まで出てきます。
「救急車呼ぼかいな? アカン、電話しても、しゃべれへんやんか!」
絶望のふちに立たされ、口を開けたままがっくりとうなだれた、まさにその時です。ある考えがひらめきました。
「そや、顎の下を思い切り叩いて、無理やりはめたろ」
・・・そんな荒療治して、もしますますドツボにはまったら? いや、こうなったらやるしかない。・・・
やけっぱちになったわたしは、右手で顎の下を叩きました。向こう側から手前へ、 突き上げるように。
「かぽっ!」
見事な音を出して、顎がはまりました。
「ばんざい!おめでとう!よかったな〜!」
誰一人いない部屋の中で、観衆の喝采が聞こえてきます。
今度こそ、涙が流れてきました(よだれも一層)。
あ〜、よかった。医者に行こ!
その足で歯医者に行ったわたし。
それからというもの、時々はずれるようになってしまい、自分ではめているのです。
もし、どこかで、顎の下を叩いている私を見かけたら、それははずれた顎を直しているのですから、そっと見守ってください。

まさに、開いた口がふさがらん、話でした。(完)




2008.1226

今年も残りわずか。ほんまにえらいこちゃの年でした。

アメリカのビッグ3とかいう自動車大手(バッド3の間違いとちゃいますか?) に税金を注ぎ込もうという、法案にもびっくり仰天。
何がビックリといって、今までやれ「自由経済だ」「規制はするな」「市場に任せよ」と声高に叫んできた、 当のご本人たちが、国が強力に介入して、税金を使え!ということですから。どこが、自由経済やねん?

もっとビックリなんは、アメリカという国が決めた法律の中身。
「税金を注いでやるから、その条件として、たくさん首を切れ!」
なんか、おかしくないですかねぇ。
バブルがはじけて、好景気という泡が文字通り消えて、夢から覚めて現実に引き戻されたら、アメリカ経済が大変や、どないもならん、自動車産業はアメリカの象徴や!潰すな! という流れで、税金をぎょうさんいれるわけでしょう。
そのこと自体に「ちょっと納得いかん」と思うけれども、百歩譲って税金投入を認めたとしましょう。
この流れからすると、アメリカ議会は次のように言うはず。

「国民の大切な税金を、入れるんですから、それなりの覚悟をしてくださいや。
まず、役員の報酬は大幅にカットしなはれ。豪邸を売りなはれ。配当はなし。その上で、税金を入れるんやから、労働者の首は切ったらアカン。大量の失業者が生まれたら、経済は益々冷え込むからね」と。
ところが、「税金を入れてやるから、首を切れ!」ちゅうんです。

つまりは、国民はやらずぼったくり。税金は垂れ流されるわ、首は切られるわ、 地域経済はやっていけなくなるわ。
ほんまに、ビックリしすぎて、顎がはずれますわ。

ちなみに、皆さんは顎がはずれたことはございますか?
その話は、また次回のお楽しみ・・・。



2008.12.17

本日のお題は、「間違い・留守番電話」。

休日に小社にお電話していただくとわかるのですが、留守番電話に切り替わります。
「はい、一声社です・・・」と私の声でメッセージが入っております。ところが・・・・。

つい先日の月曜日のことです。月曜日は休み明けなので、結構メッセージが入っています。
その朝もいつものように、出勤してまず留守番電話再生のボタンを押し、メッセージを聞いていると・・・・。
ちなみに、お声からすると、70歳は軽く超えたおばあ様。関西地方の方です。
(ここから先、(  )内は私の突っ込み、「  」内は録音されたメッセージです)

「もしもし、□□書院さんですか?」 
(一声社やって、名乗ってるや〜ん)
「TK市●2-2-6のKAと言いますけどね、お宅の出している本を送って欲しいんですわ。
前から欲しい、欲しい、と思うてたんですけどね、なんで手に入らないんですか?」

(注文したのに、届かへんのかな?)
「今日初めてお電話するんでけどね、注文の仕方もわからんしね、ここでええんですか?」
(なんや、初めて注文するんかいな! そら届かへんわいな)
「それにしてもね、せっかく電話してるのに、なんでおらんのですか? 土日祝は休みなんですか? なんで、休むんですか?」
(お休みくらいさせてよ〜。平日に電話して、休みに当たってしもたんやったら、文句の一つも言いたいやろけど・・・)
「それでね、▼シリーズのね、わたし、お宅のシリーズ、ぎょうさん持ってまんねん。
このシリーズもほとんど揃えててね、3巻と5巻がないんですよ、さっきから言うてるように。聞いてますか?」

(さっきからって、今初めて言うたんちゃいます? それに、相手は機械やから 「はい、聞いてます」とは返事せえへんと思いまっせぇ)
「そやからね、」
(何が「そやから」やの?)
「3巻と5巻、必ず送ってください。私は、TK市●2-2-6のKAと言います。□□書院さん! 頼んましたで!」

ここでガチャンと電話を切る音。
おばあちゃん、一声社いうて名乗ってるのに、長々としゃべって、それに注文までしてるがな。なんや、困ったなあ。ん?もう1件メッセージがあるわ。誰やろ?

「もしもし、□□書院さんですか?」
(また、おのおばあちゃんやん! そやから「はい、一声社です」ちゅうメッセージを聞いてから、吹き込んでやぁ)
「TK市●2-2-6のKAと言いますけどね、さっきも電話したのに休みで、今も休みですなあ。
(なんと、同じ日、つまり日曜日の朝と夕方に電話してるんです。そら、さっきも、今も、休みやろ)
▼シリーズのね、3巻と5巻! さっきお願いしたでしょう! もう、送りましたか?
(無理やろ、それは、いくらなんでも。日曜日の朝留守番電話に入れて、夕方にはもう送ってる、ちゅうことはないと思いまっせ〜。なんやら、難儀やなあ。□□書院さんの電話番号調べて電話したろかいな?)
「わたし、お宅のシリーズ、ぎょうさん持ってまんねん。このシリーズもほとんど揃えててね、調べたら3巻と5巻がないんですわ。」
(さっきも聞きましたで)
「それで、送ってくれ言うて、お願いしたんですけど、もう送りましたか?」
(無理ですわ)
「あのね、お宅が休んでなかったら話は早かったんでっせ。」
(日曜日くらい、□□書院さんにも休ませてあげてくださいや〜)
「それがね、あれから本棚見てたらね、3巻と5巻、あったんですわ。」
(あったんか! よかったけど、ちゃんと見てから注文せんと)
「そやからね、絶対送らんといてくださいや。送ってきても、お金払いませんで! もしもし、□□書院さん! 聞いてます?」
(いや、機械は聞いてるけど、□□書院さんは今は聞いてないと思いまっせ)
「土日祝は休みなんですか?」
(休みです)
「ほなら、絶対に送ってこんように! わたしは、TK市●2-2-6のKAと言います!
 ほんまに、もう、なんで休んでんの〜!」

ガチャン、ツーツーツー・・・・・・。

くれぐれも相手を確認して電話しましょう。



2008.12.10

占いとかそういうものすべては否定しません。
すごく寒い中、街角でじっと座ってはる占い師を見ると、「ほんまにご苦労さん」と言いたくなります。
占いなどは、結局人生相談やと思うんです。寒い中で自分も苦労しながら、いろんな人の話を聞いて、たくさんの出会いの中から得た「生きる知恵」みたいなものを少し授けたり、迷っている背中をそっと押してあげたり、きっぱり言い切ってあげたり・・・。そういうお仕事とちゃいますかね。私自身は、全く信じてないけど、そういう役割があると思うんです。

テレビに出てる人は、はっきり一言で言えば、「儲ける」ためですわな。
焼肉のタレの前に、テレビをにぎわしてた顔の大きなおばさんの豪邸を見てくださいや。
何のためにやってるのか、ようわかります。
この方の何がアカンかというて、インターネット占いですな。横着極まりない。
楽して儲けようという極地ですわ。せめて、1人1人の話をじっくり聞いてあげて、その上でアドバイズしなはれ。

テレビ局がちょっと一番アカンでしょう。
オウム真理教のときに、あれだけ問題になったのを忘れたんですかいな?
オウム真理教のうさん臭いただのおっさんを、まるで超能力者みたいに仕立て上げたテレビの責任は大きいですよ。
おまけに、おまけにと言うてここが一番大事やけど、坂本弁護士一家殺害の共犯は、TBSですからねぇ。
坂本弁護士のインタビューを、放映前にオウムに見せて、それが殺害の引き金になったんですから。
しばらく、ワイドショーを自粛してたんでっせ。

もうひとつ。松本サリン事件の被害者・河野さんを、逆に容疑者呼ばわりしたのもテレビです。
ニュースステーションの特ダネでしたね。被害者が加害者に仕立て上げられる図式を、あんときは、よう見させてもらいました。
そういう反省が少しでもあるんやったら、昨今のスピリチュアルなんか、報道できひんと、気の弱い一市民は思いますけどね。


2008.12.9

ちょっと話は変わりますが、スピリチュアルだの、霊視だの、予言だの、1人のやり手が廃れても、また次の新しいやり手が現われますな。まさに雨後のタケノコ状態。信じてる人には申し訳ないけど、全く興味なし。小指の先ほども信じてません。スピリチュアル? いびり「チュートリアル」、の方がおもしろそうですやん。

なんやら、焼肉のタレみたいな名前の、着物を着たおっさんが出てますな。
あのおっさん、どこをどう見ても、「オーラ」が出てない(ファンの方、失礼します)。
私の目には、「太りすぎた、うさん臭い顔の、中村紀洋」にしか見えへんのです。
ほんまに、すまんこってすけど。

ちなみに、中村紀洋さんは、近鉄出身の野球選手です。なんちゅうたかて、こちとら近鉄ファンクラブに夫婦して入ってましたから。彼が出はじめの頃、ようエラーしたんですわ。日生球場や藤井寺でねぇ。野茂君が投げて、ファーボール連発(何せ、森監督の西武はバット振りませんからね、野茂の時は)、打たれたら中村紀がエラーする、ブライアントは音が聞こえそうなくらいの大振りで三振。
それでも、面白かったですねぇ。仰木監督と近鉄野球は。中村選手!楽天でもがんばってや!

それはともかく、死んだ人の声が聞こえたり、姿が見えたら大変ですよ! 
東京のスタジオなんか、おれますかいな。1945年3月10には、10万人からの人が焼き殺されてるんでっせ!恨みを持って! それをさかのぼること、22年前には関東大震災で、東京だけではないにしろ、10万5000人が死んでます。
このときは、無実の在日の朝鮮の方などが、ようけ叩き殺されてます(うまくしゃべれない・聞こえない聾唖の方、なまりの強い地方出身者にも犠牲者)。
そういう人々の縁戚の方、まだまだぎょうさん東京に住んでますよ。ものすごい確率で、そういう人とすれ違ってるでしょうよ。
死んだ人の声?姿? そんなん見えたら、24時間一生見続けても、足りんでしょう。怖くて、怖くて、しゃあない。顔に若く見えるライトを当てて、にこにこと笑うてられますかいな。
(続く)


2008.12.8

おっさんにからまれるの巻 その後

酔っ払いにからまれたこと2回。
あと1回は、やっぱりおっさんで、満員電車の中。
満員電車の中でものすごく背中を突っ張り、足を絶対に動かさないぞ!と、岩石のごとく踏ん張っている男の人がかなり多いんですわ。背中の突っ張り具合といい、足の踏ん張り具合といい、よう似通ってますから、どこぞにマニュアルでも書いてあるんとちゃうかいな、と思うてるんですけどねぇ。

それはともかく、入り口からは次々に人が入ってきますから、妙に踏ん張ってる人がおると、流れがそこで止まって、その男の真後ろなんかにおると、後ろからは押される、横には逃げられん、前のおっさんは背中を張って踏ん張ってる、それでものすごう変な格好でラッシュに耐えなアカンのです。これが、きついきつい。筋肉痛になりまっせ。

あるときも、満員などどこ吹く風で、背中と両手を張って、足を踏ん張り、日経新聞を読むおっさんがおったんです。あまりに、周りに無関心やし、こっちは立ってられへんしで、
「ちょっと、新聞読むんやめてくれへんか?」
と声をかけた途端、
「なんだよ、うるせえ」
「周りを見てや。お宅がそんなに場所とってたら、みんな困るやろ」
「うるせえんだよ。関西人は大阪に帰れ!」
「大阪には住んだことないわい! なんでもかんでも大阪言うな」
「んだよ〜。やるのか〜?」

という、全くばかばかしいやりとり。おっさんは、50歳くらいでしょうか。
前の酔っ払いは、60歳くらいと50代半ばくらい。
まあ、なんですな。こういう方に限って、
「最近の若いやつは、常識っちゅうもんがない。俺たちの若い頃は・・・」
とか、一席ぶってらっしゃるんですやろね。。

2008.12.7

酔っ払いの話の続き

若い女の子にカラム、酔っ払い。

「おっさん、おっさん。何しとんねん」 と声をかけると、
「何だお前は。この子の彼氏か?」
「そうや、悪いか!」
「えっ!これは失礼しました。お近づきのしるしにいっぱいどうです?」
「もうええから、離れてくれや。あっちで気分よう飲んどき!」
「ありがとう!握手をしよう!」
と、私に抱きついてきました。

ここでさすがに腹が立ち。

「酒臭い、向こうへ行けっちゅうてんねん!」
「すんまへん、大阪でっか?」
と、もうすごく、変なアクセントの言葉でしゃべりながら、酔っ払いは、千鳥足で離れていきます。
女子は相当怖かったのでしょう。しばらく、声も出んかったんですが、酔っ払いが離れると元気が戻り、
「向こうへ行け!」
と怒鳴っていました。酔っ払いが、弱そうなおっさんやったから、こっちも声をかけられたけど、まあ、見るからにその筋の人やったら、 柱の影から「ちょっと、そこの酔っ払いさん〜」言うて、静かに声を出してただけでっしゃろね。



2008.12.6

「何が非常識?」の巻

若い子は非常識や、という話は巷にあふれていますが、わたしはそうとも思うし、全くそうは思わない。
そう思うのは、お菓子の袋などを電車の床や道路に平気で捨てる子が少なくないこと。
それとて、タバコの投げ捨てをしているおじさん族がそんなことを言うても、何の説得力もありまへん。

非常識は歳に関係あらず!
ちなみに、わたしが電車の中でからまれたのは、3回ともおっさんです。
1回は、酔っ払い。連れ合いとの会社からの帰り、2人で話していたら、
「おうおう、仲いいのう。見せつけてんのか。おっ!なんだ!やるのか!」

もう1回も酔っ払いのおっさん。
飲み会の帰り、最寄の駅のホームで電車を待っていた時です。
時間も遅いので、ホームに待つ人も少なく、斜め前には若い女性が一人。文庫本を読んでいたわたしの耳に、
「えっ!」
という女性の声が聞こえてきました。
「なんや?」と声がした方を見ると、先ほどの若い女性の顔を、あきらかに酔っ払いと分かるおっさんが覗き込んでいます。
かなり接近して。
「またか」
正直、思いました。酔うてたら、何をしてもええと思うてるんかいな! 同じ年頃の娘くらいおるやろ!

(明日に続く)



2008.12.5

ショックなこと―続き
私を乗せた都営バスは、真砂坂上を過ぎ、富坂上を過ぎ、順調に走っています。

まだ、こっちを見ているお兄ちゃん。
「なんや? この兄ちゃん、いちゃもんでもつける気かいな?」
と、ちょっとムっとした、その瞬間です!

「どうぞ、お座りください」・・・・・・

なっ、なんと! くだんの中学生が、席を譲ってくれたのです〜!
あまりの突然の事態に、頭が回転せず、しばし呆然とたたずむ私。
「どうぞ」
さらに、その中学生は、席を勧めてくれます。

「ぼっ、ぼくは、そんな年寄りに見えるんか〜」
がっくり肩を落とし、憔悴しきった表情で、しかし、中学生の親切を決して無駄 にしてはいけないという理性だけは強く働き、やっとの思いで言いました。

「ありがとう。でも、すぐに降りるからええよ。ありがとう、な」

本当は大塚車庫前まで行く予定だったのに、慌てて2つも手前のバス停で降りた、 くたびれた中年の男こそ、わたしなのであった・・・。降りる際に、中学生に手を振ったことは言うまでもない。

中学生の勇気、そうです、ちらちらこっちを見ていたのは、「老人に席を譲らんとアカン。でも、思い切って言う勇気がない。いや、言わんとあかんで」という葛藤だったのでしょう。
勇気を振り絞った男子中学生に拍手を送りつつ、わが身をショウウィンドーに映しては、少なくなった髪の毛を触ってみる、たそがれの春日通り・・・。

それから、はたとわれに返り、会議場所までバス停2つ分に、大急ぎで走って行ったのは、言うまでもない・・・。(完)


2008.12.4

最近ショックだったこと・・・個人的なことですみません

最近、ものすごうショックなことがあったんです。
あれは、都営バスに乗ったときのこと。
我が社の近くに、春日通りという道路が走っていまして、これは御徒町から湯島天神の真横をすり抜け、後楽園の脇を通り、大塚の方に抜ける道です。
最寄の湯島4丁目から、大塚行きのバスに乗り、走り始めた頃ですわ。
バスの中は結構人が乗っていて、座席は皆ふさがっており、立っている人も結構おったんです。

話は違いますが、電車でも何でも、空いてる席を見つけたら遠くからものすごい勢いで走ってくる若い子を見ると、さすがに「ちょっとなあ・・・」と思いますね。すっ飛んで来る元気があるんやったら、立っといたら? と、突っ込みたくなります。そういうと、最近の若いヤツは!みたいな話にすぐ行くんですけど、 それはちゃいますね。非常識なんは、若いのも高齢者も関係ありまへんな。その
話は今度またゆっくりするとして、バスの話。

わたしが吊り革を持ってたっている前の席には、中学生くらいの男の子が、学生服を着て座っています。私は、立ったまま窓から外を見てたんですけど、その中学生が、ちら、ちら、とこっちを見ていることに気づいたんです。
最初は、「服に何か付いてるんかいな?」と思って、それとなく服やらズボンやら見たんですけど、全然付いてない。
それでも、まだ、ちら・ちら、とこっちを見上げています。
(明日に続く)


2008.12.2
地下鉄で通勤しています。
最寄の駅は、地上にあるんです。それが、やがて地下にもぐっていくんです。地下に入ったところから地下鉄かというと、地下に入る前の駅からすでに地下鉄の駅なんですね。地上にあるのに、地下鉄とはこれいかに? あんまり大胆に地下にもぐっていくもんやから、青空球児さんの疑問も出てきません。「地下鉄はどこから入れるんでしょう? 考えたら夜も眠れません」

さて、ある日の地下鉄車内でのこと。
連れ合いと一緒に夜遅く帰るとき、ある乗換駅から2人の若い女性が乗ってきました。
まあ、20歳そこそこでしょう。大きな声で危ない話をしています。

「・・・だから簡単だよ。人妻っていうことになってるからさ。えっ? 電話をこっちから途中で切っちゃダメなんだよ。お金もらえないから。息子は、小学校2年で〜、ダンナはふつうのサラリーマンなんだけどぉ〜、出張も多くてぇ〜、とか言うと、食いついてくるからさあ。え?やばくないよ。やばいことしないからさあ。おかしなヤツもいるけどさあ、腹立つけどさあ、お金欲しいから。我慢してる。金ヅルじゃん」

つまり、彼女は電話で鴨を引っ掛け、金を稼いでいるのでしょう。こんな女の子が何かに成りすまして電話して稼いでいるのところに、鼻の下を伸ばしたおっさんが金を注ぎ込む。情けない限りですな。この子らの会話を、おっさんに聞かせてやりたいですわ。

と、ここでハタと気づいたのは、この子らはわざと大きな声で会話してるんちゃうやろか?ということ。わたしらのバカバカしいなりすましバイトで、おっさんらは金を巻き上げられているんでっせ、と。教えてくれてんのんちゃう?

