こどもたちの夢を育てる 一声社
いっせいしゃ
ヨネやんのえらいこっちゃで〜
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。
このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、
興味のあるものからお読みください。


子どもの本まつりinとうきょう その2 2009.9.30

上野公園でまたまた調子に乗って「おばけの森」やら「小道具セット」を実演していたヨネやん。
お隣のブース・瑞雲社さんに
「ヨネやんは、ほんとうに芸人ですねえ」
とお褒めいただいて、有頂天になったり。
毎回上野公園でお会いする方に、
「これとこの小道具は、もう持ってるの。こっちは新しい? じゃあ、社長さんに演ってもらいましょう! 子どもたち、みんな集まって!」
と、呼び込みまでしていただいたり。
「毎回、ここでお宅の本を買っているのよ。これもこれも、持ってるわ。
こっちは知らないわねぇ。これは何?」
と、お得意様に説明させていただいたり。
いろんな出会いがあって、私たち出版社にとっても本当に貴重な、学べる機会です。
楽しみでもあります。
また、ゴールデンウィークに上野公園でお会いしましょう!


子どもの本まつりinとうきょうが晴天のうちに終わりました! 2009.9.29


ブースにお越しいただいて、お声を掛けてくださった皆さん、ありがとうございました。
毎年春と秋の連休におこなわれていたチャリティブックフェアですが、去年の秋は開催されませんでした。秋のイベントは、例年台風の直撃を受けていたからです。
3日間開催予定でも、2日だけ、もしくは1日だけ開催、という感じ。
今中学3年生の甥は小学校4年〜6年までお手伝いに来てくれていたのですが、毎日朝早く一緒にテントまで出かけて、
「雨、やまないねぇ」
と言いつつ、土砂降りのテントの中で待機していたりしたのです。
中止するかどうかは、当日発表されますから。

本は湿気で波打っているし、こちらも濡れて寒いし・・・。
ただ、わたしたちよりも主催者のJPICさんが本当に大変です。
前日までの準備も相当大変でしょうし、私たちよりも早く来て、遅く帰り、後片付けもあります。
いつもながらこうしたイベントは、準備される方々のご苦労があってこそ。
本当に頭が下がります。ありがとうございました!


終わりましたね、シルバーウィーク。 2009.9.25


全国的にお天気が良いところも多く、高速道路は混雑してぐったりされた方も多かったようですね。
家でのんびりという方や、ずっとお仕事という方もおられました。
みなさんは、いかがお過ごしだったでしょうか?

さて、先日の横浜市・岩下書店さんのおはなし会の写真を送っていただきました。
少しご紹介しましょう。

これは、「いないいないばあ」(おはなしの小道具セット2)をやっているところです。

藤田浩子のおはなしの小道具セット2
続いて、「手品レストラン」(おはなしの小道具セット4)で、子どもさんを指名して「食べたいメニューは何?」と聞いているところですね。

この写真は、「ふしぎな家」(続おはなしおばさんの小道具)を使って、「どの動物をまん中のお部屋に引越しさせたいですか?」と聞いているところ。
続おはなしおばさんの小道具

子ども達はどれもびっくりして、盛り上がっているところです。
まあ、盛り上がっていない場面の写真は伏せておきました。

いよいよ明日から、東京・上野公園で子どもの本まつりです。
一声社も出店しています。ぜひ、お越しください。


「良い子の皆さん」 2009.9.18

♪こちらは○○区です。△時になりました。良い子の皆さんは、車に気をつけて、早くお家に帰りましょう♪

夕方決まった時間になると、この放送が聞こえる(夏と冬で流れる時間が違う)。
でも、どうやら真夜中にうろつく「良い子」がいるらしい。
それに気づいたのは、うちの奥さんだった。

ある真夜中のことです。眠りは深くない方ですが、その日は珍しく熟睡していました。
すると、夢とも幻ともつかぬどこかから笑い声が聞こえてくるのです。
なにか、地獄の底から聞こえてくるような、笑い声が・・・。

