こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜

2009.6.28

またしても猫に悩まされる の巻 パート3

知人からもらった大切なオクラの苗(しかもたくさん)が、全て消えてなくなった怪奇現象を覚えておいでだろうか? 覚えておいでって、一昨日まで書いてたやん! そのとおりです。

奥さんが真犯人を割り出しました。しかも、土の状態から!

「この土の状態から割り出せる答えは一つ! 犯人は、・・・・・・猫です」
「ほんま?」
「お疑いなら、土を掘り起こしてみましょう」
ということで、使い捨てのビニール手袋をはめて、プランターの土を掘り起こしてみると・・・、大判小判がざっくざく! なら、いいのですが、出るわ、出るわ、つぎからつぎへと猫のウンコが! しかも、土を掘り起こしたので中に溜まっていたであろう、猫のおしっこの匂いがぷんぷん。そうです、学生時代に私がお布団でイヤと言うほど嗅いだ、あの猫のおしっことウンコの臭いです。瞬間、学生時代のトラウマがよみがえりました。

そうか、猫がプランターの土を掘り返して苗をなぎ倒して土に埋めてしまい、猫のおしっこで止めを刺された、という訳ですね。
猫は私たちが置いたプランターを見て、小躍りしたことでしょう。
「これはええわ。掘りやすいし、何より身体がすっぽり入って落ち着くがな。ええもん作ってくれたわ。オクラの苗? 知らんで。何のこっちゃ?」
しかし、猫君。知らんかったで済んだら、警察は要らん。苗をくれた御近所に何と申し開きすんねん! (今に至るも、苗のその後を説明していない。そっちに話題が行くのを極力避けている)

おしっこと聞いて、「それやったら、肥料でしょう」という御仁がおられるやもしれん。もし人間のおしっこと猫のおしっこがそないに成分が変わらんかったら、おしっこは除草剤である。農業をしたことない都会の方が、立小便としたときに言い訳として「肥料をやっている」とかおっしゃいますが、試しにお宅の大切な花にでもそのままかけてみなはれ。枯れること請け合いですな。

ああ〜悲惨、それにしても、悲惨だ。お金をかけて、わざわざ猫のトイレを作ってやったのだ。木搾液は役に立たんかった。使い方が間違うてるのかもしれんが、オクラ無きあとのプランターに時々かけてみても、あいかわらずトイレとして使用されている。
あー気持ちええわ、と言いながら、かの猫がしているのだろう。
あれから、オクラのいないプランターを眺めては、猫のウンコを取り去る日々が続いている。単なる、猫のトイレ当番ですわ。とほほ。

猫の仕打ちはそんなものじゃないが、今日はこの辺で。


2009.6.26

またしても猫に悩まされる の巻 パート2

家の中に入ってきた猫を追い払ってしまった私たち夫婦。予め断っておくが、怒鳴りつけたわけでもなく、ましてや棒か何かを持って追いかけたわけでもない。
ふつうの声で「こら、こら」と言ったのみである。しかし、おもてなしはしなかった。
それが猫さんを怒らせたらしい。

まず、車がやられた。
駐車場に止めている車(別に高級車でもなく、自家用乗用車でさえない)のボンネットに無数の傷を見つけたのは、妻の方だった。
「傷がようけ付いてるで。あれは猫やな」
「ほんま?」
見に行くと、なるほど爪の跡であろう引っかき傷があちらこちらに。
天気の良い日に、猫がボンネットに乗って寝ていたり、毛づくろいをしているのは、再々見かけていたが、このような実害があろうとは・・・。しかし、猫に言い聞かすわけにもいくまい。
「ここはなあ、寝るとこちゃうねん。いや、寝てもええけど、爪を立てるのだけは止めて。お願い」と懇願したところで、「いんニャー」と否定されるのがオチだろう。以来ずっとうちの車は、猫さんたちの昼間のベッドと化している。

次に、プランターがやられた。
御近所の仲の良い方から、オクラの苗をたくさんもらった。
「これからは、まず自分の食う物は自分で育てなあきませんねえ」などと私たちが言っていたので、「オクラなら簡単よ」とわざわざ少し育てた苗をくださったのだ。2人で早速、プランターと土を買い、「猫よけ」と銘打っていた「木搾液」まで買い込んだ。
「猫に害があるような物はイヤやけど、プランターを荒らしたらアカンしな」
そう言い合いながら、土を入れ、奥さんが苗を丁寧に植えかえて、オクラの成る日を夢見た。
猫よけに薄めた木搾液もかけて。
しかし、その夢は「春の夜の夢の如し」まさしく、雲散霧消したのである。
翌朝、たくさんあった苗が一気に減っている。3本くらいしか残っていない。減っているというのは、苗の姿がどこにも見えないということである。最初は、わが目を疑った。わずか一晩で、だれかに食べられてしまったのだろうか? 相当ガッカリしたが、残りの苗に夢を託した。しかし、わずかな希望も、またまた12晩と持たなかったのである。
目を覚ましてプランターを見ると、すでにそこにあるのはタダの土である。緑色の物はどこにも見えない。
「いや、見えなくても、実はあるんです。心に念じなさい。心で観なさい」とある種の宗教家の方なら仰るかもしれないが、心に念じようと、気合を入れようと、ない物はないのである。どこにも。

そのとき、奥さんが口を開いた。
「あの〜、ちょっとよろしいですかぁ」・・・古畑任三郎のように。
「ん〜ん、犯人がわかりました。ヒントは、この土です。ンフフフフ」
田村正和さんのようにしゃべる声を私が遮る。
「この土の、なにが?」
「よーく、観てください」
しかし、近視の上に最近は老眼も入ってきた私の目には、見えるものさえ見えない。
「わからん」
「土が掘り起こされてますねぇ」
「確かに」
「そして、ここの小さな窪みをご覧ください・・・。」
「いくつかあるな」
「すると? 答えはまた別に日に」

(乞うご期待)


2009.6.24

またしても猫に悩まされる の巻

今年の3月9日から、大学時代の「某重大事件」(通称・猫事件)を3日連続でお伝えしました。
あれから、四半世紀の時空を超えて、またしても猫に悩まされています。
今度は3匹も・・・。私たち夫婦は、「3匹の侍」と呼んで、恐れているのです・・・。

お隣とその向かいの家(親子)が飼っている猫3匹。
飼っているのか、どうかは定かではない。というのも、それぞれの玄関に猫の家が建っている(作ってある)
のだが、そのお家に猫が入っている姿を見かけたことがない。お家は発泡スチロールやベニヤ板で作ってあり。猫が遊ぶ(らしい)木の板もブロックに渡してある。
しかし、その猫たちはそんなところにはじっとしているはずもない。
そもそも私たちの家は、私たちよりもその猫さん方のほうが、先住民である。
私たちが来たときにはすでに私たちよりよほどこの家を熟知しており、自由に徘徊していた。
この家に来てすぐの頃、ドアを開け放して、掃除をしていると、猫がドアの前を何度か横切るのに気づいた。
「なんで、何回も通るんやろ?」と気になってしまい、掃除の手を休めて2人で玄関を見ていた。
奥さんは、「あの猫は、ドアの前を横切りながら、横目で中を伺っていた!」と重大な証言をするではないか。
もっとも、私には、猫の「横目」がどのように見えるのか、いまいち理解できなかったが・・・。
それでも、なにやらきな臭いに
おいがし、一緒に玄関に立って外を見ていた。
すると、私たちの期待を感じたか、すぐにかの猫がやってきた。
そして、玄関の方を向いて、座って、こちらをじっと見つめている。
「やっぱり、中が気になるんやな」と2人でうなずきあいながら、猫をじっと見つめていると、さらに一歩、二歩とこちらに近づいて座りなおした。そのまま、じっとこちらを見つめている。そのまま、ゆっくりと腰をあげ、ぶるぶるっと身震いしながら、悠然と立ち去っていく。
「まだ、片付いてないのぉ。とんまな面だぜ」とでも言わんばかり。

「なんか、ふてぶてしい猫やなぁ」と2人で言い合って掃除を再開したのだが、
次の日猫はもっと私たちに急接近した。
その日もドアを開けて、片付けと掃除にいそしんでいたところ、「トン」という物音がしてすぐに、「猫が入ってきた!」という声が・・・。昨日の猫は、玄関前からさらに進んで、家の中に入ってきた。悠然と。
「こら、こら」というと、慌てて去っていったのだが、客人としてもてなさなかったことに、いたくご立腹だったようだ。その日から、猫の思いを知ることとなる。


2009.6.22

東京国際ブックフェアでお会いしましょう!

7月9日(木)〜12日(日)の東京・お台場・ビッグサイトで開かれる東京国際ブックフェアに出展します。
そこの小さなイベントスペースで、「ヨネちゃんとまゆちゃんの おはなし会」
を開きます。まゆちゃんというのは、うちの奥さんの従妹で2児の母。
昨年・今年と、上野の森親子フェスタの助っ人に来てくれた力強い味方。2人の娘、しーちゃんとあーちゃんも土日には応援に駆けつける予定。
お台場でお会いしましょう。詳しくは、トップページをご覧ください。


2009.6.21

見ず知らずの学生の家で寝ていたよ、ファイナルの追伸

*追伸1 これ、まかり間違うて、女の子の部屋やってみなはれ。犯罪者ですよ。
ドアの中に入った時点で即現行犯逮捕ですよ。想像するだに恐ろしい。

*追伸2 その日のうちにFを見つけ出し、こう言った。
「こら、お前! オレに黙って引っ越すな。えらい目に遭うたやんけ」
「なんや、引っ越すの言うてなかったか?」
「言うてなかったか?や、あるかいな。お陰でなあ、かくかくしかじか、やど」
「そんなん、オレのせいちゃうやろ。ヨネ、お前、一歩間違うたら、犯罪者やど」
「そこやがな。そやけどな、捨てる神あれば拾う神ありや。お前の後に入ってたN大学のA君がええヤツでなぁ。黙って泊めてくれた上に、毛布まで掛けてくれてたんや。この社会も捨てたもんやないど」
「お前なあ、そうやって、ええ人の親切にすがってたら、今にもっとえらい目に遭うど」

その後の人生は、友人Fの予言したとおり、えらい目の連続であった。
しかし、その都度、またまたええ人にめぐり合って、なんとか乗り切ってきたのである。

またお会いしましょう。
(完)


2009.6.20

Fの家に別人が・・・ファイナル

*19日に最終章を掲載するはずが、1日遅れてしまいました。お詫びします。

「ここはFの下宿でしょうか?」「いえ、違います。僕の部屋です」
「すると、Fはどこに行ったんでしょう」「それは知りません」

えぇ〜えっ! ここはFの下宿ちゃうの! えらいこっちゃがな〜。

えらいことでは済みません。見ず知らずの人の部屋に寝ていたのです。
思わず、ズボンを穿いているか確かめてしまいました。

大丈夫や・・・。でも、ちょっと待てよ。どうやってここに来たんやろ? 
アカン、頭が痛いし、気持ちも悪い。思い出せ! 昨日は、みんなと居酒屋Kで飲んでて、気持ちが悪うなって・・・。そや、トイレの横で寝てたな。それが何で、ここに来たんや。アカン、思い出せん。
さっきからこっちをじっと見つめている見ず知らずの若い男の子の顔を見上げてました。

「すみません。僕は、昨日、どうやってここに来ました?」
「昨日ですか? 夜中に急にドアをノックされて、『F! 開けろ!』とか、叫んでおられたんですよ。
それで、近所に迷惑だし、お帰りいただこうと、ドアを開けた途端、強引に中に入ってこられたんです」
「・・・強引にですか? ほとんど強盗やねぇ。それから・・・」
「『Fはどこに行った?』と聞かれたので、ここは僕の家です。
Fなんて知りません、と言うたんですが、『なに〜! Fの家ちゃうやと? 構へん。気にすんな』と言って・・・」
「気にすんな、と、僕が???」
「そうですよ。それで、もう床に倒れこんで寝てしまったんです」
「・・・・・・。!! そうすると、この毛布は君がかけてくれたんか?」
「そうです。風をひくといけませんから」
「・・・・・・。ごめんなさい。」

この時点で全てを悟りました。
駅前で飲んだときにはFの下宿になだれ込む、そういう習慣が身についていた私は、昨夜の深酒でべろんべろんに酔っ払った足と体を引きずって、本能の赴くままにFの下宿へ、Fの下宿へと向かった。
しかし、Fの下宿はすでにFの下宿にあらず。
<ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず>

久しく留まりたる試しなし、か。ああ、無常。世の中は常に動いておる。
Fの下宿も流転の中にある。哀しきかな・・・。

「さっきから、何をごちゃごちゃと言っておられるんです?」
「ごめんなさい。え〜と、君はNK大学の学生?」
「いえ、N大学のAです」
「大学も違うかったんか?! つまり、見ず知らずの、違う大学の、突然の欄入者の、しかも酔っ払いの、強盗まがいの、この僕を、君は泊めてくれたんやね?」
「しかたないでしょう。追い出すわけにもいかないし。外は結構寒いですから」

なんという温かさよ。地獄で仏とはこのことよ。無理やり押し入った僕を泊めてくれた上に、毛布までかけてくれて・・・。
とほほほ。なんちゅう、情けない。他人の親切が身に沁みる、底冷えのする奈良大和路。

慈母のように親切な学生A氏に深々と頭を下げ、その場を辞したヨネちゃん、大学3回生頃の話。


2009.6.18

Fの部屋にて・パート3

爽やかな日差しが私の顔を照らし、雀が「チュンチュン、朝やど、はよ起きんかい」とさえずっている。台所では、Fがまな板で何かを刻んでいる音。
「あぁ、悪いなあ。朝ご飯 作ってくれてんのか」
そう思った瞬間、またまた深い眠りに付いた。

次に目を覚ましたとき、毛布がかけてあるのに気づいた。Fの部屋には何度も泊まったが、どうも毛布に違和感がある。
台所の音はすでにせず、洗濯機が回っている音がする。この洗濯機の音にも、何かしら違和感がある。

アカン。頭ががんがんするし、気持ちも悪い。それでかなあ、何か、違和感がある。頭がどうかしたんやろか、これも夢の中かな?

そう思って上半身を起こしたとき、声がした。
「起きましたか?」
声がした方向を見ると、その声の主は逆光の中にいるので、顔が全然見えない。
もう一度、声をかけられた。
「眠れましたか?」

「えっ? アンタ誰? Fはどこに行った? もう出かけた?」
逆光の中に立ち尽くす怪しげなシルエットに、私は問いただした。少々憮然としながら。
(Fのヤツ、先に出かけるなら出かけるで、声ぐらい掛けて行けっちゅうねん!
 見ず知らずのヤツとこんな状況で対応せなアカンやんか!)

すると、その声の主は、再び口を開きました。
「あなたこそ誰です」

二日酔いの頭が急速に回転し始める。
キョロキョロと部屋の中を見回す。明らかにFの下宿である。いつもの方向に窓があり、いつもの方向にドアがある。しかし、家具類やポスターなどが違う、明らかに・・・。
(アカン。タイムスリップしたか? 浦島太郎みたいや。どないなってんねん。
とうとう、脳が酒にやられたか! 確かめとかな!)

「すみません、今日は何年の何月何日ですか?」
その男は、私以上に憮然としながら、答えてくれる。
(やっぱり、合うてるがな。時間の壁は超えて越えてない)
安心したと同時に、更なる疑問が・・・。
(ほなら、ここはどこやねん!)

「すみませんが、ここはFの下宿でしょうか?」
「いえ、違います。僕の部屋です」
「でも、確か、大家さんは○○さんですよねぇ・・・」
「そうですけど。でも、僕の部屋です」
「すると、Fはどこに行ったんでしょう」
「それは知りません。でも、私がここに入る前に住んでらしたんではないですか?」

えぇ〜えっ! ここはFの下宿ちゃうの! えらいこっちゃがな〜。

明日、最終回です。


2009.6.17

友人Fの下宿にて・パート2

お酒に弱いくせにコンパで深酒し、トイレ近くで眠っていた私。トイレのすぐそ ばの床はお世辞にも美しいとは言えなかったろうが、床を選んでいる場合ではな い。いや、そもそも住んでいる寮の床から見れば、それほど汚いともいえない。
もしかすると、少々汚れた床の心地よい安心感が私を眠りにいざなったのかも知 れぬ。
もう限界や。
意識が朦朧とし、這うようにして居酒屋を出た私が、本能的に向った先は、Fの下宿。友人たちの下宿先は大学近くが多く、駅近の住んでいる友人は少なかった。
駅近くに住んで何がアカンかというて、駅前居酒屋で飲んだ私のような酔っ払いの輩のくつろぎの場所になるからである。Fも因果な場所を下宿先に選んだものよ。これ、前世の因果かも知れず、凡人ヨネちゃんの遠く及ばぬところなれば、酔った足がFの下宿へと向うことは、もはや誰にも止められぬ。
もう、アカン。
Fのとこまでそないに遠くないはずやのに、いつまで経っても着かん。
くそぅ、Fの家のほうが動いとんな。そうまでして、寄せ付けんのんか。こうなったら、意地でも行ってやる。
時々、電柱の根元に寄りかかって睡眠をとりつつ、何か別の大きな力が私の足を、Fの部屋へ、Fの部屋へと誘う。
その頃には、意識は朦朧を通り越して、ほとんど意識不明であったろう。なぜなら、Fの下宿に入ったのも、Fの部屋に行ったのも、全く覚えていないからである。


2009.6.16

Fのこと。
忌野清志郎のことで大学時代の友人Fのことを思い出していたら、その一年が通じたのか、Fから電話をもらった。夏に大阪で会う約束をしたんですが、Fのこと、というかFの下宿のことで思い出した話が・・・。

あれは、大学3回か4回のときですやろ。
恐らく春先か秋やったんでしょうね。なんで季節が分かるかというと、まあ、この話をご覧になるとわかります。

コンパ大好きだった大学時代の私。飲めもせんのに、一昨日は大学生協の仲間と・昨日はクラスで・今日はクラブで・明日明後日その次は男子寮で、と毎日のように飲んでいたのです(勉強もせんと情けない)。

その日はFが一緒じゃなかったので、クラスではないでしょう、クラブか寮の二次会か、とにかく駅前の居酒屋でしこたま飲んでしまいました。
これまたいつかは恥を曝さんとあきませんが、新歓の頃は能力以上に飲めたものです。男子寮の新歓コンパはえげつなかったですねぇ。とにかくすぐに「体力の限界」を知ったというか、すぐに一定量以上は体が受け付けなくなった私。
その日も、どんどん飲んでいたけれど、途中から受け付けなくなり、頭が痛く、猛烈な眠気に襲われ、気持ちは最悪・・・。ゆらゆらと揺れながら居酒屋のトイレに立ったはいいものの、そこでへたり込んでしまい、そのまま眠ること早3年と3ヶ月。いえいえ、三年寝太郎ほどの大物でもなく、実際は5分くらいではなかったでしょうか。
目を覚ました私は、
「アカン、ずいぶん寝てしもた。何か寒い。歯ぁガタガタ言うわ。飲みに戻ったら、もうアカンかもしれん」
と、自らの限界を悟り、静かにフィールドを去って行くのであった。
「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」
かように気取って退場したものの、気取っていたのは私自身だけで、後で後輩から、『ちょっとヨネちゃん。支払いする前に消えてどないすんねん!』と怒られたことは、読者の皆さんも早くお忘れください。

次回に続く!


