こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。
このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、
興味のあるものからお読みください。




2009.4.7

赤福の君、と私が勝手にお呼びしている方のお話を当サイトにてしましたところ、
「奈良の人やのに、しゃべりが東京弁になってるやん!」
と、あるブログファンの方(単なる昔の友人)から言われました。

そうなんです。かのおばあ様のお名前(苗字だけ)はしっかりと覚えていますし、 家の感じも何となく覚えているのですが、おばあ様の口調を書こうとすると、東京の方のようになってしまうのです。
奈良弁でしゃべっておられたとは、到底思えないのです。

おそらく、ついぞ聞いたことのない丁寧なお話のされ方だったので、頭の中の記憶がすっかり「標準語」に切り替わっているのでしょう。

「記憶」というのは、かくも曖昧なもの。夢夢、油断召されるな。



2009.3.28

奈良で、おばあ様のお話を伺っていたよ、パート3

食事のすぐ後なのに、伊勢の赤福を2こも食って、小さな胃袋が悲鳴をあげている、20代後半のわたし・・・。

「何を、若い人が! 3つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」
「いえ、もうお腹いっぱいですから。ほんまに」
「若いうちは、もうアカンと思うてから、まだまだ食べられるもんです」

人生訓としてなら、おばあ様のお言葉は大変ありがたい。
「若いうちの苦労は、買うてでもせえ」
と、言われますから。
でも、赤福餅をぎょうさん食べるこの苦労は、先々何か自分の人生にプラスになるんやろか?
いやいや、損か得か、プラスになるかマイナスか、そんなことで判断したらアカン! 
そう自分を納得させ、半分やけになり、
「ありがとうございます。あと、2こいただきます」
「よろしゅうに」

おもむろに、赤福を2こ口に入れ、あいかわらず硬いお餅を必死に噛み下し、ずしりとしたあんこをのどに詰まらせながらも、無事飲み込んだのであった。
(合計5個)

すでに限界は遠に過ぎている。気のせいか、足の痺れは感じなくなっていた。
もう麻痺してしまったのか、食べることにあまりに集中していたので、忘れていたのか、それは定かではない。

しかし、お腹はもうアカン!これ以上長居すると、胃の内容物が逆流する恐れ大!
(お食事中の方、申し訳ございません)
「では、これにて失礼します。長居をしてしまい、おやつもたくさん頂戴し、本当にありがとうございました」
「はいはい、お疲れ様」

逃げるように立ち去ろうとした時、すってんころり!
今頃になって、足の痺れが・・・。
そうか、お腹のケリがつきそうやから、こっちに意識が戻ったのか〜!

「あらあら、大丈夫? 若い方は、だらしないわね。あれくらいの正座で」
何か言おうにも、足がじんじんと、嫌〜な痺れ方で、ものが言えん!

ちくしょう!っと、おもむろに立ち上がり、にっこり笑って
「大丈夫です。失礼します」と、足早に立ち去ろうとする背中に届くおばあ様の元気な声。

「今度は、お団子にしましょう! お団子なら、もっと食べていただけるわね」

・・・・・・・・
「おだんご」という言葉さえ、体に入っていかない状態の私は、
意識がスッと遠のくのを感じながら、餅飯殿通りから、三条通を経て、小西通りのイズミヤへ駆け込んだのであった。
(餅飯殿通りという名前が、また腹いっぱいですがな)

後日、またまたちょっと干からびたお団子を山ほど食べさせていただいたのは、言うまでもない。

(赤福には罪はないけど、お腹はもうアカンの巻 これにて完!)


2009.3.27

奈良で、おばあ様のお話を伺っていたよ、パート2

おばあ様の客間に上がりこみ、じっとお話を聞いていた20代後半の私。

脂汗をたらしつつ、意識が遠のくのを感じながら、「いっそ、楽になりたい」―
そう、自暴自棄な考えが頭に浮かんだ頃、おばあ様が仰られました。
「そろそろ、おやつにしましょう」
「いえ、そんな。そこまで甘えるわけには・・・」
「何を、若い人が! 遠慮なんかしなさんな」

・・・甘いものは好きなれど、猛烈な足の痺れと、かしこまって聞いているために起こる全身の硬直に、耐え切れない・・・・

「さあ、これをお食べなさい」
出してくださったのは、名物伊勢の赤福。
(昨年いろいろありましたが、『白い恋人』にしろ『赤福』にしろ、報道がどうあれ、あまり気にしてません。
添加物偽装やBSE牛肉とかなら気にしますが。ちなみに、赤福餅は奥さんの大好物です)

「ありがとうございます。でも、ご飯を食べたばかりなので・・・」
「何を、若い人が! 遠慮なんかしなさんな」
「では、1つだけ」
もぐもぐ、んん? 硬い・・・。
そうです。ちょっとお日にちが経っていたようで、硬いのです。
でも、そんなことは、顔に出すわけにも行かず。
ようやく、飲み干したものを胃袋で感じながら「おいしかったです。ありがとうございました」
と、辞そうとした、そのときです!

「何を、若い人が! 1つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」
「いえ、もうお腹いっぱいですから」
「まだまだ、食べられます」
・・・人の腹なのに、なんでそこまで言い切るんでっか?・・・
「でも、食事をしたばかりですし」
「甘いものは、食べられます! さあ、さあ」

さあ、さあ、さあ! と迫り来るおばあ様のお勧めに抗しきれず、ついに折れるわたしの薄弱な意志。
「ありがとうございます。では、もう1こだけいただきます」
「1こずつなんて、小刻みなことせんと、2つくらい、いっぺんに食べなさい」
・・・なんと、あと2個いっぺんに食えと、この小柄な私に?・・・
しかし、おばあ様の目は、赤福をつまむであろう私の手にじっと注がれています ・・・
しゃあない!こうなったら!
意を決して、赤福餅を1こつまんで口に放り込み、さも美味しそうな顔をしながら、もぐもぐと必死に噛んで飲み込む辛さよ。
・・・アカン。お腹が一杯や。
足の痺れよりも、お腹の方が辛くなってきた・・・

「ほんま、おいしかったです。ありがとうございました。
それでは、長居してしまいましたから、そろそろお暇しますわ」
そのとき、おばあ様の目がきらりと光ったのを、確かに見ました。
「何を、若い人が! 2つだけなんて! 遠慮なんかしなさんな」

んぐぐぐ〜。まだ、食べろ、と? 
危うし!ヨネのお腹! この結末やいかに!

またまた、明日に続く!



2009.3.26

あるおばあ様に、何やら妙に気に入っていただいたて、ちょっと四苦八苦したこがありました。

あれは、20代後半の頃やろね。
奈良に住んでいたわたしの近所に、あるおばあ様がおられたとな。
何かで顔見知りになり、家に上げていただくようになったんです
。家が、さすが奈良と思わせる、古い木造家屋(平屋)で、木製の門をくぐって、庭のようなところを過ぎ、玄関を開けると、土間があります。
ここまで書くと、ものすごい立派な邸宅を想像されるかもしれませんが、そういう感じではありません。

「まあまあ、あがりなさい」
畳敷きの客間から、土間に立っているわたしに、声をかけてくださいます。
「いえいえ、そんな」
と言いつつも、次の瞬間にはあがりこんでいたのです。

「わたしはね・・・」
という身の上話から始まり・・・。
その方は、昭和天皇のときの皇后ともお付き合いが有る(と、その方が仰るには)そうで、
「おもう様、とお呼びしてます」(それが、どういう関係を呼ぶ言葉なのか、その当時も今も、よく分からないのですが)
「そうですか! やっぱり、奈良ですから、皇族とも縁があるんですねぇ」と、感心しつつ、
「はいはい」「そうですか!」「それはすごいですねぇ」と入れる相槌。
そのおはなしよりも気になるのは、さっきから痺れっぱなしの足。
「そろそろ、話は終わるかなあ。ちょうどキリがええときに、お暇しよ」
そう、思っても中々話の切れ目がない。
「ここが潮時や!」とわたしが判断した次の瞬間には、別の話題に移るおばあ様の話術の巧みさよ。
「わたしが、女学校に行っていた頃ね・・・」
「はい」
・・・もう、限界や・・・・
「私の生け花のお師匠さんがね・・・」
「ええ」
・・・もうアカン!・・・

明日に続く!