「あははははは!あはははは! おかしい〜!」

「聞こえてくるんは、夢の中ちゃう。地獄の底でもない。すぐ近くや!」
だんだん頭が回ってくると、夢の中ではなく、奥さんが笑っていることに気づいた。
真夜中に、真っ暗な中で、1人で笑う奥さんを見るのは、中々スリルがある。
一気に目が覚める。

恐る恐る聞いてみる。
「どないしたん?」
「今、何時?」
「え〜っと・・・、まだ4時かな?・・・」
「『良い子』がうろついてるらしい」
「はぁ?」
全然意味が分からん。ますます背筋に寒いものが走ります・・・。

「良い子?」
「そう。『良い子の皆さんは、早く、お家に帰りましょう!』やって〜! あはははは」
そこで初めて、いつもの区の放送だと気づいた。
「今、放送があったん?」
「そう! こんな真夜中にうろついている『良い子』がおるかっちゅうねん!良い子やったらうろついてないし、良い子でなかったら放送があったくらいでお家に帰るかいな〜」
「そらそや。これは矛盾ですなぁ」

コンピューターで放送を流すんはええけど、時々こんなとんでもないことが起きますな。
この件から半年後くらいに、ついに私も聞きました! 真夜中に流れる、この名調子を。

♪こちらは○○区です。△時になりました。良い子の皆さんは、車に気をつけて、早くお家に帰りましょう♪

まだまだ起きる時間ちゃうねん。せっかく気持ちよう寝てるんや、どうか良い子の皆さん、早う家に帰ったってや〜! おっちゃん、寝不足になってまうがなぁ〜。


東村山で『ほしい』の読みきかせをしたよ−パート2 2009.9.17

『のびる絵本 ほしい』

上に上に伸ばしながら、『ほしい』をやってみせたヨネやん。

「今のお話は、だいぶ絵本には書いてないことなんです。ご自分の言葉で、ご自分に合うように語っておられるんです。それがいいんです」
と藤田さんからお褒めの言葉をいただき、お世辞と知りつつも、相当気を良くしました。

講演会後、お昼をご馳走になりました。
東村山名物のおうどん。コシがあって、おいしかったですね。
手づくりのデザートに、柿といちじくまで付けていただいて。
トロルの西崎さんには、パンの耳に黒糖を絡めて揚げたお菓子もいただき、お腹もいっぱい。
藤田さんは後の予定もあるのに、「みんなで手遊びをして見ましょう」と輪になって遊んだのですが、これがおもしろい、おもしろい。やっぱり昔ながらの遊びはいいですねえ。飽きないです。
うちでのこづちの皆さんも、トロルさんも、みんな汗だくになって遊びました。
藤田さんから、わらべ歌の歌詞の意味を教えていただき、「なるほど!そういうことやったか〜!」と目からウロコです。
余談ながら「目からウロコ」という慣用句もすっかり使い古されて、「目からウロコもええけど、この前も同じこと言うとったやん。あんたの目ぇは、いったい何枚ウロコがあるんどいや」
と、言われそうです。
いや、実際に何枚も何枚もウロコがあって目を曇らせているんです。
古い古いウロコもあれば、気ぃ抜いたらウロコなんかどんどん新しく出来てきますからねぇ。
取っても取っても、あきまへん。でも、どんどん取っていかんと、そのうちウロコがあることさえわからんようになってしまいまっさかい。

ある日、武蔵野にて。(おしまい)


ある日のことでございます。 < 2009.9.15


ヨネやんは、武蔵野の色濃い、東京都東村山市におりました。
その昔、志村けんさんが♪東村山〜と、全国にその名を轟かせた、東村山でございます。
「東村山は理解しましたが、そこで一体何をされていたのですか?」
ご疑念はごもっともでございます。決して怪しい者ではございません。
お師匠さん、つまりは藤田浩子さんのお供として、東海道中膝栗毛ならぬ「トウソンサンチュウ(東村山中)尻からげ」なのでございます。
「ですから、そこで一体何を?」
結論を急がれるお気持ちは重々承知しておりますが、スローライフなのでございます。
もっともスローライフ、スローライフと唱えながら、電車が遅れるとイライラ・カリカリして、相当不機嫌になりまする。これ、未熟者ゆえ。