20096.10

7日の日曜日、埼玉県の学童保育集会というのがあり、本の販売手伝いに行ってきました。
埼玉県立大学という創立10年の新しい大学が会場。水田がまわりに広がるのどかな環境・・・、にしては、どうも建物が無機質で周囲とマッチしてへんね、と言ったところ、「わざとマッチさせてないんじゃないの。デザインだからさ」とたちまち反論あり。そんなもんですかねぇ。

「今日はNHKの収録が入ります」とのアナウンスに、「集会の模様をニュースで流すンやな」と勝手に解釈していたところ、ドラマの収録だったんです。
ドラマ撮影の現場にはじめて立ち会いましたが、中々大変なモンですね、1つのシーンを撮るのにどれだけ時間がかかるか・・・。
当日は、暑い・暑い。こっちも日向での販売ですからすっかり日焼けしましたが、スタッフや俳優さんたちもほんまに大変ですね。
この話はまたゆっくりと・・。


20096.9

ブログを更新してから、早1ヶ月以上・・・。
いったいどうしたことか? と気を揉んでおられる読者の方は、全国で20人くらいはおられるはず・・・(気を揉んでない方は、1億人以上)。

実は、5月の連休「上野の森親子フェスタ」の最終日に雨に打たれて、その後の天候不順も重なって体調を崩してしまいました。新刊『赤ちゃんと絵本であそぼう!』の作業も中々難航し、ブログのことに頭が回らなかったのです。ようやく出版でき、体調も落ち着きましたので、またまた性懲りもなくブログに挑んでおります。

ブログを休んでいる間に、忌野清志郎さんが亡くなってしまいました。
彼を知ったのはずいぶん遅く、大学1回か2回生のときです。
Fの下宿で清志郎のテープを聴き、「ずいぶん変わった声やなあ」という物凄く単純な感想でしたね。清志郎のロックが分かるには、あまりにもガキだったのでしょう。Fは、清志郎やレゲエを聞き、カラオケスナック(カラオケボックスはまだない)では越地吹雪を歌うという、独自路線。私のような凡人にはものめずらしい存在でした。

核などいらねえ。憲法9条はジョン・レノンの唄みたいで格好いいじゃないか。
と愚直に言い続ける姿が大好きでした。昔好きだった人(憧れていた人)が歳をとってなんだかテレビ局に媚びていたりするのはあまり観たくない(生活のためなら仕方ないが・・・)。ロックだといっても主張やソウルが感じられない、がなりたてるだけの歌も付いていけない(聞きたくもない)。
尊敬できる人は少ない。それでもほんの数人でもいればいいじゃないか、と清志郎を観ていて思う。
♪いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもないとブルーハーツのように歌いながら生きていきたいものだ。


2009.5.2

電車の中で、えらい目にパート2

目の前のお兄ちゃんが、紙袋をごそごそしながら、何かを出そうとしています。
それをじっと見つめる、私のお目目。

そのうち、彼は細長い箱を取り出しました。
「あ〜、ビニール袋やなくてよかった」
そう、一瞬思って、目を離そうとしたとき、お兄ちゃんは箱を開け始めました。

兄ちゃんは、縛っていた紐か何かを解いて、紙袋の中へ。次に長い箱の蓋を開け、紙袋の中へ。
「ゴミを平気で捨てるやつも多いのに、紙袋に入れるなんて感心なやつや」
と思った次の瞬間、箱の中から現われたのは、いわゆる出刃包丁〜!
「なななにっ?」
私の目は、そこに釘付け。お兄ちゃんはそんなことにはお構いなく、箱の下の部分をやっぱり丁寧に紙袋の中へ。

右手に持った出刃包丁を、お兄ちゃんはじっと眺めています。
ある1点を凝視していたかと思うと、今度は下から上へ、上から下へじっと見つめる。

もう、わたしは恐怖で一杯になっています。
「通り魔」という文字も、さっきから何度も頭をよぎっているのです。
なんせ、彼との距離は40センチから50センチ
くらいでしょう。「彼がその気になりさえすれば・・・」
きっと、顔は相当青くなっていたことでしょう。
でも、「大声を上げてはいけない」と強く思っていたのです。
それが正しいかどうか、今でもよく分かりませんが、大声を上げて助けを求めたりしたら返って逆上するかもしれない、と強く思っていました。
(大声を上げた方が効果的な場合も多々あります)
もうひとつ。「いきなり逃げてはいけない」ということも、同じ理由で強く思っていました。
声も上げず、逃げもせず(逃げられず)、わずかに数センチ足を微妙に動かして、「すこしだけ、ほんの少しだけ。彼を刺激せんように」彼から、離れようとむなしい努力。
お兄ちゃんは、何かに取り付かれたようにドスを見つめています。
「兄ちゃん、事情はよう知らんけど、やめときや」
と、テレビドラマなら言うでしょう。とてもとてもそんな状況ではなく、私はそんな大人物でもありません。

「ここで僕がへたに騒いだら、まわりがみんなえらい目に遭う」
そんなことを考えていた哀れなおっさん。

自分が飲み込む唾の音さえ、何か相手を刺激するような、大きな音に聞こえます。

それでも、少しずつ足を動かしているのです、少しでも離れようとして・・・。

すると、お兄ちゃんは、紙袋の中からはこの下の部分を取り出し、ドス(出刃包丁?)を収め、紙袋から蓋をとりだして蓋をし、紐を取りだしては箱に紐をかけ、次々に手際よく作業を淡々とこなし、ずベては紙袋の中へ。
ちょうどその時駅に着いたと思うと、兄ちゃんは何事もなかったかのように紙袋を提げて、降りていきました。

しばし呆然と立っていた哀れなおっさんは、少し立ってから慌てて周りを見渡しました。
(今、ドスを抜いてましたよねぇ〜)
と、恐怖を分かち合える人を探して。
でも。無駄なことでした。みんな、眠っていたり、本を読んでいたり、お喋りに忙しく(携帯がその頃あったのかどうか、良く覚えていないのです)、全然気づいてない!

みんな、あのドスに気づかんかったん?なんで?

一人で恐怖を反芻し、じっとりと汗ばんだ手をハンカチで拭きながら、
「今さっき見たのは、ほんまにあったことなんか? 幻か?」
と、自分のおつむさえ怪しく思い始めていました。でも、本当にあったのです。

料理人かもしれません。よう考えたらね。でも、電車内で包丁を抜くのはやめてくださいや〜。
電車が急ブレーキとかかけて、よろけたりしたらどないしますねん!

あれ以来、幸いなことに二度と電車内でドスも包丁も見ていない。
今後も見たくない。哀れな叔父さんを脅かすのはやめてちょうだい。


2009.5.1

「なんか、色んな目に遭うてるんやね」
ブログの熱心な読者の方から、言われました。いえ、きっと皆さん色んな目に遭うてると思いますけど、忘れておられるのでしょう。
でも、よくよく考えますと、人様よりも少しばかりはいろんな目に遭うてるかも知れん、と思うことあり。

私は、車に2回はねられました。1回ならあるけど、2回もあるとなると、かなり少ないかも。

そうそう、通勤電車の中で、包丁(ドス?)を抜いた方の目の前に立っていたことがあります。
これは、そうとうびっくりしましたし、そんな人には会うたことない、と他の方は言います。
別に「今思い出しても震えが・・・」みたいなことは全然ありませんが、まあ、そのときはビックリしました。

10年くらい前でしょうか。帰りの地下鉄の中(JR直通)。
その時は、それほど混んでいませんでした。いつもは、ほんまに混んでるんですけどね。
私は、入ってきたドアから遠い方のドアの握り棒付近。立ったまま、多分文庫か何かを読んでいました。
わたしの目の前、つまりドアのそばには、丸刈りの20代後半と思われる兄ちゃんが、ドアに右肩を当てて、私のほうを斜めに向く感じで立っています。これも初めから気づいたわけではありません。本から目をあげて何気なく見たときに、そう思ったくらいで、別に異常を感じたわけではないのです。

私が電車に乗ってから、10分少し立ったくらいでしょうか、目の前の彼が持っていた紙袋をごそごそし始めたのです。
「電車の中で紙袋」・・・・・・だから何?
と、思われるかもしれません。でも、まだ「地下鉄サリン事件」の記憶が鮮明なときです。
紙袋の中に、サリン入りのビニール袋。それを傘の柄で刺して、・・・すっかり報道に毒されていますから、思わず兄ちゃんの手元を見てしまいました。

続く


2009.4.30

回転寿司パート3

何も知らんと高い皿を食うところやったヨネやん。ありがたい友人の忠告に、
「持つべきものは友。朋遠方より来るあり 亦楽しからずや」
と、ありがたいお言葉をお話してるのに、
「遠方ちゃうやん。すぐそこやん」
と、文学を解しない友Bの不甲斐なさに、あきらめともつかぬ溜息をつく。

「そうや、ノド乾いたな」
「うん」
「すんません、あがりください」
「どうぞ、セルフサービスになっていますから」
「えっ? セルフサービス? しゃあないなあ」
などと、言っているときに、
「ぼく、ちょっとトイレに行ってくるから」

友人は、トイレへ。

頼みの友人がいないので、またまたあたりを探すと、湯飲みを発見!
「うん、これやな。それで、お茶はどこに?」
魔法瓶があるわけでも、大きな茶瓶があるわけでもなし・・・と。
向こう側に座っている人をさりげなく眺めると、何やらお茶を注ぐ音がします。
「んん? どっからお茶が出てくるんや?」
じっと見ていると、湯飲みをどこかの下に入れているようです。
「ははーん。そうか」
一人納得した私は、自分のテーブルを改めて見ます。
すると、目の前に何やら黒いボタンが・・・。
「おっ? これかな? なにか書いてあるで」
読んでみると、くっきりと次の文字が。

≪このボタンを押してください≫

「なんや? このボタンを押せやと? どれどれ」

次の瞬間、僕はボタンを押していました。
しかも、右手の人差し指で!!!

「あちちちちちち! 熱い!」

「どうしました?」
「火傷した。はよう、水!水!」
椅子まで案内してくれた例の若い衆をせかすと、大慌てで氷入りの水をポットごと持ってきました。

服が濡れるのも構わず、その場でポットから右手に冷水をかけます。
椅子も濡れています。当然ですが。

「あつ〜!」
ちょっとひとごごちついたときに、そう口走りますと、
「どうなさったんですか?」
と、例の若い衆。親方みたいな人も「大丈夫ですか?お客さん」と言いつつ、あきらかに心配しているというよりも迷惑そうな顔。
こっちは、ちょっとムカっときて、
「どうもこうもあるかいな。お茶を飲みたいいうたら、セルフサービスや言うから、見よう見まねで飲もうとしたんや。ほしたら、そこの黒いボタンに書いてあるやんか、≪このボタンを押してください≫いうて。それで、書いてあるとおり、右手で押したらこのざまや」
「このざまやって、お客さん。そのボタンは、湯飲みで押すんですよ。こうやって」
若い衆が空の湯飲みを持ってボタンに押し付けると、「じょろじょろ」とお茶が湯飲みへと入っていきます。
(なんや、そういう仕組みか! 人類の科学はここまで発展していたのか〜。無念・・・)

「まさか、そのボタンを指で押す人がいるとはおもってないのですからねぇ」
責任を問われると不味いと思ったのか、親方らしき人が釘を刺します。
「そうは言うても、知らん人もおるでしょう。現にここに1人おったわけやから」
「まあ、そうですね」

何もかも終わったその頃になって、友人がトイレから出てきました。
「どないしたん。手にタオルなんか巻いて。それに、何かあちこち濡れてるやん。
何かこぼした?」
「ああ、まあ別にどうっちゅうことない」
一部始終を観ていたお店の人やほかの客さんに、また一から離すのは恥ずかしゅうてしゃあない。
ちょっと憮然と、
「もう、出よか」

自分のバカさ加減が一番腹立たしい。
「『押してください』ちゅうのは、湯飲みで押すんか!」
ここで引き下がったら男が廃る。もういっぺん来たろ!
ひそかにそう決意して、多分1ヵ月後くらいにもう一度同じ店へ行きました。今度は一人で。
椅子に座って何気なく、例の、問題の、あの黒いボタンを見ると、「湯飲みで押してください」

≪このボタンを押してください≫という印刷された文字の下に、下手な字で、しかもメモ用紙か何かに書いた注意書きが、貼ってあったのです。
おそらく水濡れの防止でしょう、セロテープが何重にも貼ってあり(ラミネーターなど見たことない時代ですから)、ご丁寧に「湯飲みで」の文字だけ特に大きく、赤い字で書いてあります。

「まあ、わが身を犠牲にして、次なる被害者を未然に防いだのだ・・・」
感慨深く、そのへたくそな字を眺めながら、今日も今日とて、一番安い皿だけ積み上げて行く、夕暮れ時の奈良大和路。

回転寿司の話しこれにて終了とさせていただきます(完)



2009.4.28

回転寿司パート2

オープンしたばかりの回転寿司にやってきた、見るからにお金を持ってなさそうな2人組。
「並んでまで食うほどのモンか?」
と、文句を言いつつ、じっと並んでます。
そうはいうても、回転寿司ですから、じっくり腰を落ち着けて味わう寿司屋とは違いますから、客の「回転」も速い。みるみる列が動きました。
「いや〜、客の回転も速いなあ。さすが、回転寿司というだけのことはある」
「そこは、関係ないとは思うけど、まあ気分がようなってなによりや」

「いらっしゃい!」
若い衆の元気な声に迎えられ、あたりをきょろきょろ。
「待ち合わせですか?」
「いや、なんで?」
「何か探しておられるから・・・」
「あ〜、そうか。『回転寿司』ちゅうのは、なにが回転するんかと思うてたら、皿を載せたベルトコンベアーが回ってんのか!」
「はい、そうです」
「いや、さっきもコイツが、テーブルが回るだの皿が回るだの、あげくに『クイズ・タイムショック』みたいに椅子がくるくるまわるだの、つまらんことを言うもんやから」
「オレちゃうやろ!お前やんけ。それに、椅子が回るとは、誰も言うてない。今、とっさに考えたギャグやんけ!」
「お前なあ、関西人にあるまじきノリの悪さやなぁ。ギャグの一発もかましとかんとアカンあろ、こちらさんとも初対面やし。ねえ?」
「はあ、・・・」

「おい! お客さんをテーブルにご案内せんかい!」

僕らのために若い衆は怒られてしまいました。こっちも、外にまだまだぎょうさん並んでる人に申し訳なくなって、赤面しつつ、小さくなって椅子に座ります。

「お前が余計なことを言うから・・・」
「小さいことを気にすな!」

友人Bをたしなめつつ、
「さて、何を頼むかな? ん? ちょっとお品書きは?」
「お品書きもございますが、今回っているものをぜひどうぞ」
「えっ? ああ、そうか。ここから取るんか。いや、でも待ってや。だれも取らんネタが何週もまわってるかもしれんやん。新しいのがええなあ」
「誰もとらないものは、こちらで処分していきますから。回っているものは新しいですよ」
「ほんまかいな〜?」
疑わしい目を注ぎつつ、あれこれと皿を取ります。その時、友人が叫びました!
「こら、何を高いもんばっかり取ってんねん。お前、お金あんのか?」
「ない。そやけど、『高いモンばっかり』いうて、これが高いって、なんでわかるんや?」
「皿や、皿! 皿でわけとんねん。この皿は、100円。こっちは200円。これなんか、300円もするやつや」
「お前、詳しいなあ。よかったわあ、よう知ってるヤツと来て。ほな、これとこれとこれは返しとこ」
一旦取った皿をまたまたベルトコンベアーに載せます。
「すみませ〜ん。できるだけでいいんですけど、取った皿を戻すはちょっと・・・。他の客さんのこともありますから・・・」
などと、注意を受けつつ、安い皿ばかり重ねていきます。
「そろそろ、お腹一杯になってきたな」
と、言い合っていた頃、「事件」はおきました・・・。

続く


2009.4.27

目新しいモノや、人気のものにはあまり飛びつかないタチです。
ただ、結構お調子者なので、案外巻き込まれていることはありますわね。
しかも、目新しいものは慣れていないだけに、失敗も数々。

先日、「久しぶりに旨い寿司でも食べたいなぁ」と連れ合いと話していたときに、 ふと「回転(くるくる)寿司の悲劇」を思い出しました。

あれは、やっぱり大学生の頃か、卒業して間なしの頃でしょう。
大阪発らしい「回転すし」の店が、奈良大和路にもできました。

 いにしえの 奈良の都の八重桜 今日ここのへ(九重)に 匂いぬるかな

の、あの古都・奈良に似つかわしいとはとても思えない、見たことないハイカラなお寿司屋さん。

「いっぺん、どんなもんか、行ってみよか」
友人Bと連れ立って、早速出かけました。まだまだ、寿司の味などようわからん、 くちばしの黄色いヒヨコが、口だけは一丁前に「ここのネタは、味が悪い」とか評論家ぶっていたときです。
「だいたい、回転寿司って、なんや?」
「寿司が、くるくる回転するらしいで」
「寿司が回転? 皿が回ってんのか? 染の助染太郎みたいにか? 何のためにや? だいたい、食いにくいやんか」
「そらちゃうやろ。皿を載せた、テーブルが回ってるらしいわ」
「テーブルが回る? いよいよ食いにくい。よほどの動体視力が無いと、寿司つかまえられんでぇ」
「なんか、ちゃうこと想像してるみたいやけど、まぁ行ったらわかるやろ」

今でこそネットで色々調べられるんでしょうし、その前の時代は、雑誌で調べることもようあったんでしょうが、それよりもう少し前。
しかもそういうことには(どこが有名な店やとか、どこの服がええとか)とんと無頓着。
なにか、怖いもの見たさで出かけたものです。

「並んでるやん! やめよ」
「せっかく来たのに〜。これくらいええやん!」
「そうかて、並んで食うほどのモンかぁ?」
「そらわからんけど、百聞は一見にしかずや。せっかく、来たんやから、ちょっとくらい並んどこ」
渋々列に並ぶヨネやん。
「なんかなあ」

続く


2009.4.16

今年は、姪とごくごく親しい子どもとが2人とも無事志望校に入学しました。来年は、甥です。

真新しいランドセルを背負い、また大きくて不恰好な新品の制服に身を包み、進級した子ども達もどこか張り切って見える4月。
そんなときに、親子離れ離れになってしまった中学生がいました。カルデロンのりこさん。

ご両親が不法滞在ということで、国外追放されたのですね。法務大臣の腹一つで、どうにかなるのに。
この国は、海外からのそうした人々の労働を抜きにして、もはや成り立たない。
カルデロンさんのように長く、まじめに働いてきた方が、どうして「不法滞在」なのだろう?
「法律に違反している以上、仕方ない」
という意見もございましょう。
でも、例えば政治家と企業の贈収賄事件で、そのように法律どおりに厳しく罰せられたことがあるんやろうか?
やましいことがバレたときに、いつものように繰り返されるあの言葉。

「大切にお預かりしていた。お返しする」

バレなければ、ぽっぽに入れておくのに、バレたら返したからもういい。
そんな屁理屈が通るなら、万引きやら窃盗などという犯罪そのものがなくなりますわな。

「ちょっと、君。カバンの中を見せたまえ」
「えっ?」
「えっ?やあるかいな、万引きしたやろ?」
「このシャープペンですか? 大切にお預かりしていました。お返ししましょう」
「そうですか。ありがとう」
そんなことに、なるんですかねえ。

自転車の三人乗りは、道交法違反です(した)。
それを、法律がそうだからと、片っ端から検挙していたら、世のお母さんたちはどうなります?