 



2009.3.24

ダイヤ乱れの続き。
私が利用してる駅の下りが、毎日遅れてるんです。
「○○線からの進入遅れのため」「○○線内お客様混雑のため」
朝は、毎日毎日、アナウンスしてます。それが、5分とか10分とか、結構な遅れなんです。
それ、思うんですけど、ダイヤに無理が有るんちゃいますか? 
毎日、遅れてるんですから。そもそも、遅れることを見越して、ダイヤ組んでくださいませんかね。

最寄のバス停の時刻表も、むちゃくちゃなんですよ。いつも遅れてるんです。
それが、毎日「この時間に来るヤツは、大体4分遅れるで」とか、
「この時間は、ちょうどくらいに来るで」とか、決まってるんですよ。
みんな、それを知ってますから、大体その時間に並びます。
しかも、しかーも、全然来うへん時間帯が有るのに、2台続けて来る時間も有るんでっせ〜!

それで、私なんぞはいつも思うんですが・・・。
「毎日、ダイヤが乱れてるんやから、現状に合うたダイヤに書き換えてや!」

ここいらの方は、辛抱強いのか、文句も言わずに並んでます。
このバス会社は結構横着で、乗客が詰めたらまだ乗れるのに、「詰めてください」
とも言わずに、満員通過するような運転手さんもちょこちょこおるんですわ。
雨の中、寒い寒いのに、時間通りに来んバスを「まだか、まだか」と指折り待ちながら、遠くにバスの姿が見えると、
「あ〜!やっと来た〜っ!」と救われた気分のとき。
バスがようやく、目の前に来ました。ところが、止まらんと行ってしまうんですよ!
そのバスは、ぎゅうぎゅうなのは、入り口付近だけでっせ! 後ろのほうは、空いてまんねん。
散々待たされた挙句、詰めたらまだまだ乗れるバスが、そうやっ
て満員通過してみなはれ、こっちは鶏冠(とさか)に来まっせぇ〜!

まだまだ修行がタリンとはおもうけれど、怒らなアカンときもありますわな。



2009.3.23.

今日は、強風で電車が止まっていました。
かなり迂回しないと会社にたどりつけないので、遅刻してしまったのです。
強風で止まるのは仕方ありません。
強風で走って、列車が落下した「余部鉄橋」の事故もありましたし。
それよりも最近目立つ「信号機故障のため」「車両点検のため」という電車の遅れ・・・。

国鉄がJRになって、「改革だ」と喜んでいた向きもありますが、車両や線路の保守点検の方は当時より相当数減らされているようです。
あの頃、「車両が○メートル行き過ぎてバックした!」とか、
「今日も、信号機故障!」などとやたらめったら、事あるごとにテレビや新聞で騒ぎ立てていましたが、今やったら、ニュースに困りませんよ。
大体毎日どこかでその手のことがありますから。
私が乗っている電車も、連日のようにとは言いませんが、行き過ぎてバックしたり、信号機故障・車両点検でストップしてまっせ。なんで、今は
ニュースで流さんのでしょうねぇ?

それに、あれはどうなったんでしょう? 
民営化したらどんだけ、サービスがようなるか、ちゅうお話の中で、「東京を走る中央線は、いつも殺人的なラッシュ。
民営化したら、中央線を複々線にします!」
いうてぶち上げてたはずやのに、あれはいつになったら実現するんですやろ? 
もう、20年から経ってまっせぇ。えらい長いことかかってまんなぁ。
まだ、構想を練ってはんのやろか?

素朴な疑問なんですけど、JRは民間の会社ですわね。
民間の新幹線を、なんで国民の税金で作るんでっか? 東武鉄道やら阪急電車やらの線路を、税金でつくってるんですかね? 地方は、これ以上新幹線の負担を分担できん! いうて、話
題になってましたが、そもそも何で税金でつくるんでしょう? 国営ですか? 

簡保の宿が話題になりましたね。
財産を、民間に一山いくらで投売りする、例のアレ。
1万円で買うて、3000万円で売ったとか、いろいろありました。
そんなん、わたしかて1万円やったら買うたのに、なんで教えてくれんかったんでしょうなぁ。
ほんま、惜しいことですわ。
明治時代の官有地払い下げと同じですな。国が作って、民間にタダ同然で譲り渡すっちゅう。
そうか! それで、「民間で出来ることは民間で!」いうて、やたらめったら騒いではった訳ですな。
一言で言うたら、「国民の財産を、民間(という名のごく一部大企業)に差し上げる」と。
なんや、それやったら、そう言うてくれはったらええのに。

とかなんとか、言うて、やっぱり休み明けは体がえらい、えらい。
なかなかエンジンがかかりまへん。

 



2009.3.20

先月、大学時代の友人が「八朔」(はっさく)を送ってくれました。
和歌山県で教員をやっていて、みかん農家に嫁いだダチです。
このブログも読んでくれているそうで、「おもしろいなぁ。
大学時代を思い出したわぁ。お店の名前とか、忘れてしもてて、このイニシャルはどこやったかな、とな。
思い出せへん。歳とったなあ」と、言うてました。

八朔は夫婦とも大好物なんで、いつも美味しくいただいているんですけど、みかん農家は労多くして見入りは少ない、ほんまに苦労なようです。 「輸入物に押されてんのに、この不景気やろ。やっぱり、食べんとこ、と思うやろからなぁ」

この前は、「青森りんごが、雹害で出荷できず。 りんご農家呆然」の記事を連れ合いと読んで、
「何か少しでも、役に立たんとなぁ」と「雹害りんご」を1ケースだけですが送ってもらいました。
家で毎朝果物ジュースを飲んでいるので、まったく何の問題もないりんごです。
それが、埋められたり、捨てなアカンやなんて。

我が家も、もともとは百姓ですから。
私ら兄弟妹も、田植えや稲刈りの時期、田舎に帰って手伝いと言うか邪魔と言うか、してました。
農家には、時給もベースアップも退職金もありませんわな。
苦労して育てたもんが、災害や病気で全部パーになることもあります。
でも、国民の大切な胃袋を預かってる、大事な仕事。
それを、「米、作るな」いうて減反を押し付けて(従わんとお米を作るもんには、ペナルティですから)、アメリカとかから輸入米をわざわざ買うやなんて・・・。
去年は、汚染米とか大分世間を騒がしましたが、あれも誤魔化しが多かったですねぇ。
まず、輸入義務という話。輸入した商社やのうて、それを買ったなんたらフーズとかいう小さな業者にだけ罪をかぶせて政府も商社も頬かむりした話。いつの間にか、何も解決してないのに輸入再開した話(そういう話は、BSE牛肉のと気もまったく同じでしたね)。

連れ合いともよく話しているのは、やっぱり地産地消。
子どもらの給食の食材を輸入の安いものにするのは、ほんまに怖い。地元の食材でええやないですか。
地球温暖化とかエコとかいうてるんやったら、なんで石油だのガソリンを撒き散らして、遥か彼方から食品を持ってこなあきませんねん。できるだけ地元のものを地元で消費したら、ほんまにエコです。
テレビのグルメツアーとか、大食い選手権とか(さすがにひところより減ってるようですが)、もう、そろそろ止めましょう。この日本で餓死してる人もおるのに。世界に目を向けたらもっともっと。

地元の農産物を、地元の消費者が作っていく。安心安全で美味しいものを、みんなで作っていきましょう。



2009.3.18

今日は、うちの母親の話です。まあ、ちょっと聞いてくださいませんか?