「援助交際」などという非常につまらぬ言葉は、未成年の女の子の方だけを攻め立てるための言葉でしょう。
未成年に群がるどうにもならないおっさんらは、タイやカンボジアなどで子ども売春にもかかわっている。
少女売春で逮捕されながら、「わたしは被害者」とのたまわって、その後政治家に転身した方もおられましたが・・・。
そうした方々が、若者のモラルが!とか言うたかて、なんの説得力もないと思いまっせ〜。

2008.12.1
ずいぶんご無沙汰をしてしまいました。申し訳ございません。
今月新刊の『読書ボランティア―活動ガイド どうする?スキルアップ どうなる?これからのボランティア』(広瀬恒子著)の追い込みで目が回っていたものですから・・・。

まあ、そうそう「煩雑」(はんざつ)・・・頻繁に更新しているわけではないのですが、2週間以上あいてしまいましたから、これは「未曾有」(みぞゆう)の事態です。前例を「ふしゅう」・・・踏襲して、深くお詫びいたします。
ここですでに、文章として「はじょう」・・・破綻しております。いつもいつも「じゅんぷうまんぽ」・・・順風満帆とはいかないようですね。

さて、ここで笑う方と、「一国のトップに失礼だ」「誰でも間違いはある。それをいちいちあげつらうとは!」というご批判もございましょう。それもごもっともです。言い間違いや読み間違い、勘違いなど誰にもあります。

ただ、ごもっともなれど、それやったら! と言いたいのです。
学力のごくごく一部さえ推し量れるのかどうかも怪しい「一斉学力テスト」をして、「どれだけ努力したのか公表せよ」と言い募り、点数の低いところには予算をつけない(バウチャー制)などというとんでもない(本音は教育予算を減らしたいだけなんちゃいます?)ことを声高に主張する人たちを、許していていいんですか? と。

子どもたちは発展途上です。たまたまそのテストの時の体調が悪くて思うように回答できない子もおりますわ。ゆっくり考えたらわかってるのに、テストやといつも慌てて勘違いする子もおるでしょう。
いつも10点やった子が、30点を取った、その努力を「よう、頑張ったなあ」と言うてやる大人でありたいですね。学力テストを推し進める人は、その子に「たった30点しか取れんのか!学校の平均点を下げおって〜!」と怒る人でしょうね。そういう方に限って、お偉い方の「間違い」や「失敗」、不祥事には極めて寛容ですな。「まあまあ、ええがなええがな。失敗は誰でもあるこっちゃ」とか・・・。

「学力が低い!ここの教育委員会は何をやってるんだ」とか、怒って見せるくらいやったら、かのお人にも言うて欲しいですね。
破綻を、(はじょう)と読むような方が、日本の経済をどないしよう、っちゅうんでっか?」と。

2008.11.16
詐欺師の話パート2(続き)

故郷が同じだといって安心させ、酔いつぶれた振りをして、お金もろともいなくなる。どういう男の話の続きです。

Hさんが持ち逃げされたと聞いて、部屋まで駆けつけたわたし。
「Hさん、昨日の男にお金を持って行かれたんですか?」
「そうなんや、まあ、しゃあない」
「でも、盛り上がってましたよね。故郷の話で」
「そうや、ころっと騙された。今から考えると、おかしいこともあったんや。
隣の町やった、という話になって、『Hさんの近くにも行ったことがある』とかいうんだけど、詳しい話になると答えなかったもんな。こっちはてっきり、何かのわけ有やと善意で思い込んでた。話せないわけがアルんやろ、と。同じ県出身やったかどうかさえ怪しい。でもまあ、騙された僕も悪い」
「そんなぁ〜。人が善すきますよ〜」
私が憤ったとき、同じ部屋にいた別の先輩Sさんが言ったのです。
「騙すよりも騙される方がええで。寮生は人がええねん」

そこまでの境地に達することができない未熟な自分。先輩らのようには思えん!
お金を持ってる奴から騙し取ったらええのに、なんで金のない寮生から、少しのお金を持って行くんやろ。
でも、そんな少ない金を持ち逃げするほどコマってたんかなあ。あんな芝居を打ってまで? 
やっぱり、よっぽどコマってたんかなあ? 
でも、絶対許せん! 人情を踏みにじったんやから!

行きつ戻りつ、考えても中々割り切れない、答えの出ない悩みに悶々とする、19の私なのであった・・・・。

(完)

2008.11.12
またまた出ました!詐欺の話―パート2(その1)

詐欺師は、忘れた頃にやってくる

スーツ詐欺師事件をさかのぼること、2年。あの時も、詐欺師と遭遇しました。とても気のよさそうな感じの人でしたが・・・。

あれは、やはり大学1回生の頃。男子寮に「その男」は、やってきました。

男子寮は、誰でも泊まれたんです。ひどいのは、同じ大学の学生。コンパで酔いつぶれた男子を、寮に放り込んで、自分たちはまた飲みにいくわけです。介抱は、寮生に任せて・・・。あと、他大学の学生で旅行中の人とか、いろんな人が泊まりにきます。もちろん、他の大学に泊めてもらうこともあるわけで、わたしも卒業旅行の際、香川大学の寮に泊めてもらったり、他にも泊まったことがありますね。

それはともかく、宿泊者が来ると、彼らが泊まる臨泊室に出向いて一緒に飲んだり、自分たちの部屋に招いて飲んだり、つまりはいつも飲んでるわけですね。

「その男」は、4回生の先輩の部屋に居ました。
「同じ故郷の出身なんだ! いやあ、偶然だねえ。懐かしいねえ」
わたしが部屋をのぞいたとき、先輩はもうすっかり出来上がっていて、「その男」と手を取り合わんばかりにして、飲んでいます。
ちなみに、飲むといったって、わたしたちはお金がないですから、安い酒と缶詰だの八百屋さんで調達した惣菜やら何やらで、飲んでいるわけです。
「えっ? 同じ故郷ですか? それは懐かしいですね。そんなことがあるんですね」
先輩のあまりの喜びようにこちらまで嬉しくなって、少しの間一緒にのみ、わたしはまた次のコンパへと出かけました。
例のごとく酔いつぶれて、翌朝(もう昼だったような・・・)寮の部屋で目を覚ましたわたしは、顔を洗いに洗面所にいった時、別の先輩からよからぬことを聞かされました。
「ヨネ、知ってるか?」
「何をです?」
「H先輩が、お金を持ち逃げされたんや」
「えっ?誰に?」
「昨日、Hさんの部屋に泊まった奴や」
「えっ〜!僕も一緒に飲みましたよ〜!」
「田舎が一緒や言うて安心させて、Hさんが朝起きたら、その男もお金もなくなってたらしいで」
なっ!なんと! そんなことがあるんや!
昨日のことを思い出しながら、憤りがふつふつと沸き起こるわたしなのであった!
(つづく)

2008.11.08
詐欺師の話続き

 さあ、社会人としての心得のようなものをとうとうと述べて、いかにお徳なのかをあくまでソフトに語りかける紳士の話にすっかり聞き入っていたわたしでしたが、貯金の額を聞かれた途端、眠っていた脳の回路がショートしました!
なに〜! 貯金の額を教えろだぁ〜?

「人の貯金の額を聞くのも、社会人として当たり前ですか?」

「いえいえ、お気を悪くなさったのなら失礼しました。あくまで、そちら様のお得になるようにと。こんな上等なスーツを、ここまで値下げたのですからね。。」

「まあ、おおきなお世話ですわ。貯金はいくらかは言えません。スーツも買うつもりはありません。
社会人になって困るんだったら、そのときに考えますわ」

「そう、むきにならないで。わたしもね、忙しい身なんですよ。ここまで時間を取って説明差し上げたのに、そういうおっしゃり方はないんじゃないですかぁ?  スーツは必需品ですよ」

「スーツの要らない職場で働きますわ」

「そんな屁理屈を。社会では通用しませんよ。A君、帰ってもらいなさい! せっかく、親切で提案しているんだ」

 態度が豹変したおじさんにますます不審を抱きながら、車を降ろされたわたしは、車のナンバーを見ようと後ろに回った途端、スピードを上げて走り去ってしまいました。
 なんか、あやしいなあ。でも、ほんまに親切で言うてくれてたんかなあ?
 自体がまだ飲み込めていない未熟者のわたしが、彼らの正体を知ったのは数日後・・・。

「生協の名をかたってスーツを売りつける詐欺事件が発生しました。被害にあわれた学生もおられます。こうした業者と生協とは一切関係ありません」
生協の食堂前に張り出された文書。

「おお〜、あのときの奴やなぁ。僕には百貨店とか言うてたけど、生協の名前を出して騙したんか! 危なかったなあ。こっちも危うく乗ってしまうとこやったでぇ。実は何日か前な・・・・・・」
友人に詐欺師の話を説明するわたし。かわいそうな被害者の学生・・・。

仕送りはなく、バイトバイトで汲々の生活をしていたわたしでさえ、一瞬「お得やな。社会人になるんやったら、買うといた方がええかな。今買うても、後で買うても一緒やったら、買うといてもええかも・・・」、と思ってしまったのです! 10万円じゃなくて、1着5万円なら、もしかしたら買うてたかもしれません。
生協の食堂で、今日は定食はやめとこ、うどんだけでええか、と悩んでいるわたしが、そんな額を出そうかな、と思ったんですからねぇ。

詐欺師の口車にほとほと感心しました。ものすごい話術やなあ。うまいなあ。
 
 でも、その時かたく思いました。詐欺師と勝負するのは、北の湖と相撲をするようなもんや。はなから勝負が決まってる。ウマい話には絶対乗らんこっちゃ。
自分を過信したらアカン。
 そうです。自分がその分野に詳しい、玄人なみや、自信がある、そういう人ほど騙されやすい。
「主婦がFX株で大儲け」などなど、テレビなどがいくら煽り立てても、素人さんが株だの先物だのそんなものに手を出さんことです。カリスマ投資家とか言う人たちがその後どうなったか・・・。危ない、危ない。

今日の格言  君子危うきに近寄らず


2008.11.07
ついつい話に引き込まれて聞き入る未熟者の貧乏学生=わたし。
くだんの紳士の話は、まだ続きます。
「ここにね、今流行のデザインの、上等なスーツがあるんです。KT百貨店の催しに、上司を説得して出展して、まあもちろん売れたんですがね、上司の手前、完売にしたいんですよ。そこでね、このスーツは大変高価なものなんだけれども、 そういう事情ですから、半額くらいで買ってくださる方を探していたところ、この大学の先生から、お声をかけていただきましてね、こちらに参った次第です。」

「どの教授ですか?」

「いえ、それはご勘弁下さい。お客様のお名前は言うわけには行きません。社会人になられたら、そこらあたりは十分に気をつけた方がよろしいですよ。  まず、モノをしっかり見てください。おい、A君、あのデザインのものと、例のアレをお見せしよう。」
部下(役?)に命じて、後ろの箱からスーツを5着ほど出した上で、2着について説明を始めます。

「この衿をご覧ください。このカットが今流行なんです。ご存知ですか? ご存じない? 
社会人になられたら、そこらあたりは敏感になられたほうがいいかもしれませんねえ。縫製もしっかりしてますでしょう。ちょっと、はおってみてください。いやあ、これが合うかなと思っておりましたが、ピッタリですねぇ。ねえ、A君。
このスーツなら10年20年持ちますよ。もちろん、こちらのスーツもお勧めなんです。
本当は値下げして売るようなものじゃないんですけどね。これも上等でしょ。
ずばり言いましょう。2着で10万円でいかがです? 1着10万円以上しますよ。
こんな機会は滅多にない。半額以下ですからね。
えっ? お金がない? もちろん、そうでしょうとも。残念だなあ、こういうチャンスはないんですがねえ。でも、人生は出会いですから。こうしてお話させていただくのも一つの出会い。学生さんの人柄にほれました。うちの会社に来て欲しいくらいだ。
 う〜ん。そうだなあ。失礼ですが、貯金はいくらありますか? いえ、その範囲内で何とかお買い求めいただけるよう、こちらもぎりぎり努力しますから。いかがです?」

明日に続く〜


2008.11.06
怪しい2人連れの車に、まんまと乗り込んでしまった私。
ドアノブを握ったままシートに座ると、怪しい2人はまたまた優しく語りかけてきます。
「私たちは、スーツの販売を手広く行っているものです。○○って会社、ご存じないですか?」
「全く聞いたことありません」
「そうですかぁ? 結構宣伝しているんですけどねえ。A君、あれ、うちのCMはどこの局で流してたっけ?」
(この頃は、全くと言っていいほどテレビを観ていませんでした。テレビ室に1台あるテレビで、仲間や先輩と一緒に、阪神戦、プロレス中継、ザ・ベストテン、などを見たくらいでしょう)
「いえ、実はね。KT百貨店の催しに出展していたんですがね、いや、うちは他で儲けているから乗り気ではなかったんですが、百貨店さんから是非にと頼まれたもんだから。それで私が社長に掛け合って、百貨店さんの顔を立てましょう!そういうことで出展したんだけど、、ちょっと売れ残ってしまったんですよ。  失礼ですが何回生ですか?」
「3回です」
「そうそう、すると就職活動なんかはもう? まだ? そろそろ始めないとね。 いや、それで、大変失礼だけども、スーツは持っておられますか? えっ、1着持ってる?」
(あまりのみすぼらしい格好なので、当然1着も持って無いと思ったのでしょう)
「でもね、就職すると、スーツは何着も持って無いといけませんよ。毎日同じ服というわけにはいきませんから。なあ、A君、キミは何着持っている? 5着?  そうだよね、でももっと持って無いとダメじゃないか、キミ〜。いや、でも本当にぎりぎり最低3着は必要ですよ」
「そうですか、でも買う金もないですし」
「いえ、学生さん、失礼だけども、お金の問題じゃないんですよ。社会人としての貴方ご自身の信用、いえ、対外的にはその会社の信用にかかわることなんですからねえ。みんな就職してから、慌てて高いスーツをたくさん買い込むんですよ。 そこでね、最初にご説明したように、私どもはスーツ専門の会社でしてね、少々値が張るんです。粗悪な安物を売る会社じゃないですから。でもね、安物はすぐダメになってまた買い換える。上等なものは値が張ってもいつまでも着られて、 結局はお得なんですよ。・・・・
あくまでソフトに、流れるように話していきます。ついつい話に引き込まれる私。
危うし!(づづく)

2008.11.05
昔のことを考えていたら、詐欺師のことを鮮明に思い出しました。
詐欺師の口は、よう回りますねえ。びっくりです。

あれは、大学時代、ある夏休み中の猛烈に暑い日。
わたしは、大学のプールでひと泳ぎしようと、例の如くスリッパを履いて、古ぼけたTシャツにジャージのズボンをはいて、ぺったら、ぺったら、とプールに向う大学構内の上り坂をのぼっていました。

わたしらの大学のプールは、近所の親子連れも気軽に泳ぎに来ていた、開かれたのどかなプールやったんです。私もしょっちゅう泳ぎに行っていました。なんせ、暑いですし、大学のプールで泳ぐ分にはお金がいらんわけですから。それが、文部省からの変わった天下りさんが一変させました。フェンスを高くして、カギまでかけて、泳ぐのにいちいち名前を書かされるようになったんです。別に、事故が起きたわけでもないのに。

さて、話を元に戻しましょう。
ぺったら、ぺったら、と坂を上っている私に、誰か声をかけました。
「ちょっと、ちょっと、すみません」
あたりをきょろきょろすると、後ろから走ってきた車の人が、私を呼んでいるようです。
道でも聞かれるのかと思い、「なんですかぁ〜」と言いながら車に近づいた私に、そのまだ若そうなおじさんは言います。
「こちらの学生さんですか? ちょっとご相談がございまして。外は暑いでしょう。どうぞ車の中で。クーラーもきいてますから」
あくまで物腰は柔らかく、丁寧に話しかけます。
「なんでしょう? どこかの研究室をお探しですか?」
「まあまあ、立ち話もなんですから」
すぐに用件を切り出さないことにちょっと不審を感じつつ、車に乗り込みました。
私を拉致しても身代金は出せないですし(スリッパにTシャツとジャージの粗末な学生を誘拐しようともおもわんでしょう)・・・、

車に乗り込むと、なんともう1人ちょっと年配のおじさんも乗っています(窓が真っ黒で、外からは中が見えなかったのです)。ますます、けったいやなあ。芸能事務所のスカウトかなあ。なんか、怪しいなあ。ソフトな印象の2人とは裏腹に、危険信号が点滅します。やっぱり、その筋かも・・・。(続きは、明日)


2008.11.02
新しいものに飛びついて失敗した・の巻

新しいもの・人気のものは、ちょっと引いて冷静に考えた方がええのとちゃいますか? という話をしました。連れ合いと話していて、飛びついて失敗した例を思い出しました。

あれは、小学校3〜4年生の頃・・・。
すごいものが発売されたんです! 「象が踏んでも壊れない、アーム筆入れ」
テレビコマーシャルを見ると、あの巨大な象さんが、筆箱を踏んでいます! 
なんで、象がおるところに、日本の筆箱がおいてあるんやろ?しかも誰も使うてない、新製品でっせ! という疑問はこの際、横に置いときましょ。

えらいこっちゃ、ものすごい丈夫やなあ。象が踏んでも壊れてない。あれを買うたら、一生使えるんとちゃうやろか?