男の方で、いまだかつて立小便をしたことない! という方、おられますか? 
これ、軽犯罪法違反でしょっぴくこともできますわね。

法律どおりやけど実態に合わへんから適用せん。法律が間違っているなら変える。
この同じ社会で一緒に暮らし、働き、生活している人を、「不法」と呼んで退去させるなんて! 
血も涙もないですな。
「偽装請負」だの「違法な派遣切り」をしている大企業の幹部の方々(しかも、がっぽり懐に入れている)を、早速法律違反で次次に検挙してほしいもんですね。
それをする気が無いなら、庶民にだけ居丈高に法律を振りかざして押し付けるのは、やめてほしいもんですわ。


2009.4.12

「危うく、入学辞退に!!」第4幕

寝過ごした上に、入学金を持ってらず、「何もかも終わった」状態のヨネやん。

「アカン、もうアカン・・・」茫然自失・・・。
力なく肩を落とした瞬間、目の前の学生課の係りの方が言いました。
「あきらめるのは、まだ早い! しっかりせんかい! ぼく、これだけ持ってるから」
と、財布の中身を見せてくれます。その方が続いて、叫びました!
「誰か、お金貸してくれへんか? この子が入学できんようになる!」

なんと、周りの大学職員やら教授やらに大声で、助けを求めてくれたのです。
「なんや、なんや、どうした?」
次々に人が集まり、くだんの学生か職員さんから事情を聞くなり、「よっしゃ! オレはこれだけある」
「ぼくもこれだけあるで」
なっ、なんと! 次々に、お金を出してくれるやないですか。

「ほんま、すんません」
すっかり青菜に塩。しょぼくれたヨネやん。
世間の風は、冷とうない!
世間様の ありがたさが 身に沁みる奈良の春

その職員さんの親切は、それだけに終わりません!

「よしっ! これで揃うた。後は、手続きや。もう、時間がないぞ。もっと、早う来たらええのに」
「すんません・・・」
もう、小さくなって、一寸法師状態です。
「まあ、ええわ。こっちで、入学手続きしてる間に、他の手続きを済ませてしまお! おーい、みんなこっちに来てくれ!」

ほんまは、番号が釣り下がった机を順番に回って、色んな手続きを済ませてしまわなアカンのです。
そやけど、時間がない。
もともと、ぎりぎりに飛び込んだのに、「あわや、入学辞退」という騒ぎで時間を取り、もう他の手続き所は店じまいを始めています。
番号札を取り払って、机をたたみ、金庫を閉めて・・・。

その人たちが「おーい、みんなこっちに来てくれ!」
という係りの人の声に反応し、次々に私の周りに集まってきました。
「書類をまず全部書いて」
「お金は、いくら持ってる?」
「お金を全部出してくれたら、こっちで清算して領収書を出すから」
「そっちはいくら? お釣りは?」

そら、心無い人が集まってたら、わたしが机の上に残らず出したお金を誤魔化す人もいるかもしれませんし、おつりを間違える人もいるかもしれません。
でも、後で落ち着いて計算したら、1円も狂っていなかったのです。
もちろん、不必要な手続きもしていませんでした。

「みなさん、ほんま、すんません」
ただ小さくなって頭を下げるしかない、18歳の未熟な私。
入学式は、とっくに始まっており、いや、始まっておりどころか、もう終わりそう・・・。

「よしっ!これで、全部終了や。無事、入学できたで!」
「ありがとうございます!」
もう、泣きそうな顔をしていたでしょう。

ほっとして、なんやら頭がくらくらします。
極度の緊張が緩んだせいか、はたまた夕べの二日酔いか・・・。
そして、ハタと気づきます。
・・・さっき、ぎょうさん人が来てくれてお金を貸してくれたけど、誰が、なんぼ貸してくれたんやろか。
しもた、何にもメモしてない。返せへんやんか!・・
・・
「すみません、だれにいくら返せばいいのでしょう?」
「ああ、大丈夫、こっちで控えてるから。僕のところに持ってきてくれたら、後でみんなに返しとくから」

何から何まで。ほんまに、すんません。

こうして、無事大学に入学できたわたし。
あのときの学生課のAさん。ほんまに、ありがとうございました。
Aさんのお陰で、入学できたんです。ぼくを起こして、自転車で運んでくれたB先輩も、ほんまにおおきに。
みなさん、お世話になりました! ありがとうございました。

問題は、そういう人様から受けた親切を、私が他の人にきちんと返せているか、ということです。
その当のご本人はもちろんですが、自分が受けた恩はまた別の人に返して行かんと、人生の帳尻が合わんようになる、と思っているところです。
でも、まだまだ修行がタリン!

さて、その後、大学生協の中にあった公衆電話から母親に電話し、お金の不足と親切な人たちからの借金を報告。
銀行口座も持っていないわたしだったので、次の日早速、なけなしのお金を持って、母と妹が奈良くんだりまでやってきました。
ついでに、男子寮も見学。
この時の記憶から、「ヨネは、入学式に母と妹を連れてきた」と勘違いしている先輩もいたのです。
先輩、その勘違いはおかしいで。
なんでや言うて、入学式の前の日、ぼくにお酒を飲ました一人が、ほかならぬ先輩やから。
1人で、泊まってましたやろ?

こうして入学式の出席しなかったわたしのことを、よーく覚えていて、2年以上後にぼくに雷を落とした教授もおられましたが、その話はいずれまた。

(「危うく、入学辞退に!!」の巻 これにて、全巻の終わりでございます)


2009.4.11

「危うく、入学辞退に!!」第3幕

男子寮に前泊したのはいいけれど、飲みすぎですっかり寝過ごし、あわや「入学辞退か?」という危機に直面したヨネやん。危機を救ってくれた恩人である先輩の自転車に乗せてもらい、「入学手続き」会場に滑り込んだのは、いいけれど・・・。

「あ〜、よかった! 間に合うたで」
ほっと胸をなでおろし、ふと見上げるその先に、見事に咲き誇る桜花。
「いよいよ、大学生活や!」
緊張した面持ちで、入学金支払いの1番窓口に行きます。
(窓口といっても、受付場所それぞれの机の上に、番号がぶら下がっているだけなのですが)

「ちょっと、遅いね」
と、係りの人に苦笑いされながら、言われます。
「それでは、入学金と申請書類を出してください」

おもむろに出したのは、入学金免除の書類。
「お父様がお亡くなりに?」
「いえ、元気です」
「それじゃあ、ちょっと無理ですね。授業料免除と違って、入学金はよほどの事情が無いと免除されません」
「でも、家の収入がこれだけしかないので・・・」
「そうですね、授業料は免除されるでしょう。でも、入学金は無理ですよ」
「えっ? つまり、お金を今ここで支払わないといけないんですか?」
「そうです。でも、君、もしかしてお金がない?」
「そうなんです!」
「それは、こちがえらいこっちゃがな。入学できませんよ」
「ええ〜!!!」
「全然?」
「はい。当然免除になると思うてましたんで」
「それは・・・・・。入学金を支払わないと、入学手続きが出来ないので、入学辞退になるんですよ」
「そ、そっ、そんな〜!!」

この時点で、顔は真っ青になっていたでしょう。
・・・どんだけ苦労して勉強してきたか・・・・
まあ、もともとおできになる方は、それほどの苦労もなく受験を乗り越えるのかもしれませんが、わたしのような凡人は、人一倍努力をしないと。
そんなことが、頭を駆け巡りつつ、
「家に帰って、どないいうて説明したらええんや?」
苦労して大学までやってくれた(はずの)親に合わす顔がありません。

そんなん、大学構内のキャッシュコーナーでおろしたらええのに。
と、若い方は思うでしょう。
しかし、まずキャッシュコーナーが大学構内やコンビニにあったり、そんなことは全くない時代。
いえ、そもそもコンビニが奈良にはなかったのですから。
「東京には、セブンイレブンとかいう、朝早うから、夜遅うまで開いてる店があるらしい」。
そんな噂話を聞いたのも、もう少し後。
次に、自分の口座を持っていない。
これは、根本的な問題だ〜! 自分の口座を持つのは、奨学金受け取りのために、入学後ようやく開設したのだ。
そして、万が一、口座があってカードを持っていたとしても、寝坊のためキャッシュコーナーまで走る時間が全くない!(銀行のキャッシュコーナーは、近鉄奈良駅前にしかない)

「アカン、もうアカン・・・」

果たして、この後どうなるのか? 次回のお楽しみ


2009.4.10

「危うく、入学辞退に!!」第2幕

男子寮の臨泊室に泊めてもらい、入学式に臨もうとした大学入学前の私。
先輩達の歓迎を受けて、お酒を飲み、夢の世界へ。

楽しい夢の世界を打ち破ったのは、またしても先輩だった。

ドドドドド、ガタッ、
「こら! ヨネ、起きんかい!」
まったく、いきなり入ってきて、何やこの人は?
「はい、なんですか?」
まったくの寝ぼけ顔で、頭も起きておらず、霞がかかったよう。
「何ですか? や、あるかいな。今日入学式やろ!」
「えっ? 入学式? 誰の?」
「お前のに、決まってるやないか」
「今日? 僕の入学式?」
どうやら、まだ脳の回路がつながっていないようです。夕べのお酒が残っているのかもしれません。
それでも、昔の真空管テレビが起動するように、徐々に回路がつながってきました。

「えらいこっちゃ! 先輩! すんません、何時ですか?」
「入学手続き、とっくに始まってんぞ! もう、とっくに、行ってるもんやと思うてたんやけど、『もしかして』と心配になってなあ。来てみてよかったわ」
「すんません、おおきに。えらいこっちゃがな〜」

脳の回路が猛烈に動き出します。おそらく、あまりの事態にショート寸前。
入学式くらいで、なにをそんな大げさな、と皆さんは思われるでしょう。
しかし、私たちの頃は、入学式の当日、式の直前にすべての入学手続きを済ませるのです。
入学金の支払いから、何から何までその日に。
つまり、入学式などどうでもええんですけど、入学手続きが出来ないと「入学辞退」になってしまうやないですか!

次の瞬間には、カバンを持って靴を履いています。
「自転車の後ろに乗れや」
「すんませーん」

うちの男子寮は大学のすぐ近くなんですが、大学の正門まで行くのがちょっと大変。
後々、寮から近い大学横手の塀を乗り越えることも多々あり。

先輩の自転車の荷台に乗り、まずは下り坂を一直線!
左へ90度曲がり、平地を一直線。
あっという間に、大学に着きます。

「先輩、何から何まで、ほんま、すんません!」
「そんなんええから、はよ行き!」
「おおきに〜」

と、先輩に手を振りつつ、親切な、いや入学辞退を免れた恩人へのお思いは裁ちがたいけれども、足は鋭く回転し、入学手続き会場へと突き進むのであった。

「間に合うた!」
すでに、人影はまばらなれども、入学手続きはまだ続いています。
「あ〜、よかった! まず、1番目の手続きは、『入学金』の支払いか・・・」

間に合ったというのは、実はとんでもない早合点。一難去ってまた一難。
どこに災難が転がっているか分からないこのご時世。
安心するのは、まだまだ早かったのであーる。
果たして、ヨネやんは無事入学できるのであろうか? 
ヨネやんの運命や如何に?


2009.4.8

桜満開の入学式は、久しぶりちゃう? と連れ合いと話していたのです。
最近は、地球温暖化のためでしょうが、3月中に散ってしまうことも珍しくなく、「桜の入学式」が珍しい。
もっとも、そういう地域に育ったからそんなイメージを持つのであって、もしかしたら「入学式といえば、雪」ということもあるかもしれません。

さて、今日は、その「入学」について。
お題は、「危うく、入学辞退に!!」

大学の入学式こと。
前泊して入学式に臨んだのですが、「旅館をとるほどでもないし、寮に泊まらせてくれるらしいで」と、男子寮に泊まらせてもらったのです。

高校を出たばかりのくりくり坊主が、入学式も済んでないのに1人で泊まりに来たのですから、それはそれは温かい歓迎を受けました。

(え〜、未成年はお酒を飲んだらアカンことになっているのですが・・・)
「どこから? 兵庫県? オレもや」
みたいな感じで、先輩方が次々と部屋にやってきます。手に手に酒を持って・・・。
「まあ、一杯行けや」
「はい、ありがとうございます!」

何せこの頃は、自分の酒の限界を知りませんから。「限界」を知らん、ちゅうのは、ほんまに恐ろしい。これは、部活動でも、車の運転でも、悪ふざけでも、同じやと思いますね。

どれだけなら飲める、これくらいの酔いやったら大丈夫、これ以上入れたらアカン、という体の限界・・・。
この日から、そう日を経ずして、まさに実感しようとは、まだこのときは気づいていない。

「なかなか、行けるやないか」
「いえ、そんなには」
などと言いつつ、同郷の先輩とのふるさと談義から、大学の講義のことから、クラブ活動の勧誘から、何から、話に花が咲き、酒もすすみます。

その内に、一人の先輩が、言います。
「おい、ヨネ。そろそろ、やめとけ。明日、入学式やろ?」
「はい、そうですけど・・・」
別の先輩は、
「大学はすぐそこや。大丈夫やって」
「いや、アカン。これくらいに、しとこ」
入寮後は、ついぞ聞かなかったであろう、「これくらいに、しとこ」という、自制の念が働いた、理性的なお言葉を頂戴し、そろそろお開きに。

「ほな、明日、がんばりや」
「はい!」

先輩方が部屋を出て行き、臨泊室の布団(前にお話した、決して綺麗とはいえない布団を敷いて、
「あ〜、おもろかった。寮生活が楽しみや」
と、呑気なことを(まだ現実を知らず・・・)思いながら、すぐに眠りの中へ。

しかし、これはまだ嵐の前の静けさ、ほんの第一幕なのであった・・・。
(続く)


2009.4.7

赤福の君、と私が勝手にお呼びしている方のお話を当サイトにてしましたところ、
「奈良の人やのに、しゃべりが東京弁になってるやん!」
と、あるブログファンの方(単なる昔の友人)から言われました。

そうなんです。かのおばあ様のお名前(苗字だけ)はしっかりと覚えていますし、 家の感じも何となく覚えているのですが、おばあ様の口調を書こうとすると、東京の方のようになってしまうのです。
奈良弁でしゃべっておられたとは、到底思えないのです。

おそらく、ついぞ聞いたことのない丁寧なお話のされ方だったので、頭の中の記憶がすっかり「標準語」に切り替わっているのでしょう。

「記憶」というのは、かくも曖昧なもの。夢夢、油断召されるな。


2009.3.28

奈良で、おばあ様のお話を伺っていたよ、パート3

食事のすぐ後なのに、伊勢の赤福を2こも食って、小さな胃袋が悲鳴をあげている、20代後半のわたし・・・。

「何を、若い人が! 3つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」
「いえ、もうお腹いっぱいですから。ほんまに」
「若いうちは、もうアカンと思うてから、まだまだ食べられるもんです」

人生訓としてなら、おばあ様のお言葉は大変ありがたい。
「若いうちの苦労は、買うてでもせえ」
と、言われますから。
でも、赤福餅をぎょうさん食べるこの苦労は、先々何か自分の人生にプラスになるんやろか?
いやいや、損か得か、プラスになるかマイナスか、そんなことで判断したらアカン! 
そう自分を納得させ、半分やけになり、
「ありがとうございます。あと、2こいただきます」
「よろしゅうに」

おもむろに、赤福を2こ口に入れ、あいかわらず硬いお餅を必死に噛み下し、ずしりとしたあんこをのどに詰まらせながらも、無事飲み込んだのであった。
(合計5個)

すでに限界は遠に過ぎている。気のせいか、足の痺れは感じなくなっていた。
もう麻痺してしまったのか、食べることにあまりに集中していたので、忘れていたのか、それは定かではない。

しかし、お腹はもうアカン!これ以上長居すると、胃の内容物が逆流する恐れ大!
(お食事中の方、申し訳ございません)
「では、これにて失礼します。長居をしてしまい、おやつもたくさん頂戴し、本当にありがとうございました」
「はいはい、お疲れ様」

逃げるように立ち去ろうとした時、すってんころり!
今頃になって、足の痺れが・・・。
そうか、お腹のケリがつきそうやから、こっちに意識が戻ったのか〜!

「あらあら、大丈夫? 若い方は、だらしないわね。あれくらいの正座で」
何か言おうにも、足がじんじんと、嫌〜な痺れ方で、ものが言えん!

ちくしょう!っと、おもむろに立ち上がり、にっこり笑って
「大丈夫です。失礼します」と、足早に立ち去ろうとする背中に届くおばあ様の元気な声。

「今度は、お団子にしましょう! お団子なら、もっと食べていただけるわね」

・・・・・・・・
「おだんご」という言葉さえ、体に入っていかない状態の私は、
意識がスッと遠のくのを感じながら、餅飯殿通りから、三条通を経て、小西通りのイズミヤへ駆け込んだのであった。
(餅飯殿通りという名前が、また腹いっぱいですがな)

後日、またまたちょっと干からびたお団子を山ほど食べさせていただいたのは、言うまでもない。

(赤福には罪はないけど、お腹はもうアカンの巻 これにて完!)


2009.3.27

奈良で、おばあ様のお話を伺っていたよ、パート2

おばあ様の客間に上がりこみ、じっとお話を聞いていた20代後半の私。

脂汗をたらしつつ、意識が遠のくのを感じながら、「いっそ、楽になりたい」―
そう、自暴自棄な考えが頭に浮かんだ頃、おばあ様が仰られました。
「そろそろ、おやつにしましょう」
「いえ、そんな。そこまで甘えるわけには・・・」
「何を、若い人が! 遠慮なんかしなさんな」

・・・甘いものは好きなれど、猛烈な足の痺れと、かしこまって聞いているために起こる全身の硬直に、耐え切れない・・・・

「さあ、これをお食べなさい」
出してくださったのは、名物伊勢の赤福。
(昨年いろいろありましたが、『白い恋人』にしろ『赤福』にしろ、報道がどうあれ、あまり気にしてません。
添加物偽装やBSE牛肉とかなら気にしますが。ちなみに、赤福餅は奥さんの大好物です)

「ありがとうございます。でも、ご飯を食べたばかりなので・・・」
「何を、若い人が! 遠慮なんかしなさんな」
「では、1つだけ」
もぐもぐ、んん? 硬い・・・。
そうです。ちょっとお日にちが経っていたようで、硬いのです。
でも、そんなことは、顔に出すわけにも行かず。
ようやく、飲み干したものを胃袋で感じながら「おいしかったです。ありがとうございました」
と、辞そうとした、そのときです!