よう、しゃべるんですわ! しかも、話が要領をえんし、長〜い長い!
私ら夫婦も家におることがあんまりない(仕事も夜遅いですし)もんですから、何かの用があって我が家に電話してきたときは、留守番電話が対応します。
そこに、吹き込むんですけど、長々としゃべるもんやから、すぐに時間オーバーで切れてしまう。
それでまた電話して吹き込む、っちゅう繰り返しです。
例えば、ある時。

「あっ!留守番電話が点滅してるわ!誰やろ? ポチっと・・・」

<< 新しい一般録音は、3件です。3月18日、午後2時45分>>
「もしもし、お母さん。今日はなんや、あったかかかったなぁ。
いやいや、暑い暑い、ぶるぶる汗かいたで。東京はどう? 
いやいや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ・・・。そうやそうや、それがなぁとちがう。
えらいこっちゃ、忘れるとこやった! この前、ありがとう! ほんま、助かったわぁ。
すぐに電話しよう、しよう、と思てたのに、なんやかんやあってなぁ。いや、それが」

プツっ・・・・・・。

なんのこっちゃ、さっぱりわからんやんか。今日のえらいことはなんやったんや。
その後、何か言うてた、なんやかんやのえらいことっちゅうのは、またなんやったんかいな? 
あと、2件もお母ちゃんとちゃうんかいな? 

<<2番目のメッセージです。3月18日、午後2時50分>>
・・・やっぱり、この時間やったら、まず間違いないでぇ!

「もしもし、お母さん。」
・・・ほれ、見てみぃ!やっぱりな。
「いや、さっき電話したのに、すぐに切れてしもて、ほとんどしゃべれんかったわぁ。」
・・・十分しゃべってたでぇ。
「いやいや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ、診療所の前でな、朝おったらなぁ。あはははは。ああ、おかしい!」
・・・そやから、その「おかしいこと」を教えてんかいなぁ。
「今朝からな、一人で笑てたんや。あははははは。いやっ!そうやそうや。
忘れるとこやった! えらいこっちゃ〜。この前は、ありがとう!」
・・・そこも、聞いたで。そっちは、ええから今日の話を、お願い!
「みんな、喜んどったったでぇ。ほんまに、ありがとう。感謝します。
みんな、言うたらな、いや、これは関係ないんやけど、ほんま業わく業わく! 思い出しても、腹立つわ!」
・・・また、新しい話題か! 最初に戻って戻って!
「いや、それがな、先月やったか、先々月やっ」

プツっ・・・・・・。

・・・そやから、言うてるのに〜! 切れてしもたやんかいな。
第3の話題の方は、また今度にして、第2の話題も横に置いといて、最初の「今日のえらいこと」を教えてんかぁ!

<<3番目のメッセージです。3月18日、午後2時55分>>
・・・やっぱり、3件目もお母ちゃんやんか。

「もしもしぃ、なんや、すぐに切れてしまうから、もう、しゃべれへん!」
・・・そこを言うてたら、時間が来てしまう!
「もしもし、お母ちゃん!」
・・・また、そこからまた始めるんか〜!
「いや、それがなぁ、あははははは。もう、笑てまうわ〜! 今日なぁ、あはははは。えらいことやってんわぁ。
それがなぁ、診療所の前でな、朝おったらなぁ。あはははは。ああ、おかしい!今思い出してもおかしいわぁ。」
・・・頼むから、そこは飛ばして、要点を教えて!
「朝起きてな、診療所に行ってな。それがまた早うから、並んどってんやがな。
みんな。おじいさんとおばあさんやがな。
それが、自分の方がおじいさんの癖して、『おい、おばはん!』とか呼ぶもんやから、知らん振りしとったんや。
ほしたらまた、『おい、おばはん!』とか言うから、また知らん振りして、また『ちょっとそこの、おばさん!』言うから、頭来て、『わたしは、アンタのおばはんとちゃうわ! アンタにおばはんと呼ばれるほど歳取ってないわっ、いうて言うちゃった。
ほな、『えらい、すんまへん』やて。謝まるんやったら、最初っから言わんかったらええのに」
・・・今日のえらいことは、それやったんか? それにしては、「ああ、おかしい!」とか言うて、笑うてたのに。
「いやいや、それが言いたいんとちゃう!」
・・・留守番電話が、僕の独り言に応答してるで! こっちのほうがビックリや!

【おい、いつまでしゃべっとんどいや! 隣保の寄り合いに行くど】
ここで、お父ちゃんの怒鳴り声入る。
「えっ? ああ、わかっとう、わかっとう! まだ、そんな急がんでもええのに。
お父さんは、ほんまにせっかちなんや。この前もな」
・・・話はそっといに行かんといて、もう、切れてしまうで!

【靴下、どこや〜】
・・・お父ちゃんも、靴下くらい自分で仕舞うとけっっちゅうんや!
「ハイ!ハイ! もう、うるさい、うるさい! ごめんな、またかけるわ、お父さんがうるさいから」

プツっ・・・・・・。

ツーツーツーツー。

結局、「その日あった(えらいこと)」も「僕のことから、話題が移った(なんやかんやあったこと)」も、「ほんま(業わくこと)」も、「お父ちゃんのこの前の(せっかちなこと)」も、何一つとして解明されなかったのである。

後日、「あの時、何が言いたかったん?」と聞くと、
「あの時って、いつ?」
「ほら、留守番電話に何回も吹き込んで、時間切れになってしもたやつ」
「そんなこと、あったかいな。忘れてしもた。忘れるくらいやから、まあ、大したことないやろ。知らんけど」

4つの事件の糸は、ここでぷっつりと切れてしまった。
何ら手がかりの得られぬまま、事件は4つとも、ここにめでたく揃いも揃って迷宮入りしたのである。

我が家の留守番電話は、今日も今日とて、お母ちゃんからの、長長として、要領を得ない話を次々に黙って飲み込むのだ。
結論には一切たどり着けないもどかしさも、留守番電話にとっては有る意味、楽しいことなのかもしれない。
ああ、留守番電話よ、お仕事お疲れ様!