すっかりコマーシャル映像に影響された私は、母に頼み込みます。
「なあ、象が踏んでも壊れへん筆箱買うて!」
「今持ってるやつ、まだ使えるやろ? モノを大事にせえへん子には、買わんで!」
・・・痛いとこ突いて来たなあ。(でも、相当物持ちは良かった方です。どんな文房具も大事に使うてましたから)
「でもな、アーム筆入れ買うたら、一生筆箱買わんでええんやで」
「うそばっかり、そんな筆箱あるわけないやろ」
「テレビで言うてるもん」

結局、熱意に負けたのか、ついに買うてくれたんです。新しい筆箱というだけで心底嬉しいのに、象が踏んでも壊れへん奴ですよ!新製品ですよ! 飛び上がるくらい喜びました。

筆箱を手に入れて、学校に行った私は、もう、朝からニコニコしてますね。みんなに見せたくて仕方ないんです。隣の席の子が、ついに見つけてくれました。
「アーム筆入れやん」
「そうや、買うてもろたんや。象が踏んでも壊れへん奴やで〜」
得意満面の私に、彼は冷たく言い放ちました。
「それ、ウソやろ?」
・・・なに〜? 僕の筆箱にケチつけるんか? うらやましがると思うてたのに、 ケチをつけられた私は、むっとしました。
「象が踏んでも壊れへんのや。見ててみ!」
私は買うたばかりの筆箱を床に置いて、踏んでみました。
「ほれみてみい。壊れへんやろ」
彼はさらに追い討ちをかけました。
「子どもが踏んでも壊れへんやろ。象が踏んだらどうやろな?」
・・・なに〜! おちょくってんのかいな。
「ほなら見ててみ!」
私は筆箱を床に置いたまま、イスの上に上り、
「ここから、落ちて踏んだらわかるわ〜」
「やめとけ」「なあ、壊れるで〜。やめときや〜」
騒ぎを聞きつけた近くの子らが、口々に忠告します。なんやら注目されてますます得意になったことと、引っ込みがつかなくなったのとで、
「まあ、見とけや」
そう言うが早いか、そらっ! イスから筆箱の上に飛び降りたわたし。
次の瞬間、メリッという不気味な音と共に、買うたばかりの筆箱は、壊れたのでした・・・。
・・・そんなぁ。象が踏んでも壊れへんのに、なんで僕が踏んだだけで壊れるん?
頭の中は、パニックになっています。
「そやから、やめときって言うたやん。大丈夫?」
女の子達に心配されると、粋がらないわけにはいきません。
「大丈夫やって。この筆箱、今日は調子が悪かってん」

滅多に買うてもらえへん新製品を、せっかく買うてもろたのに、たった1日で壊してしもた・・・。
いや、壊れてても使える。鉛筆を入れる分には、全然問題ない。
そう自分を納得させて、使い続けました。あれほど頼み込んで買うてもろた親には、黙ったままだったことは言うまでもありません。
(ただし、親はすぐに気づいたようです。でも、次から次に買い与えるのは子どもに悪いことを教えることや、と見てみぬ振りをしていたのでした。ですから、次の筆箱を買ってもろたんは、いつもの周期よりもよほど早かったのです)

未だに忘れることの出来ないコマーシャルの罪と、新しいものに飛びつく危険性を、初めて胸に刻んだ小学校3〜4年生の私なのでした・・・。

今日の格言  論より証拠

2008.11.01
電話の話をしました。ある年齢以上には懐かしい、「呼び出し」電話。
若い方は御存知ないでしょうが、昔は電話がある家が少なかったものですから、クラス名簿の連絡先に、人の家の電話が書いてあるんです。
かくいうわたしの名簿にも、向かいのアパートに住むWさんの電話番号が書いてありました。
「呼び出し」という意味の(呼)が付いてね。
これは電話が少ないという絶対条件の上に、人情(近所づきあい)という必要条件が重ならないと成立しませんわね。自分の家の電話に、人の家あての電話が掛かってきて、しかも、「ヨネさ〜ん! 電話やでぇ〜!」いうて、呼びに行かされるわけですから!
かくいうわたしも、例のごとく忘れ物をけっこうしたものですから、学校の校門前の文房具屋(確か、やまと という屋号)の前にある公衆電話から、Wさんの家に電話します。お金を持っているわけ無いから(金銭を持って行くのは、御法度でしたから)、たぶん教師に借りたんでしょう。返した記憶が全然無い。
「もしもし、ヨネです。お母ちゃんを呼んでください」
「あ〜、ヨネ坊。ちょっと待っときや〜。今、呼びに行って来るから〜」
そんな感じで家に呼びに行ってくれます。
そのうち、バタバタとつっかけの音がして(音からして、怒っている感じや〜)、
「どないしたん、また忘れ物?」
「うん、コンパスと定規、忘れた〜」
「そやから、昨日のうちにちゃんと時間割合わせときや〜いうて、言うたやろ」
てなぐあいで、持ってきてくれたりします。
母は銭湯の風呂炊きや掃除やら、お手伝いさんやら、うどん屋の洗い場やら、いろんな仕事をしていて、外で働いているときは呼び出しもできませんが、家で内職もしていることがあって、そんな時は(呼)が効果を発揮するわけです。

Wさんもほんまに嫌な顔もせんと(恐らく・・・)、呼びに行ってくれました。
持ちつ持たれつなんですから、Wさんにお返しは出来なくても、呼び出しの精神は大切にして、誰かに返していきたいものです。

ふと気が付いたら、母は再々登場していますが、父が全く出てきていませんでした。おらんかったんか?と思われるとナニですから、ちょっと紹介しましょう。
父は建具職人です。工務店をやっているわけでなく、職人として働いていたのです。母は、ようしゃべりますが、父はあまりしゃべらず、口よりも手が先に出る感じ。年子の兄とよう喧嘩してたんですが(原因がまたセコくて、どっちのおかずが大きいとか、どのチャンネルが見たいとか、ゲームでどっちが勝ったとか負けたとか・・・)、特に食事時に喧嘩していようものなら・・・。父の怒りには、
順番があって、まず不機嫌な顔をして、次にじろりと睨み、3番目に「そこらへんで、やめとけよ」と一言いい、それでも喧嘩をやめんかったら、「ええ加減にしとかんかい!」と怒鳴り、間髪いれずに私らをぽかりとたたき、それでもうるさかったら玄関に放りだす!
若い方が読むと、しょっちゅう怒っている母といい、この父といい、「まあ、なんていう親でしょ」と思うかもしれませんが、わたしらの周りの親はどこも似たようなものでした。

アパートの階段が「ダダダダ、ドドドド」と音がして、「待たんかい〜!」というおばちゃんの怒鳴り声がすると、しばらくしてN君とお兄ちゃんの2人の泣き叫ぶ声がします。
「ごめん〜。もう、せえへんから〜、ごめ〜ん」
N君兄弟は、僕らの大の仲良しで、アパートの2階に住んでいました(カラーテレビを持っていたので、『巨人の星』を見せてもろてたんです)。
おばちゃんは豪快な人で、ほうきを持って、2人を追い掛け回していました。
もちろん、僕らも母にほうきでケツを叩かれたりしましたが・・・。
まあ、どこもかしこもお上品でなく、たくましい感じでしたね。


2008.10.31
今日も電話がかかってきました。何の電話かといえば、電話の電話です。
「通話料がお安くなります」「通話料を値下げいたしましたので、そのお知らせです」
などなど、ナントカプランやら、ナニホーダイやら、固定電話も携帯も次から次に電話の電話です。

今日は訪問までありました。
固定電話の通話料を値下げしたのなら、躊躇無く下げてといて欲しい。
値上げは黙ってせんといて欲しいけど、下げるんやったら、黙って下げといて欲しいもんです。文句いいませんよ。
携帯は、聞こえたらそれで構いませんわ。
ワンセグたら、新機種やら、まして見た目のデザインはどうでもよろしいです
(機器のデザインは、誰もが使いやすいとか、安全が命やと個人的に思っています)。
なんで新しいものやないとアカンのでしょうか? そこが分からんのです。

手前味噌で申し訳ありませんが、本はその点すごいですよ。
源氏物語なんて1000年前ですからねえ。明治時代の『坊ちゃん』も今読んでも新鮮ですし、山本周五郎の小説には心揺さぶられ、松本清張は人間の真理を突いていると思います。
映画化でまたまた有名になった『指輪物語』は約60年前、『ゲド戦記』は約40年前なのに、これまた人間の奥深くを見据えて読む者を揺さぶりますね。

もちろん、古く汚れた本を売りつけるつもりはありません。でも、本当によいものは時代を超えるのだろうと思います(その作家(画家)自身は、貧窮と失意のうちに死ぬことは多々あります)。今流行しているもの、今もてはやされているものも、一旦遠ざけて冷めた目で見てみると、案外よいものを手にすることが出来るように思いますね。
あれほど持ち上げられてた、ナントカエモンも今は遠く。

・・・盛者必衰の理をあらわす。驕れる者も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。

2008.10.25
慌て者騒動記その3
歯医者の巻

歯医者で慌て者? なんですの?それ。
慌て者の話に一見全く関係ないかのような歯医者にも、危険は転がっています。油断めさるな。

あれは、東京に引っ越してきて間なしの頃やった。
散髪屋を探すのにも苦労しましたが(すでに御紹介したとおり)、歯医者探しにもひと苦労。

歯医者さんには、子どもの頃からあんまりええ思い出がありません。
小学校の頃は、夏休み前に歯の検診があって、「C1,C○、C3・・・」と虫歯を指摘され、「夏休み中に、治しておくように」と紙をもろて、歯医者に行くんです。これがまた当時から、混んでる、混んでる。朝から行っても、お昼までかかります。
遊びたい盛りやから、これが苦痛で苦痛でしゃあない。おまけに、あの「キ〜〜ン」という金属音を聞いただけで、何やら歯がうずいてきましたね。
あの頃は、予約制ちゅうものもなくて、行った順番ですわ。「1番の人はこの席」 とか、別に座るとこなんか決まってないんですけど、みんな誰がどの順番で、自分が誰の後か、ちゃーんと把握してるんですねぇ。
あまりに退屈で、僕が待合室の外に出てぶらぶら遊んでいると、「ちょっと、ぼく〜! アンタの番やでぇ〜」と知らないおばちゃんが呼びに来てくれるんです。
「ありがとう!」と言うと、「その次 わたしやから」とか。

前振りが、えろう長うなってしもて、すみません。東京に引っ越してきた話ですね。
東京に来てしばらくして、
「何か、歯が痛うなってきたなぁ〜」という緊急事態。慌てました。
歯医者がどこにあるのかさえ検討つきませんから、夜中に疼くかもしれんと思うと、気が気ではありません。さっそく近所に方に聞いたんです。
「どっか、ええ歯医者ありませんか?」
そしたら、「○○駅の北口歯科がいいんじゃない?」と親切に教えてくださいました。
「○○駅の北口歯科か!」その名前を覚え、電話帳で調べて、早速電話しました。
「すみません、そちら何時まで空いてますか? 今から行きたいんですけど」
「初診の方? ちょっとお待ちください」
受付の方が先生に聞きに行き、先生がのそのそと電話口に出る音がします。
「どうしたの?」
「すみません、虫歯みたいなんです。痛くて・・・」
「そりゃ大変だねぇ。今から来れる? 何分くらいかかる?」
「40分くらいで行けると思いますけど、○○駅から近いですか? どういう風に行きますか?」
「北口を降りたらねえ、左方面へ行って、最初のT字路を右へ。商店街を歩いて、スーパーの角を左へ。そのまま行くと広い道路に出るから、右を見ると看板が見えるよ〜」
「ありがとう、ございます!」
「うん。じゃあ、待ってるからねぇ」
親切な先生やなあ。丁寧に教えてくれたった。待たせたらアカンから、すぐに行こ!
早速出掛け、教えられた通りに、北口を出て、左方面に歩き、最初のT字路の角には怪しげな風俗店があるのを横目に見ながら右へ曲がり、商店街を歩いて、スーパーの角を左折し、広い道路に出たな。さて、右を見る・・・、と。あったがな、看板が! いやあ、丁寧に教えてもろたから、案外早う着いたで〜! 元気よく入り口のドアを空け、保険証を出し、名前が呼ばれるのを待ちました。
その間10分くらいですやろか? 
「ヨネさ〜ん!」
早かったなあ。と、待ち時間が短いことにもすっかり気分をよくした私は、さっそうとイスに座りました。お医者さんが近づいてきます。
「あ〜、あの親切なお医者さんは、この人か。見るからに、親切そうやなあ」
と、感心していた私に、医者が聞きました。
「今日は、どうしました?」
「いや、先生、どうしました?って、さっき電話で説明しましたやん」
「電話? あっそう?」
内心思いました。あっそう?やないやろ? まだそないに高齢には見えんけど、相当お歳なんかいな? 大丈夫かな?ここは・・・。
「もういっぺん説明しますと、歯が痛いんです。虫歯です。右下の奥歯です」
「痛いの? 虫歯?」
「ええ、痛いんです」かなりむっとして答えたわたしに、この医者は言い放ちました。
「虫歯は治せんなあ・・・。ここ内科だから」
「内科? ここ? でも、北口歯科でしょ。看板出てますやん」
「うちは、北口内科。北口歯科は、上」と上を指さすお医者さん。
しばし呆然とする私に、医者はさらに懇切丁寧な説明を加えました。
「外の看板、2つあったでしょ。1階が内科、2階が歯科。ははーん、それで、さっき電話がどうのと言ってたんですねぇ。2階、まだいるかなあ?」
その言葉を聞いた途端、私ははっと我に返り、
「ありがとうございました。2階へ行ってみます!」
脱いだ上着と荷物を持って、その場から逃げるように立ち去り、猛スピードで階段を駆け上り、息を切らせて受付に飛び込むと、
「あ〜、よかった。あんまり遅いから、もう帰ろうと思って、今閉めてたところだよ。どうしたの? 駅から道に迷った? 迷ったにしては、ずいぶん遠くまで行っちゃった?」
「いえ・・・」まだ息が整わないながらも、 「いえ、1階で診察を受けようとしたんです」
「1階? 1階は内科だよ」
「そうなんです。初めて知りました。内科に座って、今日はどうしました? とか先生が聞くもんですから、『さっき電話で説明しましたやん。歯が痛いんです!』 いうて、大威張りで答えたら、『うちは内科だから、虫歯は治せません』と言われました〜」
「うん、そうだね。1階で虫歯を治すのは、ちょっと無理だね。うん、じゃあ、座ったら?」
この先生はどこまでもマイペースやなあ。でも、それだけに安心するわ。
ここでもし、「診察時間外なのに、いつまで待たせるんだ。内科と歯科を間違えるなんて、ばっかじゃないか!」とか言われてたら、憤然と席を立って帰っていたことでしょう。

それにしても、「北口内科」と「北口歯科」なんて、似たような名前をつけんといてよ〜。
まぎらわしいやんか。でも、内科に座って「虫歯を治せ」と言うた人なんか、開院以来誰一人おらんかったみたいです。
なんでも、史上初と言うのは気持ちいい?もんやね。

慌て者の面目躍如たるエピソードでした・・・・。

2008.10.24
慌て者漂流記パート2

慌て者ゆえの冷や汗失敗談その2―お金編

その1.無銭飲食になりかけるの巻
「めし、食いに行こ!」
「お〜!」
あれは、高校2年のときやった。あの頃、いくら身体が小さくても、さすがに中学・高校は、お腹が減って仕方なく、しょっちゅう食べていました。食べるというても、高い物は全くありません。

・お昼にお弁当を食べてから、学校の食堂にウドンを食べに行く。
・学校の帰りに、高校近くのお好み焼きやに食べに行く。
・自転車で家に帰る途中、中華料理屋で焼きソバ定食を食べる。

お好み焼きは、まあ、よう食いましたねえ。ブタ玉1枚200円か250円。1枚食べるたびにサービス券をくれるので、それをためて1枚おまけに食べたり・・・。お小遣いなんてほとんどないから、よう食べたというても、まあ、1週間に1回か2回くらいですやろか。

それよりも、早う、無銭飲食の話をせんかいな!
そうでした、そうでした。あれは、高校2年の頃、友達に誘われて、めったにないことに、高校近くのうどん屋へ行ったんです。
確か、僕は初めて入る店で、メニューなんぞを見て注文し、友達とうどんを食べている最中に、ふと、嫌な予感が・・・。
そうなんです。財布を持たずに、うどん屋に入って、お金も無いまま、うどんをほぼ全部食べてしもてから、この冷酷な事実に気づいたのです。
ポケットに手を入れて、隣の友達に一言。
「財布ないわ」
「なに〜! お前、財布も持たんと、うどん食うたら、無銭飲食やんけ!」
「そうならんように、金貸して」
「俺も持ってなかったら、どないするつもりや?」
「そしたら、2人とも無銭飲食やんけ!」
「なに、威張っとんや。しゃあない、貸しとこ」
無論、翌日すぐに返したことは言うまでもありません。
食べる前に気づいたなら、未遂ですむところを、ほとんど食べてしもてから、気づくなんてなあ・・・。と
ほほな高校時代の私なのであった。

その2.名古屋から帰れんようになるの巻
あれは大学を卒業して4〜5年経った頃、愛知県に帰った後輩から「私たち 結婚します!」のハガキが届きました。
「あの、堅物がなあ。一心不乱、直球しか投げません、みたいな奴がなあ。よかったよかった。でも、愛知県一宮? どこやねん、それは・・・」
結婚式に出席するからといって、別に散髪屋に行くわけでもなく、服を選ぶわけでもなく、「どうぞ、平服でお越しください」の一文をかなり重視して、自らのみすぼらしさを忘れる、わたしなのであった。

それでも、それなりに準備していけばいいものを、「名古屋まで新幹線やから」
と、会場まで行く経路も全然調べず、大体の目処をつけて、当日、名古屋までの切符を買って新幹線に飛び乗ったわたし。
何も考えず、ぼーっっと、外の風景を眺め、やがて新幹線は岐阜羽島を過ぎ、「あ〜、いよいよ名古屋だがや」「まあだ、岐阜羽島だがや。おみゃー」などと、一人でボケと突っ込みを演じていたわたしの脳裏に、ある重大な事態がひらめきました! 冴えている!
「う〜ん、名古屋までの行きの切符は買うたけど、名古屋から帰る切符はどないしよ? お金持ってたかいな?」
おもむろに、財布を取り出して、じっくり中身を点検すると、なんと、3000円くらいしかありません。
「なんちゅうこっちゃ。これやったら帰れへんやんか! というより、結婚祝賀会の参加費もないで! そもそも、一宮っちゅうところにたどり着けるんかいなぁ〜!」
余りのむごい現実にしばし呆然とし、血の気が失せていくわたしなのであった。
しかも、その頃は、キャッシュコーナーは平日しか開いてなかったんです。結婚式は当然休みの日ですから・・・。

しかし、その直後、またまた、あるひらめきが!
「そやそや、一宮がどこにあるんか知らんけど、片道3000円もするような遠いところにはないやろ。行けるはずや。何とか会場にたどり着いたら、あいつも来てるやろ。そやそや、あいつに借りよ! あいつやったら、貸してくれるやろ!」
(「あいつ」とは、私の同級生で、結婚する後輩の共通の先輩なのです)
あまりにうまい思いつきに密かにほくそ笑むわたし。

名古屋から人に聞きながら、何とか会場にたどり着いたわたしの目に飛び込んできた、友達のK君。
「あのなあ、お金持ってる?」
「なんで?」
「悪いけどなあ、貸してくれへんか。財布の中に、あとこれだけしかないねん」
わたしが開いて見せた財布をじっと覗き込むK君。
「お前、ようそれでここまで来たなあ。感心するわ。今日の参加費もないやんか」
「そうなんや。ここまで来て帰るわけにはいかんやろ」
「そらそや、しゃあない。貸しとくわ」
持つべき物は友。可哀相なK君は、なけなしのお金から僕の参加費と帰りの切符代を貸してくれたのであった・・・。
人間の出来たK君に、わたしがすぐにお金を返したのは言うまでもない。かなり迷惑な結婚式の出席者、それが20代半ばのわたしなのであった。

ちなみに、この頃は日頃ジャージなんかを着て、スリッパ(つっかけ)とかで歩いていたので、用事があって東京に行った際、当然新幹線にもスリッパで乗り込んだんです。もちろん、ジャージです。東京で会った人に、言われました。
「その格好で新幹線に乗ってきたんですか?・・・・・」
彼の視線は、さっきからわたしのスリッパに釘付け。その後、異物でも見るように、ジャージの上下を眺めています。

「このジャージ? ええやろ。竹の子族から買うてん!」

ウソついたらあきませんでえ〜!

2008.10.23
生来の慌て者です。
毎日朝出かけては、「財布を忘れた」「定期を忘れた」「カギを締めたかな?」「窓が開きっぱなしや」・・・・、ようまあ、しょっちゅう色んなものを取りに家に帰るんです。そのたびに連れ合いからは、「必ずいっぺんは帰らんとアカンみたいやなあ」と言われるんです。「あわてんぼうのおつかい」という歌がありましたが、それを日々実践している律義者です。

忘れ物で一番古い記憶は、幼稚園のときです。何を忘れたかって? ズボンをはくのを、忘れたんです!
あれは、冬の寒〜い日。
わたしらの故郷は、瀬戸内海に面していますから、「温かくていいですね」と東京の方にも言われるんですけど、ところがどっこい、少なくとも東京よりはよほど寒かったですね(今は、温暖化しているのかもしれませんが)。高校が自転車通学だったですが、冬場はしょっちゅう道路が凍るんです。これがまた、怖い怖い。学校に着くまでに、何べんコケるかわかりません。自動車でも走ってこようものなら・・・。ですから、道路凍結日は遅刻が許されるんです。
まあ、それはそれとして、何せ寒いですから、子どもの頃は毛糸のパンツをはいていたんです。ものすごくイヤやったんですけど、「イヤや」と言おうものなら、母の雷がどかーんと落ちてきますからね、しゃあない、はいて行こ!
その日も、いやいや毛糸のパンツをはいて、「行ってきまーす!」と幼稚園に向けて、てくてく歩き、もう幼稚園が見えてきたと思ったときに、はたと気が付いたんです。「ズボン、はき忘れた!」
あ〜えらいこっちゃ〜、でも今から家に帰ったら遅れてしまうし、でも格好悪いし、情けない。どないしょ〜。
そこでピカリとひらめきました。このまま誤魔化そ!
幸いなことに、毛糸のパンツが紺色やったんです。しかも、背が小さかった(今でも)もんですから、スモックが大きくて、半ズボンをはいてもそれが隠れるくらい長かったんです。
しめた、これだけ上が長かったら、バレへんやろ。

ズボンをはいていないことがバレへんように、十分気をつけて、みんなと一緒に遊び、時々はいてないことを忘れて大胆なポーズをとっては、「アカンアカン!」 と慌ててスモックを下に引っ張り・・・。
そんなことを何回かくり返すうちに、なんと、無事帰りの時間を迎えたんです!
あ〜よかった! バレへんかった! なんとかなるもんや!