「何を、若い人が! 1つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」
「いえ、もうお腹いっぱいですから」
「まだまだ、食べられます」
・・・人の腹なのに、なんでそこまで言い切るんでっか?・・・
「でも、食事をしたばかりですし」
「甘いものは、食べられます! さあ、さあ」

さあ、さあ、さあ! と迫り来るおばあ様のお勧めに抗しきれず、ついに折れるわたしの薄弱な意志。
「ありがとうございます。では、もう1こだけいただきます」
「1こずつなんて、小刻みなことせんと、2つくらい、いっぺんに食べなさい」
・・・なんと、あと2個いっぺんに食えと、この小柄な私に?・・・
しかし、おばあ様の目は、赤福をつまむであろう私の手にじっと注がれています ・・・
しゃあない!こうなったら!
意を決して、赤福餅を1こつまんで口に放り込み、さも美味しそうな顔をしながら、もぐもぐと必死に噛んで飲み込む辛さよ。
・・・アカン。お腹が一杯や。
足の痺れよりも、お腹の方が辛くなってきた・・・

「ほんま、おいしかったです。ありがとうございました。
それでは、長居してしまいましたから、そろそろお暇しますわ」
そのとき、おばあ様の目がきらりと光ったのを、確かに見ました。
「何を、若い人が! 2つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」

んぐぐぐ〜。まだ、食べろ、と? 
危うし!ヨネのお腹! この結末やいかに!

またまた、明日に続く!


2009.3.26

あるおばあ様に、何やら妙に気に入っていただいたて、ちょっと四苦八苦したこがありました。

あれは、20代後半の頃やろね。
奈良に住んでいたわたしの近所に、あるおばあ様がおられたとな。
何かで顔見知りになり、家に上げていただくようになったんです
。家が、さすが奈良と思わせる、古い木造家屋(平屋)で、木製の門をくぐって、庭のようなところを過ぎ、玄関を開けると、土間があります。
ここまで書くと、ものすごい立派な邸宅を想像されるかもしれませんが、そういう感じではありません。

「まあまあ、あがりなさい」
畳敷きの客間から、土間に立っているわたしに、声をかけてくださいます。
「いえいえ、そんな」
と言いつつも、次の瞬間にはあがりこんでいたのです。

「わたしはね・・・」
という身の上話から始まり・・・。
その方は、昭和天皇のときの皇后ともお付き合いが有る(と、その方が仰るには)そうで、
「おもう様、とお呼びしてます」(それが、どういう関係を呼ぶ言葉なのか、その当時も今も、よく分からないのですが)
「そうですか! やっぱり、奈良ですから、皇族とも縁があるんですねぇ」と、感心しつつ、
「はいはい」「そうですか!」「それはすごいですねぇ」と入れる相槌。
そのおはなしよりも気になるのは、さっきから痺れっぱなしの足。
「そろそろ、話は終わるかなあ。ちょうどキリがええときに、お暇しよ」
そう、思っても中々話の切れ目がない。
「ここが潮時や!」とわたしが判断した次の瞬間には、別の話題に移るおばあ様の話術の巧みさよ。
「わたしが、女学校に行っていた頃ね・・・」
「はい」
・・・もう、限界や・・・・
「私の生け花のお師匠さんがね・・・」
「ええ」
・・・もうアカン!・・・

明日に続く!

 


2009.3.24

ダイヤ乱れの続き。
私が利用してる駅の下りが、毎日遅れてるんです。
「○○線からの進入遅れのため」「○○線内お客様混雑のため」
朝は、毎日毎日、アナウンスしてます。それが、5分とか10分とか、結構な遅れなんです。
それ、思うんですけど、ダイヤに無理が有るんちゃいますか? 
毎日、遅れてるんですから。そもそも、遅れることを見越して、ダイヤ組んでくださいませんかね。

最寄のバス停の時刻表も、むちゃくちゃなんですよ。いつも遅れてるんです。
それが、毎日「この時間に来るヤツは、大体4分遅れるで」とか、
「この時間は、ちょうどくらいに来るで」とか、決まってるんですよ。
みんな、それを知ってますから、大体その時間に並びます。
しかも、しかーも、全然来うへん時間帯が有るのに、2台続けて来る時間も有るんでっせ〜!

それで、私なんぞはいつも思うんですが・・・。
「毎日、ダイヤが乱れてるんやから、現状に合うたダイヤに書き換えてや!」

ここいらの方は、辛抱強いのか、文句も言わずに並んでます。
このバス会社は結構横着で、乗客が詰めたらまだ乗れるのに、「詰めてください」
とも言わずに、満員通過するような運転手さんもちょこちょこおるんですわ。
雨の中、寒い寒いのに、時間通りに来んバスを「まだか、まだか」と指折り待ちながら、遠くにバスの姿が見えると、
「あ〜!やっと来た〜っ!」と救われた気分のとき。
バスがようやく、目の前に来ました。ところが、止まらんと行ってしまうんですよ!
そのバスは、ぎゅうぎゅうなのは、入り口付近だけでっせ! 後ろのほうは、空いてまんねん。
散々待たされた挙句、詰めたらまだまだ乗れるバスが、そうやっ
て満員通過してみなはれ、こっちは鶏冠(とさか)に来まっせぇ〜!

まだまだ修行がタリンとはおもうけれど、怒らなアカンときもありますわな。


2009.3.23.

今日は、強風で電車が止まっていました。
かなり迂回しないと会社にたどりつけないので、遅刻してしまったのです。
強風で止まるのは仕方ありません。
強風で走って、列車が落下した「余部鉄橋」の事故もありましたし。
それよりも最近目立つ「信号機故障のため」「車両点検のため」という電車の遅れ・・・。

国鉄がJRになって、「改革だ」と喜んでいた向きもありますが、車両や線路の保守点検の方は当時より相当数減らされているようです。
あの頃、「車両が○メートル行き過ぎてバックした!」とか、
「今日も、信号機故障!」などとやたらめったら、事あるごとにテレビや新聞で騒ぎ立てていましたが、今やったら、ニュースに困りませんよ。
大体毎日どこかでその手のことがありますから。
私が乗っている電車も、連日のようにとは言いませんが、行き過ぎてバックしたり、信号機故障・車両点検でストップしてまっせ。なんで、今は
ニュースで流さんのでしょうねぇ?

それに、あれはどうなったんでしょう? 
民営化したらどんだけ、サービスがようなるか、ちゅうお話の中で、「東京を走る中央線は、いつも殺人的なラッシュ。
民営化したら、中央線を複々線にします!」
いうてぶち上げてたはずやのに、あれはいつになったら実現するんですやろ? 
もう、20年から経ってまっせぇ。えらい長いことかかってまんなぁ。
まだ、構想を練ってはんのやろか?

素朴な疑問なんですけど、JRは民間の会社ですわね。
民間の新幹線を、なんで国民の税金で作るんでっか? 東武鉄道やら阪急電車やらの線路を、税金でつくってるんですかね? 地方は、これ以上新幹線の負担を分担できん! いうて、話
題になってましたが、そもそも何で税金でつくるんでしょう? 国営ですか? 

簡保の宿が話題になりましたね。
財産を、民間に一山いくらで投売りする、例のアレ。
1万円で買うて、3000万円で売ったとか、いろいろありました。
そんなん、わたしかて1万円やったら買うたのに、なんで教えてくれんかったんでしょうなぁ。
ほんま、惜しいことですわ。
明治時代の官有地払い下げと同じですな。国が作って、民間にタダ同然で譲り渡すっちゅう。
そうか! それで、「民間で出来ることは民間で!」いうて、やたらめったら騒いではった訳ですな。
一言で言うたら、「国民の財産を、民間(という名のごく一部大企業)に差し上げる」と。
なんや、それやったら、そう言うてくれはったらええのに。

とかなんとか、言うて、やっぱり休み明けは体がえらい、えらい。
なかなかエンジンがかかりまへん。

 


2009.3.20

先月、大学時代の友人が「八朔」(はっさく)を送ってくれました。
和歌山県で教員をやっていて、みかん農家に嫁いだダチです。
このブログも読んでくれているそうで、「おもしろいなぁ。
大学時代を思い出したわぁ。お店の名前とか、忘れてしもてて、このイニシャルはどこやったかな、とな。
思い出せへん。歳とったなあ」と、言うてました。

八朔は夫婦とも大好物なんで、いつも美味しくいただいているんですけど、みかん農家は労多くして見入りは少ない、ほんまに苦労なようです。 「輸入物に押されてんのに、この不景気やろ。やっぱり、食べんとこ、と思うやろからなぁ」

この前は、「青森りんごが、雹害で出荷できず。 りんご農家呆然」の記事を連れ合いと読んで、
「何か少しでも、役に立たんとなぁ」と「雹害りんご」を1ケースだけですが送ってもらいました。
家で毎朝果物ジュースを飲んでいるので、まったく何の問題もないりんごです。
それが、埋められたり、捨てなアカンやなんて。

我が家も、もともとは百姓ですから。
私ら兄弟妹も、田植えや稲刈りの時期、田舎に帰って手伝いと言うか邪魔と言うか、してました。
農家には、時給もベースアップも退職金もありませんわな。
苦労して育てたもんが、災害や病気で全部パーになることもあります。
でも、国民の大切な胃袋を預かってる、大事な仕事。
それを、「米、作るな」いうて減反を押し付けて(従わんとお米を作るもんには、ペナルティですから)、アメリカとかから輸入米をわざわざ買うやなんて・・・。
去年は、汚染米とか大分世間を騒がしましたが、あれも誤魔化しが多かったですねぇ。
まず、輸入義務という話。輸入した商社やのうて、それを買ったなんたらフーズとかいう小さな業者にだけ罪をかぶせて政府も商社も頬かむりした話。いつの間にか、何も解決してないのに輸入再開した話(そういう話は、BSE牛肉のと気もまったく同じでしたね)。

連れ合いともよく話しているのは、やっぱり地産地消。
子どもらの給食の食材を輸入の安いものにするのは、ほんまに怖い。地元の食材でええやないですか。
地球温暖化とかエコとかいうてるんやったら、なんで石油だのガソリンを撒き散らして、遥か彼方から食品を持ってこなあきませんねん。できるだけ地元のものを地元で消費したら、ほんまにエコです。
テレビのグルメツアーとか、大食い選手権とか(さすがにひところより減ってるようですが)、もう、そろそろ止めましょう。この日本で餓死してる人もおるのに。世界に目を向けたらもっともっと。

地元の農産物を、地元の消費者が作っていく。安心安全で美味しいものを、みんなで作っていきましょう。


2009.3.18

今日は、うちの母親の話です。まあ、ちょっと聞いてくださいませんか?

よう、しゃべるんですわ! しかも、話が要領をえんし、長〜い長い!
私ら夫婦も家におることがあんまりない(仕事も夜遅いですし)もんですから、何かの用があって我が家に電話してきたときは、留守番電話が対応します。
そこに、吹き込むんですけど、長々としゃべるもんやから、すぐに時間オーバーで切れてしまう。
それでまた電話して吹き込む、っちゅう繰り返しです。
例えば、ある時。

「あっ!留守番電話が点滅してるわ!誰やろ? ポチっと・・・」

<< 新しい一般録音は、3件です。3月18日、午後2時45分>>
「もしもし、お母さん。今日はなんや、あったかかかったなぁ。
いやいや、暑い暑い、ぶるぶる汗かいたで。東京はどう? 
いやいや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ・・・。そうやそうや、それがなぁとちがう。
えらいこっちゃ、忘れるとこやった! この前、ありがとう! ほんま、助かったわぁ。
すぐに電話しよう、しよう、と思てたのに、なんやかんやあってなぁ。いや、それが」

プツっ・・・・・・。

なんのこっちゃ、さっぱりわからんやんか。今日のえらいことはなんやったんや。
その後、何か言うてた、なんやかんやのえらいことっちゅうのは、またなんやったんかいな? 
あと、2件もお母ちゃんとちゃうんかいな? 

<<2番目のメッセージです。3月18日、午後2時50分>>
・・・やっぱり、この時間やったら、まず間違いないでぇ!

「もしもし、お母さん。」
・・・ほれ、見てみぃ!やっぱりな。
「いや、さっき電話したのに、すぐに切れてしもて、ほとんどしゃべれんかったわぁ。」
・・・十分しゃべってたでぇ。
「いやいや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ、診療所の前でな、朝おったらなぁ。あはははは。ああ、おかしい!」
・・・そやから、その「おかしいこと」を教えてんかいなぁ。
「今朝からな、一人で笑てたんや。あははははは。いやっ!そうやそうや。
忘れるとこやった! えらいこっちゃ〜。この前は、ありがとう!」
・・・そこも、聞いたで。そっちは、ええから今日の話を、お願い!
「みんな、喜んどったったでぇ。ほんまに、ありがとう。感謝します。
みんな、言うたらな、いや、これは関係ないんやけど、ほんま業わく業わく! 思い出しても、腹立つわ!」
・・・また、新しい話題か! 最初に戻って戻って!
「いや、それがな、先月やったか、先々月やっ」

プツっ・・・・・・。

・・・そやから、言うてるのに〜! 切れてしもたやんかいな。
第3の話題の方は、また今度にして、第2の話題も横に置いといて、最初の「今日のえらいこと」を教えてんかぁ!

<<3番目のメッセージです。3月18日、午後2時55分>>
・・・やっぱり、3件目もお母ちゃんやんか。

「もしもしぃ、なんや、すぐに切れてしまうから、もう、しゃべれへん!」
・・・そこを言うてたら、時間が来てしまう!
「もしもし、お母ちゃん!」
・・・また、そこからまた始めるんか〜!
「いや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ、診療所の前でな、朝おったらなぁ。あはははは。ああ、おかしい!今思い出してもおかしいわぁ。」
・・・頼むから、そこは飛ばして、要点を教えて!
「朝起きてな、診療所に行ってな。それがまた早うから、並んどってんやがな。
みんな。おじいさんとおばあさんやがな。
それが、自分の方がおじいさんの癖して、『おい、おばはん!』とか呼ぶもんやから、知らん振りしとったんや。
ほしたらまた、『おい、おばはん!』とか言うから、また知らん振りして、また『ちょっとそこの、おばさん!』言うから、頭来て、『わたしは、アンタのおばはんとちゃうわ! アンタにおばはんと呼ばれるほど歳取ってないわっ、いうて言うちゃった。
ほな、『えらい、すんまへん』やて。謝まるんやったら、最初っから言わんかったらええのに」
・・・今日のえらいことは、それやったんか? それにしては、「ああ、おかしい!」とか言うて、笑うてたのに。
「いやいや、それが言いたいんとちゃう!」
・・・留守番電話が、僕の独り言に応答してるで! こっちのほうがビックリや!

【おい、いつまでしゃべっとんどいや! 隣保の寄り合いに行くど】
ここで、お父ちゃんの怒鳴り声入る。
「えっ? ああ、わかっとう、わかっとう! まだ、そんな急がんでもええのに。
お父さんは、ほんまにせっかちなんや。この前もな」
・・・話はそっといに行かんといて、もう、切れてしまうで!

【靴下、どこや〜】
・・・お父ちゃんも、靴下くらい自分で仕舞うとけっっちゅうんや!
「ハイ!ハイ! もう、うるさい、うるさい! ごめんな、またかけるわ、お父さんがうるさいから」

プツっ・・・・・・。

ツーツーツーツー。

結局、「その日あった(えらいこと)」も「僕のことから、話題が移った(なんやかんやあったこと)」も、「ほんま(業わくこと)」も、「お父ちゃんのこの前の(せっかちなこと)」も、何一つとして解明されなかったのである。

後日、「あの時、何が言いたかったん?」と聞くと、
「あの時って、いつ?」
「ほら、留守番電話に何回も吹き込んで、時間切れになってしもたやつ」
「そんなこと、あったかいな。忘れてしもた。忘れるくらいやから、まあ、大したことないやろ。知らんけど」

4つの事件の糸は、ここでぷっつりと切れてしまった。
何ら手がかりの得られぬまま、事件は4つとも、ここにめでたく揃いも揃って迷宮入りしたのである。

我が家の留守番電話は、今日も今日とて、お母ちゃんからの、長長として、要領を得ない話を次々に黙って飲み込むのだ。
結論には一切たどり着けないもどかしさも、留守番電話にとっては有る意味、楽しいことなのかもしれない。
ああ、留守番電話よ、お仕事お疲れ様!