2009.3.13

ネコ事件その3

ネコにおしっこをされ、自分の布団は雨に濡れてしまったので、臨泊室で借りた布団で何日か寝ていたわたし。

「雨ばっかりやなあ。寒いしなぁ。そろそろ自分の布団で寝たいわ」
そう思っていたとき、あまりに寒いので小便が近くなり、トイレに行きました(もちろん、共用)。
ちなみに、2階へ上がる階段は、トイレの前にあったのです。
昔の木造校舎の階段みたいに、手すりの大きな幅広の階段です。

自分の部屋から出て、トイレに近づいたとき、例の布団を取り入れてくださった先輩がちょうどトイレから出てきました。
「あっ、先輩。この前は、ありがとうございました」
「ああ、別にええけど。それより、この布団(トイレ前の階段の手すりにあり)、 いつまでここに干しとくんや」
「雨ばっかりですから、取り込めんのですわ」
「ここに干してたらな、みんな、トイレから出てきて、ヨネの布団で手ぇ拭いてるど」
「えぇ〜えっ! 僕の布団が、便所のお手拭になってるんですか〜!」
がっくり。
ネコに小便され、外に干したら雨に降られ、中に取り込んだらお手拭になり・・・、あ〜哀れな布団よ。君を泣く・・・。

そんな布団なんか、捨てたらええのに、と思われるでしょう。
でも、私にとっては貴重な財産。寮に入るに当たって持参したのは、布団と洗面用具などだけ。
「あとは、先輩が貸してくれる」
の言葉に素直に従い、しかも日々それを実践しつつ、生きてきたのです。

この布団は、捨てられん!
雨が上がった次の日、早速布団を干し、講義など行っている場合ではない!とばかり、布団を監視しつつ、裏返し、もう一度また裏返し、ちょっと表面を石鹸水でふいてみたり・・・、
「あ〜、忙しい、忙しい。ネコの手も借りたい」
などと、一人で洒落を飛ばしながら、延々と干し続けたわたし。

「これで殺菌も出来たやろ」
何の根拠もなくそう思った(思い込もうとした)わたしは、以後そのネコ布団をずっと使い続けたのであった。

実は、ネコ事件にはまだまだ続きがあります。でも、今日はこの辺でお開きにしましょう。


2009.3.12

「ネコ事件」その2

ネコのおしっこでしっぽりと濡れた布団と、その上でじっと寒さに震えながら寝ていた大学生の私・・・。

「なんじゃ、こりゃぁ〜!」
と叫び声を上げ、同時に臭いに気づきます。
「むむむ、臭い、匂うぞ! 何やら、事件の臭いがする。分かった!ネコや〜!」
ネコ部屋と化した男子寮談話室のドアを開けたときの臭いそのままが、まさか自分の布団から匂ってくるとは・・・。
ネコが勝手にこの部屋に入り込んで、勝手に私の布団にもぐりこみ、勝手にお小水をお出しになった・・・。
一方、蚤を大発生させた無責任なネコ飼い人たちが、他人の部屋でネコを可愛がったあげく、私の布団で遊んでいた「事件」の可能性もある。
事故と事件の両方の可能性を、慎重に見極めなければならぬ。んんん〜む。
とか、気取ってる場合やないやろっちゅうねん! どないすんねん、このネコ臭い布団!
その夜は、仕方が無いので、布団無し。厚着をした上で、毛布に包まって、眠れぬ夜を過ごしました。

翌朝、燦燦と太陽が輝く、すがすがしい大和路。
「そうだ、京都行こう! ちゃうがな、そうや、布団を干そう!」
寮の中庭にある物干し台に布団をかけ、ネコのおしっこと臭いが取れるように祈りながら、大学へと向ったわたし。
しかし、悲劇はこれだけでは終わらなかったのである。

大学の講義を終え、クラブの練習をし、アルバイトから帰ってきた夜遅く、先輩から声をかけられました。
「ヨネ、お前、布団を干したままやったやろ。雨が降ってきたから、中に入れといたぞ!」
「あっ」
そうなんです。夕方くらいに雨が降って来て、しばらくしとしとと降り続けていたんです。
空を見上げて、「雨か〜。いややなぁ」とつぶやいたときに、何やら妙な違和感があったのです。何か重大なことがあったような・・・。ん〜? まっ、ええか。思い出せんのやから、大したことないやろ。そう思い込んだ自分が恨めしい。

「すみませんでした。ありがとうございます」
「ええけど、大分濡れたぞ。階段の手すりに干しといたから」
「ほんま、すみません!」
私のネコ布団は、寮の2階へとあがる階段の手すりに干してありました。
「あ〜あ、これやったら、今日も布団を使えへんがな。しゃあない、臨泊室の布団をしばらく借りよ」

(注意)臨泊室とは、ベロベロに酔った学生が放り込まれる部屋、外部から来た学生を泊める部屋ことで、そこの布団は汚物にまみれることもしばしばあり、決して美しいとは言えない。

その日からしばらく雨が続き、ネコ布団は外の太陽で干せないまま、階段の手すりにそのままずっと干してあった。そのことが、第3の悲劇を招こうとは、この時点では御釈迦さんでも予想できなかったであろう。

続きは明日!


2009.3.8

以前、噛まないはずの犬に噛まれた事件をお知らせしました。
今日、図々しくも家に入ってきたネコを見て、「ネコ事件」を久々に思い出しましたぜ。

まず、今日のネコ。前から、家の前にちょこんと座ってこっちの様子を伺ってるなぁ、と思ってたんですよ。
つい先日も奥さんが「ネコが、わざわざドアの前を行ったり来たりして、ちらちら中の様子を見てるんや」と言うてたんですよ。
そしたら、ついに「ぽんっ!」と玄関に飛び乗って、上に上がってきました。
「ここは、あんたの家とちゃうよ〜」。

あれは、大学生の頃。前にも申し上げたように、男子寮に住んでいたわたし。
そう、1回生のときやったね。
近所の人が、ネコを捨てに来るんですよ、寮に。 敷地広いですしね。
昼間は、人がまばらですから、捨てやすいでしょう。
そやけど、捨てられた側はたまりません。
また、それをよせばいいのに、飼うヤツがおるんですよ。責任も持てんのに。
結局、蚤が大発生して、生まれて初めて蚤に噛まれました。
昔の人ならいざ知らず、なんで蚤に噛まれんとアカンのんですか。
不埒な連中がネコを飼っていた部屋は、蚤部屋と化しました。
その部屋のドアを開けて、中に入った途端、わっっと蚤がたかるのがわかるんですよ、足にね。
そんなことを描いていたら、なんやら、痒くなってきました。

これがネコ事件?
いえいえ、まだまだ前振りですわ。
あの時、ネコを飼っていたり、可愛がっている連中は、なぜかアルバイトにもいそしんでいない暇な奴が多かったんですかねぇ、人の部屋に猫を持ち込んで可愛がってたりするんですよ。
ミルク上げたり・・・。何でか、「自分の部屋」では世話をしないんですよ。

そいつらが私らの部屋でネコを可愛がった挙句、2段ベッドの下にあった私の布団にくるんだりして、遊んでたらしい。そんなことは、後で分かったんですけどね。
散々、ネコと遊んで自分の部屋に戻ったそいつら。
私は、夜遅くに、疲れてアルバイトから帰って来ますわな。
その時間、寮のシャワーは、もう出ません。銭湯も近くにあるんですけど、やっぱりぎりぎりの時間。
疲れてるし、きょうはもうえええか。
「ああ、疲れた。今日は、もう寝よ」
そうやって、布団に入って、しばらくしたその時です。

「んんっ? 今日はやけに布団が冷たいなぁ。
でも、中々布団があったまらん時もあるし、やっぱり風呂に入ってないから、身体が心から冷えてるんかいなぁ?」

と、気を取り直して、もう一度寝なおそうとしました。
しばらく目をつむって・・・。

「あれ? それにしても、いつまでもぬくうならんなぁ。おかしいな、んん?」
と、思い切って起き上がり、布団をめくったその時、私が目にした物は!