恐らくこの時、変にうまく行ったという幼児体験が、未だに忘れ物をしてしまう情けない性格につながってるんかもしれませんなあ〜。

2008.10.17
子どもに書き送ったお話第2弾。

<おっちゃん 鹿に襲われる の巻>

「ジョギング中の主婦 鹿に襲われ死亡」
―また今年も出たか、犠牲者が・・・。ナンマンダブツ・・・―。

あれは、おっちゃんが大学1回生(1年生のこと。関西の大学ではこういう言い方をする)の頃、男子寮の談話室で新聞を読んでた時のことやった。
おっちゃんは、大学の寮に住んでたんやけど、ここは古〜い木造2階建て、廊下にはゴミが散乱して、部屋の中はその廊下をさらに散らかしたような有様。ゴミで床が見えへん・・・。お世辞にもキレイとは言えへんとこやったけど、おっちゃんにとっては、小奇麗なお部屋では決して学べへんことを、学んだ場所やった。

おっちゃんが奈良に来て、何をびっくりしたと言って、早朝の商店街でゴミあさりしている野良犬ならぬ野良鹿の姿。
もっともそんなものは、後々のアンビリーバブルな(信じられない)事態に比べれば、大阪で阪神ファンに出会うくらいに当たり前のことやった。寮では、中庭に鹿が歩き回っているどころか、こんなこともあったでぇ!

春やと言うのに、奈良はちょっと冷えこんで肌寒いある日の早朝のことやった。
おっちゃんが寮の2段ベッドの下で心地よい眠りをむさぼっていると、廊下をコツコツ、コツコツ、コツコツと誰かが歩く音がする。
時々、ズズゥ〜、ズズゥ〜と何かを引きずるような音も・・・。
「誰や、こんな朝早うに。しかも、革靴か何かで、廊下を平気で歩いて!」

当時、男子寮には厳しい掟(おきて)があった。
寮の中で履いているスリッパで外に出てもええけども、外用の靴で寮の中を歩いたらアカン! これは、絶対的な掟やった。
もっとも、おっちゃんは靴なんかほとんど持ってないから、この掟は全然苦にならんかったけど・・・。

そんな厳しい掟を破って、寮生ともあろうものが、高そうな革靴で早朝に廊下を歩き回るとは!
(寮生は、夜は遅くまで騒いでいるけど、大変な朝寝坊で、こんな時間に起きてる奴なんか一人もおらん!)
おっちゃんは、珍しく朝早く目が覚めたのと、腹立たしいのとで、
「どんな奴か、顔見たろ!」 と、部屋の戸を開けた。
ゴミが散乱して床が見えないはずの廊下が、戸が開くところだけ綺麗になって、扇形の床が現れたことは、このお話の筋には全く関係がない。
戸を開けたおっちゃんが、ふと目を上げた途端、目の前を猛烈なスピードで走り去っていく巨大な影・・・。
「なっ、なんや?」
事態がまだうまく飲み込めないおっちゃんが(寝ぼけてるんかも知れんし)、慌ててそやつが走り去った方向を見ると、そのモノ(者)は廊下の端(はし)で急激に方向を変え(行き止まりやし)、出口に向かう瞬間、おっちゃんを見た! 
その真っ黒い大きな目で! そいつは、毛深いし、足も長い!
そのモノが、風のように走り去った廊下には、散乱した生ゴミと、寝グセのついた髪の毛を逆(さか)立てて(あの頃は、逆立つくらいには髪の毛があったんやなぁ、おっちゃんも)、口を開けたまま間抜けな顔をして突っ立っているおっちゃんだけが取り残されたのであった・・・。
そのモノの名は・・・・・・、野良鹿! 以後、夢ゆめ、お忘れなきように。

「おいヨネ! 鹿って、どうやって人を襲うか知ってるか?」
「いや、知りませんよぉ。故郷の街中(まちなか)には、鹿、歩いてませんしねぇ。馬みたいに蹴(け)るんとちゃいます?」
一緒に新聞室にいた寮の先輩・Mさんが、おっちゃんに声をかけてきた。
鹿が人を襲う? それだけでも信じられへんかったのに、鹿の攻撃方法なんか知るわけないやんか! 
と内心では思いつつ、先輩には逆らえまへん。
「じらさんと、教えてくださいよ〜」
「鹿はなぁ、蹴るんとちゃうで! たたくんやで」
「たたく? 人間みたいに張り手か何かで?」
「ちゃうちゃう! まあ、ヨネも、いつか分かる日が来るで。そのうちにな・・・」
なんや、なんや? その不気味な終わり方は・・・。
「やめてくださいよ〜。脅すのは!」
せっかくの先輩の忠告を、おっちゃんを「怖がらせようとしてるんやぁ」と、無理に受け取って納得したはずやった。
しかし、その日から遠からずして、ついに「未知との遭遇(そうぐう)」を果たすことになろうとは、奈良の大仏でも予想できひんかったやろ・・・。

あれは、部屋変えの翌日の朝やった。 寮では、半年に1回、部屋変えをする。
まあ、荷物といってもほとんどないんやけど、部屋を綺麗にして明け渡すのが、これ、社会の常識やから、散乱してたゴミをかき集めて、寮の食堂のほうでいっせいに燃やすんやね。寝泊りしている建物と、食堂や風呂のある建物は別棟(べつむね)で、なんと、2つの建物の間に道路が走ってる。

その日の朝も、1回生のおっちゃんは、ほれ、使い走りみたいなもんやから、先輩のゴミとかいろいろゴミ袋につめこんで、ゴミの集積所まで歩いていった。
まだ早い時間、いくら寝ても寝たりないおっちゃんは、眠い目をこすりながら、うつむき加減に歩いてたんやけど、道路を渡りきったかな、というところで、向こうから近づいてくる大きな影に気がついた(向こうと言うのは、ゴミの集積所方面)。

そのモノ(者)は、静かにこちらに歩いてくる。
人を見ても、全く動じる気配はなし。おっちゃんは、その時までは、まだ鹿を甘く見ていた。
「鹿は臆病な動物やから、びっくりさせたら逃げるやろ!」と。
「こら〜!」と、おっちゃんは声を上げてみた。
鹿は、何も聞こえないかのごとく、歩調も一切乱さずにこちらに近づいてくる。コツ、コツ、コツ、コツ・・・。
おっちゃんは、なおも、「向こうへ行け!」と叫びながら、ゴミ袋を振り回した。
鹿には全く通用しない。あいかわらず、大きな黒い目でおっちゃんをじっと見つめたまま、同じ歩調で近づいてくる。
コツ、コツ、コツ・・・。
おっちゃんは、どんどん怖くなった。
「なんで、逃げへんのやろ!」
その時や、あの新聞記事を思い出したのは・・・。
「ジョギング中の主婦 鹿に襲われ死亡」・・・・・・

猛烈に恐ろしくなったおっちゃんが、逃げようとしたまさにその時や! 
鹿が、十分な間合いを持って、前足を2本、大きく振り上げたんや!
「これか、M先輩の言うとった、鹿の攻撃方法ちゅうんは・・・」
おっちゃんの頭の中を、それまでの人生がぐるぐると回りかけた瞬間、
「何してんのや! ゴミ袋を捨てろ!」
と、おっちゃんの頭の中で声がした。
そうや、ゴミ袋を捨てたらええんや! おっちゃんは、夢中でゴミ袋を鹿に投げつけて、猛然とその場を走り去った!

「Mさん! 分かったで! 鹿の攻撃方法が!」
「そうか! よう無事に帰ってきたな! 鹿の攻撃を見た者は、三途の川を渡ると言うからな ・・・」
 
あれから四半世紀以上、おっちゃんはいまだに三途の川を渡っていない。
あの時、「ゴミ袋を捨てろ!」と教えてくれた声は、奈良の大仏か、猿沢池の亀か、平城宮跡の木簡か、はたまた鹿せんべいか奈良漬か。それは、誰も、知らない・・・。

(鹿の巻 完)

2008.10.15
今回と次回の2回は、わたしが仲の良い子どもたちに書き送った駄文を紹介しましょう。
どちらも事実です(ごくごく若干の脚色も含まれておりますのでご注意ください)。

<かまないはずの犬にかまれる の巻>

あれは今から20年以上も前の、ある夏の、まだまだ暑さ厳しい、夕暮れ時のことです。
おっちゃんはその頃、奈良市内に住んでいました。
「あなたと なら 大和路」 の奈良、平城京の奈良、奈良漬の奈良です。奈良は盆地やから、真夏でも朝は涼しかったし、昼間の暑さは厳しいところです。
おっちゃんは「カブ」というスクーターに乗って、アルバイトで集金に回っていました。
集金と言うのも中々大変なお仕事で、
「こんにちは〜 集金に来ました〜」
「今、誰もいませんよ!」

(アンタがおるやんか!) とか、
電気がついているので、あ〜今日は奥さんが、おってや! あ〜よかった。と思い、
「こんちは! 集金です」と言うと、
「あら〜、今ちょうどお金がなくなったとこなんよ。明日の夜、8時ごろ来て!」
(なんで、夜8時なんや?)と不審に思いつつ、次の日の夜8時に行くと・・・、
「ちょっと、女一人住まいやのに、夜遅うに来んといてよ! 近所の噂になるやろ!」
(誰がアンタみたいな、おばあはんを! それに昨日、夜8時に来い言うたんはアンタやんか!)と、心では猛烈に怒りつつ、
「遅くにすみませ〜ん。ほんまに失礼しました。出直しましょか?」
「いやいや、わざわざ出直すことない! しゃあない、払とこ!」

とまあ、こんな苦労も多々あるわけです。

ところで犬の話はどうなったん? まあまあ、そう急がんと。

ある方のアパート入り口に付いて、スクーターを降りたときです。
「わんわん わんわん」
「どこのアホ犬やねん! 近所迷惑な!」
「あ〜、良かった。今日は奥さんおってや!」
そう思った次の瞬間です。その方の家から、小さな犬が猛烈に鳴きながら飛び出してきました。
「近所迷惑な犬は、おばはんとこの犬か! どうでもええけど、噛み付きそうな気配やな」
「あぁ 大丈夫、大丈夫! そんな怖がらんでも、うちのメグちゃんは、人を噛んだりせぇ・・・」
「せぇへんと言おう思たら、噛んでるなぁ」

「どこの誰が、どう見ても、人を噛んでますよ!」
「おかしいなあ、アンタ、メグちゃんに恨まれるような悪いことした?」
「今初めて会うて、いきなり噛まれたんでっせ! いつ悪いことしまんねん!」
「顔が気に入らんかったんかもな〜。大丈夫?メグちゃん?」
「お〜い、俺が犬をかんどるんか〜い」

なお、このお話は95%の真実に、5%の脚色を混ぜてお伝えしております。あしからずご了承ください。
テレビを見るときは、部屋を明るくして、離れて見ましょう。テレビを見る時間は、控えめに。
目が悪くなるし、考える力がなくなっていきます。

次回は、「おっちゃん 鹿に襲われる の巻」をお伝えします。
提供は、一声社でした。

  2008.10.08
「灯台もとくらし」の意味がわからなかった、と書きましたが、他にも色々勘違いがあります。

「○○先生〜、○○先生〜、至急職員室にお戻りください」
小学校のときに、よく放送されたこの言葉。これもまったく勘違いしてました。
「○○先生〜、○○先生〜、地球 職員室にお戻りください」
え〜! ○○先生は、地球に戻るんや。ほなら、今までどこにおったったんやろ?
ずーーーっっと、そう思うてました。

僕らは、ゴジラやガメラ、ウルトラマン世代ですから。ウルトラマンは、地球には3分しかおれません。宇宙に戻っていきますな。僕の勘違いは、その影響やと思います。あるとき、このおなじみの放送があったときに、
「○○先生は、いよいよ地球に戻ってくるんやな。」
とつぶやいたとき、隣にいた友達(だれが言うたんか思い出せへんけど、そのシーンと友人の声ははっきりと覚えてます)が、
「だれが地球に戻るって?」
「○○先生やんか!」
「なんで?」
「そうかて、今言うとったやん。地球にお戻りください、って」
「地球? 今の放送? あぁ〜、あれ? あれな、「至急」と言うてるんやで」
「至急ってなんや?」
「知らんけど、地球とはちゃう」
「ほれみてみい、意味知らんやんか。地球やろ・・・・」
と、無駄な反論を大威張りでしつつ、
「うそ〜っ、「至急」って言うてるんか。 なんかおかしいかなとは思うてたんや。
そないに、僕らの学校の先生ばっかり、 地球とちゃうとこにおるわけないもんな」

と、心の中では友だちへの完敗を認め ざるをえなかった、小学校3〜4年生の頃のわたしなのであった・・・。


ついでに、むずかしい言葉。「鉱さい」
「「鉱さい」を投げないようにしましょう!」
これは、僕らの小学校で、代々注意事項として廊下に張り出された標語です。
かくいう僕も、5〜6年生の頃の「美化部」でそんなありきたりの使い古された標語を採用して、廊下に張り出しました。
「鉱さい」?なんですの?それは?
これは今でもむずかしい言葉ですが、僕らの学校では、校舎と校舎の間や、体育館に行く通路などに敷き詰めてあった、要するに石です。これを、おもしろがって投げ合うわけです。時々は、鯉のおる池に、チャポンといれたり・・・。
そんなことしたらアカン、他人にあたったら危ない、そういうことやったんですけど、なんでストレートに、
「石を投げないようにしましょう」
と言わへんかったんか、未だに不思議ですね。むずかしく言わな標語の格が下がるとでも思うてたんですやろか?
「「鉱さい」を投げないようにしましょう!」
1年生に分かりますか?
標語はだれにでもわかるもんやないと意味無いと思うんですけど、まあ、今でもやたらと四文字熟語が氾濫したときは、なんやら危ないですね。
政治改革・構造改革・国際貢献・自己責任・地方分権・・・、やたらめったらありましたけど、四文字熟語になった途端に、その意味を考える思考がストップして、盛り上がってしまいますね。
これからは、「新宿駅前」とか「頭痛腹痛」とか、「水戸納豆」だの「焼肉好物」 だの、「嫁姑敵対」やら「振込詐欺」やら「花婿修行」「公約違反」「野茂英雄」 だのなんだの、なんでもかんでも四文字熟語にしてあそびましょやないかいな。

  2008.10.07
トーハンさんの秋季優良図書展示会で、「小道具を使った楽しいおはなし」なるものをやってきました!
学校の図書館司書さんたちが参加なさったのですが、見事に全員女性。
じ〜っっと、見つめられると何やら柄にもなく緊張してしまいました。

持ち時間は1時間で、藤田浩子さんの『こっちむいておはなしおもちゃ』から「自己紹介ぱたぱた」でまずは自己紹介。
『おはなしの小道具セット4』の「りすとどんぐり」、『おはなしの小道具セットセット1』の「変身泥棒」 から、参加者にお手伝いしてもらって『手品レストラン』(小道具セット4)・ ・・、途中に「ひとつとひとつはどんな音?」や「バレリーナ」(『こっちむい
ておはなしおもちゃ』)
で身体を動かし、「蛙ぼたもち」(『おはなしおばさんの小道具』)でやっぱり参加者の方にお手伝いしてもらい、重箱を開けてもらいました。
この方は、とても感情を込めて「ばばあやで! ぼたもちに戻れ!」と唱えて開けていただきました。
呼んでいただいたトーハンさんの手前、うまく盛り上がってくれたらええけど・・・、とドキドキしていましたが、何とかご期待に添えたようです。
おはなしおばさんシリーズ
こっちむいておはなしおもちゃ
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット1)
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
続おはなしおばさんの小道具
続おはなしおばさんの小道具

さてさて、ここからが本題。ほんまにえらいこっちゃ〜ですわ。
なんと、着ていった背広が破けてたんです!
なんでそうなったか、というと、前日の夜遅くに札幌から帰ってきたもんですから・・・、いやいや帰りにもひと騒動あったんです。空港バスから近くまで帰ってきたんはええんですけど、(奥さんに車で迎えに来てもろて)、車に乗り込んだ途端、「あっ! バスに荷物を忘れた!」。えらいことです。空港バスの荷物入れに預けたまま、手荷物だけを持って降りてしもたんです! えらいこっちゃ〜! 空港バスなんか、めったに乗らんからどこに電話したらええんかもわからんし、バス停に書いてある番号にかけたら、「恐れ入りますが、本日の営業は終了しております・・・・」というコンピューターさんの声だけ。
104に聞いてようやくわかり、無事荷物を取り戻したんです。そんなこんなでただでさえ遅いのに、またまた遅くなって、朝起きても疲れは取れず(寄る年波ですな)、スーツを選んでいるときに、よっぽどボ〜っとしてたんか、処分する予定の古いスーツを手に取ってしもたんです。
どれくらい古いんかっちゅうて、なんと成人式の前に買うたスーツでっせ!
もう、袖がもげそうになってるんです。穴も開いてます! なにかに使うかもしれんと思うて、箪笥に吊り下げといたんですけど、捨てとけっちゅうねん!

藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「おじいさんの大事なコート」
(小道具セット2)
お話会のときに、「おじいさんの大事なコート」(小道具セット2)をやったんです。
おじいさんがボロボロになったコートを捨てないで、工夫してジャケットになおし、それも長く着たのでボロボロになったので、今度はベストに・・・、 という例のあれですわ。
そやけど、おじいさんのコートどころか、自分の着てるスーツがボロボロやったんですわ。シャレにもならん。その日の夜に、連れ合いに指摘されて、ようやくわかったという情けなさ。不思議なもんで、ボロボロやと知らんときには、平気で着て歩いてたのに、知った途端に、恥ずかしいて着れんようになりますね。
参加者の方は、きっと「あらぁ〜。やっぱりお話にあわせて、スーツまでボロボロのんを着たはるわ〜。やっぱりプロ根性やねぇ〜」と感心して見ておられた方もおられるかもしれません。決して、プロ根性やないんです。たんなるトンマな男の失敗談。まあ、おはなしの小道具=衣装やと思うて、楽しんでくれはったんやったら、身体を張った甲斐があったっちゅうもんです。終わりよければすべてよし。

今日の格言
『他人の振り見て、我が振り直せ』

*ほんまは、これ着て行こう!と思っていたスーツは、一番手に取りやすいところに釣り下がっていました。
それをわざわざ取りにくいところから、ボロを引っ張り出すやなんて、まさに灯台もと暮らしですな。
(ちなみにこの言葉、小学校の頃は、デモクラシーと関係がある言葉かと思うてました。まず、教科書に載っていた「大正デモクラシー」という聞きなれない言葉を覚えて、これは「デモ」(ストライキとかのデモ)ばかりやって暮らしていることかいな?と思うてたんです。デモ暮らしですね。 その次が、教師が言った「灯台もとくらし」。まずは、東大やろと思うてたんですが、モトクラシー、これなんやろ? デモクラシーと関係あるんやろな? 東大が? なんとも不思議な魅力的な言葉でした。これ、ほんまの話です)。

  2008.10.05
北海道に行ってきました〜! 全国学童保育研究集会での販売に、チーム・トロルの一員として。
2・3日は札幌を中心に書店さん訪問。
札幌駅隣の紀伊国屋書店札幌本店では、『藤田浩子さんミニ・フェア』開催中でした。
藤田浩子さんの本や小道具セットたちが並んでいますので、ぜひ行ってみてください。

小樽の喜久屋書店小樽店さんは、昨年訪問した際、店長さんたちに温かく迎え入れていただき、『ほしい』(藤田浩子さく)を使って読み聞かせ会をしておられる写真をいただいたりしました。児童書のご担当だけでなく、いろんなジャンルの担当さんが、読み聞かせにチャレンジしておられるようです。児童書のラインナップもすごいものです! ずらりと並んだ絵本や児童読み物は圧巻でした!