2009.3.13

ネコ事件その3

ネコにおしっこをされ、自分の布団は雨に濡れてしまったので、臨泊室で借りた布団で何日か寝ていたわたし。

「雨ばっかりやなあ。寒いしなぁ。そろそろ自分の布団で寝たいわ」
そう思っていたとき、あまりに寒いので小便が近くなり、トイレに行きました(もちろん、共用)。
ちなみに、2階へ上がる階段は、トイレの前にあったのです。
昔の木造校舎の階段みたいに、手すりの大きな幅広の階段です。

自分の部屋から出て、トイレに近づいたとき、例の布団を取り入れてくださった先輩がちょうどトイレから出てきました。
「あっ、先輩。この前は、ありがとうございました」
「ああ、別にええけど。それより、この布団(トイレ前の階段の手すりにあり)、 いつまでここに干しとくんや」
「雨ばっかりですから、取り込めんのですわ」
「ここに干してたらな、みんな、トイレから出てきて、ヨネの布団で手ぇ拭いてるど」
「えぇ〜えっ! 僕の布団が、便所のお手拭になってるんですか〜!」
がっくり。
ネコに小便され、外に干したら雨に降られ、中に取り込んだらお手拭になり・・・、あ〜哀れな布団よ。君を泣く・・・。

そんな布団なんか、捨てたらええのに、と思われるでしょう。
でも、私にとっては貴重な財産。寮に入るに当たって持参したのは、布団と洗面用具などだけ。
「あとは、先輩が貸してくれる」
の言葉に素直に従い、しかも日々それを実践しつつ、生きてきたのです。

この布団は、捨てられん!
雨が上がった次の日、早速布団を干し、講義など行っている場合ではない!とばかり、布団を監視しつつ、裏返し、もう一度また裏返し、ちょっと表面を石鹸水でふいてみたり・・・、
「あ〜、忙しい、忙しい。ネコの手も借りたい」
などと、一人で洒落を飛ばしながら、延々と干し続けたわたし。

「これで殺菌も出来たやろ」
何の根拠もなくそう思った(思い込もうとした)わたしは、以後そのネコ布団をずっと使い続けたのであった。

実は、ネコ事件にはまだまだ続きがあります。でも、今日はこの辺でお開きにしましょう。


2009.3.12

「ネコ事件」その2

ネコのおしっこでしっぽりと濡れた布団と、その上でじっと寒さに震えながら寝ていた大学生の私・・・。

「なんじゃ、こりゃぁ〜!」
と叫び声を上げ、同時に臭いに気づきます。
「むむむ、臭い、匂うぞ! 何やら、事件の臭いがする。分かった!ネコや〜!」
ネコ部屋と化した男子寮談話室のドアを開けたときの臭いそのままが、まさか自分の布団から匂ってくるとは・・・。
ネコが勝手にこの部屋に入り込んで、勝手に私の布団にもぐりこみ、勝手にお小水をお出しになった・・・。
一方、蚤を大発生させた無責任なネコ飼い人たちが、他人の部屋でネコを可愛がったあげく、私の布団で遊んでいた「事件」の可能性もある。
事故と事件の両方の可能性を、慎重に見極めなければならぬ。んんん〜む。
とか、気取ってる場合やないやろっちゅうねん! どないすんねん、このネコ臭い布団!
その夜は、仕方が無いので、布団無し。厚着をした上で、毛布に包まって、眠れぬ夜を過ごしました。

翌朝、燦燦と太陽が輝く、すがすがしい大和路。
「そうだ、京都行こう! ちゃうがな、そうや、布団を干そう!」
寮の中庭にある物干し台に布団をかけ、ネコのおしっこと臭いが取れるように祈りながら、大学へと向ったわたし。
しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかったのである。

大学の講義を終え、クラブの練習をし、アルバイトから帰ってきた夜遅く、先輩から声をかけられました。
「ヨネ、お前、布団を干したままやったやろ。雨が降ってきたから、中に入れといたぞ!」
「あっ」
そうなんです。夕方くらいに雨が降って来て、しばらくしとしとと降り続けていたんです。
空を見上げて、「雨か〜。いややなぁ」とつぶやいたときに、何やら妙な違和感があったのです。何か重大なことがあったような・・・。ん〜? まっ、ええか。思い出せんのやから、大したことないやろ。そう思い込んだ自分が恨めしい。

「すみませんでした。ありがとうございます」
「ええけど、大分濡れたぞ。階段の手すりに干しといたから」
「ほんま、すみません!」
私のネコ布団は、寮の2階へとあがる階段の手すりに干してありました。
「あ〜あ、これやったら、今日も布団を使えへんがな。しゃあない、臨泊室の布団をしばらく借りよ」

(注意)臨泊室とは、ベロベロに酔った学生が放り込まれる部屋、外部から来た学生を泊める部屋ことで、そこの布団は汚物にまみれることもしばしばあり、決して美しいとは言えない。

その日からしばらく雨が続き、ネコ布団は外の太陽で干せないまま、階段の手すりにそのままずっと干してあった。そのことが、第3の悲劇を招こうとは、この時点では御釈迦さんでも予想できなかったであろう。

続きは明日!


2009.3.8

以前、噛まないはずの犬に噛まれた事件をお知らせしました。
今日、図々しくも家に入ってきたネコを見て、「ネコ事件」を久々に思い出しましたぜ。

まず、今日のネコ。前から、家の前にちょこんと座ってこっちの様子を伺ってるなぁ、と思ってたんですよ。
つい先日も奥さんが「ネコが、わざわざドアの前を行ったり来たりして、ちらちら中の様子を見てるんや」と言うてたんですよ。
そしたら、ついに「ぽんっ!」と玄関に飛び乗って、上に上がってきました。
「ここは、あんたの家とちゃうよ〜」。

あれは、大学生の頃。前にも申し上げたように、男子寮に住んでいたわたし。
そう、1回生のときやったね。
近所の人が、ネコを捨てに来るんですよ、寮に。 敷地広いですしね。
昼間は、人がまばらですから、捨てやすいでしょう。
そやけど、捨てられた側はたまりません。
また、それをよせばいいのに、飼うヤツがおるんですよ。責任も持てんのに。
結局、蚤が大発生して、生まれて初めて蚤に噛まれました。
昔の人ならいざ知らず、なんで蚤に噛まれんとアカンのんですか。
不埒な連中がネコを飼っていた部屋は、蚤部屋と化しました。
その部屋のドアを開けて、中に入った途端、わっっと蚤がたかるのがわかるんですよ、足にね。
そんなことを描いていたら、なんやら、痒くなってきました。

これがネコ事件?
いえいえ、まだまだ前振りですわ。
あの時、ネコを飼っていたり、可愛がっている連中は、なぜかアルバイトにもいそしんでいない暇な奴が多かったんですかねぇ、人の部屋に猫を持ち込んで可愛がってたりするんですよ。
ミルク上げたり・・・。何でか、「自分の部屋」では世話をしないんですよ。

そいつらが私らの部屋でネコを可愛がった挙句、2段ベッドの下にあった私の布団にくるんだりして、遊んでたらしい。そんなことは、後で分かったんですけどね。
散々、ネコと遊んで自分の部屋に戻ったそいつら。
私は、夜遅くに、疲れてアルバイトから帰って来ますわな。
その時間、寮のシャワーは、もう出ません。銭湯も近くにあるんですけど、やっぱりぎりぎりの時間。
疲れてるし、きょうはもうえええか。
「ああ、疲れた。今日は、もう寝よ」
そうやって、布団に入って、しばらくしたその時です。

「んんっ? 今日はやけに布団が冷たいなぁ。
でも、中々布団があったまらん時もあるし、やっぱり風呂に入ってないから、身体が心から冷えてるんかいなぁ?」

と、気を取り直して、もう一度寝なおそうとしました。
しばらく目をつむって・・・。

「あれ? それにしても、いつまでもぬくうならんなぁ。おかしいな、んん?」
と、思い切って起き上がり、布団をめくったその時、私が目にした物は!

ふとんに広がる、世界地図、いえネコの縄張り地図・・・・・・。

「なっ、なんじゃ、こりゃー!」
と、松田優作みたいな声を上げたのは、言うまでもありません。

ネコが私の布団で気持ちよくおしっこをしていたのです!
しかも、しかーも、私はその上でしばらく寝ていたのです!

この話はまだこれでおわりではない、まだまだ続く。


2009.3.7

先日、重松清さんの『きみのともだち』をお勧めしました。
この本は、誰しもが持っている(特に子どものときに)、自己中心的なところ、 意地悪なところ、心とは裏腹なことを言ってしまうところ、責任転嫁をするところ、などなどがリアルに描かれていて、「でも、ちょっと待って」と言っているように思います。

ちょっと待って、その、ちょっとした意地悪が、その子にとってどれほど大きななことなんだろう、その子が「うん、わかった」と言ったことが実はどれほどの重みを持っているのだろう、それでも人間って捨てたもんじゃないぞ、と。

荻原浩さんも、私たち夫婦の大のお気に入り作家です。
『誘拐ラプソディ』『メリーゴーランド』『神様からひと言』『母恋旅烏』『オロロ畑でつかまえて』など色々お勧めですが、今日は『僕たちの戦争』をお勧めします。

タイムスリップして・・・、というと「ありがちな設定」と思われるかもしれません。
でも、現代の若者が「あの戦争のときの、この雰囲気・流れ・プロパガンダに乗れるの?」と、「笑い」の中で問いかけていると思うのです。「笑い」というのが、とっても大切!
その時代・時代に、強力に宣伝されることを、ちょっと離れたところから笑い飛ばしてみると、案外真実が見えてくることが多いですね。
『僕たちの戦争』は、もっともっと読まれていい作品だと思います。


2009.3.4

先月、『おくりびと』と『つみきのいえ』がアカデミー賞を取りましたね。
まあ、賞というモノにはあまり関心が無いのですが、『おくりびと』は実際に観た人から「あれは、ええで」と勧められていたので、「観たいみんや」と改めて思いました。
『つみきのいえ』は、全くその存在さえ知らなかったのです。
『つみきのいえ』? ああ、娘が非行に走るヤツやろ? 
それは、『つみきくずし』やっちゅうねん!(不勉強で申し訳ありません)
でも、断片的に流れる映像やあらすじを見ると、観てみたい気がむらむらと起こります。

去年観た映画の中で、「良かったな〜」と全く個人的に思っているのが、『きみのともだち』。
重松清さんの原作もお勧めですが、映画もとても好感が持てました。
予算が豊富ではないんやろな、と思わせるのですが、その中で美しい映像に仕上げていたのではないかと思います。物語のピンともあっているように感じました。
重松清さんも同年輩ですが、『半パンデイズ』とか『きよしこ』『口笛番長』『流星ワゴン』などなど、心に残る作品をたくさん出しています。
ちょっと出し過ぎかも・・・。『青い鳥』は、映画も悪くは無かったですが、原作本のほうがお勧めでした。

あと、『クライマーズハイ』。これは、横山秀夫さんの原作も映画もお勧めです。
原作よりも、映画の方が墜落原因への疑問が色濃く出ていて、分かりやすいと思います。
横山秀夫さんは、あと『出口のない海』。これは、映画よりも原作の方が断然良いと、勝手に思っています。
もちろん、大分前に彼の原作を三枝義浩さんが漫画化した『語り継がれる戦争の記憶』シリーズもぜひお勧めです。

日航ジャンボ機墜落は、また書くこともあるかも知れませんが、乗客は「殺された」のだと思います。
誰に?・・・・。
「悲惨な事故」というと、それだけで考える力がストップしてしまいます。
「100年に一度の不況」というと、まるで大災害だから仕方ない(責任無い)と、感じるのと同じようなもの。


2009.3.2

まだまだ続く、電話の話。
今度は、こっちの間違い。
今は、電話機や携帯に相手方の電話番号とか登録してますから、そんなことはないんでしょうが、昔はアドレス帳を見ながら、電話してましたよね。いくら、まだまだ目がええ若い時分やいうても、アドレス帳は、罫が細いんです。
上下との区別が付きにくいんですよ、定規とか当てとかんと。
おまけに、学生のころなんかは、電話に出るのが、親やったり、下宿屋のおばさんやったりしますから、ややこしい。
学生時代のあるとき、電話室の公衆電話で電話を掛けてました。
アドレス帳を見ながら・・・呼び出し音が鳴ってる最中に、先輩が部屋に入ってきたもので、
「こんにちは! どないしたんです?おめかしして」
とか、受話器を耳と方の間に挟んだまま挨拶してたんです。すると、
「もしもし」
と、相手方が出ました。
慌てて、「はい、米山です!」と、まるで向こうからかけてきたみたいに、元気よく電話に出て、そこでハタと気づきました。
「そうや、こっちから電話したんやった。でも、誰にかけたんやろ? 
アカン、アドレス帳から目を離したから、誰にかけたんか分からんように、なってしもた! えらいこっちゃあ〜!」
「もしもし!もしもし! どちらさんですか?もしもし!」
「はい、米山です。あのう、そちらさんは、どなたですか?」
「はぁ?? いたずら電話かいな。ほんまに、失礼やな!」
ガチャッ、ツーツーツー・・・。
冷や汗モノです。
恥ずかしさのあまり、結局、誰に何の用事で電話をしようとしたのかさえ忘れてしまい、あとから、
「クラブの連絡が回ってこうへんかったぞ!」
という怒りを呼ぶことになるのです。
あの時電話してしまった方、決していたずら電話ではありません。御容赦ください。



2009.3.1

電話の話続き。
年末に、関西方面のお婆さまからの、留守番電話の話をここにのっけていましたら、神戸の親友が読んでくれていて(前に紹介した、酒屋をやっている友人です)
「いやぁ、時々ブログ読んでるけど、おもろいなぁ。この前の、間違い電話の話、よかったでぇ」
とのこと。
「あんなことなぁ、うちでもあるんや、間違い電話。それだけにおもろかったわぁ。
年末にもな、おばあさんから電話が掛かってきて、
『ちょっと、正月の間、止めといて!』って、突然言うねん。
「はぁ? あの、なにを止めるんでしょうか?」
『いつも来てるヤツやんか!』
「えぇ〜と、お米ですか?醤油ですか?灯油ですか?」
「ちゃうがな!なに言うてんねん! ふざけてんの? 新聞や、新聞! お宅から来てる、いつものヤツや! 新聞です!」
「あのう。すみません、うちは酒屋ですけど・・・」
「えっ? 酒屋が、新聞も配ってんの?」
「そんなわけないでしょ。新聞屋さんと間違えて、酒屋にお電話されてるんですわ」
「なんや!ほんまに、ややこしい、ややこしい。もっと、はよ教えてんか!」
ガチャッ、ツーツーツー。
これやがな。言いたいことだけ言うて切るよって、こっちの言いたいことはたまったまんまや。
暮れの忙しいときに、ほんまになぁ・・・」


2009.2.28

またまた、電話の話。
どうも電話ではトラブルが多いですな。
3年位前にも、このようなお電話がありました。

「もしもし、本の注文をお願いします」
「ありがとうございます。どの本がよろしいでしょうか?」
「『どんどこももんちゃん』『うごいちゃダメ』『もこもこもこ』・・・」
5〜6点おっしゃったのですが、全部他社さんの本でした・・・。
「すみません、それは全部うちの本ではないのですが・・」
「えっ? 売ってくれないんですか? もう、絶版ですか?」
「いえ、絶版ではありません。でも、うちが出している本ではないので・・・」
「絶版ではないのに、売れないんですか? 売ってはいけないんですか?」
「いえ、売っていますよ。本屋さんでは。でも、うちは出版社なものですから・・・」
「自分ところの本しか売りたくないと、そういう了見ですか? 売れない本を本で紹介しているんですか!」
「いえ、あの、つまり・・・、どのように御説明すればいいのやら・・・」

つまり、この方は、出版社を書店さん(もしくは、通販)と間違えているのです。
次に、うちで出版した『えほん 子どものための300冊』(日本子どもの本研究会)という、お勧め絵本のリストをご覧になって、「一声社に申し込めば、これらの本を販売してくれる」と、思っていらっしゃるのですね。
うちの本を読み込んでいただいたのは本当にありがたい、でもあちこちから取り寄せて売ることなどできないし、リストは通販カタログではないし・・・。

ごくたまにですが、出版社を書店と思っておられる方からの同様のお電話があります。
つい先日も、「紙芝居の舞台を売ってください」と言われ、「うちでは扱ってないのですが、A社さんかB社さんなら売っておられますよ」と、親切のつもりでお教えしました。
ところが、「じゃあ、電話番号を控えます」と言われ、沈黙されました。
内心・・、
「『申し訳ないですが、そこの電話番号はわかりますか?』
といわれれば、ちょっとお待ちください、と調べて教えてあげてもいいけど、104じゃないしなあ。
教えるのが当然と思われても・・・」
と、思ったので、
「すみません、うちも同じ出版社なので、お調べしないとすぐには分からないのですが・・・」
「取引してないのですか?」
「ええ、同じ出版社ですから」
「もう、いいです!」
ガチャッ、ツーツーツー・・・・。
「もしもし」・・・・・・

お電話いただいた方、決して意地悪でお教えしなかったわけではないんです。
きっと、やっぱり書店さんと間違えて、
「本も売ってるし、紙芝居の舞台も売ってる。なかったら、取り寄せてくれるか、最低限連絡先を教えてくれる」
と、思っておられたのだと思います。


2009.2.27

イラストレーターの鈴木あきこさんが来社されました。
今度の新刊の絵を描いていただいています。乞うご期待!
鈴木さんは(おっと、この前北海道から会社に来られた方は、鈴木隆一さん)、
「アトリエ・リュミエール」という造形教室を主宰、主婦の友社さんから『いろいろ へんしん!』という絵本も出しています。
こちらが、ホームページです

鈴木さんは京都出身なのと、うちの奥さんと同年輩なのと、悩める中学2年生(うちの場合は甥っ子)がおられるのと、などなどで、とても親近感があります。
今日も今日とて、
「うちの甥っ子は、今日がテスト最終日です」
「うちは、昨日終わりました。テスト中なのに夜の9時まで、なんにも勉強してへんのですよ」
「うちも、祖母宅でずっとテレビを観ていて、お母さんに雷を落とされてましたでぇ」
「余裕があるのか、勉強してる周りをあまり見てないのか、我が道を行っているのか・・・」
「テストが返ってきたらちょっとは焦ると思うたんですけど、あんまり焦らないですね。試験勉強も、腕を組んでノートを眺めたら、終わりやったりしますからね」
・・・・・
などなど、と話は尽きず。
ついでに、子どもを切り捨てて行くような、教育に怒り心頭。
「小学生や中学生の頃で、何が決まりますねん! 人生これからでしょう。
それを、中学でこの成績を取らんとこの高校には行けん、この高校に行かんと大学進学はあきらめましょ、みたいな、それはおかしいんちゃいます?」

私らの中学時代がまさにそれですわ。
1年生のしょっぱなからテスト・テストで、テキテストのたびに偏差値表を付けて、
「うちの中学校で、何番以内はN高校、次の何番以内はH高校・・・」
いうて、みんな決まってますねん。
校則も厳しかったですし、教師に平手打ちされましたしね。
男子はみんな丸刈りですよ。手のひらを頭に乗せて、髪の毛が指の間から出たら、校則違反!ですわ。

奈良県でも、僕らと全く同じ目に合うてた子(全員丸刈り)が、高校生になってから言うてました。
「ヨネちゃん、知ってる? 僕らが中学校の修学旅行に行ったときなぁ。
バスでホテルについて、みんなぞろぞろぞろぞろ降りるやん。
大きなカバン提げて。みんな制服やろ? 
ほんなら、ホテルの玄関でお辞儀して出迎えてたおばちゃんが、終い目に言うてたもん。
『いやぁ〜、ここの中学校の生徒さんは、野球部ばっかりねぇ。みんな学生服着て、丸坊主にして。いやあ、感心感心』
ってなあ。 ちゃうわ! 僕は、郷土研究部やっちゅうんや!」

「外出時は、制服着用のこと」
そんな校則があったんですよ。僕らの中学校にも。
「生徒だけで外出したときは、日没までに帰宅せよ」
つまりですな。冬やったら、えらい早い時間に日が沈みますから、はよ帰らなアカンちゅうわけですわ。
これ、考えたらおかしいですわ。
夏の方が解放的で、非行に走る、とか言うんやったら、まだわかる気もしますけど、夏は遅く、冬ははよ帰れ!ってどういう理屈ですか?
あんた、シベリアとかにすんでたら、夏は白夜で日が沈みまへんで。一日中、家に帰られへんがな。

祭りの日は、教師がうようよと見回ってます。あちこちで見かけるんですわ。
「お〜い! ヨネ! そろそろ日が沈むぞ! はよ帰れよ!」
って、夜になったら狼男にでも変身するんですか、っちゅうんです。

もっとも、大学になってから、愛知県出身者に高校の校則を聞いたとき、「ぼくなんぞは、まだまだ甘い。
いやあ、ビックリには限度がないなぁ」と、正味ビックリ!