この日、「東村山うちでのこづち」の皆さん、東村山中央図書館の皆さん、東村山の児童書専門店・トロルさん、それに本日の講師=藤田浩子さん、ヨネヤンが一堂に会しました。
わたくしヨネやんは別室にて待機する予定ではございましたが、藤田さんが「おばけの森は、最初のほうに演りますよ」とお忙しいのにわざわざ伝えに来てくださったので、「こりゃあ、ぜひ見ねばなるまい!」と覗きに行きました。

冒頭のお手玉遊びを見て、「藤田さんは、マルチな人やなぁ」「無理なく、自然に、参加者を『藤田ワールド』へ引き込んで行くなあ」と、いつもながら感心することしきり。
『のびる絵本 ほしい』
『のびる絵本 ほしい』
『おばけの森』
『おばけの森』

藤田さんの「おばけの森」をじっくりと観察し、それではまた隣の部屋に行くかと腰を上げかけたその時、
「今日は、一声社の社長さんが来られて、一番後ろに座っています。関西弁の『のびる絵本 ほしい』をやってもらいましょう!」 との藤田さんの声。
あっ!来たなぁ〜! いつもながら突然のご指名、ありがとうございます。

藤田さんのご指名とあれば、と当然の如く前に行きます。前に行くのはいいのですが、みなさん!拍手で迎えるのは止めてください。なんやら、偉い先生になったみたいで、緊張しますがな。

と、なんだかんだ心の中で思いつつ、3m40cmに伸びて行く絵本『ほしい』の読みきかせを実演したのが、この写真です。
トロルの西崎さんに「よっ!ヨネちゃん!待ってました!」とまるで打ち合わせしたような絶妙な合いの手を入れてもらって、気分よく演っていますねぇ。

続く


金沢文庫・岩下書店にて―パート2 2009.9.12

おはなし会をしたヨネやん。
え〜っと、そうですね、「手品レストレラン」をした後、「ごりらの王様」をしたんでした。
子どもたちにごりらになってもらって、体を動かします。

「ふしぎな家」(『続おはなしおばさんの小道具』)で、動物達をお引越しさせたら、のびる絵本『ほしい』。長く長くのびていきます。
最後は、新作の『おばけの森』。
「妖怪やらお化けやら、いろんなもんが出てくるでぇ〜。おばあちゃんの家に行けたら、さっきの「ふしぎな家」をプレゼントします!」

最後まで行き着いた子はいなかったけれど、何人かに「ふしぎな家」をプレゼント。
参加者全員に「折り紙・きつね」をプレゼントして、「さよならあんころもち」
でさようなら。

2回分を無事に終えたという安堵感と、「予想よりもぎょうさん集まってくださったなあ」という驚き、岩下書店さんへの感謝の気持ちで、帰路は疲れが出てうつらうつら。夢の中でした。

会場の子ども達やお母さんとのやり取りを楽しみながら、臨機応変に、寄せては返す波のように、自然に出来ればいいのですが、わが師匠=藤田浩子さんのようにはいきません。いっぱい、いっぱいですわ。でも、子どもの笑顔に触れるのはほんまに嬉しいことです。

金沢文庫・岩下書店のみなさん、本当にありがとうございました。


横浜・金沢文庫にて 2009.9.11

行ってきました、金沢文庫の岩下書店さん。
やってきました、おはなし会。しかも、2回も!

1部の開会時間2時まで間がありましたので、
「そうやそうや、金澤和子さんが雑誌に載ったよ、と言うとったったから、それ買うとこ」
と、『かぞくのじかん』(婦人之友社・季刊誌VOL9、本日9月5日発売)を購入。
その後店内をうろうろしていると、壁に貼ってある何やら古めかしい写真を発見!
「岩下書店」という看板の文字が右から書いてあります。

「これはですねぇ、昭和3年ごろですね。これが私の姉、これが父、それから祖父・・・」
と、先代の岩下さんが説明してくださいました。岩下書店さんは、大正年間の創業だそうです。地元で書店を代々引き継いで行くというのは、並大抵のことではありません(どういうお店でも同じでしょうが・・・)。