さて、札幌のコーチェンフォーさんを訪問するのは、車が無いとなかなか大変でした。地図で一番近い駅を探して、バスの路線を見て、ないときはタクシーを拾って・・・・。美しが丘店さんを訪問したときは、小雨交じりの寒〜い日。行くときは駅からちょうど良いバスが出るときだったので助かったのですが、いざ帰ろうとバスの時刻表を見たら、25分くらい待ち時間があります。屋根つきの待合所があるにはあったのですが、寒いの寒くないのと、ブルブル震えながら待って、すっかり身体が冷え切ってしまいました。

札幌はまだしも、北海道はローカル線がだいぶなくなって、住んでおられる方々は本当に大変やと思います(高校生の通学とか)。札幌の叔母から、「近頃は病院もどんどん閉鎖されて、北海道の地方で生活するのがますます大変。札幌に人口が集中している」と聞きました。出張で全国各地を回りますと、文字通りのシャッター通りを見、寂れ具合を肌で感じ、またどこでもホームレスの人を見かけます。

「地方の時代」「地方分権」という美しい言葉をお使いになる方々は、まず地方のそういう現実を直視していただけたらと思います。病院にすぐに行ける道路を作るんだ、とおっしゃいますが、遠くにあるその病院もやがてつぶれ、さらに病院が遠くなり、またまた高速道路を作って・・・。んんっ? どうにも発想の出発点が違うような気がしますな。

それでも、色々工夫して、元気に生きていかねばなりませんが、努力次第で何とかなる! 自己責任で! というなら政治も要らんし、税金も要らんのんとちゃいますか? 「これからは、税金も一切徴収しまへん、そのかわり全部自分でやってくださいや〜」、というのがほんまの自己責任とちゃいますか? そしたら、政治家に払てる「無駄」なお金も一切不要でっさかいね。

  2008.09.26
親しくさせていただいている方と立ち話をしているとき、髪の毛の話題になりました。どうやら、その方の若い知人が髪の毛のことで真剣に悩み、すっかり引っ込み思案になってしまったらしい。植毛だのかつらだの色々試したらしいんですがうまくいかず、人前で話すことが苦手になってしまったとか・・・。なんでわたしと話している最中に、髪の毛の話題に移っていったのか、それは定かではありませんが、その方の目線が、わたしのおでこあたりにじっと注がれていたことだけは確かです。

結論から言えば、気にせんとこ!というアドバイスしかありません。それに、ものすごく高いかつら(東南アジアなどで、超低賃金労働で作らせて、高く売るということも腹立たしいし)につぎ込むお金は、もっと楽しいことや、人のために役立つことに使ってほしいですね。

「どれだけ深刻に悩んでるか、アンタわかってないんや!」
という方もおられるでしょう。それでも、その自分を受け入れるしかないやないですか。
かくいうわたしも、すっかり頭髪が寂しい状況。若い頃にはそれなりに気になりました。
開き直って早幾年。開き直ったら強いもんです。

3〜4年位前に、仲の良い小学生の子どもがわたしの似顔絵を描いてくれたんです。
上手に描いてくれて、よう似てるんですわ。でも、初めて見せてもろたときに、思わず自分で爆笑してしまいましたで。それは、・・・髪の毛がほとんど描いてなかったことなんです! メガネもかけてますし、ちょうど波平さんみたいな感じになってますね。

「う〜ん、子どもの目にはここまで毛がないように見えるんか〜。子どもの目は誤魔化せんなぁ」と感心することしきり。
(このページの今年の2月にわたしの写真も載っているので、とくとご覧アレ)

毛がないのは、母親の家系ですな。
わたしのおでこや頭全体の感じが、母方の祖父や叔父とそっくりなんですわ。2人とも故人ですが、叔母もわたしを見ては
「あ〜、お父さんが帰って来たった〜!」と涙声で言うんです。
なんやらうれしいような、哀しいような、背中の辺りがもぞもぞ、すーーっっとするような・・・。
「おっちゃん、背中におぶさってんのかなぁ」と、ちょっとびっくりしまっせ。

「髪は、長〜い友だち」というコマーシャルがありました。
わたしの友だちは、短い付き合いで次々に去っていったようです。殺生やなあ。薄情やなあ。いや、髪の毛だけに、薄毛(はくもう)やなあ。

この頭髪が思わぬ事態を引き起こすことも・・・。
あれは東京に引っ越してきて、そんなに経ってないある日のこと。
以前は、格安散髪屋で済ませていたわたし。わたしが通っていた格安のところは、安かろう悪かろう。
でも、そんなにご大層な髪の毛やなし。この値段の方が魅力や! とせっせと通うてました。

東京に来たら、右も左も分からず、近所に格安のところもなかったものですから、まず一番近い散髪屋へ。
これがものすごく丁寧なんやけど、時間がかかるかかる。
2人が散髪台に座って、3人がソファで待ってたもんやから、「これは順番がはよまわってくるやろ」と店に入って待ってたら、待てど暮らせど一向に終わっていかん! なんと、最終的にわたしの散髪が終わるまで、延々6時間待ってました〜!
(連れ合いは、散髪が終わって映画でも観にいったのかと思うたそうです)

時間がかかるはずですわ。ようやく私の番が来てすわったら、
「まず前髪をどのようにしますか? このカタログを見て選んでください」
「次に、うしろのすそをどのようになさいますか? 今度はこっちのカタログを見て選んでください」
「もみあげはどのようになさいますか? もみあげのカタログはこれから選んでください」
前髪くらいは「ほな、これにして!」とか答えてたんですが、あまりにカタログを見せながら「選べ選べ」とあれこれ言うもんですから、しまいに嫌になってしまいまして、
「どうでもよろしい。そんなご大層な髪の毛やなし。前髪だろうが、すそやろうが、もみあげやろうが、全部短く切ってしもて! カタログって、これに掲ってる人ら、み〜んなかっこええモデルばっかりやんか。少なくとも、こんな風にだけはなりとうないですわ」
かわいそうな、親切なおじさんは、困ってしまったようです(すみません)。

「ここは、丁寧なんはええけど、時間がかかりすぎるし、モデルを目指してるんとちゃうんやから、あれこれ聞かれても「どうでもええです」しか答えられん。 ぼくには合わんなあ」

そこで、次の散髪屋を探して、また飛び込みで新しいお店にいったとき、事件は起こりました・・・。
「ああ、髪の毛が伸びて鬱陶しい。耳にかかってんのも、襟首にかかるのもうっとうしい。あっ! ここ初めてやけど、入ってみよ! ちょうどええ、空いてる〜」
「いらっっしゃい。お客さん、初めてですね」
と、わたしの父親くらいのおじさん。
「お客さんをよう見てはんなあ。初めてやとわかるんやなあ」
と感心しながら、早速散髪台に座ります。
おじさんは、初めての客にニコニコと愛想を振りまきながら、
「どんな感じにしますか?」と聞いてきます。
「全体に、短こうしてください」
「お客さん、関西の方ですか?」
「今の一言でわかりますか?」
「ええ、すぐわかりました。どこのご出身です? わたしは東京下町の生まれで・・・」
と、話はつきません。
話す間にも、手は休めず、準備を整えていくおじさん。さすがベテラン。すっかり安心したわたしでした。
両手でわたしの頭を支え、大きな鏡をじっとみつめたそのとき、事件は起こりました。
しばらく鏡を見つめた後、やおらおじさんは、こう言ったのです。
「う〜ん、お客さん、前髪だけどこかで切ってきました〜? ちょっとバランスが悪いですねえ」
・・・・・・・・
・・・・・・・・
「おじさん、前髪だけどっかの散髪屋で切ってから、また他の散髪屋に行く人おりますかぁ? これねぇ、地毛です。前髪は、切ってきたんやのうて、もともと少ないんですわ。ほかの部分の髪だけ、伸びたんやね」
・・・・・・・・
「すっ、すみませんででしたた。き、きょうはは、お天気が良くて、よかったですねえ」
「雨降ってますけど」
「いいいやぁ。そうですかかか。ずっと部屋の中におるものですから、はははは。 さてと、・・・」

慌ててはさみを取りに行くふりをして、その場を離れたおじさんでした。

わたしは、一生懸命お客さんと話をしようとして余計なことを口走り慌てているおじさんを見て、「このおっちゃんやったら、正直もんや。間違いない。仕事も丁寧やろ」とすっかり気に入り、それ以後ずっとその散髪屋さんを使ってます。

今は息子さんに代替わりしましたけど、先日も臨時休業日やとしらずに行ったわたしを、快く店に入れて散髪してくれたんは、このおじさんでした。戦時中の話なんぞをあれこれしながら、気持ちよく散髪してもろたんです。

長〜い友だちは去っていきましたが、また新しい友達もできますな。

今日の格言。
捨てる髪あれば、拾う髪(神?)あり

  2008.09.18
今日も、電話がかかってきました。何の電話? 儲け話です。

会社にいますと、次から次に「うまい」話が持ち込まれるんです。毎日毎日ね。
「金への投資はいかがでしょう?」「先物取引ですが・・・」「マンションを貸して安定した収益を」
まあ、世の中にそんな上手い話がようけ転がってるんやったら、苦労しませんわなあ。

そういう怪しい電話は、「社長いる?」とか「○○さんいらっしゃる?」とか、まあ、馴れ馴れしいんです。
いかにも知り合いみたいに、ね。社長本人に話さなあきませんから、取り次いでもらうために色々考えてるんですわ。
社長の名前なんて、ちょっと調べたらすぐ分かりまっさかいね。

「そんなに儲かるんやったら、アンタがやりなはれ」 ようはそういうことです。
素人さんがいとも簡単に儲かるんやったら、世の中に貧乏人は存在しませんわな。
しかも、そんなうまい話を独り占めせんと、いや、自分は儲けないで他人様にお勧めくださるとは、なんちゅう美しい話やろか!
昔から言うてます。

「うまい話には、裏がある」 先人の教えを軽んじたらあきません。

近頃はあの手この手で、「おはようございます! ・・・会社です。社長はいらっしゃいますか?」と、肝心の会社名をもごもご言うてわざと誤魔化すパターンや、 わざと居丈高にドスの効いた声で脅すようにかけてくるパターン、などいろいろ。

話を聞かずに切ることが多いですが、あるとき切ったらすぐに電話がかかってきて、「今、なにか電話が切れたようですねぇ。話の途中でしたのにねぇ」 と、ドスの効いた声でかけ直してきた輩も。こっちは、あまりに見え見栄の芝居に笑いたくなるのを抑えて(脅すと、ついつい話を聞いてしまったり、怖くてその場を逃れたくて契約する人も多いのです)、 「いきなり電話してきた見ず知らずのオタクの話を、聞かなアカン法律でもありまんのか?」「何やったら、警察に相談なさいますか?」 と、丁寧に申し上げて、静かに電話を切りました。

振り込め詐欺被害も過去最悪とか。ヤクザが組織的にやっている場合がほとんどでしょう。騙されるのは、闇の世界の潤すだけです。重々注意しましょう。
それと。息子であれ、孫であれ、不始末をお金で解決(誤魔化す)など、被害者にも失礼極まりない。起こってしまった不始末には、「自分でちゃんと責任を取りなはれ」と言いましょう。
何よりも、まとまったカネを出してくれという重大な話を、たとえ本人だとしても、手をついてお願いに来るわけでもない、電話1本で何とかなると思うてるような輩やったら、同じようなことをまたしでかすでしょう。年金で暮らしておられる親御さんに、お金を出してと言うんですよ。
「そんな息子やないで!」ということでしたら、涙ながらの電話がかかってきたら、こう言いましょう。

「自分で責任を取りなさい」「可愛い子には旅をさせよ」「心を鬼にして」
これまた、先人の教えを大切に。


  2008.09.15
蛇の話続き。
 蛇が怖い、ちゅう話をしました。実は、蛇を見ただけで腰を抜かしたことがあるんです。
 あれは連れ合いと付き合い始めて間なしでした。猿がおるんで有名なお寺に行って、笑えますけど、連れ合いは猿にひっぱたかれたんですわ。

 普通にそこに座ってるもんやから、あまりにかわいくて、毛もツヤツヤやし、あっちでは毛づくろいしてるし、すぐそばに座ってるんでっせ! 「さわってみぃ」 と私が言うたんです。連れ合いも動物大好きですから、「かわいい」と言って背中を触った途端、事件はおきました。

 今まで背中を向けて何か食べていた猿が、いきなり振り向いて、連れ合いの手を「パシッ」と叩いたんです。うなり声を上げるでもなく、つかみかかるでもなく、もちろんかみつくでもなく。ただ、さっと振り向いて、「パシっ」と連れ合いの手を叩いたら、また同じ場所で前を向いて、今までと同じようにモノを食べ続けたんです。

 まるで、言うことキカン子どもを諭すように・・・。あっという間の出来事やったんで、何が起こったか把握できず、「どないしたん?」と聞いて連れ合いの方を見ると、その手には猿の手形が実にくっきりと!
 さる高貴なお方の、ある日の出来事でございました。

 蛇が出てこうへんやんか? そうなんです。問題はこれからです。
 猿に叩かれてから、山を降りるときに、山道の(もちろん舗装なんかされてませんでぇ)ちょっと前方に、木の枝のような、紐のようなものが落ちています。
それまで全然気づかんかったですけど、ふと見たときからなんやら嫌な予感はしたんです。それでも、付き合い始めて間無しですから、慌てふためくわけにもイカンやないですか。話を続けながら、目はその長いものに注いでます。そのものを無事にやり過ごそうとした、まさにその時!

 蛇が、さっと鎌首を持ち上げたんです!
 もう、見栄も外聞もありませんわ。「あわわわわ〜」と言うたと思うたら、腰が抜けてしもたんです。つまり、急いでそこから逃げなアカンのに、足が言うことききまへん。「アカン、格好悪い」「はよ、逃げな!」・・・頭では分かってるんですよ、でもいかんせん足が動きません。地面にへたってしもたんです。なんちゅう格好悪い!
 そこで連れ合いが一言。
「腰が抜ける、っていうのを生まれて初めて見た!」
「こっちもなあ、猿に叩かれた奴を初めて見たわ〜」
最後は、声が震えている、
とっても惨めな若き頃の私のなのでした。

  2008.09.14
今日は中秋の名月です。中秋の名月は満月とは限らない、ということを今年初めて知りました。ビックリですね。今年は、満月1日前だそうです。ついでに、中秋の名月は必ず仏滅になる、ということも今年初めて知って、これまたビックリ。まあ、きょうび、仏滅というても、なんすか?それ? と言われるのがオチでしょうが・・・。

 さて、子どもの頃、中秋の名月には、白玉のお団子を作って、月見をしていました。
白玉粉を練ったものを、兄弟妹でそれぞれ耳を作ってみたり、口をあけてみたり、粘土細工みたいさせてもらいながら、鍋に入れてたんです。お月さんにはウサギがいて、という話を母親から聞きながらね。月にアポロが行ってしまって、ウサギなんかおらん!ということになったんですけど、月も遠いけど、アメリカも遠い、なんかどっちも遠い国の話ちゅう感じでした。

 月面着陸を夜中にテレビで見た、という子もおったけど、子どもが夜更かしをしたら絶対アカン、という家が多かった時代です(うちもその代表格)。夜中に、しかもテレビを観てるなんて、そうそうおらんかったですね。テレビなんか、当然一家に1台しかない時代ですから、こっそり観ることもできんし。しかも、白黒ですよ。カラーテレビが友達の家にもちょこちょこ入りだして、『巨人の星』 だけは2階に住んでるH君の家にカラーテレビを観に行ってました(兄貴と2人で)。普段、テレビを観ていると、「赤のズボンをはいて走っているのが、○○選手。白黒テレビでは、黒っぽいズボンの選手です!」とか、わざわざ言うてました。まあ、青いズボンでも、紫ジャージでも、黒っぽいズボンになるんでしょうが・・・。

 名月を取ってくれろと泣く子かな
 一茶


 昨夜も私らと同じくらい夜遅くに、同じ電車で帰ってきた子どもがいました。
ある塾のカバンを背負っています。小学校4〜5年生くらいでしょうかねぇ。同じ年頃の僕らならとっくに寝てた時間です。月をじっくり観る、そんな余裕があるのでしょうか? こんな時間まで勉強して、ストレスをためるな、という方がおかしい。親個人の責任に帰するのは酷です。子どものためを思って必死になっている親御さんを、そこまで追い詰めるものが腹立たしい。

 全国学力テストの結果を、市町村ごとに、また学校ごとにも公表せえ! ちゅう人が少なからずおられます。何のために? 「学校や教師がどれだけ努力しとるか、見るためや」ということなのでしょう。自分が廃止したい施設の職員がどれだけ真面目に働いとるか調査する、と<盗撮>してた知事もおりました。これもそういう発想でしょう。ただ、この知事さんは、公務時間中に公用車でスポーツジムに行ってたんですけどね。自分自身の努力を公表するために、自分を盗撮したらええんちゃいますか? いみじくもこの事件のとき、「一般の職員とは違うことを理解してほしい」と言わっしゃいましけど、これホンネですね。自分はええねん!

 テストの成績を上げるために、教師が机間巡回しながら間違ってる答えのところをコンコンと叩いて教える、勉強の出来ない子を試験当日休ませる、など今でもアチコチで問題になっています。そら、そうなるでしょう。それが、学校ごとに全部公表するようになったら、そして結果によって予算が増えるか減るかになったら、勉強が出来ひん子、苦手科目がある子、空恐ろしい地獄になりますよ。イジメも不登校も今の比やなくなるでしょう。

 しろがね(銀)も 黄金も玉もなにせむに まされる宝 子にしかめやも 
 山上憶良


  2008.09.12
蛇が怖い、と言いました。見ただけで怖いんです、ぞっとするんですわ。(蛇が好きな方スミマセン)

幼稚園の頃、友だちと一緒にキャベツ畑に青虫を捕まえに行ったんです。青虫もぎょうさん飼うてましたからねぇ。
うちのアパートのすぐ裏が田んぼで、ちょっと行くと畑もようけあったんですね。 いつものように田んぼを横切って、畦を乗り越え、また田んぼを横切って・・・、ようやく目指す畑にたどり着いた喜びからやろね、一目散に走ったんです、僕も友だちも。
「やった〜! 青虫がおるとこ、来たでぇ〜」という喜びですな。

ところが、ところがですよ。走っていって、キャベツに到達する直前、蛇が集団でとぐろを巻いているのを発見したんです! 
友だちは足が速いし、蛇がおるところから離れたとこを、僕よりも先に走ってるんです。もう、キャベツに到達してますな。
僕は「乗り遅れたらアカン」という必死な思いが足に乗り移ってますから、跳ぶように走ってるんです。蛇に気が付いたときは、空中ですわ。 「ぎゃ〜!」いうてものすごい声を出したけど、その瞬間に右足は蛇の集団の中です。
もう、瞬間的に右足は縮こまってしもたんですけど、それこそ今までの歴史にないくらいジャンプしましたね、縮こまった右足で。火事場の馬鹿力なんでしょうねぇ、思い切り地面をけった右足のお陰で、左足はその他の蛇を悠に飛び越えてくれたんです。3段跳び、ホップステップジャンプを幼稚園の頃にすでに身に付けてたんやね。あのまますくすく伸びてたら、オリンピックも夢やなかったでしょう。

今でもそのときの光景がはっきりと目に焼きついてるんです。
右足が、蛇の近くに着地したときの恐怖、右足を思い切って蹴ったときに一匹の蛇が鎌首を持ち上げたこと、後にも先にも見たことのないぎょうさんの蛇の群れとそのぬめり具合 ・・・。よう、気絶せんかったこっちゃ、と今でも感心します。

蛇だけに、身(巳)の危険を感じた瞬間でした。

  2008.09.10
9月9日は、重陽の節句でした。菊の節句でもあるのですが、今は廃れているようです。私も全く経験がありません。新暦になって菊が咲く時期と違ってしまった、ということも廃れた原因らしい。
今年の9月9日当日は、ここ東京ではミンミンゼミが鳴いていましたからねぇ。私らの感覚から言うと、つくつくぼうしが泣き出したらそろそろ夏休みも終盤、なんか哀しいような、宿題をはよせぇと言われて気ぜわしいような気持ちです。ミンミンゼミなんか、とっくに出番が終わってますがな。こんなところにも、地球温暖化の影響があらわれているんでしょうか?