今日の格言

井の中の蛙 大海知らず
(そんな政治家の方々が、ぎょうさんテレビに出てますなぁ)

そういえば、最近「怒りを通り越して笑っちゃう」とか言うてた、かの御仁を見るたびに、孔子先生の次の言葉を思い出します。

巧言令色鮮なし仁


2009.2.26

先日、年越し派遣村について書きましたが、派遣村村長の湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)は、ぜひ読んでいただきたい本です。
一緒に、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』(岩波新書)、阿部彩さんの『子どもの貧困』(岩波新書)も合わせてどうぞ。
ひと頃、「格差」という言葉が言われました。
しかし、今問題になっているのは「格差」ではなく「貧困」だ、ということがこれらの本を読むと良く分かります。
「格差」というと、「それは、仕方ない」というところに行き着く。
でも、「貧困」が問題になっているとなるといかがでしょう?

『子どもの貧困』には、虐待や非行等と貧困との関連が書かれていて、そうした問題(関連)に目をつぶってきたのでは無いか? と問題提起しています。

さて、厚生労働省が「これからは、保育所を自由に選べる」ようにするらしい。
「自宅近くの保育園」や「サービスのいい保育園」を「自由」に選べる、のだとか・・・。
でも、こういう経済状況で、共働き、一人親家庭も多く、まして祖父母の協力も難しいご家庭にとって、まずは何よりも、
「保育園にどうしても預けないと、働くことさえ出来なくなる」「お受験用の保育がどうとか言うよりも、まずは安心」
という切羽詰って状況なのでは?

規制緩和が喧しい頃、「サービスを自由に選べる」というのが大流行。
タクシーもどんどん増車されました。それで、サービスは良くなりましたか? 
タクシー運転手の方の年収が激減し(不況もあり)、
「どんどん乗せて、次々降ろし、また乗せて」
という営業で、交通事故も増えました。
ご自分が事故にあわないまでも、乗っていて「危ない」と感じた方も少なく無いと思います。

結局、お金のある方は、今でも自由に何でも選んでいますよね(制度を変えなくても)。
医療だって、教育だって、文化・スポーツも。行政がすべきことを捨てて、「自由」に任せて、その結果が今の大不況なのでは?
子どもの貧困で深刻なのは、税の再分配以降に格差が拡大する、という日本の実態。
本来、税金で手当てすべき層からさらに取り立てる、病人の布団さえ引っぺがす、そんな感じですなぁ。
セイフティーネットどころか、下に針山か五寸釘なんかを置いて、「自己責任で、この綱を渡れ」とケツを叩いているようなもの。
しかも、綱は自分持ち。
富裕層は、材質も丈夫で太く、何本も渡してある。
ロープウェイだって付いているかも。下には、安全なネットあり。
貧困層は、安いビニール紐かなんかを、自分でより合わせてますな。下にあるのは・・・・。
それを、
「渡れないのは、自分が悪いのだ」
とテレビでまくし立てている方がおられるんですが、それは現実をご存じなさ過ぎると思います。


2009.2.24

藤田浩子さんが風邪のためにお声の調子が悪いとき、お電話でお声を聞いていますと、時々なにやら妙に艶っぽいお声に聞こえるときがあったのです。
「藤田さん、そのお声を逆手にとって、艶話をなさると、妙に雰囲気が出るかもしれませんぜ」
と、進言したのです。
それにお返事をパソコンにて書かれたとき、次のようなことになったそうです。
「『艶っぽく話をする元気なし・・・』と書こうとしたら、パソコンの具合で
『通夜っぽく話をする元気なし・・・』になってしまいました」
恐るべしパソコン。
変換ミスのおもしろバージョンコンテストみたいなものもありますが、「おもしろい」では済まない相手の場合もありますね。
もっとも、パソコンだけの責任にするのはいかがなものか? 敬語のいい間違いは、結構日常茶飯事。
そういうと、「若い人は・・・」という話しに行きがちですが、それもいかがなものでしょう?

まず、社会に出るまでは丁寧語あたりは別にして、がちがちの敬語がほとんど必要ない世界に生きていますから、慣れないのはアル意味仕方なし。
それを、社会人になったからと、一生懸命使おうと努力するところに悲喜劇があります。
ある取引先の若い方と電話でお話しているときに、
「それは、以前私がおっしゃったことで・・・。ヨネさんが、そう申すなら・・・」

またあるとき、ある金融機関の方は、
「それでは、ヨネさんが申したように致します。うちの社長がいつもおっしゃいますので・・」

わたしも、若い頃は冷や汗で済まない敬語間違いを、何度もしたものです。
今思い出したのは・・・。

目上の、とてもお世話になっている、しかも口うるさい(失礼しました)方に、 電話をしたときのことです。
リーン、リーン、リーン
あれ? いつもすぐに出るのになあ?
リーン、ガチャッ
「もしもし・・・」(聞いてすぐ分かる風邪声)
「あっ、風邪ひいたったんですか?」(方言*後で説明あり)
「そうやがな。今度は、えらいわぁ。ひどいもんや。ごほごほ」
「すみません! すぐ切りますわぁ」
「いやいや、ちょっと話しよか」
と、テレビで話題になったことを少し話した後、
「おもろかった。ほな、もう寝るわぁ」
「そうしてください、そうしてください」
「うん、またな」
「すみません、ほんまに風ひいとっての時に電話なんかしてしもて・・。ほな、どうぞ、安らかにお休みください」
「・・・・」
えっ? 何か、へんなこと言うたかな? この無言の間はなんや?
「あのぅ・・・」
「あんた、わしにこのまま、あの世に行けっちゅうんかい」
「そんなぁ。そんなこと、思うてしませんよぉ」
「あんた、さっき言うたがな。『安らかにお休みください』ちゅうてなあ。それ、本心か?」
「えっ! ゆっくりお休みください、と言うたつもりなんですけど」
「あのなぁ。わしみたいな年寄りに、『安らかに眠れ』ちゅうのはな、身体に毒やど! それは、葬式のときに言うんじゃ」
「すっすっ、すみませーん。わた・・」
ガチャ! ツーツーツーツー・・・。

無理に敬語を使わんでも、誠意が伝わったら、ほんまはええと思います。
同じように、まったく誠意の無いくそ丁寧な言葉を聴くと、いや〜な気持ちになりますな。

*ひいたった・・・私らの地方の方言。
「先生が来られた」と言うときは、「先生、来たったでぇ〜」
「A社の社長が怒っておられた」と言うときは、「社長、怒っとったったでぇ」
となりますね。


2009.2.22

花粉症で鬱陶しい毎日を過ごしています。身近にも多いですね。
私の場合は、これでも一番ひどかったのが15〜16年前。その頃に比べれば、まだ相当ましな方です。
薬も飲んでいませんし。
ひどい頃は、車の窓を全部閉めて走ってるのに、途中で目が痒くて痒くて、車を路肩に寄せて駐車し、目をごしごし・ごしごしこすってしまったものです。

連れ合いとも言っていたのですが・・・、
部屋には空気清浄機、蛇口には浄水器、外出時はマスク、日光も皮膚がんの危険性、建物の中は化学物質・・・。
これって、昔読んだマンガの「近未来!地球に人類は住めなくなる!」というのと同じやなあ。
もっとも昔は昔で、公害がすごく、光化学スモッグやら、喘息、川もひどいものでした。
小学校のときの授業で、「外国では、水を売っていて、買って飲まないといけない」と担任がしゃべったとき、一斉に「えぇ〜! すごいなぁ!」という声が上がりました。水は、蛇口をひねると出るものだったのですね。
私が驚いたのは、お茶のペットボトルが販売されるようになったときです。
お茶と言うのは、食堂に行っても、どこでも、ふつうにタダで出てくるものだったからです。
サービスとさえ認識しないものだったのです。私の中では。
「わざわざ、お金を出して、あんな不味いもの、買うヤツもおるんやなぁ」と。
それが、私もいまや「ふつう」にペットボトルを買っています。

水道の水も、そのまま飲んでいたのに、「いやぁ、これはとてもやないけど飲めん!」と思ったときがありました。
それは、たまたま大阪に行って、喫茶店で出された水を飲んだときです。
かび臭いというか、なんというか、一口飲んで顔をしかめ、周りを見渡して「よう、みんな平気で飲んでんなぁ」と妙に感心しました。
大阪では、空気にもビックリ。
阪神高速の下あたりに行ったときは、ほんまにすぐにでもマスクを買いたい、衝動に駆られました。
鼻をかんだら、真っ黒になりましたさかいねぇ。
今では、水も空気も大分変わっているかもしれませんが、カルチャーショックを受けたときでした。
一方、公害は過去のものかと言うと、東京では喘息の患者さんが増えているようです。
東京では道路計画が目白押し。オリンピックがらみだそうな。
「オリンピック」は錦の御旗ですやろか?



2009.2.21

『蟹工船』つづき。
年末に日比谷公園で年越し派遣村があり、大きく報道されました。
彼らの切羽詰った行動によって、「日本は今こんなことになっているのか」と気づかれた方も少なくないと思います。
テレビには、「仕事を選り好みしているからだ」「お金があるうちに貯めておかないから、いざという時に路頭に迷う」などと主張する人がたくさん出てきます。
「私らの若い頃はもっと貧しかった」という巷の意見もあります。
映画『三丁目の夕日』がヒットしたとき、わたしは率直に言って「昔を懐かしむノスタルジーではないのか?」と思っていました(映画よりも、西岸良平さんの原作マンガの方がよほど素晴らしい、と今でも思います)。でも、考えが変わりました。
かつての苦しかった生活が今の生活にだぶる、「希望」を持てた時代を観て「希望のない」今を模索する、実生活では他人は鬱陶しいけれど、心の奥底で求める人との緊密なつながりがそこに見える気がする、のではないかと勝手に解釈しています。

映画『蟹工船』ではラストに出てこなかった、原作小説の言葉を噛みしめているところです。

「そして、彼らは、立ち上がった。―もう一度!」


2009.2.20

少し前のことになりますが、ついに映画『蟹工船』を観ました(新宿にて)。
古い映画なので、音が聞き取りにくい点もありましたが、迫力のある、そして現代に通じる映画でした。
小説『蟹工船』が売れている!という話を聞いたときには、半信半疑でした。
だいたいが、「これが売れている」とか「これが今人気の〜」とかいう情報には、ほとんど左右されないし、眉唾だと思っている、ひねくれモノですので。
ところが、派遣・請負などの不安定雇用の青年の実態を聞くにつけ、「これは俺たち話だ」と思うのは、その通りだろうと思った次第です。

『蟹工船』を書いた小林多喜二は、特高警察によって殺されました。
今日は彼が殺されてから、76年目の命日。逮捕されたその日のうちに、ひどい拷問を受け続け、殴り殺されたのです。裁判さえ受けずに・・・。
無残に腫れ上がった身体の写真も残っていますが、小林多喜二の死顔を描いた画家の一人が、彼と同い歳の岡本唐貴さん(漫画家白土三平さんのお父さん)ですね。

白土三平さんは、わたしたちの世代には大変懐かしい漫画家です。
『カムイ伝』『カムイ外伝』『忍者武芸帳』『サスケ』などなど。
漫画本を決して買ってはいけなかった(親の方針で。まあ、買うお金も無かったのですが)私と兄妹は、主にテレビアニメからの情報です。
『サスケ』は、主題歌も途中流れる悲しい歌(題名知らず)も懐かしいですが、「説明しよう!」という「忍術が如何に科学的か」の解説と、雷門けんぼうの声が今もよみがえります。
白土三平さんの作品の中で、短編だけれどお勧めなのが『赤目』です。
これは、身分(階級)制度・宗教・食物連鎖(共存)などいろんなことを考えさせられました。子どもたちにも読んで欲しいですね。

2009.2.16

藤田浩子さんの目の前で、偽者が演じる!の巻

昨日、JPICの講習会にわれらが藤田浩子さんが登場。
なんと、超多忙で休む暇もなく、ついに風邪をひかれたのです。
タフネスガイと小林旭みたいなニックネームを付けたいくらいお元気な藤田さんが? 「鬼の霍乱」とご本人。
1回2時間半の長丁場を1日2回。
う〜ん、大丈夫かな? と不安げな私と連れ合いに、「大丈夫!」と厚い胸板をドンと叩き、両の足を踏ん張って、
「ええい、しゃらくせぇ〜」と、神田は神保町で大見得を切る千両役者! 
いよっ、日本一〜!の合いの手もかまわず、壇上に登るわれらが藤田さん。
けど、心配ですな。

「ちょっと、社長さんにもお手伝いいただいて・・・」
「えっ? 私がですか?」
「日ごろからいつも口をすっぱくして『私の言うとおりやらなくて良いんです。
好きなように、自由に、やってください』と言っても、なかなか皆さんまじめでそうならないから、
『こんなにいい加減にやってもいいんですよ』という見本として出ていただきたいんです」

他ならぬ尊敬する藤田さんのお願いとあっちゃぁ、断るわけにもいくめぇ。
こちとら江戸っ子でぇ!(ちゃうやろ!)
よしきた! 合点承知の助だ! 悪い見本! 結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻のまわりはなんとやら、だ!
ひと肌も二肌も脱ぎやしょう! と、上着を脱ぎ始めるのさえもどかしく、
「いえいえ、肌は出さなくていいんです。女性の受講生が多いんですからね」
「おっといけねぇ。セクハラになっちまう。貧相な体をさらしても、女性方のお目目の保養にもなりゃしねぇ」
などなどという、会話を全くせず、「わかりました」とすぐに引き受けました。
きっと、藤田さんは
「一声社の社長さんも、地道に日の当たらないところで演じているみたいだから、せっかくのこの機会に表舞台にあげてあげましょう!」
という温情だったのでしょう。それを、「やってみる?」と聞けば断るしやりづらいだろうから、「風邪で声が出にくいから手伝って」ということにすれば、やりやすいと、そういうことまで考えてのことだと思います。

なんせ、自分で好き勝手にやってますから、しかもご本人を前にやるなんて、冷や汗モノです。
さすがに、午前の部は緊張してあがってしまい、しどろもどろ。
「帰れ!コールが起こるかも・・。それより、木戸銭返せ!とモノを投げられるかも・・・」
と、気弱になってますますしどろもどろ。
何とかやり終えて、すごすごと引き下がるわたし。
「かえって藤田さんの評判をおとしたかもなぁ」
とこぼす私に、連れ合いは
「そうやな」
の一言で返す切なさよ。

『のびる絵本 ほしい』午後の部はさすがに腹も据わり、結構いい加減なことをしゃべくりながら、『のびる絵本 ほしい』を無事演じ終えました!
今度は余裕も出てきたので「昨日はバレンタインデーでしたから、チョコを持っている方はどうぞお渡しください」
などと、軽口を叩き、誰一人として持ってくる人もおらず、
「さびしさに 宿を立ち出でて眺むれば いずこも同じ秋の夕暮れ」
と、真冬なのにこの歌を思い出し、
「いやいや、真冬と言っても昨日は真夏みたいに暑かったなあ。2月で一番寒いはずやのに、ほんまに地球温暖化や〜」
とため息をつく。
ついでに言えば、モノは飛んでこなかったけれど、おひねりも飛んでこず。
まだまだ未熟者よと、おのれの力量不足を今日も今日とて嘆きつつ・・・。

藤田さんと言う富士山を前にしては、わたしなど若草山くらい、いや、児童公園の砂山みたいなものだと、あらためて富士山の偉大さを思う、2月の神田神保町。

木枯らしどころか、熱風の吹く、藤田&米山劇場の、一巻の終わりでございます。


2009.2.15

昨日は聖バレンタインデー。それが、何でチョコレートを渡す日になったのか、色々薀蓄(うんちく)が書いてある本もあるが、私の記憶で一番古いのは、小学校5年生だと思う。
正直言って、チョコは好きだったが、バレンタインなど全く知りもしなかった。
5年生の終わりに、クラスの女の子からチョコをもらったのだ。

「バレンタインやから、チョコあげる」
「バテレンタイン? それ何?」
「バ・レ・ン・タ・イ・ン! 女の子から男の子にチョコをあげる日やんか! 知らんの?」
知らんの?と言われたら、こっちにも見栄がある。
「知ってる、知ってる。有名やん!」
「板チョコやけど、ええ?」
「イタチョコって、何?」
同じクラスに、イタチというあだ名の男子がいたので、なんかそいつに関係あることかと思っていた。
「知らんの?」
「知ってる、知ってる、アレやろ?」
「アレって、なに? まあ、ええけど。(さすがに、女のこの方が大人の対応やね)先生に見つかったら没収されるから、隠しときや」
「うん!」
とは言うものの、どこに隠すねん? ランドセルの底、本やらノートやらの下に「これでもか!」というくらい念入りに隠した。
始業のチャイムが鳴り、先生が入ってきた時から、ドキドキしっぱなし。
「見つかったら、なんて言い訳しよ・・。『昨日の夜、妹がランドセルに入れたんとちゃいますか?』とか言おうかいな〜」
担任の先生は、手を出す人だったので、その日はずっとびくびく。
(この先生のことは、好きでした。また、色々あったあの事この事を書く機会もあるでしょう)

そんなことを思い出しながら、昨日は奥さんから義理チョコをいただき、ありがたく感謝して食べました。



2009.2.13

妹と「パンダコパンダ」を見に行ったのは、小学生の頃。宮崎駿などという名前なんぞ、全く知りもしない頃ですわ。
その後、「魔女の宅急便」も、妹と2人で見に行った。満員ですわ。
大学1回の夏休みは、長渕剛のアルバムを買って帰省し、妹に薦めた。
妹の方が大ファンになり、その後田舎のホールにやってきたコンサートにも、友だちと連れ立って行ったらしいし、妹自身バンドも組んでいた。
バンドのステージは一度だけ見た。
「見に来てや〜!」
ちゅうので、
「たまには、兄貴らしいこともせなな。それに、晴れ舞台やから、観に行ったらんと!」
と殊勝なことを思い、見に行った。
屋外のステージで、いろんなバンドが出ているうちの一つやったけど、何か感動してしまった。
女の子ばっかりで、確かみんなオーバーオールを着ていて、一生懸命演奏してた。
なんか、ものすごう嬉しくなって、声援を送って、拍手してたら、なんか一人だけ目立ってしまった。
気が付いたら、観客の多くは妹とおんなじ高校生で、大学生のぼくはやっぱり一人浮いていた。
ちょっと恥ずかしくなったけど(今頃かい?)、でも何だかうきうきと嬉しかった。
妹の子どもが、そろそろそんな頃の妹に近い歳になった。
このごろは、妹が高校生の頃さえ、「ついこの前」みたいな感覚になってきた。
そろそろ、ほんまのおっさんやな・・・。いや、おじいさん?