ふとんに広がる、世界地図、いえネコの縄張り地図・・・・・・。

「なっ、なんじゃ、こりゃー!」
と、松田優作みたいな声を上げたのは、言うまでもありません。

ネコが私の布団で気持ちよくおしっこをしていたのです!
しかも、しかーも、私はその上でしばらく寝ていたのです!

この話はまだこれでおわりではない、まだまだ続く。


2009.3.7

先日、重松清さんの『きみのともだち』をお勧めしました。
この本は、誰しもが持っている(特に子どものときに)、自己中心的なところ、 意地悪なところ、心とは裏腹なことを言ってしまうところ、責任転嫁をするところ、などなどがリアルに描かれていて、「でも、ちょっと待って」と言っているように思います。

ちょっと待って、その、ちょっとした意地悪が、その子にとってどれほど大きななことなんだろう、その子が「うん、わかった」と言ったことが実はどれほどの重みを持っているのだろう、それでも人間って捨てたもんじゃないぞ、と。

荻原浩さんも、私たち夫婦の大のお気に入り作家です。
『誘拐ラプソディ』『メリーゴーランド』『神様からひと言』『母恋旅烏』『オロロ畑でつかまえて』など色々お勧めですが、今日は『僕たちの戦争』をお勧めします。

タイムスリップして・・・、というと「ありがちな設定」と思われるかもしれません。
でも、現代の若者が「あの戦争のときの、この雰囲気・流れ・プロパガンダに乗れるの?」と、「笑い」の中で問いかけていると思うのです。「笑い」というのが、とっても大切!
その時代・時代に、強力に宣伝されることを、ちょっと離れたところから笑い飛ばしてみると、案外真実が見えてくることが多いですね。
『僕たちの戦争』は、もっともっと読まれていい作品だと思います。


2009.3.4

先月、『おくりびと』と『つみきのいえ』がアカデミー賞を取りましたね。
まあ、賞というモノにはあまり関心が無いのですが、『おくりびと』は実際に観た人から「あれは、ええで」と勧められていたので、「観たいみんや」と改めて思いました。
『つみきのいえ』は、全くその存在さえ知らなかったのです。
『つみきのいえ』? ああ、娘が非行に走るヤツやろ? 
それは、『つみきくずし』やっちゅうねん!(不勉強で申し訳ありません)
でも、断片的に流れる映像やあらすじを見ると、観てみたい気がむらむらと起こります。

去年観た映画の中で、「良かったな〜」と全く個人的に思っているのが、『きみのともだち』。
重松清さんの原作もお勧めですが、映画もとても好感が持てました。
予算が豊富ではないんやろな、と思わせるのですが、その中で美しい映像に仕上げていたのではないかと思います。物語のピンともあっているように感じました。
重松清さんも同年輩ですが、『半パンデイズ』とか『きよしこ』『口笛番長』『流星ワゴン』などなど、心に残る作品をたくさん出しています。
ちょっと出し過ぎかも・・・。『青い鳥』は、映画も悪くは無かったですが、原作本のほうがお勧めでした。

あと、『クライマーズハイ』。これは、横山秀夫さんの原作も映画もお勧めです。
原作よりも、映画の方が墜落原因への疑問が色濃く出ていて、分かりやすいと思います。
横山秀夫さんは、あと『出口のない海』。これは、映画よりも原作の方が断然良いと、勝手に思っています。
もちろん、大分前に彼の原作を三枝義浩さんが漫画化した『語り継がれる戦争の記憶』シリーズもぜひお勧めです。

日航ジャンボ機墜落は、また書くこともあるかも知れませんが、乗客は「殺された」のだと思います。
誰に?・・・・。
「悲惨な事故」というと、それだけで考える力がストップしてしまいます。
「100年に一度の不況」というと、まるで大災害だから仕方ない(責任無い)と、感じるのと同じようなもの。


2009.3.2

まだまだ続く、電話の話。
今度は、こっちの間違い。
今は、電話機や携帯に相手方の電話番号とか登録してますから、そんなことはないんでしょうが、昔はアドレス帳を見ながら、電話してましたよね。いくら、まだまだ目がええ若い時分やいうても、アドレス帳は、罫が細いんです。
上下との区別が付きにくいんですよ、定規とか当てとかんと。
おまけに、学生のころなんかは、電話に出るのが、親やったり、下宿屋のおばさんやったりしますから、ややこしい。
学生時代のあるとき、電話室の公衆電話で電話を掛けてました。
アドレス帳を見ながら・・・呼び出し音が鳴ってる最中に、先輩が部屋に入ってきたもので、
「こんにちは! どないしたんです?おめかしして」
とか、受話器を耳と方の間に挟んだまま挨拶してたんです。すると、
「もしもし」
と、相手方が出ました。
慌てて、「はい、米山です!」と、まるで向こうからかけてきたみたいに、元気よく電話に出て、そこでハタと気づきました。
「そうや、こっちから電話したんやった。でも、誰にかけたんやろ? 
アカン、アドレス帳から目を離したから、誰にかけたんか分からんように、なってしもた! えらいこっちゃあ〜!」
「もしもし!もしもし! どちらさんですか?もしもし!」
「はい、米山です。あのう、そちらさんは、どなたですか?」
「はぁ?? いたずら電話かいな。ほんまに、失礼やな!」
ガチャッ、ツーツーツー・・・。
冷や汗モノです。
恥ずかしさのあまり、結局、誰に何の用事で電話をしようとしたのかさえ忘れてしまい、あとから、
「クラブの連絡が回ってこうへんかったぞ!」
という怒りを呼ぶことになるのです。
あの時電話してしまった方、決していたずら電話ではありません。御容赦ください。



2009.3.1

電話の話続き。
年末に、関西方面のお婆さまからの、留守番電話の話をここにのっけていましたら、神戸の親友が読んでくれていて(前に紹介した、酒屋をやっている友人です)
「いやぁ、時々ブログ読んでるけど、おもろいなぁ。この前の、間違い電話の話、よかったでぇ」
とのこと。
「あんなことなぁ、うちでもあるんや、間違い電話。それだけにおもろかったわぁ。
年末にもな、おばあさんから電話が掛かってきて、
『ちょっと、正月の間、止めといて!』って、突然言うねん。
「はぁ? あの、なにを止めるんでしょうか?」
『いつも来てるヤツやんか!』
「えぇ〜と、お米ですか?醤油ですか?灯油ですか?」
「ちゃうがな!なに言うてんねん! ふざけてんの? 新聞や、新聞! お宅から来てる、いつものヤツや! 新聞です!」
「あのう。すみません、うちは酒屋ですけど・・・」
「えっ? 酒屋が、新聞も配ってんの?」
「そんなわけないでしょ。新聞屋さんと間違えて、酒屋にお電話されてるんですわ」
「なんや!ほんまに、ややこしい、ややこしい。もっと、はよ教えてんか!」
ガチャッ、ツーツーツー。
これやがな。言いたいことだけ言うて切るよって、こっちの言いたいことはたまったまんまや。
暮れの忙しいときに、ほんまになぁ・・・」