温暖化といえば、今年すっかり有名になったゲリラ豪雨
東京では、中野区でたくさん降るのだそうな。新宿の超高層ビル群でさえぎられた水蒸気が上に昇って入道雲をつくり、それが中野に豪雨を降らせるという説。まだ原因だと確定していない、という話ですが、ありそうだと思えます。
ゲリラ豪雨のもう1つの集中地域が、練馬から板橋、つまり環状7号線沿いというのも、思わず納得。

東京出身の連れ合いは、環状8号線(環八・かんぱち)近くに住んでいたのですが、昔から「環八雲」という言葉があったそうです。環八という交通量の多い幹線道路に沿って雲ができる、という話。車で汚染された大気が、道路周辺のエアコン熱やら何やらで上昇気流に乗って雲を作る。今は、環七あたりに入道雲、ということなのでしょう。

より高く高く天に上っていく高層ビル群の建設は、バベルの塔のようです。神ならぬ自然から手痛いしっぺ返しが来て崩落・・・、ということにならなければ良いのですが。そんなことは、ゼネコンさんや政治家さんたちは「菊(聞く)耳持たぬ」。お金がない無いといいながら、巨大開発は止まりません。ゼネコンさんに「重用」されている政治家さんたちが多いんですかねぇ。
まさに、重用の絶句! でした。
  2008.09.07
今年の夏、安曇野のちひろ美術館に初めて行ってきました。
ちょっとわかりにくいですが、ちひろ美術館の庭と、安曇野の道祖神です。

碌山美術館と、あるお蕎麦屋さんでそれぞれ西瓜を御馳走になりました(美術の話でなくてすみません)。
碌山では、大きな切れをもらってかぶりつきました。

話は違いますが、西瓜を食べるときにフォーク等で種を取ったりしますか? そういう食べ方をする人をはじめて見たとき、なんとまあ、お上品な!とびっくりしました。僕らは、下品なもんですから、どんどんかぶりついて、種を飛ばす、 またまたかぶりついて種を飛ばす! 種なんか突いてたら、大切なお汁がこぼれてしまうやないですか。

小学校1年生のときに、給食で小さな西瓜の切れ端が出て、みんなで万歳を叫びました(今の子から見たら、すいかごときで、と驚くでしょう)。さすがに、種を飛ばすわけにも行かず、どんどん飲み込んでたんです。 すると、担任の先生が言いました。
「西瓜の種を食べ過ぎたら、盲腸になって、お腹が痛うなるよ」
え〜、すいかの種で盲腸になるん?もう遅い。ぎょうさん食べてしもたやんか、
はよ言うてんかいな・・・。と、しょんぼりしていると、
「盲腸にならんかったら、お腹の中から西瓜が生えてくるかもしれんで」
すいかが生えてくる?ほんま?そら、ええやんか!
先生としたら、ちょっと脅したのか、冗談を言うたつもりやったんやと思いますが、すいか大好きの私は大喜び。
いつ生えてくるかなあ、と楽しみで仕方ない。
でも待てよ、お腹の中ですいかがどんどん大きゅうなったら、どないしよ。適当なところで西瓜を取らんとアカン。いやいや、待てよ。西瓜は、口から出てきて、外で大きくなるんかなぁ? 外で大きくなるんやったら心配ない。イヤ待て待て、外に西瓜がなると、すいかをぶら下げて歩かなアカン、そんなんイヤや。歩きにくい! でも、すいかがいつも食べられるんやったら、それでもええわ。
どんどん想像をふくらませる、御幼少のみぎりのわたしなのでした。夏の夜の夢、いとおかし・・・。

  2008.09.06
鶏の話をしましたが、父方の田舎は古い茅葺の家で、「昔は、縁の下で鶏を飼っていた」という話でした。
なんでそれがわかったかというと、縁の下にあちこち破れた金網が残っていたのを見て、祖母に聞いたんです。
「なんで、網が張ってあるん?」と。
「あ〜、昔な、鶏を飼うてたんじゃ」と言った後、恐ろしいことを僕に告げました。
「みんな蛇に食べられてしもたけどな」・・・。
え〜、鶏を丸呑みするような大きな蛇が棲んでるんかぁ〜、この家は。蛇に極めて弱い私は、真っ青になっていたでしょう。急いで父親に聞きました。
「なあ、ここ、蛇棲んでるん?」
「ああ、青大将な。棲んでるやろな」
と言った後、さらに恐ろしい続きが!!
「昔な、天井の柱から『どさぁ〜!』と落ちてきたことがあるでぇ。こんな太いやっちゃった」
もう、その時点で気絶寸前やったに違いありませんわ。鶏を次々に丸呑みするような、でっかい蛇が天井から降ってくる??? 
天井がまた高い。部屋がまた暗いんですわ。昼でも。家の壁には、龍の絵が飾ってあります!(嫌がらせか!と思うたんですが、祖母の干支やったんですね)
柱時計が、こちこちこちこち、なっているのさえ恐ろしく、天井ばかりが気になって、夜寝られますか? 怖すぎるでしょう!
あかん、おしっこしたい!便所行こ! もっとアカン!便所外や〜!がっくり・・。
そうです、トイレは家の外にあるんです。トイレの壁には、町の蛾の3倍はあるかと思われる巨大な蛾が張り付いています。大便トイレは、お決まりのぼっとんトイレ。木で作った蓋を開けたら、真っ暗闇が広がっています。
そんなん、考えただけで、トイレに行くことができんでしょう。
「もうちょっと、がまんしよ」
やがて、夢の中で気持ちよくおしっこをする自分がいます。あ〜よかった、間に合うたわ。蛇もおらんし、でっかい蛾もどっか行ってしもたし。おしっこをし終わって、ぶるっとしたあたりで目が覚めます。そうです!おねしょをしたのです。
「なんで、トイレに行っとかへんのや」
そうかて、蛇が怖いやん。夜、外に行って蛇に襲われたらどうする?と思いつつ、 ひたすらべそをかく御幼少の頃のわたしなのでした・・・。

追伸 
おねしょが、わりと長く続いたわたしは、いつも同じように夢の中で気持ちよくおしっこをするんですが、そのうち、「やめときや!ここトイレとちゃうでぇ」とか、「起きや!便所でやらなぁ」と兄貴や友達が忠告してくれるようになりました、そうです夢の中で。これこそ夢枕に立ってくれたということでしょうなあ。朝起きたら、雷がおちるでぇ、と。

  2008.09.05
8月終わりごろ、お盆に帰省できなかった田舎に帰ってきました。
家の周りで、きりぎりすがしきりに鳴いています。バッタ捕りにいそしんでいた御幼少のみぎり、キチキチバッタ(正式名称知らず。飛ぶ時に「キチキチ」と鳴く)や、おんぶバッタ(つがいがおんぶしている)・殿様バッタなど色々捕りましたが、指を噛まれて一番痛かったのが、かの「きりぎりす」でした。これが痛いの痛くないのと言って、ほんまに痛いんです。
(バッタを捕まえると、口から黒い液体を出すんですが、僕らはこれを「醤油」と呼んでいました。)

これからの季節は、こおろぎでしょうね。
こおろぎも、えんまだのみかどだの、色々捕まえては、水槽で飼いましたが、驚いて腰を抜かしたのが「とも食い」。
はじめて見たとき、なんとも言えない、見てはいけない物を見たような、華やかな舞台の裏を見てしまったような、人間の腹黒い内面を見たような(子どものときにそんなことまで考えたわけでは決してありません)、正直辛かったですね。

でも、大学時代に農家の先輩が「トリをしめて食べた」と言っていたのと比べると、まあちゃちな体験ですが・・・。
毎年毎年、夏から秋にかけてバッタ・こおろぎを飼育していたため、今でもきゅうりのにおいをかぐとバッタを思い出します。
きりぎりすも、夏の間遊んで暮らしているわけやないんですけどねぇ。

  2008.08.08
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)
のびる絵本「ほしい」
のびる絵本「ほしい」
7月26日・27日と名古屋に販売に行ってきました(母親大会)。
残念ながら私の売り場の前には余り人が通らず、小道具ほしいの実演をほとんど見てもらえなかったのですが、お隣で販売しておられた食べ物通信の方々に人気でした。
「あらあら、へぇ〜、すごいわねえ」
時たま通る親子連れをすばやくキャッチして演じていると、
「お子さんはここでおじさんを見ているほうがおもしろいんじゃない?」
とお母さんに勧めてくださったり、他の会場で販売しているお仲間を、
「ほらほら、この方。とっても上手にやってくださるわよ」と言いつつ、「客さんをね、連れてきたわよ」と。
本当にありがとうございました。

名古屋では、販売仲間と一緒に生まれて初めて「ひつまぶし」を食べ、えびふりゃぁ〜 にきしめん、みそかつ・・・、と食を満喫。名古屋はおいしいものが多いですねぇ。
お手玉・まりつき・ゴムとび
「お手玉・まりつき・ゴムとび」
まりつき用の特注ゴムまり、好評発売中!
まりつき用の特注ゴムまり、
好評発売中!
8月2〜4日、有明コロシアム明治大学和泉校舎で、保育合同研究集会の販売!
5月の上野公園にも手伝いに来てくれた連れ合いの従妹とその子ども(あーちゃん)と、連れ合いの母が手伝いに馳せ参じてれくれました。一族郎党総動員、いざ合研!です。
前日の夜遅くまで、連れ合いと2人で準備に追われました。東京の地元で開かれる、12000人以上が参加するというビッグなイベントです。相当、気合も入りますね。

新刊の『お手玉・まりつき・ゴムとび』もデモDVDを流しながら、ゴムまりも一緒に販売しましたが、映像が流れるのが良い効果をもたらし、売れ行きは上々です。
ゴムまりは、お子さん連れのお土産代わりに、保育園でまとめて、とこれまた好評でした。
小道具セットをいろいろ見せていたら、「これ、良いわぁ。ほら、アンタ。夏休みの工作をこれにしなよ」というお母さんも。

夏休みの工作・自由研究・・・、今思い出しても辛いですねぇ。
もともと夏休みの宿題をいつまでもしないタイプ。最近私の周りの子どもたちは結構真面目に宿題をやっていて、ほとほと感心。でも、それだけ親や先生の目が行き届きすぎているのかも・・・。ちょっと心配。

私らの頃は、結構宿題が終わらない友人も多かったものです。「7月中に終わらせたで!」という友人がいようものなら、「身体の具合でも悪いんちゃうか?」 と冷やかしつつ、「最後に間に合うたらええんや」と開き直り。かと言って、親がどこかにつれていってくれるわけでもなく、あれだけ楽しみに待って、万歳を叫んで迎えた夏休みも、8月初旬には徐々に飽きてきて「あぁ〜、暇や。はよ、 学校始まらんかなぁ〜」と思いつつ、「いやいや、宿題まだや」と思い直す。そんなことの繰り返しでした。

そういえば、「毎日の学習」とかいうプリント。夏休み前に「希望者には販売します」と教師から言われた途端、「はいはい!」と元気よく挙手。親からは「あんた、去年も全然やらんかったやんか。お金がもったいない」と言われ、「今年こそやるから! 今年の僕はちょっと違うでぇ〜」と売り込み。
夏休みの計画 (どこそこに行く!というはかない希望)(毎日何時に起きて、何時から何時まで勉強、遊びは何時間、夜は何時に寝る。という1日の計画)作りに熱中し、出来上がった途端そのあまりに完璧な計画に大いに安心。夏休みはそこで終わった
も同然。後は、いつもどおりのダラダラ夏休み・・・。もちろん、「毎日の学習」 は机の上のゴミの山に埋もれたまま発掘もされず、悲しい一生を終えるのであった。あ〜、歴史は繰り返す。

暇や、と書きましたが、結構忙しく遊んでいたのです。網を持ってフナ捕り(メダカは余りにようけおりすぎて持ち帰らず。よもや、絶滅寸前になろうとは・・・)。捕虫網を持ってバッタ・トンボ・セミなど捕り草野球どろケン(泥棒と刑事)カンけり影ふみかくれんぼなどの鬼ごっこパッチン(メンコ) だっちょ
今考えると、休む間もなく遊んでましたね。兄弟もおるし、近所にようけ子どもがおる。それでも、暇やなあ、はよ学校始まらんかな、と。

どぶを飛び越える、というのがあって、これがある種、一人前の証拠。
私は小さかったもんですから、小さなどぶも中々越えられへん。でも、負けん気だけは強かったので、いつもチャレンジするわけです。でも、いかんせん、小説みたいにはいきません。やっぱり、いつもいつも向こう側に着かずに、どぶに飛び込むことになるわけです。それで、いつもいつも母親から怒鳴られるわけですわ。 まあ、そら靴はどろどろ、ズボンも服もどろどろですから、洗濯する身になったら怒りますわなあ。
でも、みんなと一緒に挑戦してやっぱり落ちる、するとできない情けなさと、また親に怒られるわという心配で、泣くわけです。子どもの中の親切な(おせっかいな、いやかえって余計な)子が、「おばちゃ〜ん、落ちたで〜」と僕の家に呼びに行くんですわ、母親を。すると、怒り心頭のおかあちゃんが、サンダル履いて(つっかけて)走ってきます、すると一層泣くわけです。もう、落ちたことよりもおかあちゃんが来たことの方が恐ろしい。どぶから引きずり出されて、腕をとられて、お尻を叩かれながら、「なにしよってんじゃいな、この子は!」と怒られつつ、帰るんです。みんなをそこに置いて。まあ、さすがにその日は友達の手前ばつが悪い。次の日くらいも。でも、またまた懲りずに跳んでしまうんですね。なんでやろ?
夏が来ると思い出しますねぇ。

  2008.08.03
毎日毎日猛暑が続いています。
真夏日」があまりに頻繁にありすぎてこの用語が意味を成さず、「猛暑日」という新用語ができました。
「猛暑日」すら超える新しい用語(例えば「灼熱日」とか)が必要にならないよう、今のうちに何とかしないといけませんね。

真夏に思い出すのは、昆虫採集川遊びお盆の里帰りラジオ体操新学期前の宿題追い込み・・・、と色々ありますが、中学のときは何と言ってもクラブの練習。練習が厳しい上に、「練習中は水を飲むな」という時代。よく事故が無かったものです。

中学2年くらいのとき、バレーボールのネットが張られたままの状態で、館内をぐるぐるぐるぐる延々と走っていました。ようやく終わって、「よし、コート中央に集まれ!」の先輩の号令で、体育館の端からの中央へ走っていったときに、 友だちが「こっちや!こっちや!」と私を呼ぶではありませんか。
「おお〜!」と答えて、そいつがいるところへ走っていったまさにそのときです。
気が付いたら、体育館の床にこけていました。「なんで?」と目を白黒したとき、 先輩が笑いながら言ったのです。
「お前、走っていくんはええけど、バレーのネットくらいくぐれよ。そのまま走ってどうするんや〜」
そうです。「おお〜!」と返事して友だちの顔だけ見たら、ネットを見ないでそのまま走っていったのです。顔がネットに引っかかって、足が上に上がり、そのまま後ろにひっくり返りました。まさにマンガ状態。

ずっとこれを自分でも笑い話にしていたのですが、きっと脱水症状熱中症の一歩前か、疲労で意識が朦朧としていたのだと思います。最近、ある高校のバレーボール部の合宿で同じようなことがありました。ネットに向って走っていって、私と同じように後ろ向きに転び、生徒さんは翌日亡くなってしまいました。

その事件とは関係なく、自戒の念もこめて、暑いこの夏に改めて考えたいこと。
自分の経験だけで子ども達を指導するのはとても危険ではないでしょうか?
( 「もっと激しく練習した」「もっと苦しかったけど根性で頑張った」などなど)。
昔とは、まず暑さが違います。わたしは、クーラーなんて見たこともなかった時代の人間ですが、今は「扇風機で過ごせ!」といえるほど生易しい暑さではありません。

次に、子どもの体力(防衛体力も)が違います。わたしらが子どもの頃の教師などは小さな頃から田や畠の仕事などをしてきた世代ですから、彼らから見たら私らもなまっちょろかったはずです。今の子どもらはもっと体力がない。体温調節などの機能も低下しているように思います。

最後に、指導する大人自身の生活体験も不足しています。子どもの頃に弟妹や近所の小さな子ども達と遊んだ経験が不足していると、子どもがどういう状態になったら危ないか、どんなことならさせても大丈夫でどんなことをし始めたら危険信号か、察知する経験と能力が不足しているように思います。


もう一つ、中学時代の失敗談。
校門の前が工事中でした。ひび割れた地面にコンクリートを塗りなおし、整備していたのです。ようやく「立ち入り禁止」の黄色と黒の柵も撤去され、工事のおっちゃんが最後の仕上げをしていたまさにそのとき、私は通りかかりました。
友だちと連れ立って帰る時、下足箱のあたりはゆっくり並んで歩いとったんですけど、徐々に徐々に早足になり、校門近くではどちらともなく走り出したんですわ。。
(そのとき歴史は動いた。今日のそのときまであと10秒。
・・・NHKさん、楽しい番組をありがとうございます! なお、今説明している内容と本放送は、一切関係はございません。今後、放送される予定もございません。 登場人物及び事件そのものは事実に基づいております。あしからずご了承ください)

まさに、無言の競争。なんであの頃は、あんなに競争したがったのか、歩くスピードさえ競って過熱したんか、・・・??
それはともかく、「うおりゃ〜!」と叫びながら、2人して走って校門を駆け抜けようとしたまさにそのとき。私の目の前に広がる「塗りたてのコンクリート」 と背中を向けて座って作業しているおっちゃん。
「あっ!」と思ったときには「時すでに遅し」。私の靴は、固まっていないコンクリートの中へ、さらに一歩、二歩・・・。
突然のことに驚いて見つめていただけのおっちゃんが、数秒経って怒鳴りました。
「なにしよんじゃあ〜!こらぁ〜!」
今日のそのとき。
ひたすらおっちゃんに謝るぼくと、そのまま走り去って無関係を装う親切な友達 ・・・。おっちゃんがコンクリートをそのまま塗り直さなければ、わたしの靴跡が今も中学校の校門前にくっきりと残っていたでしょう。しかし、無情にもすぐに塗りなおされてしまったのです。
「名」ならぬ「靴跡」を残し損ねた一無名中学生の失敗談を思い起こしながら、 今日は失礼しましょう。

  2008.08.01
7月25日、京都にて。子どもの文化研究所の夏季セミナーがありました。
われらが藤田浩子さんが登場。わたしも販売のお手伝いに猛暑の京都へ。

ホテルのロビーのようなところで販売してのですが、なんと、持って行った電卓が暗くて使えなかったのです(古い電卓ということもあるのかも)、ソーラー電池が働かなくて・・・。やっぱり、電池式がいいですかねえ。

電卓といえば・・・。電卓が「答え一発!」と派手に宣伝され始めた頃、兄貴と二人でお金を出し合ってとうとう買いました。二人ともそろばんを習っていたので、親からは「そろばんでええやろ!」と釘を刺されていたのですが、「すごい数学がワンタッチでできるらしい」とすっかりテレビコマーシャルにやられて、 お金をためてついに入手したのです。
予断ですが、「ワンタッチ」という言葉はもう死語ですかね? これはカレーの 商品名にさえ付いていて、何やら魔法の言葉でした。魔法というのは、「お得」 「便利」「買わんと損でっせ」という魔法・・。

さて、ようやく電卓を手に入れた僕たちは、さっそく電池を入れて、軽く足し算から。
「おお、答え合うてる!」と感動(ちなみに暗算で検算)。
次に難しい掛け算をやってみる。3桁×3桁ですわ。こんなん、ほんまにボタンを押すだけで答えが出るんかいな? 半信半疑の僕らは、ボタンを押して答えを出した後、兄貴はそろばんで、僕は筆算で検算。おおぉ〜、答え合うてるでぇ!  すごいなぁ! お金出した甲斐があるわぁ〜! 抱き合わんばかりの二人なのでありました。

ちなみに兄貴はそろばん2級で暗算も速い。僕は不真面目なため4級という全くつぶしのきかない中途半端な、あれだけ月謝払うてるのに何サボってるんやぁ〜!  とお母ちゃんから怒鳴られそうな(実際よく怒鳴られたものですが)実力。

この後、僕は、電卓で答えを出すたびに、筆算で検算して答えを書いていました。
えっ? それやったら初めから筆算した方が速い? その通りです。急いでいるときは、電卓を使わんかったんです。何のための電卓や〜!