そうこうするうちに、
「それでは、そろそろ・・・」
と、社長さんが呼びにこられます。なんか、偉い先生になったみたいで、居心地が悪い・・・。

店内に設けられた臨時のおはなし会会場には、もうお子様連れの若いお母様たちがたくさん座っておられます。ざっと、30人くらいでしょうか。
「いや〜、ぎょうさん座っとってや〜。緊張するなぁ」

まあ、そないなこと言うても、時間になったらスイッチを入れなあきませんから、なんとかなるもんです。

自己紹介パタパタ(『こっちむいておはなしおもちゃ』で自己紹介をしてから、
「いないいないばあ」(『おはなしの小道具セット2』、『こっちむいておはなしおもちゃ』)。
「おぉ〜」というびっくりの声に気をよくしつつ、続けざまに「変身泥棒」( 『おはなしの小道具セット1』、『おはなしおばさんの小道具』)。「どうして〜」
という子どもの声に、さらに気持ちは盛り上がり、「手品レストラン」へ。
2人の子どもにそれぞれ好きなメニューを考えてもらい、ばっちり当ててみせると、拍手が・・・・!
ここで、ちょっと趣向を変えて、「ごりらの王様」。

キーボードを叩くのがちょっと疲れました。余計な力が入りすぎるんですわ。一
休みして、明日に続く。


なぜ満州へ・・・ 2009.9.10

満蒙開拓青少年義勇軍に「志願」して戦死した叔父の話をしました。
開拓・・・この言葉は、相当に胡散臭い。
アメリカの西部開拓では、ネイティブアメリカンが「悪者」として駆逐され、北海道開拓では、アイヌの人たちが「奴隷」のような扱いを受け、たくさんの方がなくなりました。
「国内では家族で生きていくことができなかった」「世の中がみんなそうだった」、
そして「壮絶な苦労の末に開拓したのだ」
・・・・・・では、「開拓」された土地に住んでいた人たちは?


2009.9.09

みかんを一口で食べる−その2

妹にええとこ見せようとして、みかん1個をいきなり口の中に押し込んだ小学生のぼく。
小学生の口で、そんなことが出来るんですか? できるんです。
みかんはりんごとちゃいますから、硬くありません。口からはみ出してる部分を、押し込むことができるんです。
そうやって、はみ出したみかんを指で無理矢理口の中に押し込みました。
「お兄ちゃん、すごい!」
賞賛を惜しまない妹に応えようにも、しゃべることが出来ません。
しかも、しかーも、これでは1個押し込んだだけで、「一口で食べる」という公約をまだ実現してないのです。政治家の公約など、膏薬と同じですぐにぺろぺろはがれてきますが、いたいけな少年がそんな真似をするわけには、断じていきません。
「ウウウウウウ、ンンンンン」
「お兄ちゃん、なに、言うとん?」
解説しましょう。「まだまだ序の口や。これから食べて見せるから」と、言いたかったのです。

口いっぱいに広がったみかんを、おもむろに噛み下そうとします。
でも、あごが全然動かへんのです。噛もうにも、全く噛めまへん。
でも少年は、そんな窮地にも決して希望を捨てないのです。
・・・なんとか、口全体を動かしてちょっとずつちょっとずつ。ほっぺまで動かしたら、なんとかなるかも。
そうやって、物凄く真剣な作業を粛々と進めているぼくの顔を見て、妹が突然吹き出しました。
「お兄ちゃん! 顔がおもろい! あはははは」
そりゃあそうでしょう。ほっぺまでみかんでぱんぱんになり、少し開いた口からはみかんが見えている、そんな状態で目を白黒させて一生懸命口を動かそうとしてるんですから。傍から見たら、単なるおもろい見世物ですわね。

でも、いきなりゲラゲラ笑い出した妹のお陰でさらなる展開が待っていたのです。
こっちまでつられて笑い始めたのです! 
それがどうしたん? とおっしゃる方。まあ、一度やってみなはれ。
みかん1個を丸々口の中に入れて、笑わされたらどうなるか。(良い子の皆さんは決して真似をしないように)

・・・・あははははは。笑かすな! 苦しい!苦しい!・・・・
笑うとお腹の中の空気が口から外に出て行きますね。でも、みかんが邪魔になって、外へ出て行けんのですわ。口をほとんど動かせん状態やしね。
笑うて口があちこち動いたのでしょう。みかんの形が少しずつ崩れてきました。
その時、悲惨なことが起きたのです!