2009.2.28

またまた、電話の話。
どうも電話ではトラブルが多いですな。
3年位前にも、このようなお電話がありました。

「もしもし、本の注文をお願いします」
「ありがとうございます。どの本がよろしいでしょうか?」
「『どんどこももんちゃん』『うごいちゃダメ』『もこもこもこ』・・・」
5〜6点おっしゃったのですが、全部他社さんの本でした・・・。
「すみません、それは全部うちの本ではないのですが・・」
「えっ? 売ってくれないんですか? もう、絶版ですか?」
「いえ、絶版ではありません。でも、うちが出している本ではないので・・・」
「絶版ではないのに、売れないんですか? 売ってはいけないんですか?」
「いえ、売っていますよ。本屋さんでは。でも、うちは出版社なものですから・・・」
「自分ところの本しか売りたくないと、そういう了見ですか? 売れない本を本で紹介しているんですか!」
「いえ、あの、つまり・・・、どのように御説明すればいいのやら・・・」

つまり、この方は、出版社を書店さん(もしくは、通販)と間違えているのです。
次に、うちで出版した『えほん 子どものための300冊』(日本子どもの本研究会)という、お勧め絵本のリストをご覧になって、「一声社に申し込めば、これらの本を販売してくれる」と、思っていらっしゃるのですね。
うちの本を読み込んでいただいたのは本当にありがたい、でもあちこちから取り寄せて売ることなどできないし、リストは通販カタログではないし・・・。

ごくたまにですが、出版社を書店と思っておられる方からの同様のお電話があります。
つい先日も、「紙芝居の舞台を売ってください」と言われ、「うちでは扱ってないのですが、A社さんかB社さんなら売っておられますよ」と、親切のつもりでお教えしました。
ところが、「じゃあ、電話番号を控えます」と言われ、沈黙されました。
内心・・、
「『申し訳ないですが、そこの電話番号はわかりますか?』
といわれれば、ちょっとお待ちください、と調べて教えてあげてもいいけど、104じゃないしなあ。
教えるのが当然と思われても・・・」
と、思ったので、
「すみません、うちも同じ出版社なので、お調べしないとすぐには分からないのですが・・・」
「取引してないのですか?」
「ええ、同じ出版社ですから」
「もう、いいです!」
ガチャッ、ツーツーツー・・・・。
「もしもし」・・・・・・

お電話いただいた方、決して意地悪でお教えしなかったわけではないんです。
きっと、やっぱり書店さんと間違えて、
「本も売ってるし、紙芝居の舞台も売ってる。なかったら、取り寄せてくれるか、最低限連絡先を教えてくれる」
と、思っておられたのだと思います。


2009.2.27

イラストレーターの鈴木あきこさんが来社されました。
今度の新刊の絵を描いていただいています。乞うご期待!
鈴木さんは(おっと、この前北海道から会社に来られた方は、鈴木隆一さん)、
「アトリエ・リュミエール」という造形教室を主宰、主婦の友社さんから『いろいろ へんしん!』という絵本も出しています。
こちらが、ホームページです

鈴木さんは京都出身なのと、うちの奥さんと同年輩なのと、悩める中学2年生(うちの場合は甥っ子)がおられるのと、などなどで、とても親近感があります。
今日も今日とて、
「うちの甥っ子は、今日がテスト最終日です」
「うちは、昨日終わりました。テスト中なのに夜の9時まで、なんにも勉強してへんのですよ」
「うちも、祖母宅でずっとテレビを観ていて、お母さんに雷を落とされてましたでぇ」
「余裕があるのか、勉強してる周りをあまり見てないのか、我が道を行っているのか・・・」
「テストが返ってきたらちょっとは焦ると思うたんですけど、あんまり焦らないですね。試験勉強も、腕を組んでノートを眺めたら、終わりやったりしますからね」
・・・・・
などなど、と話は尽きず。
ついでに、子どもを切り捨てて行くような、教育に怒り心頭。
「小学生や中学生の頃で、何が決まりますねん! 人生これからでしょう。
それを、中学でこの成績を取らんとこの高校には行けん、この高校に行かんと大学進学はあきらめましょ、みたいな、それはおかしいんちゃいます?」

私らの中学時代がまさにそれですわ。
1年生のしょっぱなからテスト・テストで、テキテストのたびに偏差値表を付けて、
「うちの中学校で、何番以内はN高校、次の何番以内はH高校・・・」
いうて、みんな決まってますねん。
校則も厳しかったですし、教師に平手打ちされましたしね。
男子はみんな丸刈りですよ。手のひらを頭に乗せて、髪の毛が指の間から出たら、校則違反!ですわ。

奈良県でも、僕らと全く同じ目に合うてた子(全員丸刈り)が、高校生になってから言うてました。
「ヨネちゃん、知ってる? 僕らが中学校の修学旅行に行ったときなぁ。
バスでホテルについて、みんなぞろぞろぞろぞろ降りるやん。
大きなカバン提げて。みんな制服やろ? 
ほんなら、ホテルの玄関でお辞儀して出迎えてたおばちゃんが、終い目に言うてたもん。
『いやぁ〜、ここの中学校の生徒さんは、野球部ばっかりねぇ。みんな学生服着て、丸坊主にして。いやあ、感心感心』
ってなあ。 ちゃうわ! 僕は、郷土研究部やっちゅうんや!」

「外出時は、制服着用のこと」
そんな校則があったんですよ。僕らの中学校にも。
「生徒だけで外出したときは、日没までに帰宅せよ」
つまりですな。冬やったら、えらい早い時間に日が沈みますから、はよ帰らなアカンちゅうわけですわ。
これ、考えたらおかしいですわ。
夏の方が解放的で、非行に走る、とか言うんやったら、まだわかる気もしますけど、夏は遅く、冬ははよ帰れ!ってどういう理屈ですか?
あんた、シベリアとかにすんでたら、夏は白夜で日が沈みまへんで。一日中、家に帰られへんがな。

祭りの日は、教師がうようよと見回ってます。あちこちで見かけるんですわ。
「お〜い! ヨネ! そろそろ日が沈むぞ! はよ帰れよ!」
って、夜になったら狼男にでも変身するんですか、っちゅうんです。

もっとも、大学になってから、愛知県出身者に高校の校則を聞いたとき、「ぼくなんぞは、まだまだ甘い。
いやあ、ビックリには限度がないなぁ」と、正味ビックリ!

今日の格言

井の中の蛙 大海知らず
(そんな政治家の方々が、ぎょうさんテレビに出てますなぁ)

そういえば、最近「怒りを通り越して笑っちゃう」とか言うてた、かの御仁を見るたびに、孔子先生の次の言葉を思い出します。

巧言令色鮮なし仁


2009.2.26

先日、年越し派遣村について書きましたが、派遣村村長の湯浅誠さんの『反貧困』(岩波新書)は、ぜひ読んでいただきたい本です。
一緒に、堤未果さんの『貧困大国アメリカ』(岩波新書)、阿部彩さんの『子どもの貧困』(岩波新書)も合わせてどうぞ。
ひと頃、「格差」という言葉が言われました。
しかし、今問題になっているのは「格差」ではなく「貧困」だ、ということがこれらの本を読むと良く分かります。
「格差」というと、「それは、仕方ない」というところに行き着く。
でも、「貧困」が問題になっているとなるといかがでしょう?