のびる絵本「ほしい」
のびる絵本「ほしい」
前振りが長くなってしまいました。販売のときに調子に乗って小道具セットや
「ほしい」の実演をしていますと、子どもの文化研究所の鈴木さんから「あらあら、一声社さんはすごいわねぇ。実演つきなのね。あらま、お上手」
参加者の方からは、 「これは、関西の昔話ですか?」
「いえいえ、藤田さんは福島弁の語りなんですよ。でも藤田さんは、語り手が目の前の子どもらに合わせて、自由に語りやすいように語りましょう、という方針なんです」
「あら、そう。でも関西弁がとっても良くこの御話にあっているわねえ」

あとで藤田浩子さんにお伺いしたところ、「分科会の参加者の方から『そちらの道具を、下でおもしろくやってらしたわよ』といわれたので、あちらは関西弁の語り、私は福島弁で語ります、とお断りしてから、福島弁で語りました」とのこと。偽の藤田浩子さんが、関西弁であちらこちらに現る! という感じです。きっと、これからも全国各地に関西弁の偽藤田が出没することでしょう・・・。

  2008.07.30
7月12・13日京都、20・21日横浜で藤田浩子さんの講演(公演)がありました。
うちも昔からお世話になっている四日市のメリーゴーランドさん(今は京都にも支店あり)と仙台のプランニング開さん主催の保育セミナーに講師の一人として呼ばれたのです。
メリーゴーランドの増田喜昭さんも、プランニング開の新田新一郎さんも「藤田ワールドはすごいね!」と絶賛の嵐。こちらも鼻高々です。京都には連れ合いが、横浜には私が販売のお手伝いに参加し、参加者の皆さんと一緒に藤田ワールドを堪能しました。

ちなみに、講演の際の本の販売場所が会場の外、ということも多いものですから、 販売のお手伝いなどに行っても講師の御話を聞く機会はほとんどありません。今回のセミナーはその点ありがたかったですね、会場内ですから御話を全部聞くことができました。
増田喜昭さんのブックトーク、AKIRAさんとRIKAさんの楽しいステージ、新沢としひこさんの感動的な歌・・・、そして藤田浩子さんの御話。 いろんなパワーをいただきました。感謝です。

ところで、AKIRAさんとRIKAさんのステージのときに、親父ダンサーズ?なるコーナーがありました。
参加者は、ほぼ女性で、ごくごく少数の男の参加者を舞台に上げて踊らせよう!という企画です。
「さあ、男の参加者は舞台へ!」という掛け声で次々に壇上に上がるのを本の前で「ぼぉ〜っ」と眺めてたら、メリーゴーランドの森さんから「さあ、一声社さんも!」と声をかけられ、「えっ!」と驚いたものの、気が付いたら舞台へと続く流れの中に身を投じておりました。
「なんで、ここにおるんやろ?」
「さあ、男性は衣装変えだ」
と、これまた突然の宣言! 
舞台袖にある揃いのはっぴを着て、ポンポンを両手に持って、再び登場。またまた突然音楽がスタート!
「さあ、踊ろう!」。この時点では、もう「なんでやろ?」と考える暇もなく、ポンポンをふって両足をあげたり下げたり、激しいダンスをしていました。

でも、 踊りながら突然観客の目線に気づき、またまた現実の世界へ。何やら気恥ずかしい・・・、いやいや盛り上げに協力せんとアカン! 日ごろの運動不足と寄る年波ですっかりなまっている老体に鞭を打ち、気力を奮い立たせ、「さあ!踊りきるぞ!」

ようやく長い(私には)ダンスが終わり、無事退場。
メリーゴーランドの森さんには、「版元(出版社)さんが踊ってくれるのは珍しいです。ありがとうございました。一目見たときから、踊ってくれるという予感がありました・・・」。
「いやぁ〜、それほどでも。次は心の準備をしてもっと上手く踊りまっせぇ〜」

え〜っ? 次も踊るつもりかい?


  2008.07.13
大阪のおばちゃんの話をしましたので、東京のおばさんの話。
地下鉄●線で通勤しているのですが、もよりの駅から朝乗り込んだときのこと。

その前に、電車の話。
朝はいつも混んでいるんですわ。これが最初全然慣れなくてね。何が慣れないかというと、まず混雑。
それから混雑に関係しますが、降りられない恐怖。最後に揺れ。

・今までの人生で電車通学通勤したことがないもんですから、「これ以上は無理やろ!」という状態からさらに相当詰め込まれる、あのラッシュを体験してビックリ仰天。入り口あたりでぎゅうぎゅうともみあっているところに、電車の揺れが「良い」効果をもたらすのか、隙間が均等していく、つまり容器をとんとんと揺さぶってモノを入れるあの感じ。他人との密着・・・。

・降りるべき駅のドアから必ず遠ざかっていく変な法則、目指すドアまでには多くの人がひしめきあっている、「これで降りられるんやろか?」という恐怖ですね。

・「揺れ」は不思議なもんです。最初は全然まともに立ってられず、揺れるたびによろけて人にぶつかる、足を踏んでしまう、舌打ちをされる・・・。ところが、 周りの人は全然よろけていない! 「東京の人は、何と足腰の強いことか!」と本気でビックリしました。
ところが、「揺れ」は「慣れ」もありますね。急停車は別にして、ある程度の揺れは「慣れ」で克服できます。自分で実験もしてみたのです。進行方向右側のドアを見ながらしばらく立っています、そこで突然今度は左側のドアを見て立つんです。すると・・・、よろけます。

満員電車に「慣れ」ていくなんて、ほんまにええことでしょうか? 
もちろん、最初みたいにいちいちイライラしてたら、身も心も持たないでしょう。
でも、慣れてしまう人間にはあまりなりたくないです、私としては。

それはそうと、東京のおばさんの話はどうなった? そう、せかさんといてください。
もよりの駅から朝のラッシュ電車に一緒に乗り込んだおばさん5人組。
駅のホームで電車を待っている間から、ずっとしゃべりっぱなし。
その会話が途切れることなく電車に乗り込み・・・、といっても混雑してますから5人が一緒に、ずっとかたまってられないわけです。駅の乗り降りのたびにちょっとずつ離れていく。
でも、そんなことでおばさんがへこたれてどないします? 
そのうち、私を間に挟んで、1人のおばちゃんとあと2人がおしゃべりをしているんです。
私はもちろん無関係の人ですわ。でも、わたしなど眼中にないかのごとく、まるでテーブルを挟んでしゃべるかのごとく、おしゃべりは続く。「そうそう、それでね・・」
♪おしゃべりは続くよどこまでも・・・。
そのたくましさよ! 5人がまだ固まって立っていた時の会話。
何がおもろいかというと・・・。

「それでさ、うちの嫁がね。なんかシャレたお料理を作ったのね。なんとかいう名前だけどね、おぼえてられないわよ。それがね、ちょっと変わってるというかぁ ・・・」
「そうそう、私もねこの前映画に行ったときにね、日比谷だけどね、観たのはね 今話題のほらアレ!アレ・・・」 「そうでしょう〜。この前テレビでね、ほら、みのさんが『ココアが身体にいい』っ て言ってたじゃない。あれ、すごいわね。近所のスーパーでもあっと言う間になくなったわよね。わたしは、ほら、ずっと前からココアを飲んでたから・・」
「あら、そうそう、ねぇどこで降りるんだっけ? わたしさぁ、この前主人と電車に乗ったときね、降りる駅を・・・」

これ、文章で面白さを伝えるのが難しいですねぇ。
私の文章表現力も問題ですが ・・・。
それぞれのおばさんが他人のしゃべったことは全然聞かずに自分のいいたいこと
を言い合っている、しかもお行儀よく順番に、全くかみ合っていないようでいて何だか少しかみ合っているような何とも言えない深い味わい・・・。
私の面前で繰り広げられる前衛劇団の舞台のような空間に、私はしばし呆然としつつ笑いをこらえるのに必死でした(満員電車ですから笑うわけにはいきません)。
私をとびこえておしゃべりを続けるのには閉口しましたが・・・。
ますます混んできておばさんたちの輪がくずれていく・・。
あぁ〜、ちょっと待ってゃ〜、もうちょっと聞かせてや〜!
のアンコールもむなしく、満員電車劇場の幕は静かに降りていくのでした・・・。 完

  2008.07.07
7月5日、大阪に行ってきました。
JPIC読書アドバイザーの方が関西で作っておられる組織「JRAC関西支部」の皆さんとお会いしたのです。
なんと! 講演というか、お話をして欲しい、と責任者の諸岡さんから依頼されたのです。
「ちょっと柄ではないので」と躊躇していたのですが、やりたがりの性格なのか、結局引き受けてしまったのです!

当日会場に行くと、入り口に「●●氏講演会会場」という手書きの紙が・・・・。
「そんなたいそうな者やないのに・・・」と、早速気後れして、何だかすんなり入っていけないような・・・。
でも、そこはそれ、開き直りですな。

折角皆さんお忙しいところを集まってくれてはるんやから、やっぱり楽しいひと時やないとなぁ、と手前勝手に解釈し、藤田浩子さんの『小道具セット』やら手遊びやらを連発。合間に、今月もうそろそろ出版する新刊本の制作苦労話や出版事情、それからまた小道具! という流れ。
具体的には、小道具セット(4)の「りす」セット(3)の「林の中から」セットAの「おじいさんの大切なコート」それに『こっちむいておはなしおもちゃ』から「ぱたぱた自己紹介」、あと手遊びで「ひとつとひとつはどんな音?」。
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット1)
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット2)
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)

みなさん、書店さんなどで読みきかせをずっと実践されているので、とっても聞き上手。私のつたない話を、聞き手の皆さんに盛り上げていただきました。

その後、梅田の居酒屋で打ち上げ。これも面白かったですねぇ。読み聞かせの苦労話・失敗談などを、おもしろおかしくそれぞれ出し合って、明日への活力がうまれる感じでした。

帰りの電車の中で、たまたま目の前にいたおばちゃん仲良し2人組が言うてました(もちろん見ず知らずの人)。まあ、声は大きくなかったんですけど、なんせ目の前やから、よう聞こえたんです。
「この前な、テレビでやってたんや」
「なにを?」
「大阪のおばちゃんは、こんな小さなすきまがあったら、無理やりお尻を入れて座る、いうてなあ」
「そんなん、詰めたらみんな座れるんやから、ええやんなあ」
「そやそや、ほんでも、おばちゃんやいうてもそんなんでけへん人もようけおんのに、テレビいうたらなんであんなおばちゃんばっかり出してきて、『大阪のおばちゃんはこんな人!』いうて決め付けるんやろ?」
「ほんまや、失礼やなぁ」

  2008.06.29
横浜行き続報。
えほんやさんの「藤田浩子さんお話会」会場でのこと。
藤田さんの著書を持って行くことになっていたので、車で横浜まで。
上大岡駅から会場へ曲がる道が、一方通行や右折禁止で中々見つからない。
結局、駅を大きく通り越してから、狭い道を戻ることに。
狭い道」と書きましたが、狭い道は結構すきなのです。あまりに広くて整備された車道は、人間味が感じられないのです。大きな道沿いならお店も繁盛かというと、スピードを出して通り過ぎるだけの車も多く、そうそう旨い話にはなりません。どうも日本の道路は、車が通ることが最優先、という感じがします。

さて、約束の時間よりも早く着いた私は、会場の駐車場を聞こうと車を停め、受付へ。
親切なおじさんに場所を教えてもらい、車に戻ろうとしたその時です! 
あれ?足が?遅れてくるよ?まるで(いっこくどう)さんのような状況になり、すってんころり! 

よくマンガで、足をばたばたさせながら派手にこける絵がありますが、「そんなふうには転ばんやろ」というまさにその通りの正当派の転び方。両足がツルツルっと何度か上に上がったあと、左肩から地面に激突! 
その場に、ご高齢の方が4人くらいおられたのですが、「あらまああ、大丈夫?」と心配され(ちなみに、ご高齢の方は誰一人転んではおられなかったのです)、恥ずかしさのあまり「大丈夫です!」ときっぱり言い切って、元気よく立ち上がりスタスタと(見栄を張って)。

藤田さんのお話会の最中は緊張していたためか、ほとんど痛みを感じなかったのに、終わった途端、左肩と左手首の痛みがどんどん増し・・・。
藤田さんには開会前にご報告していたので(恥ずかしい失態を)、開会直前に 「これからお話会が終わるまで時間がありますから、病院に行かれた方がいのでは?」とわざわざお声をかけていただいていたのです。

その時は「なあに、なんともありません」と胸を張っていたのですが、どうやらよる年波には勝てず、 「動くから骨には異常がないようやけど、筋をちがえたかもしれんなあ」と思い始め、弱気に・・・。
結局、翌日、整形外科に行って「骨には異常なし。打撲と捻挫」ということで一件落着。

その会館は入り口付近に、見た目のためか、足を踏みしめやすいようにという配慮なのか、つるつるの石のようなものがコンクリートにたくさん埋め込まれているのです。それが雨に濡れたら滑る滑る。アイススケートのように派手に滑りました。一緒に一声社をやっていて藤田浩子さんと大の仲良しのうちの連れ合いに報告すると、「高齢の方でも滑ってないのに、よほどどんくさいのでは?」と。
それよりなにより、帰宅して転んだ話をした時の連れ合いの最初の反応は・・・、 爆笑でした。
このお話会に一緒に行く予定で風邪のために家で静養していた彼女は、「そんな おもろいことするんやったら、無理してでも行くべきやった。何としても惜しい。 見たかった〜!」
う〜ん、結構大事にされているなあ・・・。


  2008.06.28
ずいぶんご無沙汰してしまいました。目が回るくらい忙しかったものですから・・・。
さて、つい先日横浜の児童書専門店「えほんやさん」に行ってきました。長い間、大変お世話になったのにとうとう店じまいされるというので、われらが藤田浩子さんが一肌脱いで(本当に脱いだわけではありません。人目もありますし)、えほんやさん主催のお話会が開かれたのです。
「いつもはチケットを販売したり、参加者を集めるのに苦労するんだけど、今回はブログに載せたらすぐに反応が来てネ。藤田さんファンは本当に多いわねえ」とえほんやさんも感心しきり。

お話会はしょっぱなから大いに盛り上がり。
参加者の皆さんが心から楽しんでおられるのがひしひしと伝わってきました。途中、藤田さんの子育て論には熱心にメモを取ったり、わらべ歌を歌えば「メモを取っておられる方に、ここはドドソソ〜」などと音階を説明され、昔話の語りでまたまた盛り上がり・・・。本当に楽しいひと時でした。

えほんやさんのお店で、手づくりのおはぎなどをいただきながら交流し・・・、 「あ〜、こんなにも地域の皆さんに愛されて、地道な努力を続けてこられたお店を閉めなければいけないなんて」と残念でなりませんでした。

数年前には、東京都府中市でがんばっておられた「モリス」さんも閉店されました。
こちらにも本当にお世話になっていたのです。

本は、本来とても売りにくい商品です。消耗品のように「なくなったらまた買う」 「新商品が出たら買う」というものではなく、本を買った方は1冊の本をいつまでも大切においてくださっています。しかも、単価が非常に安いのです。(これには異論のある方ももちろんおられるでしょうが、本には数千円数万円の商品は ほとんどなく、子どもの本なら1000円以内というものも) 大切に次の世代に受け継いでいただく、本来これは出版社や書店冥利に尽きるのです。これほどうれしいことはありません。でも、もともと利幅の薄い本で、しかも単価が安いものを売って経営を維持するのは本当に大変なことです。お野菜を売ってがんばっておられる商店街の八百屋さんなども本当に大変でしょう。

効率」ばかりが叫ばれる時代(最近少し違う風も吹いていますが)。お絵かき教室育児相談、作家の講演会豊富な本の知識で子どもにあった本をすすめ・・・、そういう子どもだけでなく若いお母さんを育てていこう、一緒にすすんでいこう、と努力しておられる全国の児童書専門店は、生き残るのが大変。「余計なことをしないで、本だけたくさん売っておけばよいのだ」ということになるのでしょうか?

何とか改革がテレビを席巻していた頃、あるテレビのニュース番組で新聞社のコメンテーターが「日本の個人商店は努力が全然足りない。アメリカを見習うべき」 と堂々と発言されていてびっくりしました。
私の親友が神戸で酒屋さんをやっています。お酒のディスカウントがあちこちにできていたころですが、町の酒屋さんとディスカウントの仕組みの違いを彼から聞いて、どこの世界にもありことながら腹立たしく思いました。テレビなどで持ち上げられている企業と町の個人商店では、同じものを売っていても土俵が違うのです。それを「努力が足りない」と言い放つ。まあ、庶民の生活をご存じない方に、それを期待する方が間違いかもしれませんが。

親友は新聞奨学生で大学に通っていました。早朝の配達から夕刊の配達、集金に、とスーパーカブで走り回っていたもんです。私も彼も実家が経済的に苦しく、仕送り無しでがんばっていたのですが、2人ともあの時代だったから大学にいけたと思います。国立といえども授業料がどんどんアップし(僕らの出た大学は、学費が約3倍。35万円以上アップしています)、奨学金にまで利子を付けて返せという時代。
私らの後にバブルの「贅沢学生」が取りざたされた時代もありましたが、今はある意味私らの頃よりも大変。家の経済状況で学ぶ機会が奪われて良いものでしょうか? 自分だけが奨学金のお世話になってよかったよかった、ではすまない時代ですね。

親友の酒屋さんには、ホームページがあります。どうぞご覧ください。
親友の酒屋さんのホームページはこちら


  2008.05.12
先月のことになりますが、懇意にさせていただいている書店さん「トロル」さん (東京都東村山市 >>ホームページへが、テレビの「ちいさんぽ」に登場しました。(俳優の地井武男さんが、ちょっとした旅をしてそこのお店などを紹介する番組)

放映日を教えていただいていたのですが、何せ平日の日中なので、「録画しておいて、夜観よう!」ということに。そこからが、大騒動の始まり・・・。
ビデオデッキが壊れていたのです(未だに、ビデオデッキだったのですが)。何せ、結婚祝いにいただいた15年ものビンテージ。そら、寿命ですやろ。天寿をまっとうされましたな、とデッキを買いに電器屋へ。ところが、VHSビデオデッキの時代は遥か昔に終わっていて、DVDの時代が私の知らない間に通り過ぎ、いまやブルーレイの時代・・・。電器屋のお兄さんが親切に勧めてくれるものの、思い立ってすぐには買わない主義! 「ありがとう、また考えとくワ」と帰宅。

でも、録画できない状況には一向に変化がない。どないしよ。相談の結果、連れ合いのお姉さんにお願いすることに。快く引き受けてくれて(奇しくも、この方がVHSビデオデッキをプレゼントしてくれたのでした)、ほっと一安心。
その日の夜を楽しみにしておいたところ、ここでまたまた重大事態が!
「予行演習までして録画をセットしたのに、撮れてなかった・・・」のメールが・・・。
「いろいろあって、観る事ができませんでした」とトロルさんに報告したところ、 「録画したものがあるから」と送っていただくことに。あ〜、ありがたい。

そんなこんなで、ようやく観る事ができました。(ちなみに、ブルーレイには未だに手をつけず、お義姉さんから、使っていない綺麗なデッキを譲り受けました)

さて、番組の感想は、またのお楽しみ〜。

上野の森親子フェスタ 2008.05.11
今年の上野の森親子フェスタは、雨にたたられました(その前後は、天気が良いだけにちょっと腹立たしい)。
初日の3日は、藤田浩子さんの講演会。こっちは屋内なので中止にはならないと思ったものの、午後から広場のテントで「お話会」&一声社ブースでサイン会の予定だったので、空を見上げてやきもき。午前中で雨がやむ、との天気予報にすがって、ひたすら待ちましたが、とうとうお昼前に「今日は中止!」との宣言が・・・。開店を待つお客さんが待っているし、午後からやむと言うし、JPICの皆さんもぎりぎりまで悩んでおられましたが、とうとう決断のときが来ました。 ああ、無情(レ・ミゼラブル)。