口いっぱいに広がったみかんが、笑うことによって圧迫され、一部押しつぶされていきます。でも、ノドにはやっぱりみかんがありますから、崩れたみかんを飲み込むことが出来ません。当然、みかんの汁がどんどん出てきます。これも飲み込めないんです! 口から汁が垂れてきたときに、ずずっ〜と吸い込んだりしますが、それも全くできひん! 垂れ放題です。
服といわず、畳といわず、みかんの汁がどんどん口から垂れてきます。
それを見て、妹がますます笑いこけます。
「あはははは。汚い! あはははっは!」
・・・アカン! 服やら畳やら汚してしもたがな。お母ちゃんに怒られるでぇ!
もうやめやぁ! 笑かすなや! 笑い出したら止まらん! 鼻らもどんどん垂れてきたぁ〜・・・
それも、口で言うことが出来ません。
「んごごご んごごご むむむむ」という喃語のような音が、口から空しく漏れるだけ。
そんな状態になってもまだ噛むことが出来ず、みかんの汁がほとんど出つくした頃になって、ようやく顎を動かして、飲み込むことが出来ました。

小学生の頃、紅顔の美少年とは言いがたかったころの、すてきな思い出です。
(完)


昔の話その2―妹の記憶。 2009.9.08

妹が屁の話をよう覚えてましたわ。自分の子ども(私の姪甥)に、言うてました。
そしたら、
「あっ、そうや。こんなこともあったでぇ〜」
と、古い話をし始め、「そういえば、そんなこともあったな」と久しぶりに思い出しました。こんな話です・・・。

それは、みかん(温州みかん)がまだまだ果物の主流を占めている時代。
ぼくらの家でも、そうやねぇ、小学校か中学くらいまではみかんは箱でどっさりと買うてました。今みたいにいろんなフルーツが溢れてるわけやなし、まずはみかん。冬は毎日毎日、せっせせっせと家族みんなでこれを食べてるわけです。コタツに入ってね。

さて、妹の記憶によると、僕が小学校の中学年か高学年の頃らしい。
コタツの上に山積みされたみかんを食べている最中、ぼくが言うたそうな。
「みかん、美味しいけど、1個ずついちいち皮むくんがめんどくさいなぁ。
もっと大きなみかんやったら、1回むいただけでずっと食べられるのになぁ」
「そんな大きいみかんなんかないわ」
「いや、わからん! それよりも、どっちが早うみかんを食べられるか競争しよ」
「ええで」

まあ、僕の方が4つも上ですから、当然みかん食べ競争には勝つんです。結果が分かってる競走はそないに面白うない。なんかおもろいことないかなぁ、と思ったときに、ひらめいたのです。(学校で誰かがやって見せたのかもしれません)

「あのなぁ、このみかん1個、一口で食えるか?」
「そんなん無理や」
「それが無理とちゃう。ぼくにはできる」
「うそや〜!」
「うそちゃう。まあ、よう見ときや」
と言うなり、新しいみかんの皮をむいて、丸ごと1個右手に持ちます。
「ほんまにやるん?」
「当たり 前田の クラッカー や!」

言うや否や、みかんを丸ごと口の中に押し込みます。

次回に続く


2009.9.06

昨日のおはなし会のことはまたじっくりお伝えするとして、今日はまたまた昔の話。
お盆前から妹と姪甥が私達の家に遊びに来ていたのです。最後は兄貴もやってきて、みんなでバーベキュー&花火なんぞをしたのですが、子どもの頃の話が色々と出て、「そういえば、あんなこともあったな」と思い出しました。