2009.2.12

幼い妹の鼻先でオナラをぶっ放した、小学校高学年のわたし。
母親にこっぴどく叱られたものの、それで懲りるタマではなかった・・・。

その日から、1週間くらい後のこと。

まあ、なんですな、「1週間」なんて、大人になったら、あっという間。
しかも、年々速さが加速してますわね。わたしも、
「この前なぁ」
と言うたら、軽く5年は前ですね。「前になぁ」と言うたら、10年以上前でっしゃろ。
そやけど、子どもの頃の「1週間」いうたら、大分前のこと、でした。

個人的には、オナラのいたずらがあまりに面白かったので、虎視眈々と次の機会を狙っていました。
今度の標的は? もちろん、妹です。

「あれには、まだ別の方法があるんや。また、試したいなぁ。でも、すぐにやったら、妹も怪しんでひっかからへんしなぁ」
そんなことを思いながら、早幾年(実は、1週間くらい)。
事件現場は、またまた家、そして時間帯はやっぱり私の帰宅直後です・・・。

「ただいま〜! あ〜しんど。走って帰って来たから、からだ、えらいわ」
(「えらい」というの、体がきつい、とか、しんどい、とか言う意味)
・・・しめしめ、妹はなんか読んでるわ。今やな・・・・
「あのなぁ〜。野球してたら、ズボン破けてしもたみたいや。座ったときになぁ、なんやらベリッって、音がしたんや〜。 破けとったら、みっともないから、見てくれへんか?」
 妹に頼みます。
「それで、走って帰ってきたん?」
「そうやんか。ちょっと見てくれる?」
「うん、ええで」
・・・しめしめ。餌に食いついたでぇ〜!・・・

わたしの後ろに回った妹が、ズボンのお尻を見ようとした時です。
「んん? なんか怪しいなあ」
(しもた!感づいたか?)
「なんか、悪いことするんちゃうやろな?」
「そんなことするかいな〜。ズボンを見てもらうだけやんか」
「そうか、わかった」
(あ〜、危な〜! ばれたかと思うたで!)

「別に、破けてないみたいやで〜」
「そうか、おかしいなあ〜。ベリッちゅう音がしたのに。もうちょっと、よう見てくれるか?」
「うん」
と、妹がズボンのお尻に顔を近づけた、まさにその瞬間です!

ぶぶぶっ〜! ぼわっ!

「臭〜い! また、やった〜! ひどいわぁ!」
「あはははっはあぁ! また、ひっかっかったかぁ〜。世の中は危険がいっぱい。 そんなに甘うないでぇ〜」
「何しょうもないこと言うてんの! ひどいやろ。お母ちゃ〜ん!」

その後、母親にまたまたこっぴどく怒られたのは言うまでもない。
二度あることは三度ある? いえ、この2度だけでした。

今日の格言  仏の顔も三度まで
(2回だけやったから、仏さんもお目こぼしくださったことですやろ)


2009.2.8

妹への手ひどい仕打ち(続き)

小学校5年か6年の頃・・・。

ある日、学校から帰った私は、その日クラスで仕入れたオモロいネタを披露しようと、ワクワクしていました。
「これ、おもろいでぇ〜。誰に試そかな? 兄貴やったら、怒るかも知れんしな。
いや、その前に警戒するかもしれん。
警戒せんと、まんまとひっかかって、しかも笑える相手は・・・。妹しかおらん!」
実際は、それほど逡巡する間もなく、学校を出たあたりから、妹に試したろ! 
と考えていたのでしょう。

「おもろいで〜! 怒るかな〜?」

はやる気持ちが自然に、歩調を速めます。

「アカン、アカン、まずは落ち着かんと、失敗する。勝負は、1回きりや!」

「ただいま〜!」
家に帰ってみると、案の定妹は先に帰っています。
「落ち着けよ〜」
と、心で念じながら、ランドセルや手提げを置いて、トイレにも行き、
「あ〜疲れた〜!」
などと言いながら、何気なく妹の横に座ります。なんと言う、何気なさでしょう。
いかにも自然に振舞っています。
妹が何かを読んでこちらを見ていないのを、横目で確認すると、
「あっ! そや!」
と、突然叫んで、立ち上がります。
「どうしたん? ちっちゃい兄ちゃん」(妹には2人の兄がいるので、年下の私は、ちっちゃいほうの兄=ちっちゃい兄ちゃん、と呼ばれていたわけです)

「どうしたん?」
「いや、忘れとった! まぁ、ええか〜」などと、ものすごくええ加減なことを言いながら、
妹がこっちに注目したのを機に、一気に核心に迫ります。

「そやそや、忘れとった。あのなぁ、今日学校でなあ、どんな加減か知らんけど、
お尻がものすごう、ええ匂いがするようになったんや。なんでやろ?」
「お尻が、ええ匂いすんの? そら、すごいなあ」
「そうなんや。でも、ほんまかどうか怪しいから、ちょっと試してみるか?」
「うん!」

引っかかった〜! ここまで来たら、あとは仕上げをごろうじろや〜!

「ちょっと前かがみになるから、お尻に鼻を持ってきてみ〜」

「どや?」
「全然、匂いせえへん」
「おかしいなあ? 匂い取れたんかなぁ? もう1回試してみ〜」
「うん!」
妹が再び私のお尻のあたりに鼻を近づけた、まさにその瞬間です!

ぶぶ〜!ぼわぁ〜! ぴっ!

「臭〜い!」
「あはははははは〜。まんまと罠にひっかかったな。まだまだ修行がタリンぞ、明智君」
「アケチって誰よ〜。それより、無茶苦茶ひどいやんか〜。臭い! お母さ〜ん!」
母のところに助けを求めに行った妹。
その後、母から「なに、しょうもないことして、妹をいじめてんの!」と怒られたことは言うまでもない。

まだまだ続く!


2009.2.7

みなさんの御家族にも、「中心」となる存在がおられるでしょう。
お母さんだったり、対外的にはお父さんに見えて実際はやっぱりお母さんだったりだったり、長女だったり、末っ子だったり。
うちの場合は、言わずもがな奥さんですが、実家の方はというと、やっぱり妹でしょう。
家族みんなに愛され、父母のことを一番思い、妹を中心に家族は回っています。
奥さんの実家なら、やはり末っ子の奥さんでしょう。

そんな妹への、私のひどい仕打ちを・・・。

あれは、小学校5年か6年の頃。
あのクラスは、いろいろおもろいことや、自分が情けないこと、いろいろありましたなぁ。
うちの小学校は、街中の学校でしたが、住んでる地域が学校から遠い、遠い(と言っても、山間部などに比べれば目と鼻の先でしょう)。隣の小学校との境にあり、どっちの小学校に行ってもよい「自由校区」やったんです。いわゆるグレーゾーンですな。
木造2階建ての文化住宅(アパート)がたくさん建ち並ぶ、超ミニ多摩ニュータウンみたいなもんですな。
話は変わりますが、なんで「文化」住宅なんですやろ?

「文化」という言葉は、ハイカラみたいなニュアンスですやろか? 鯖の文化干しみたいな。
「文化住宅に住んでまんねん」
というのは、今で言うたら、
「億ションに住んでますのよ」
と、同じような意味合いでしたでしょう。(ほんまかいな?)

話がどこに行くんや?

すみません。まあ、そんな似たり寄ったりの家族がぎょうさん集まっている地域におったんです。
時には垢がぎょうさん浮いてる銭湯と、いつのものか分からんようなモノをよけて買わなアカン八百屋さんと、調子のええおっさんが大将のスーパーがある、そんなとこですわ。八百屋さんは、大福帳ですからね。
おばちゃんが、どこで売ってるねん?みたいな大きなそろばんをはじいてます。
この話もまたどこかで。

あかん、そろそろ時間です。また続きは、次回に・・・。


2009.2.5

読書ボランティア―活動ガイド先日、イラストレーターの鈴木隆一さんが会社に来られました。
『読書ボランティア―活動ガイド』のすてきな絵を描いて下さった方で、なんと北海道からはるばる出てきてくださったのです。
ご友人の結婚式出席のため、とか。
ご丁寧にお土産を持ってきてくださったのですが、北華楼の「北海道 開拓おかき」という、美味しいおかきでした。
鮭や、ほたて、いかなどの味がするのです。
食べ始めると止められない、そんなおかきでした。

鈴木隆一さんもこのブログをよく読んでくださっているようで、
「北海道から出てくる前に、『ガス爆発』を途中まで読んだので、その後どうなったか、気になっているんです。帰ったら、また読んでみます。私のホームページもずっと更新していないので、見習って書き込みます!」。

鈴木さんも、大学時代は寮生活だったそうで、共通の思い出がいろいろあり、なんだか、懐かしい、心温まるひとときでした。
鈴木さんのやさしいお人柄も、とても温かい空気を送ってくれます。
ちなみに、鈴木隆一さんのホームページはこちら


2009.2.4

言葉の話、続き。

同じ市内から通う高校の同級生でさえ、言葉が違う部分がありましたから、昔は本当に狭い地域で言葉が発達していたんでしょう。
言葉が自然に標準化して行くのは仕方ないにしても、テレビで話されている出自不明の言葉を真似るのはちょっと・・・。
最近は、出張で大阪に行っても「それ、ちがうんじゃねぇ?」「なくねぇ〜?」 「ちげぇーよ」と、キムタクさんのようなしゃべり方をする高校生とか若い子に、よう会いますわ。電車の中とか、繁華街で。
最初は、修学旅行に来た東京の子かと思っていたら、その輪の中に必ずベタベタな言葉をしゃべる子がおるし、あちこちでそんなけったいな言葉をしゃべる子を見かけるので、 「ははぁ〜ん。テレビの真似か」 と、納得。いや、「大阪の誇りは、どこに行ったんや」と、納得できん。

政府が盛大に旗を振ってかなり強引にすすめた自治体の合併も、妙ですなぁ。
何が妙や言うて、合併後の名前ですがな。
伊豆半島に旅行に行った時に、「伊豆市」と「伊豆の国市」があったのには、 腰を抜かしそうになりましたで。
三島駅から車で伊豆半島を走ったのですが、道路の標識に 「これより、伊豆市」とあり、 「伊豆市って、伊豆半島のほかの地域から文句出ぇへんのかいな」 と、しゃべりながらしばらく走ると、 「これより、伊豆の国市」の標識が・・・。
「あれっ? さっきと同じやん!」「ちゃうやろ、さっきは伊豆市で、今度は伊豆の国市やんか」
なんで、そんなややこしい名前をつけたんやろ? 住んではる人は、混乱せえへんのやろか。
もうちょっと、どないかならんかったんかなぁ。と、心配になってきます。

鹿児島県の「南九州市」と「南さつま市」もややこしい。
岩手県の「奥州市」 は、他の奥州から文句が出えへんのやろか? と、心配になり。
群馬県の「みどり市」には、・・・・・・??。
 それから、目を引くのは「中央」という言葉ですな。山梨県のそのものずばり「中央市」。愛媛県は、「四国中央市」。

やたらと町名を変えて、「●●1丁目」とか、味も素っ気もない地名にするのも、そろそろ止めにしませんか? 
地名も、行政区名も、行政区の区割りも、そこの人たちが、長く長く生きてきた「歴史」と「伝統」ですからね。
暮らしやすいように変えて行くのは、もちろん結構ですが、行政区は大きければ良い、簡単な名前である方が良い、というのは、ちょっと乱暴ですね。

「日本の国柄」「固有の伝統文化」「先人への畏敬の念」とか、声高に叫ぶ人々が、一方で同時に強引な市町村合併を進めるのは、かなりけったいなことですわな。逆に、「伝統を何と心得る!」と、強硬に合併反対してるんやったら、話の筋は通りますが・・・。



200923

今日は節分。
今年の恵方は・・・、と太巻きの丸かじりをされた方も結構おられるでしょう。
この風習、長い間全く知りませんでした。

「えっ? 関西ではみんなこうするんじゃないの?」
と、かつて連れ合いから聞かれたことがありますが、見たことも聞いたこともなかったですね。少なくとも30すぎまでは。

実際に、こういうことをずっと守ってこられた地方もあったのでしょう。
でも、やっぱりあっという間に全国に広まるのは、それなりの背景があるのでしょう。
それはそれとして構いませんが、「関西の風習」とか言われると、ちょっと待ってや、と言いたくなります。
関西、関西、と申しましても、いささか広うござんす。「関西」と、一語でひとくくりにされるのはたまりまへんなあ。
それは、「東北地方」という言い方も同じでしょう。福島も、秋田も、青森も、みーんな違いますしね。

「関西弁」なる、けったいな言葉もやっぱりテレビの影響が大ですね。
もちろん、昔昔と較べて、遥かに人の行き来が盛んですから、言葉が変化していくのは仕方ないですし、すでに私ら自身、田舎の親の世代とは言葉が違います。 知らん言葉がぎょうさんありますね。

昨年、このブログの熱心?な読者である、子どもの未来社の奥川さんから、
「ヨネちゃんの田舎の言葉を、ブログで紹介してよ」
と言われていたのを思い出し、実際に自分が使っていた言葉を少し・・・。

★ごぅわく→ 腹が立つ。 
*恐らく、「業が湧く」から来ているのではないでしょうか? 腹を立てるのは、体の中の「業」がなせるわざですから。
*ちなみに、語尾が「のー」となります。腹の立つことが多いですから、「ほんま ごぅわくのー」
 「関西弁」というと、語尾に何でも「やん」とか「やー」とか付けるアナウンサーとかおられますが、ちょっとちゃいますね。

★めんどい→不細工。 
*たぶん、「面がひどい」から来ているのでしょう。
ブルドックなどを見たときに、「えらい めんどい犬やなぁ」と言ったりしていました。

★おせらしい→特に、女の子が成長した、幼児から少女に成長したなぁ、と言う時。 「えらい おせらし なって〜」 
*「おせ」という言葉を、「大人」として使う地域もありますよね。

★べっちょない→大丈夫。 
*恐らく、「別条ない」から来ているのでしょう。
走っていて転んで、心配されたときなどに、「あぁ べっちょない べっちょない!」



2009.1.27

「いつもの豚玉! 今日はモダンやで〜」
行きつけのお好み焼き屋Kのおばちゃんに、元気よく注文した大学生のわたし。
「よっしゃ〜、火つけて待っといてや〜 鉄板温めといて〜 すぐ持っていくから〜」

おばちゃんの元気な声に反応し、
「ほな、火つけとこ!」
と、いつもの手つきで、テーブルの下にあるスイッチをひねります。
なあに、毎度毎度、こうやって火つけてるんですからね、すぐに・・・・。

カチャ! シーン・・・ シューッ
「あれ? おかしいなぁ。何でや? もういっぺん!」

カチャ! シーン・・・ シューッ
「あれ? どないなってんねん! くそー!」

カチャ! シーン・・・ シューッ
「壊れてるがな・・。全然つかへん。もういっぺんやってみよ」

もしかしたら、電池が切れてたりして、火花がちらへんのかもなぁ。
しゃあないなぁ。
そう言いながら、テーブルの下に頭を突っ込んで、点火口をじっと見つめたまま、 スイッチをひねったまさにその瞬間!

ボワッッ ドーンッ!!!

「どないしたんや! 何が起こった〜!」
おばちゃんがすっ飛んできます。
「ガスが爆発した〜」
「あほやなあ。何してんの〜! それより、あんた大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
恥ずかしさのあまり、胸を張って、元気に答えるわたし。
「何が大丈夫やの! あんた、髪の毛、チリチリになってるでぇ〜」
「うそ!」
「うそ、ついてどないすんねん! 髪の毛だけやないで〜。眉毛も焦げてしもてるやんかいな」
「うそ!」
「うそ、ついてどないすんねん!」
「ほんまに〜」

事態が飲み込めて落ち着くに従い、どんどん元気がなくなっていく。青菜に塩ですわ。
それに、冷静になってきたら、痛い! 何が痛いっちゅうて、顔は真夏に泳ぎすぎて日焼けした感じ。

それに・・・。
鼻の中が、痛いんです!!

鼻の中が日焼けした感じやんか。
何でや? そうか、ガスが鼻の中に入ったまま、点火されたんやな? 鼻から、火が出てたかも知れんなあ。
これこそ、ほんまの、「鼻息が荒い」やんかいな〜。
それにしても、顔が痛い。ほんまにひどい日焼けみたいな感じや。真冬やのに〜。
ますます元気がなくなり、小さくなっていくわたし。青菜に塩どころか、なめくじに塩、みたいに小さくなってしまうやん!

「これっ! ヨネちゃん。気ぃしっかり持ちや! 
あんた、これだけですんだからよかったけど、店が吹き飛んでたら、おばちゃん首くくらなアカンがな〜」

「うん、うん。ごめん、おばちゃん。今度から、火ぃつけんと、気ぃつけるわ。
恥ずかしいて、顔が痛いし、これぞほんまに、『顔から火が出る』や!」
「冗談言えるくらいやったら、大丈夫やろ」

あやうく、新聞沙汰になりかけた。もし、大きな事故やったら・・・。

「大学生、ガス爆発で店を吹き飛ばす。ケガ人多数。真冬の大惨事。
『今度から、火ぃつけんと、気ぃつけるわ』
容疑者Yに反省なし」(●新聞)

現代の若者に詳しいKY教授語る。
「ガスに火をつけることも出来なくなっている。生活体験の不足もついにここまで来たか、という思い。事件を引き起こしたYが、事件後に笑えないジョークを言っていたが、理解不能だ。責任感の欠如! 新人類もここまで来た。末が恐ろしい」
Yと親しい、同じ大学のCさん語る。
「いつかこんなことをしでかすヤツやと思いましたわぁ。いつも笑えんギャグばかり連発してましたね。」

などと、言われていたことでしょう。つるかめつるかめ。



2009.1.24

ガス爆発の話のはずが、一向にその話題にならへんやんか! とお怒りの皆様、どうぞ気をお鎮めください。

学生時代に、貧しい寮食から救ってくれ、命の息吹を与えていただいたお好み焼き屋さん。
その御恩は、山よりも高く、海よりも深い。
そんなお好み焼き屋さんに、今日も今日とて、友人のTと食べに行ったわたし。
当時21歳。

「いらっしゃい! あ〜ヨネちゃん。いつもありがとう! そっちのテーブルに座りや〜 今日は何にする? いつもの?」
「うん。いつもの豚玉。今日はモダンにしよかな?」
「おおきに。火つけて、待っといて〜」

やっぱりお好み焼きは、豚玉でしょう。しかも、高級な豚肉はあきまへん。いっときテレビなどで
「こんな高級具材をふんだんに使った、グルメなお好み焼き!」
と銘打って、タレントさんたちが「おー、うまい!」とかおしゃっていましたが、それはすでにお好み焼きにあらず。
これは、庶民の食べもんですからね。豚玉も、脂身がジュッと出てくるから美味しいんですな。
「上等な赤身だけを使用!」って、それ、かえって旨ないですわ。

ちなみに、牛肉を載せると「肉玉」になりますな。
関東の方は、「牛肉が『肉玉』 やったら、豚は肉と違うんですか?」と突っ込みたくなるところ。
牛肉は、「お肉」です。豚肉は、ブタ。