『子どもの貧困』には、虐待や非行等と貧困との関連が書かれていて、そうした問題(関連)に目をつぶってきたのでは無いか? と問題提起しています。

さて、厚生労働省が「これからは、保育所を自由に選べる」ようにするらしい。
「自宅近くの保育園」や「サービスのいい保育園」を「自由」に選べる、のだとか・・・。
でも、こういう経済状況で、共働き、一人親家庭も多く、まして祖父母の協力も難しいご家庭にとって、まずは何よりも、
「保育園にどうしても預けないと、働くことさえ出来なくなる」「お受験用の保育がどうとか言うよりも、まずは安心」
という切羽詰って状況なのでは?

規制緩和が喧しい頃、「サービスを自由に選べる」というのが大流行。
タクシーもどんどん増車されました。それで、サービスは良くなりましたか? 
タクシー運転手の方の年収が激減し(不況もあり)、
「どんどん乗せて、次々降ろし、また乗せて」
という営業で、交通事故も増えました。
ご自分が事故にあわないまでも、乗っていて「危ない」と感じた方も少なく無いと思います。

結局、お金のある方は、今でも自由に何でも選んでいますよね(制度を変えなくても)。
医療だって、教育だって、文化・スポーツも。行政がすべきことを捨てて、「自由」に任せて、その結果が今の大不況なのでは?
子どもの貧困で深刻なのは、税の再分配以降に格差が拡大する、という日本の実態。
本来、税金で手当てすべき層からさらに取り立てる、病人の布団さえ引っぺがす、そんな感じですなぁ。
セイフティーネットどころか、下に針山か五寸釘なんかを置いて、「自己責任で、この綱を渡れ」とケツを叩いているようなもの。
しかも、綱は自分持ち。
富裕層は、材質も丈夫で太く、何本も渡してある。
ロープウェイだって付いているかも。下には、安全なネットあり。
貧困層は、安いビニール紐かなんかを、自分でより合わせてますな。下にあるのは・・・・。
それを、
「渡れないのは、自分が悪いのだ」
とテレビでまくし立てている方がおられるんですが、それは現実をご存じなさ過ぎると思います。


2009.2.24

藤田浩子さんが風邪のためにお声の調子が悪いとき、お電話でお声を聞いていますと、時々なにやら妙に艶っぽいお声に聞こえるときがあったのです。
「藤田さん、そのお声を逆手にとって、艶話をなさると、妙に雰囲気が出るかもしれませんぜ」
と、進言したのです。
それにお返事をパソコンにて書かれたとき、次のようなことになったそうです。
「『艶っぽく話をする元気なし・・・』と書こうとしたら、パソコンの具合で
『通夜っぽく話をする元気なし・・・』になってしまいました」
恐るべしパソコン。
変換ミスのおもしろバージョンコンテストみたいなものもありますが、「おもしろい」では済まない相手の場合もありますね。
もっとも、パソコンだけの責任にするのはいかがなものか? 敬語のいい間違いは、結構日常茶飯事。
そういうと、「若い人は・・・」という話しに行きがちですが、それもいかがなものでしょう?

まず、社会に出るまでは丁寧語あたりは別にして、がちがちの敬語がほとんど必要ない世界に生きていますから、慣れないのはアル意味仕方なし。
それを、社会人になったからと、一生懸命使おうと努力するところに悲喜劇があります。
ある取引先の若い方と電話でお話しているときに、
「それは、以前私がおっしゃったことで・・・。ヨネさんが、そう申すなら・・・」

またあるとき、ある金融機関の方は、
「それでは、ヨネさんが申したように致します。うちの社長がいつもおっしゃいますので・・」

わたしも、若い頃は冷や汗で済まない敬語間違いを、何度もしたものです。
今思い出したのは・・・。

目上の、とてもお世話になっている、しかも口うるさい(失礼しました)方に、 電話をしたときのことです。
リーン、リーン、リーン
あれ? いつもすぐに出るのになあ?
リーン、ガチャッ
「もしもし・・・」(聞いてすぐ分かる風邪声)
「あっ、風邪ひいたったんですか?」(方言*後で説明あり)
「そうやがな。今度は、えらいわぁ。ひどいもんや。ごほごほ」
「すみません! すぐ切りますわぁ」
「いやいや、ちょっと話しよか」
と、テレビで話題になったことを少し話した後、
「おもろかった。ほな、もう寝るわぁ」
「そうしてください、そうしてください」
「うん、またな」
「すみません、ほんまに風ひいとっての時に電話なんかしてしもて・・。ほな、どうぞ、安らかにお休みください」
「・・・・」
えっ? 何か、へんなこと言うたかな? この無言の間はなんや?
「あのぅ・・・」
「あんた、わしにこのまま、あの世に行けっちゅうんかい」
「そんなぁ。そんなこと、思うてしませんよぉ」
「あんた、さっき言うたがな。『安らかにお休みください』ちゅうてなあ。それ、本心か?」
「えっ! ゆっくりお休みください、と言うたつもりなんですけど」
「あのなぁ。わしみたいな年寄りに、『安らかに眠れ』ちゅうのはな、身体に毒やど! それは、葬式のときに言うんじゃ」
「すっすっ、すみませーん。わた・・」
ガチャ! ツーツーツーツー・・・。

無理に敬語を使わんでも、誠意が伝わったら、ほんまはええと思います。
同じように、まったく誠意の無いくそ丁寧な言葉を聴くと、いや〜な気持ちになりますな。

*ひいたった・・・私らの地方の方言。
「先生が来られた」と言うときは、「先生、来たったでぇ〜」
「A社の社長が怒っておられた」と言うときは、「社長、怒っとったったでぇ」
となりますね。


2009.2.22

花粉症で鬱陶しい毎日を過ごしています。身近にも多いですね。
私の場合は、これでも一番ひどかったのが15〜16年前。その頃に比べれば、まだ相当ましな方です。
薬も飲んでいませんし。
ひどい頃は、車の窓を全部閉めて走ってるのに、途中で目が痒くて痒くて、車を路肩に寄せて駐車し、目をごしごし・ごしごしこすってしまったものです。

連れ合いとも言っていたのですが・・・、
部屋には空気清浄機、蛇口には浄水器、外出時はマスク、日光も皮膚がんの危険性、建物の中は化学物質・・・。
これって、昔読んだマンガの「近未来!地球に人類は住めなくなる!」というのと同じやなあ。
もっとも昔は昔で、公害がすごく、光化学スモッグやら、喘息、川もひどいものでした。
小学校のときの授業で、「外国では、水を売っていて、買って飲まないといけない」と担任がしゃべったとき、一斉に「えぇ〜! すごいなぁ!」という声が上がりました。水は、蛇口をひねると出るものだったのですね。
私が驚いたのは、お茶のペットボトルが販売されるようになったときです。
お茶と言うのは、食堂に行っても、どこでも、ふつうにタダで出てくるものだったからです。
サービスとさえ認識しないものだったのです。私の中では。
「わざわざ、お金を出して、あんな不味いもの、買うヤツもおるんやなぁ」と。
それが、私もいまや「ふつう」にペットボトルを買っています。

水道の水も、そのまま飲んでいたのに、「いやぁ、これはとてもやないけど飲めん!」と思ったときがありました。
それは、たまたま大阪に行って、喫茶店で出された水を飲んだときです。
かび臭いというか、なんというか、一口飲んで顔をしかめ、周りを見渡して「よう、みんな平気で飲んでんなぁ」と妙に感心しました。
大阪では、空気にもビックリ。
阪神高速の下あたりに行ったときは、ほんまにすぐにでもマスクを買いたい、衝動に駆られました。
鼻をかんだら、真っ黒になりましたさかいねぇ。
今では、水も空気も大分変わっているかもしれませんが、カルチャーショックを受けたときでした。
一方、公害は過去のものかと言うと、東京では喘息の患者さんが増えているようです。
東京では道路計画が目白押し。オリンピックがらみだそうな。
「オリンピック」は錦の御旗ですやろか?