妹の顔に屁をぶっぱなした話は、すでに皆様にご報告済みですから、きっと覚えておいででしょう。その話ももちろん今回も出ました。新たに思い出した話を2つ。

昔の話その1−兄貴の記憶。
「弟は、チョコレートが好きやった。
チョコレートいうても、子どもの頃は、1人1箱なんて買わへんから、兄弟妹3人で1箱。それをみんなで分け合うて、食べてたな。ケンカせえへんように、最初にきっちりと3つに分けといて、あとはそれぞれのペースで食うてたんや。もちろん、その場で全部食べるなんてことは絶対無い。貴重なお菓子屋から、何日かかけて食べたりしてたな。
ところが、弟はチョコが好きなもんやから、早々に食うてしまう。後の2人がまだ残りのチョコを持ってるのに、自分の分はもう無い。
そこでや、妹を騙してたな。
妹が残りのチョコを持ってきて、食べようかな、とすると、こう言うんや。
『あっ、アカン。苦しい。エネルギーが切れてきた。ううっ〜。もう、アカン。
エネルギーを入れんと、倒れる。あぁ〜、目ぇまわるぅ〜。エネルギーを、エネルギーを早うちょうだい! もぅ、倒れる。がくっ(倒れたマネ)』
それを見た妹は、倒れた弟に
『お兄ちゃん! 大丈夫? はいっ!エネルギーやで!』
と、自分のチョコを弟の口の中に入れてた。やめといたらええのに、妹も人がええもんやから・・・。
そしたら、弟がむくっと起き上がって、
『ピカッ!ピカッ! エネルギーが入って、また元気になりました。ガチャッ! ガチャ!』

またしばらくしたら、
『アカン!またまたエネルギー切れやぁ。もうすぐ無くなってしまう! 早う早う! う〜ん。もうアカン。ハ・ヤ・ク エ・ネ・ル・ギー を、入れて ちょう だい・・・』
またまた妹が
『大丈夫! ハイハイ! エネルギーやで!』
と、チョコを弟の口に入れる。
そうやって、妹のチョコをようけ食うてたなぁ」

・・・・・・悪い兄ですなぁ。えげつないですなぁ。しゃあないヤツですなぁ。
ほんまに。


2009.9.05

今日は、横浜の岩下書店さんでおはなし会。どうなりますことやら。2回講演になっているので、「そんなに持つかなぁ」と不安もありつつ、書店さんやお客様にちょっと一息ホッとできる楽しい時間を共有できれば嬉しいですね。
おはなし会の模様はまた後日・・・。


2009.9.04

お盆のお話―その3

両親が金婚式やったもんですから、子ども3人に、うちの奥さん、妹の子ども2人、 でお祝いの会をしました。
その席上、普段全く無口の父親が語り始めたのです。

宝塚の今の阪神競馬場があるところに、飛行機の工場があって、そこで働いていたこと。
全寮制で、食事は時間交代。ある日、自分達とは違う番の子ども達が朝食を摂っているところに空襲があり、たくさん亡くなったこと。自分が死んでいたかもしれなかったと。
戦闘機の燃料パイプを作っていたけど、子どもが作ったそんな部品が果たして役に立ったのかどうか疑わしいこと。
郷里が焼けて宝塚から帰ってきたとき、一面の焼け野原だったこと。
上の兄貴が航空隊だったので、朝鮮(満州?)にいたのに終戦後すぐに家に帰ってきた、ということ。その兄貴は飛行機で九州に着き、列車で帰ってくる途中、広島で長らく停車していたらしい。戦後すぐに死んでしまったのは、そのときに放射能を浴びたせいではないか、ということ。
うちのお寺さんの大先生は、長崎の被爆者だったということ。(最近なくなった)

などなど。


お盆のお話―その2 2009.9.02

お盆にはお墓参りをします。先祖代々のお墓と戦士の墓に。あと、六地蔵さんにも。
まあ、昔は古ぼけたお墓ばっかりやったのに、みんな立派なお墓に建て替えなさって、うちの小さな古いお墓はかえってよう目立ちますな。わたしはこういう古ぼけたお墓の方がよっぽど有り難いと感じますね。たくさんの人が触って、水をかけて、拝んできたんやからね。自分がお墓に入るんやったら、立派な墓なんぞ真っ平ゴメンこうむりますわ。お尻がこそばゆうなって落ち着かんし、ぴかぴか光ってんのが眩しいて、ゆっくり寝られん。