話は脱線続きですが、昔はお肉(牛肉)なんか、高級品ですからね。
今でこそ、牛の部位に名前がついた肉を売ってますが、昔は「牛肉」は「牛肉」。
特上だの、並だの、にぎりみたいな名前でしたね、確か・・・。
滅多に食べへんかったから、記憶が曖昧ですが。
兄か妹の誕生日とかに、「今日は、テキにする?」とか言われると、みんなで大賛成したもんです。
テキというのは、きっとビフテキ(ビーフステーキ)の略ですやろね。

さて、いよいよ、ガス爆発の話題へと移りますが、ここでちょっと休憩。


2009.1.20

ミニ・ガス爆発の巻その1

「人災」は、忘れた頃にやってくる・・・。

今日の話をご覧になる前に、次の言葉を3回唱えてください。

「バス ガス爆発。バス ガス爆発。バス ガス爆発」

ありがとうございました。新年早々、爆発などと物騒な話題で申し訳ありまへん。

さて、あれは、大学4回生の頃。行きつけのお好み焼き屋で、その事件は起きたんですわ。
・・・・・・

わたしたちの学生時代、寮生の食事はきわめて質素でしたんや。
食事を作ってくださる炊夫さんは、寮生が少ない寮費を出し合って自分達で雇っていたのです。
住み込みでしたが、もちろん安い賃金だったと思います。
少ない食費をやりくりして食事をつくってくださるのは、相当ご苦労も多かったでしょう。
私たちの代頃まで、どんなに寮食が不味くても「食べない」ことはなかったでしょう。現に、わたしもそうでした。
そりゃそうでしょうよ、当たり前やん! と、当時の寮食をご存じない方は、そうおっしゃるでしょう。
でも、真冬に豆腐一丁の冷奴がおかず、という食事をなさってみてください(食事さえ満足にできない方が物凄く多くなっている日本では、これとていまや贅沢でしょうけど)。体の芯から冷えますよ。
寮食は、3時か4時ごろには出来上がって戸棚に置いてありますから、私らがバイトから帰ってくる夜遅くには、冷奴は巨大なアイスクリーム状態になっているわけです・・・。それを、1丁食べた後の体の震えは忘れられませんわいね。
やがて、寮生といえども、食事に手をつけずに外に食べに行く後輩がかなり増え、自転車さえ持っていなかった私らを尻目に、車やらバイクやらが寮内に格段に増えました。それも時代の流れでしょう。
今また、かなり生活の厳しい学生が多くなっていると思います。

私たちは、食事をまず済ませてから、お口直しにお好み焼きなどを食べに行っていたのです。
食欲もかなりありましたし。中華料理のW,喫茶店のHとT,中でも特にひいきにしていたのが、お好み焼き屋のKです。
ここのおばちゃん(あの当時すでにおばあちゃんでしたが)に可愛がっていただき、こっそりおでんを付けてくれたり、夏にはスイカを食べさせてくれ、クリスマスにはケーキも一切れいただいたり・・・と。ほんまにお世話になりました。
ご恩は決して忘れません。

(続く)



2009.1.17

忘れてはいけないことを、忘れてしまう。
「忘れる」ということで、生きていける――、そういう意味があることを頭では理解しても、やっぱり「忘れてはいけないことがある」。

14年前の今日、午前6時の少し前。阪神・淡路大地震が起こりました。
6400人以上の尊い命が失われ、負傷者も43000人以上、全半壊25万棟・・・。

地震は天災で、今は防ぎようがないだろう。でも、被害を最小限に食い止めるのは、人間ができることだ。
西宮や神戸で、あの後、この目で見、音を聞き、空気を吸い、激しく感じたこの心は、変わることがないと思っていた。
でも、昨年の中国・四川省の大地震では、自分自身は何も出来なかった、募金さえも。
同年の岩手・宮城内陸地震でも同じだ。指をくわえて、傍観者になっていただけだ。
最も忌み嫌っていたそういう人物に、自分自身がなっていたのだ。

6年前にアメリカが無理やり起こしたイラク戦争には、あれほど激しく怒って行動したのに、昨年末から今も続くイスラエルのガザ攻撃に対しては、まだ何も出来ていない。

でも、そういう無力な一市民にも出来ることが山ほどある。
出来ないことを嘆くより、出来ることを探そう。
忘れたことを嘆くより、思い出したときに、何かをしよう。そう心したい。

たとえ1年に一度だとしても、1月17日には、震災のこと、「政治」が何をしたのか、「マスコミ」が何をしたのか、自分は何をしたのか感じたのか、思い起こすことは、決してムダではないだろう。
それは、松本サリン事件や地下鉄サリン事件の日でもいいし、「派遣村」開村の日でもいい。

忘れていくことは仕方ないが、思い出すことはできる。過ちを繰り返さないこともきっとできるだろう。



2009.1.16

厄除けの重要な儀式は、その時本堂に入って座っていた人だけが聞いて、外で待ってた田舎者3人組の私らはお経が流れる中、本堂の中をただ通っただけ!

「外の廊下で立ったまま、ほとんど聞こえへんようなお経を聞かされて、あれで厄除けができるんやったら、あのお寺の周囲2キロの住民は毎日毎日、しかも1
日何回も厄除けされて、無病息災やんか!」
「1回の人数を、本堂に入るだけの数にせえちゅうねん!」
「つまりや、坊さんのお経が聞こえたら、それでありがたいと思え、ちゅうことやね」
「そうや、仏さんを拝ませてやったから金払え、ちゅうことやろ。つまりや、無茶くちゃ高い拝観料ちゅうことやんか!」

怒り心頭の田舎者3人! これがスーパーマーケットの買い物やったら、「金返せ!」と言いたいところ、坊さん相手にそんなこともできず・・・。結局、泣き寝入りですがな。

「せっかくお母ちゃんが、厄除けしいや、いうて大事なお金を送ってくれたのに。
これやったら、厄除けどころか、厄が憑り付いた感じやなあ。3人でうまいものでも食うた方がよかったなあ〜」

がっくり肩を落として、帰る道すがら、頭をよぎる昔の人の格言。

地獄の沙汰も金次第

まあ、お寺さんも生活していかなあきませんよって、少々のことは目をつむりますが、それにしても・・・。

習うより慣れよ

慣れなアキませんかいな?
ちなみに、文字通り今回の「厄除け」に行った、足立区の有名なお寺さんは、全然違いましたで〜。

このときは、私の奥さんだけが厄除けして、わたしは付いて行っただけ。
始まるまで時間があったので、一緒に本堂に座って待っていました。
いよいよ、厄除け儀式がまさに始まろうとしたので、本堂に座っていた私は、
「そしたら、外で待ってるから」 と、立ち上がって、外に出ようとした時です。
「もしもし、そちらの方、どこに行かれますかな?」
「わたしでっか? いや、わたしは厄除けしません。付き添いで来ただけですよって、外に出ますわ」
「いえいえ、どうぞ、そのまま」
「そうかて、わたし、お金、払うてしませんから」
「構いません。奥様の厄除け儀式に、どうぞ、そのままお付き添いください」

なっなんと、そのまま一緒にお経を聞いて、その後のお坊さんの講話?(ありがたいお話)まで聞かせていただき、一緒に退席したのです。付き添いやのに・・・。

某高名なお寺との、なんという違い!
う〜ん、さすがに懐が深い。お釈迦さんも、喜んでおられることでしょう。

またまた、昔の人の格言が頭をよぎります。
これぞまさに、

地獄で仏



2009.1.15

関東地方のさる高名なお寺さんに、厄除けに来た田舎者3人組。続き。

仏さんにゆっくり手を合わせる暇も無く、本堂を通り抜けていく田舎者3人組。
その間にも坊さんの読経の声は続きます。
「お勤めかいなあ〜」

「それにしても、仏さんのお顔をじっくり見ることもできひんわいな」
美術館の人気展覧会でもあるまいに、行列の流れに沿って、本堂の中を通り過ぎるだけの私たち。

まっすぐ歩けばあっという間に外に出るのに、これまた美術展のようにロープが張られた通路に沿って、本堂の中をじくざぐに歩かされます。
「まあ、仏さんの前後左右にまわって、ありがたみを感じろよ、っちゅうこっちゃろ」
どれだけじくざぐに歩いても、狭い本堂ですから、そんなことをいう間にも、いよいよ本堂の外へ出ます。

と、いよいよ始まるであろう、厄除け儀式に大いなる期待を抱いたまさにその時です(厄除けなんか、ちゅうてた割には期待してるんやね)!

「これにて、皆様の厄除け、無事執り行われました。どうぞ、お足元にお気をつけて、お帰りくださいませ」

「今、何を言うてた?」
「いや、よう聞こえんかった。肝心なときにハンドマイクがあっちを向いてたから、音が途切れ途切れでなぁ」
「なにやら、これで終わった、とか言うてなかった?」
「そんなはずないやろ。まだ何もしてないで〜」

出口あたりで、右往左往する田舎者3人組に、後ろから追い越していく同じ回の方が、声をかけてくれました。
よほど、右も左も分からんおのぼりさんに見えたんでしょう。

「もしもし、もう無事厄除けは終わりましたよ。そこに立っていると、危ないですよ」

えぇ??
わが耳を疑った私たち。終わった? 厄除けが? いつ? どこで? だれが?
どうやって?
5W1Hみたいな質問を自分の脳にしつつ、今まで起こった出来事を反芻します。
「外で待っている間に、前の回の人らのお経やら鉦やら何やらが聞こえてきて・・・」
「それから列が動き出して、本堂に入って・・・」
「手を合わせる暇も無く、ところてんみたいに押し出されて・・・」
「それで今ここにおるんやんなあー」
はっと、顔を見合わせる田舎者3人組。
「そうや!」
同時に叫びました!
「あれが厄除けやったんや〜!!!」

まだ続く!




2009.1.14

関東地方のさる有名なお寺に、「厄除け」にやってきた、3人。
「こないにようけ、厄除けする人がおるんやなあ。お寺さんも大儲けや」
「なにを罰あたりなことを、言うてるんや。仏さんが聞いてるで」
「そうかて、この列だけで、一人○円として、かける事の・・・」
神仏を愚弄するようなことを言いながら(ちなみに、そんな罰あたりなことをしゃべっているのは私一人で、あとの二人はたしなめていたのです。そんなことは、御釈迦さんなら御存知でしょうが・・・)、じっと順番を待つ3人連れ。

本堂からは、相変わらずお経と鉦やら太鼓が聞こえてきます。私ら3人はと言うと、他のぎょうさんな人と一緒に、本堂の外、渡り廊下ともいえないような通路に屋根がついただけの所で、じっと立って待っています。

「そろそろ、前の番が終わるんちゃうか? ほら!見てみ。前の方の列が動き出したで!」
いよいよ列が動き始めました、私らのところはまだじっと動かないものの、動きが少々出ただけで気持ちが明るくなります。
「さあ、いよいよ。僕らの番やなあ。外で寒いところ待った甲斐があったっちゅうもんや。それにしても、こんな外で待たせるんやったら、もっと後で呼んでくれたらええのに」
「何言うてるんや。俗世間の喧騒から逃れて、しばらく心を落ち着かせてから、お払いするんやろ」
「なるほど、仏さんの思し召しやね」

ようやく動き始めたことに気を良くしながら、しばらく歩くと、本堂に昇る階段があります。
「いよいよやで!」
階段を登ったら、本堂への入り口があって・・・・・、ほれ、ここから入り口やがな。さあ、どこに座ったらええんや?
とうとう本堂にたどり着いて、私らの番の人々はどこにどのように座っていったらええのかいな?
とキョロキョロした、次に瞬間です!
「ああ〜、そこ〜! 立ち止まらないで下さ〜い。立ち止まらずに、お参りくださ〜い」
この時は、まだ事態が十分飲み込めていなかったのです。
「立ち止まるなって? 何や? ははぁ〜ん、先に仏さんにお参りしてから、別の場所でお払いするんやなー」
「そらそうやろ、これだけの人数をいっぺんにお払いしようと思うたら、この本堂では狭すぎるわ」
「えらい、手が込んでるなあ。まあ、仏さんを拝んどこ」
そう思って、手を合わせようとした時、またまた、坊さんがハンドマイクでしゃべります。
「立ち止まらないで下さ〜い。どうぞ、立ち止まらずに、歩いてくださ〜い。後ろがつかえておりま〜す」
なに〜!? 御本尊さんに手を合わせることも出来んのか! そっちの方が罰あたりやんか。
なんか、ベルトコンベアーに載せられた、荷物のような気分やなあ。
やっぱり、どこまでもシステマチックやなあ。チャップリンの『モダンタイムス』が頭をよぎります。
せめて、仏さんくらいほのぼのとゆっくり拝ませてやぁ。やっぱり、運転免許センターやんか。

さる高名なお寺さんへの疑惑の芽が伸びていきます。
しかし、しかーし。驚くのはまだ早かったのであーる!

(続き)


2009.1.13

厄除けに行った私たち。

あ〜ここや、ここや。まあ、大きい方やな。
えっ? 厄除けの申し込み所が、なんやら運転免許センターみたいやなあ。
なんと、免許センターのように、申込書を書く台やら、いくつかの窓口やら、なんとまあ、システマチックな・・・。
なんやら、ありがたみが無いなあ。コンピューター占いでもやられるみたいやなあ、という軽い驚き。でも、それは後ほどの大きな驚きに比べれば、屁のかっぱだったのである。

兄貴と私とで、申込書に記入して、窓口でお金を支払うと、「はい、●番です!」
と、これまた免許センターみたいに、受付番号が言い渡されます。
え〜と、●番は、△時からやなあ。
時間まで、そこらへんをぶらぶら散歩しながら、順番を待ちます。
いよいよ、時間やで。自然に気持ちは高まります。
厄除けって、何するんやろ? 顔に墨塗ったり、餅食うたりするんかいな?

「△時の会の方、番号順にお並びください」
これまた、御丁寧なアナウンス。ますます免許センターみたいです。
えらい、並んでんなあ。こんなん、いっぺんに入るくらい大きいんか?本堂は?
兄貴と付き添いのうちの奥さんと3人で並びながら、そんなことを話しながら、 列に並びます。

それにしても、人が多いなあ。これみんな、厄除けやろ? しかも、次々にやってるやろ?
そんな会話をしながら並んでいると、本堂の方から、坊さんのお経を読む声と、 鉦やら太鼓やら、が聞こえてきます。
なんや、なんや、もう始まったんか?
まだやろ、列が全然動いてないし。
そうか、そうやなあ。時間かかるなあ〜。

明日に続く。



2009.1.12

新年ですから楽しい話題を送りたいのは、山々なれど、年末からのイスラエルによるガザ地区攻撃は、まったくもって許しがたい。国連決議も無視ですか。ハマスのロケット弾攻撃も同じく許しがたい。結局、テロもテロとの戦争も何も解決せえへん。無辜の市民がぎょうさん殺されるだけ。爆殺された子どもが、ハマス??

「国連決議を無視した」「大量破壊兵器を持っている」というアメリカのイラク戦争の大義名分は、イスラエルには通用せえへんのやね。「ダブルスタンダード」 という、中東でのアメリカの評判がよけい強うなって、テロは一層増幅される。
そういえば、髪を振り乱してイラク戦争を支持した、かのお方は、子どもに「地盤」を譲って勇退(?)したんでしたなあ。
わたしら日本人は、人殺しに手を貸した責任と言うものがありますわね。忘れることは許されまへんわな。


さてさて、驚き桃の木のさる有名なお寺さんのお話。
神さんも仏さんも信心してない、けしからん私が「厄除け」なるものにチャレンジすることになったのは、こういう訳です。
(信心してないですが、初詣もしますし、観光にいっても、お寺さんやお宮さんで、ちゃんと手を合わせまっせ)

うちの母親が「厄年やからね」とお金を送ってきたんです。
「えっ? 厄除けなんかせえへんでぇー」と思いましたが、送られてきたもんを返すわけにも行かん。
かというて、別のことに使うたりしたら、それこそ罰あたりですがな。
「まあ、親孝行やと思うて、行っとこかいな」
と、年子の兄貴を誘うて、うちの奥さんと3人で、例のかの有名なお寺さんに出掛けたわけです。

最寄の駅のマクドナルドで、兄貴と待ち合わせ。(ちなみに、マクドナルドに行くのは、うん十年振りでしょうか? 
この日以降も、今に至るまでたぶん足を踏み入れていないと思います)

続きは、また明日。




2009.1.9

帰省した折、田舎の神社に初詣に行ってきました。
このお宮さんは、昔々は並んで拝んだ覚えが全然ないほど、すいていると言うか、地元の人しか行かんというか、ひっそりしたお宮さんやったのに、いつの頃からか賑わうようになって、今年の初詣も並んだ、並んだ。
ここ数年毎年のことながら、みんなが行列を作って並んでる横を、高速道路の路肩走行みたいに、順番を抜かして前に割り込んで行く人の多いこと、多いこと。まあ、何ですな。
新年早々、神さんの前で、「自分さえ良ければよろしい」という自分をさらけ出して、罰でもあててもらおうという、ものすごく殊勝な方々ですな。私らみたいに、神罰を恐れる小心者は、そんな真似おおっぴらにできませんわ。せいぜい、屋台の鯛焼きを買うとき「そっちは冷めてるから、こっちの熱いのにしてえやぁ〜」と物凄く細かいことを要求するくらいが関の山ですな〜。

「苦しいときの神頼み」・・・今年はどこの神社仏閣も賑わっていたようです。
かく言う私も、神さんも仏さんも別に信仰してないんですが、初詣には行きますし、大晦日にお寺さんに行って檀家の皆さんとお経を唱え、除夜の鐘を撞きます。
厄除けにも行きました! なんや、何やかや言うて、信じてるやん! というご批判もございましょう。まあ、母から「厄除けに行ってきぃや」いうて、お金を送ってこられたら、行かなしゃあないですしね。ところが、厄除けに行った関東地方のある有名なお寺でビックリ仰天、お釈迦さんも腰を抜かす事態に遭遇したのです〜!
(名前を挙げても構しまへんが、あえて匿名のお寺さんにしときましょ)

それは、・・・・・・。続きはまた次回のお楽しみ・・・。




2009.1.6

あけましておめでとうございます。
今年も身近に巻き起こる騒動を過去の記憶も呼び起こしつつ、書いて行こかいなと思いますので、
どうぞ広〜い心でお付き合いくださいませ。

さて、お正月休みの間にブログを読んでくれた大学の後輩から感想が届きましたので、ご紹介しましょう。

中日ドラゴンズファンのHです。
私は、ブログを見たり、メールを出したりすることはほとんどしないのですが、ヨネさんのブログを見て、懐かしさのもあって メールを送ることにしました。なぜか、若いころから、いろいろな武勇伝のある人だったなあと思い出しながら、ブログを読んでいました。(まあ、ヨネさんの裏の武勇伝はとてもブログには書けないようなことばかりですが・・・)
ただ、学生時代と変わらない正義感、熱血漢、アホさかげん・・・
いろいろあって読んでいて楽しい話ばかりでした。
これからは、時々、一声社のホームページを見てみようと思います。
今年こそ、中日ドラゴンズの優勝を!
(東海地方に住み、教員をやっているHより)

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