2009.2.21

『蟹工船』つづき。
年末に日比谷公園で年越し派遣村があり、大きく報道されました。
彼らの切羽詰った行動によって、「日本は今こんなことになっているのか」と気づかれた方も少なくないと思います。
テレビには、「仕事を選り好みしているからだ」「お金があるうちに貯めておかないから、いざという時に路頭に迷う」などと主張する人がたくさん出てきます。
「私らの若い頃はもっと貧しかった」という巷の意見もあります。
映画『三丁目の夕日』がヒットしたとき、わたしは率直に言って「昔を懐かしむノスタルジーではないのか?」と思っていました(映画よりも、西岸良平さんの原作マンガの方がよほど素晴らしい、と今でも思います)。でも、考えが変わりました。
かつての苦しかった生活が今の生活にだぶる、「希望」を持てた時代を観て「希望のない」今を模索する、実生活では他人は鬱陶しいけれど、心の奥底で求める人との緊密なつながりがそこに見える気がする、のではないかと勝手に解釈しています。

映画『蟹工船』ではラストに出てこなかった、原作小説の言葉を噛みしめているところです。

「そして、彼らは、立ち上がった。―もう一度!」


2009.2.20

少し前のことになりますが、ついに映画『蟹工船』を観ました(新宿にて)。
古い映画なので、音が聞き取りにくい点もありましたが、迫力のある、そして現代に通じる映画でした。
小説『蟹工船』が売れている!という話を聞いたときには、半信半疑でした。
だいたいが、「これが売れている」とか「これが今人気の〜」とかいう情報には、ほとんど左右されないし、眉唾だと思っている、ひねくれモノですので。
ところが、派遣・請負などの不安定雇用の青年の実態を聞くにつけ、「これは俺たち話だ」と思うのは、その通りだろうと思った次第です。

『蟹工船』を書いた小林多喜二は、特高警察によって殺されました。
今日は彼が殺されてから、76年目の命日。逮捕されたその日のうちに、ひどい拷問を受け続け、殴り殺されたのです。裁判さえ受けずに・・・。
無残に腫れ上がった身体の写真も残っていますが、小林多喜二の死顔を描いた画家の一人が、彼と同い歳の岡本唐貴さん(漫画家白土三平さんのお父さん)ですね。

白土三平さんは、わたしたちの世代には大変懐かしい漫画家です。
『カムイ伝』『カムイ外伝』『忍者武芸帳』『サスケ』などなど。
漫画本を決して買ってはいけなかった(親の方針で。まあ、買うお金も無かったのですが)私と兄妹は、主にテレビアニメからの情報です。
『サスケ』は、主題歌も途中流れる悲しい歌(題名知らず)も懐かしいですが、「説明しよう!」という「忍術が如何に科学的か」の解説と、雷門けんぼうの声が今もよみがえります。
白土三平さんの作品の中で、短編だけれどお勧めなのが『赤目』です。
これは、身分(階級)制度・宗教・食物連鎖(共存)などいろんなことを考えさせられました。子どもたちにも読んで欲しいですね。

2009.2.16

藤田浩子さんの目の前で、偽者が演じる!の巻

昨日、JPICの講習会にわれらが藤田浩子さんが登場。
なんと、超多忙で休む暇もなく、ついに風邪をひかれたのです。
タフネスガイと小林旭みたいなニックネームを付けたいくらいお元気な藤田さんが? 「鬼の霍乱」とご本人。
1回2時間半の長丁場を1日2回。
う〜ん、大丈夫かな? と不安げな私と連れ合いに、「大丈夫!」と厚い胸板をドンと叩き、両の足を踏ん張って、
「ええい、しゃらくせぇ〜」と、神田は神保町で大見得を切る千両役者! 
いよっ、日本一〜!の合いの手もかまわず、壇上に登るわれらが藤田さん。
けど、心配ですな。

「ちょっと、社長さんにもお手伝いいただいて・・・」
「えっ? 私がですか?」
「日ごろからいつも口をすっぱくして『私の言うとおりやらなくて良いんです。
好きなように、自由に、やってください』と言っても、なかなか皆さんまじめでそうならないから、
『こんなにいい加減にやってもいいんですよ』という見本として出ていただきたいんです」

他ならぬ尊敬する藤田さんのお願いとあっちゃぁ、断るわけにもいくめぇ。
こちとら江戸っ子でぇ!(ちゃうやろ!)
よしきた! 合点承知の助だ! 悪い見本! 結構毛だらけ、猫灰だらけ、お尻のまわりはなんとやら、だ!
ひと肌も二肌も脱ぎやしょう! と、上着を脱ぎ始めるのさえもどかしく、
「いえいえ、肌は出さなくていいんです。女性の受講生が多いんですからね」
「おっといけねぇ。セクハラになっちまう。貧相な体をさらしても、女性方のお目目の保養にもなりゃしねぇ」
などなどという、会話を全くせず、「わかりました」とすぐに引き受けました。
きっと、藤田さんは
「一声社の社長さんも、地道に日の当たらないところで演じているみたいだから、せっかくのこの機会に表舞台にあげてあげましょう!」
という温情だったのでしょう。それを、「やってみる?」と聞けば断るしやりづらいだろうから、「風邪で声が出にくいから手伝って」ということにすれば、やりやすいと、そういうことまで考えてのことだと思います。

なんせ、自分で好き勝手にやってますから、しかもご本人を前にやるなんて、冷や汗モノです。
さすがに、午前の部は緊張してあがってしまい、しどろもどろ。
「帰れ!コールが起こるかも・・。それより、木戸銭返せ!とモノを投げられるかも・・・」
と、気弱になってますますしどろもどろ。
何とかやり終えて、すごすごと引き下がるわたし。
「かえって藤田さんの評判をおとしたかもなぁ」
とこぼす私に、連れ合いは
「そうやな」
の一言で返す切なさよ。

『のびる絵本 ほしい』午後の部はさすがに腹も据わり、結構いい加減なことをしゃべくりながら、『のびる絵本 ほしい』を無事演じ終えました!
今度は余裕も出てきたので「昨日はバレンタインデーでしたから、チョコを持っている方はどうぞお渡しください」
などと、軽口を叩き、誰一人として持ってくる人もおらず、
「さびしさに 宿を立ち出でて眺むれば いずこも同じ秋の夕暮れ」
と、真冬なのにこの歌を思い出し、
「いやいや、真冬と言っても昨日は真夏みたいに暑かったなあ。2月で一番寒いはずやのに、ほんまに地球温暖化や〜」
とため息をつく。
ついでに言えば、モノは飛んでこなかったけれど、おひねりも飛んでこず。
まだまだ未熟者よと、おのれの力量不足を今日も今日とて嘆きつつ・・・。

藤田さんと言う富士山を前にしては、わたしなど若草山くらい、いや、児童公園の砂山みたいなものだと、あらためて富士山の偉大さを思う、2月の神田神保町。

木枯らしどころか、熱風の吹く、藤田&米山劇場の、一巻の終わりでございます。

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