藤田さんの講演会は、すごい熱気でした。
270人の定員のところに、900人近くの人が申し込まれたのですから・・・。「すぐに申し込んだけど、抽選にはずれた」という方もいて、そういう方は午後からのお話会を楽しみにしておられたようなのですが、しかたありません・・・。「売り場がすごい人で、近寄れなくて、買えなかった」という方もおられました。申し訳ありませんでした。

藤田さんの講演後のお店の様子、サイン会の様子などご覧ください。
サイン会は 整理券を配っていただいたお陰で、混乱無くすすみましたが、「順番を待つ人が、 まだこれだけいらっしゃるのかあ〜」という人気でした。


一声社のブース、一声社のお手伝いに来てくれたかわいい助っ人(しーちゃんと あーちゃん)、販売風景などをご覧ください。
かわいい助っ人たちは、「おもしろいもの、売ってるよ〜」「いま買わないと損だよ〜」と声を出してくれたり、小道具セット4の「レストラン」を、「これね〜」 と説明してくれたり、彼女達のお母さんも「レストランはおもしろい!」とすっかり気に入ってくれて、「これね、おもしろいんですよ!」とどんどん声をかけてくれました。

藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「レストラン」
(小道具セット4)


3日目も雨が降り出して、途中で店じまいになるなど、最後まで天気にたたられたフェスタでしたが、みなさん、本当にお世話になりました。

今日の格言「泣く子と 天気には 勝てん」

追伸 上野の森親子フェスタでは、『おはなしの小道具セット1・2・3・4』 『ほしい』が大人気! 「みんな、これ持ってますねえ」と言いながら、見に来るお客様も。特に、小道具セット4は、大ブレイクでした。ありがとうございます。
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット1)
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット2)
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)
のびる絵本「ほしい」
のびる絵本「ほしい」
  2008.05.1
遅ればせながら、鹿児島の写真をどうぞ。
仙巌園から見た桜島です。

鹿児島1日目、観光タクシーで維新ふるさと館へ。西郷隆盛・大久保利通・大山巌らが加治屋町という小さな町の出身で、年上のものが年下のものの教育を担い、 人付き合いのルール・武道・学問を伝える「郷中教育」で成長したことを再確認しました。

  2008.04.23
ついに鹿児島の地を踏みました! 噴煙たなびく桜島をながめつつ・・・。
ホテルのエレベーターには、なんと次のような記事が。「イルカ現る! ホテルの部屋からイルカが見える!」。「えっ!イルカがいるか?」と部屋の窓から眺めてみても、見えるのは波ばかり。残念でした。

従姉妹の結婚式に出席するための鹿児島入りだったのですが、その話はあとにして、せっかくの機会ですので、日ごろお世話になっている書店さんを訪問しました。もっとも、帰りの飛行機の時間もあり。鹿児島市内の2店しか訪問できませんでした。鹿児島のほかの書店の皆様、申し訳ございません。なお、あまりに急
いで訪問したために、せっかくデジカメを持っていたのに、写真を撮ってくるのを忘れました。ご了承ください。(デジカメは、結婚式を撮影するために持って行ったのですが・・・)


1店目は、ブックシャトーえほんばこ
鹿児島大学法学部の前にあって、目を引く看板のお陰ですぐに見つかりました。店内に入ると、絵本がいっぱい、パペットたちもたくさん、なんと言っても読み物関係(ヤングアダルト向けとか)が豊富でした。児童書の読み物は、値段の割りに背が厚く幅を取るので、限られた棚の中で品揃えするのはなかなかご苦労が多いと思います。
ブックシャトーえほんばこさんは、藤田浩子さんのお話会を毎年開いておられ、うちの本をたくさん揃えていただいてます(今年の秋も藤田浩子さんのお話会が行われます!)。


2店目は、ジュンク堂書店鹿児島店。
天文館通のにぎやかな通りに面していて、お伺いしたのがお客さんが多い時間帯でしかも担当の方がレジに入っておられたので、もう帰ろうかなと思ったのですが、ご親切に案内していただいた方が代わりにレジに入ってくださり、お話ができました。お忙しいところ本当に申し訳ありませんでした! 
ジュンク堂さんは、神戸からあちこちに展開された専門書充実の書店さん。うちも古くからのお付き合いです。図書館のような高い棚に、本がいっぱい。壮観です。



えほんばこさんからジュンク堂書店さんに移動するのに、タクシーを使いました。
交通機関が良くわからず、えほんばこさん前のバス停で時刻表を見ると、ほとんど走っていないような・・・。ちょうどタクシーが来たので、早速乗り込んだところ、それはそれはまあ、お話好きの方でした。
道路特定財源のことから、後期高齢者医療制度のことから、防衛省の前事務次官のことから、まあ、お話しするわするわ、とても楽しい時間でした。
「私らみたいに、こうして走って少しずつ稼いでいる人間にとっては、腹立たしいことが多いですねえ。年寄りいじめの制度で、年金から天引きするなんて、たまらんですねえ。政治家からどんどん天引きしてやったらええですよ」 いちいち、「うんうん、そらそうですわ、腹立ちますねえ」と、合いの手を入れつつうなずきつつ、お話をお伺いし、ジュンク堂書店さん前で、元気よく手を振ってお別れしました。
どうぞ、事故に気をつけて、 いつまでもお元気で!



前日からホテルに宿泊し、万全の準備で乗り込んだはずの結婚式
当日の朝、思わぬ事態が! さあ、着替えようとしたところ、カッターシャツがないことに気づいたのです!
「カッターがなかった!」と連れ合いに報告。ネクタイやら靴やらハンカチやらに神経を集中しすぎたのです!
さあ、これは困った。

ホテルが鹿児島市内の中心部なら、お店もたくさんあるのですが、私が宿泊したのは海のそば。周りに見えるのは、桟橋やら、結婚式場やら、倉庫やら・・・。あ〜、なんという事態。
さっそくフロントに行き「カッターシャツを売っている店が近くにないですか?」
と聞いたところ、「ジャングルパークなら、たしか洋服の○○がありました」
電話番号を調べてかけてみると、開店は10時とのこと。
「結婚式は11時半からやから、ナントカ間に合うやろ」と。
妹や母は着付けがあるので、8時半に式場に向うのを見送りつつ10時前まで待機。10時15分前に、タクシーを使ってお店に、車だと案外近くて、到着は10時8分前。開店前か!でも中に人が!! 
「すみません、開店前なんですけど、カッターシャツ売ってもらえませんか?」「ああ、どうぞどうぞ」
と親切にお店に入れてもらい、たった一人の客として恥ずかしさもあり小さくなりながら(もともと身体は小さいのですが)、「すみませんついでに、買うたものをそのまま来て行きたいんですわ」
試着室から、レジに直行、そのまま待機しているタクシーに乗り込み、式場へ!お世話になりました!

「どこ行っとたん?」と従姉妹に言われ、「一大事やったんや」と説明しつつ、
「まあ、なんとかなるもんや」と。「終わりよければすべてよし」。いやいや、結婚式に「終わり」は不吉。
「なせばなるなさねばならぬ何事も」と、上杉鷹山の心境にはほど遠い、鹿児島での顛末、一巻の終わり。
(終わりは禁句の結婚式にて綴る)

  2008.04.16
伝承(?)遊びというと、みなさんはどんな遊びをしてこられましたか?
私らは、まずパッチン(メンコ)ダッチョ、それに陣地取りドロケン(泥棒と刑事)凧揚げなどでしょうか? 草野球も毎日していましたが、ついにこれも「伝承」遊びになってしまったかもしれませんね。
「昭和時代の子ども達」などといわれ、昔の暮らしや遊びを懐かしむ風潮があります。それにいちいち目くじらを立てる必要もないのでしょうが、「懐かしむだけでええの?」という思いです。僕らは、子ども集団があった最後くらいの世代 (地域によってかなり時代差があると思います)ではないでしょうか? 
つまり、 僕らが子ども集団を作らなかった世代ではないのかと思うのです。

僕らのリーダーは、今から考えてもそれはそれは人格者でした。
小学校に上がる前からそのグループに所属していたので(先に小学校に上がった兄のお陰)、みんなについていけへん小さな僕らを、やさしく上手に遊ばせてくれました。遊びはすべてその兄ちゃんや、ほかの先輩から教わったのです。集団のルールも。
ちなみに、ぼくらが「兄ちゃん」と呼んでいたのはその人だけで、先輩でも何でも「○○君」と君付けで呼んで、減らず口をたたいていました。地域性なのでしょうか?大学時代に同じ地方の後輩が「先輩を○○君ってよんだら、生意気やと怒られました。そういう風に呼びますよねぇ」と深刻に悩んで話しかけてきたことがあります。

子どもが子どもの世界を作って、ケンカしたり教えあったり、ルールを学んだり、 ・・・そんなことができなくなって、大人が全部決めてしまう。遊びにまで、大人がいつでもどこでも顔を出す、それで良いのでしょうか?

少なくとも私たちが目指す本は、きっかけは大人が作るけれども、子ども自身が発展させていけるような遊び、を目指しています。
「子どもは、本来遊びたいやろ。さあ、あそべ」と言うても現状に合わんなぁ、 と実感したのは、身近な子どもが「今日はヒマだし、何したらいいの?」と聞いてきたときでした。子どものころ、大人に「何してあそんだらええの?」と聞いたことも無ければ、そもそも大人と遊んだことががまずない。1人なら1人で、2人なら2人で、3人やったら3人で、その時々にいろんなことを決めてあそんでいたので、子どもから「何したらいいの?」と聞かれたときは、ちょっとショックでした。でも、きっかけさえできれば、あそびの面白さがわかれば、大人が評価したりせんかったら、遊べますね。

大人は、そういう黒子にならなアカンのではないかと思うのです。
「オレが俺が」と何でも目立たんと気がすまんような大人が少なくないなあ、と思う今日この頃です。

新しい本の取材のために、滋賀県大津市に行ってきました。  
新しい本の取材のために、滋賀県大津市に行ってきました。
お手玉・まりつき・ゴムひもあそびの実演を撮影したのですが、みなさん本当に楽しそうでお上手でした。

大津の学童保育に伝承遊びを広げてきた田中邦子さん
京都の郊外で生まれ育ち、話し方もおっとりしておられますが、あそびの指導をするときはにこやかでかつ厳しい。「適当でええよ」というレベルなら、おもしろくもなんともないのやと思います。やっぱり、「もっと上手になりたい」「○○君には負けたくない」というものがないと、すぐに飽きてしまうでしょう。
伝承遊びは、その点、奥が深くて、行けども行けどもキリがない、ということを実感しました。誰でもすぐに始められるし、どのレベルでも楽しいけど、どこまででも行ける、そんな遊びですね。クリアしたから次のゲームを買って!という遊びではないんですね。

田中邦子さんは、もちろん子どものころ夢中であそんだ方です。それを子どもたちに伝えるにあたって、まりつきの型を順序良く練習用に整理したり、リズムゴムとびの型を子ども達と考えたり、遊びを伝えるとともに、考案してこられた方です。それらの遊びが、ずっと伝えられて来ているのですから、人の組織と遊びの合理性に秘訣があったのでしょう。

東京都心では散ってしまった桜がちょうど満開で、琵琶湖もあるし、とっても良い季節だったのですが、桜を見る余裕もなく、東京へと帰ってきました。「桜見ごろ」という日程のおかげで、桜も見いひんのに「割高の日」に設定されているわ、宿が満室やわ、でえらい目にあいました。「こっちは、花見ちゃうっちゅうねん!」と思いましたが、まあ、しゃあないですねえ。新幹線が高すぎると思うんですけど。

田中邦子さんのこの本は、6月頃出版予定です。乞うご期待!

社長のヨネやんのお話会!】 3月15日(土) ジュンク堂書店池袋本店8F児童書売り場  
3月15日、ホワイトデーの翌日(今日のお話には何の関係もありません)、東京 ・池袋のジュンク堂書店池袋店で、おはなし会をしてきました。

お店に入ると、早速アナウンスが聞こえてきました。
「お客様に催し物の御案内を致します。本日、午後3時半から、8階児童書売り場で一声社さんによるおはなし会を開催いたします。参加費は無料です。どうぞご参加ください」
なんやら、えらい先生でも来るんちゃうかいな、と勘違いされへんかなぁ、と少々不安に。
児童書ご担当の市川さんとは、顔なじみ。「よろしくお願いしま〜す」とお互いにごあいさつし、いよいよ本番です。

双子の女の子をはじめ、お母さんに連れられた子どもたちが座って、じっとこっちを見ています。
「このおっちゃん誰やろ?」という不安なまなざし・・・。

「ひらいて閉じて」でまず手遊びをした後、自己紹介ぱたぱた(うちのパートナーお手製)で、自己紹介。
お母さんたちは「お〜っ」と驚きの声。でも、小さな子どもたちは「ぽか〜ん」
そうか、まだ字が読めへんのやなあ、ちょっと早かったかぁ。

子どもたちに一番うけたのは、くるくる変わり絵(おはなしの小道具セット3)
何度も繰り返すのと、だんだんスピードアップしたのがおもしろかったようです。
不思議な手品・レストラン(小道具セット4)は、お母さんたちにお手伝いしてもらい、どのメニューを選んだか、他の参加者にも分かるようにしてもらいました。
お母さんたちは、「どうしてわかるんだろうね」と不思議な様子。
でも、小さな子どもたちは、やっぱり無言。むむむむ、やっぱり難しかったかいなぁ。
お別れに手遊び「きつねの体操」(きいてきいておはなし会)。親子一緒に、楽しんでもらいました。
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「レストラン」
(小道具セット4)
おはなしおばさんシリーズ
きいてきいておはなし会

双子の子どもたちは、いつもおはなし会に参加してくれる常連さんやそうで、
「最初は恥ずかしがってたんですけど、だんだん反応がよくなってきました」とお母さん。
楽しいひと時を過ごしてくれたかな?

ジュンク堂書店の市川さんからは、「持ち芸が増えましたね」と突っ込みを入れられ、ねぎらいと感謝のお言葉が。こちらこそ、ありがとうございました。



話は前後しますが、3月8日に大阪の上本町にある国際交流センターで、全国保育士交流会が開かれ、トロルさんの販売お手伝いをしました。ここでも、おはなしの小道具セットを実演販売。

調子に乗って演じていたら「なあなあ、これめっちゃおもいろいで。手分けして買うとこ!」と若い保育士さん。中には、小道具セット1〜4「ほしい」をまとめてちょうだい! と全部購入していただいた方も少なくありません。深く深く感謝です。
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット1)
藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット2)
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
のびる絵本「ほしい」
のびる絵本「ほしい」

藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「レストラン」
(小道具セット4)
たまたま、別の用事で会場にきていた地元のおばあちゃんとお孫さん(小学校 3年生くらい)に、レストラン(小道具セット4)を見せたら、「これ、おもしろい!」とお土産がわりに買っていってくれました。
毎度あり〜! 
いえ、別に子どもをだまくらかして、買わせたわけとちゃいますよ〜! 


そういえば、小学生の頃、学校近くの公園とかに、型抜きとかのあやしいおっちゃんが来ていて、子どもから少しずつお小遣いを出させていたんですけどね。今から考えると、子どもの少ない小遣いを少しずつ巻き上げてたおっちゃんは、今の子どもを食い物にする連中(しかもきれいごとを並べてたてて、大規模に)に比べたら、 かわいいもんやったですね。
 僕らは、親や教師から型抜きは禁止されてましたから、したいけど出来ひん、 してる子らがうらやましいだけに腹が立つ、みたいな感じでしたね。
 でも、子ども心におかしいと思うてたんは、たこ焼きの屋台のおっちゃんですわ。僕らのところは、おじいちゃんが屋台を引いて、たこ焼きを売りに来てたんです。ちゃんと舟に乗っけて出してくれんですけど、値段は4個の奴が20円で、 10個が50円。いや、そもそも50円の奴は8個くらいしか入ってなかったような気もするけど、いくらなんでもそれはなかったでしょう。そこまでやったら、親も黙ってないですしね。

 話しは元に戻って、何がおかしい、ちゅう話。
お小遣いは少ないから、いつも20円持って兄貴と買いに行くんですけど、たまに「20円のは売り切れた。50円のしかない」と言われるんです、おじいちゃんに。「そうか、20円のはないんか。 どないしょ!」と兄貴とお金出しおうて、それでも足りひんからあわてて家にとんで帰って、「お金たりひん!」いうて出してもらうんです。
 そこがおかしい。何がおかしいって、逆やったらわかるんです。10個はもう焼かれへんから、20円の4個にしときや、ちゅう話やったらですね。ところが、4個 は売り切れで、10個はある、ちゅう世にも不思議な話ですね。
 今となったら、楽しい思い出ですね。ところで、あの当時おじいちゃんやと思うてた人が、案外今の自分と同じくらいの歳やったりして、・・・、これは怖い話ですねぇ。
社長のヨネやんが、横浜の書店でお話会!】 2月23日(土)  
藤田浩子さんの『おはなしの小道具セット』『のびる絵本 ほしい』などを使って、子ども達やお母さんたちを前に、お話会を行いました。
[日付]2月23日(土)
[時間]1回目:午後2時〜2時45分
     2回目:午後3時半〜4時15分
[場所]TSUTAYA 横浜みなとみらい店
 横浜市西区みなとみらい4-7-1 ミッドスクウェア1F  みなとみらい線・みなとみらい駅下車すぐ

TSUTAYA横浜みなとみらい店でおはなし会をしてきましたで〜

ものすごい強風の2月23日、行ってきました! 
みなとみらいへ! 
風がスゴイの何の、前に進めないほどの強さで、チャップリンの映画を観ているよう(帰りは電車がストップして、一苦労。でも、富山では高波で亡くなられた方も・・・。
電車が動かないくらいでオロオロしてはいけませんね)。

強風の影響で御来店の方がそれほど多くなかったのですが、時間になると親子連れが次々に。
見物の方の中に、セイン・カミュさん似のお父さんと子どもたち。
むむむ・・・、日本語が分かるんやろか? という心配をよそに、一通り終わった後
「さっきの手品は、何と言うタイトルですか? いつもここでやってらっしゃいますか?」
と日本語ペラペラ(しかも、敬語の使い方がスゴイ。日本人もビックリ)。
若いお母さんからも 
「今度は、いつなさいますか?」
と聞かれ、ちょっとドキマギ。


演目は、「いないいないばあ」(小道具セット2) 「自己紹介パタパタ」(こっちむいておはなしおもちゃ) から入って、「りす」(小道具セット4) 「くるくる変わり絵」(小道具セット3)など。 最後に、「ふしぎな家」(続おはなしおばさんの小道具)をみんなで作って、楽しいひと時でした。

藤田浩子のおはなしの小道具セット2
「いないいないばあ」
(小道具セット2)
おはなしおばさんシリーズ
こっちむいておはなしおもちゃ
藤田浩子のおはなしの小道具セット4
「りす」
(小道具セット4)
藤田浩子のおはなしの小道具セット3
「くるくる変わり絵」
(小道具セット3)
続おはなしおばさんの小道具
続おはなしおばさんの小道具


なんと、その日、2回目のおはなし会も。
これは、時間になったらすぐはじめたので、最初の観客はその場で絵本を読んでいた小さな女の子3人組だけ。でも、その子たちを相手にお話を始めると、7〜8組の親子連れが次々に集まってきました。 おはなし会が終わっても、最初の3人組はそこを動かないので、かみつき蛇カラスの親子(続おはなしおばさん)で、一緒に「キャーキャー」いいながら遊んびました。
早くもコアなファンがついたんか? と思いきや、「また、遊ぼうねぇ」 と。
同じレベルやと思われたみたいですな。


【今度のおはなし会の予定】

ジュンク堂書店 池袋本店8F 児童書売り場 
[日時] 3月15日(土) 3時半〜4時まで

ほならまた、池袋でお会いしましょ!
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