戦士のお墓でのこと
戦死した叔父は19歳。満蒙開拓青少年義勇軍に「志願」して、ソ連との交戦の末、遠く満州で。戦士のお墓には、いつどこで戦死したか書いてあるんですね。他のお墓もじっくり見てみると、まず当たり前だけれどみんな若い。それから、終戦間際の戦士が実に多い。ある方は戦死されたのが、8月30日。終戦後2週間で・・ ・。
戦死の過半数が餓死、という研究もあります。
「志願」? 義勇軍には貧しい農家の次男三男が応募したようですが、各学校で割り当て数があり、教師のノルマ達成のために応募させられたという話もあります。
無謀な戦争の、最後の最後のさらに輪をかけた無謀な戦いで、どれほどの尊い命が失われたことか。
沖縄も、広島・長崎も、満州での悲惨な居留民放棄も。
自分の家の戦死の墓からも見えてくることが多々ある。過ちを直視しなければ、死んだ人は浮かばれまい。


お盆のお話―その1 2009.9.01

お盆に帰省しました。今年は例の「高速道路1000円」の影響か、はたまたピークを避けられたのか、新幹線はあまり混んでいませんでした。
高速道路1000円、いや全部無料・・・と騒がしかったですなぁ。地球温暖化、CO2削減の話はいったいどこに行ったんでしょう? 
そういえば数年前に、道路公団が民営化したら高速道路はみんなタダになる! 
と大演説をぶっていたお方がいましたな。そしたら、その民間会社は何をもって経営するんですやろねぇ? 民間会社の社員の給与はどこから出てくるんですやろ? 高速道路建設費の積み重なった借金は、だれが負担するんですかいなぁ?
いやいや、私らみたいな凡人にははかりしれませんな。
まあ、オレオレ詐欺にも気ぃつけなあきあへんけど、「オレがオレが」の大風呂敷も重々気ぃつけんとあきまへんわ。広げすぎて、よう畳まんし、次に見たときは全く別の風呂敷を広げてまっさかい。 眉唾、眉唾。
マニフェストだか、魔に屁すっと、だか知りまへんけど、狐や狸に騙されんように、眉にしっかり唾をつけとかんことには。くわばら、くわばら。


2009.8.31

ブログを更新できなかったのは、体力の限界を知っただけにあらず。
昨日まで衆議院選挙が行われており、選挙中はブログなどでの特定候補への応援や批判は選挙違反の恐れあり、などという物騒なお話があった、というのもほんの少しの理由です。

「インターネットへの対応が遅れている」
ということをおっしゃる方もいますが、ネット云々よりも、あまりに選挙に自由が無さ過ぎるのでは?

選挙期間そのものが定められていない国も結構あります。
立候補するだけで、300万円だの600万円だの必要だなんて、貧乏人には被選挙権さえないのか、大政党に立候補させていただく以外にないのか、と思ってしまいますね。
戸別訪問が禁止されている国も世界にどれくらいあるのでしょう? 

今回は投票率がかなり上がりました。それでも3分の1の人は投票していないのです。これらの問題がもっともっと議論されてしかるべき、だと思います。


2009.8.26

1ヵ月半もの間、ブログを休んでしまいました。お待たせしました!(ほとんどの方は、待ってなどいないと思いますが・・・)

これというのも、夏は出張販売などが多く、中々落ち着かないのです。落ち着かないなりに、一言ずつでも書けばいいのですが、販売が終わるとぐったり、という状態でキーボードを打つ気になりませんでした。基本的に体力がないのですね。
とほほほほ。

さてさて、今日は共同作業所のお祭りに呼ばれていってきました。
作業所のみんなが作ったものが展示即売されていたり、カレーライスやいそべ焼きなどの模擬店が出ていたり、文化祭のような催しで、地域の皆さんとの大切な交流の場です。
色んなイベントの中に、ヨネやんの「おはなし会」もあった、というわけです。

おはなし会は、なかなかうまくいきませんでした。
と、いうのも力量不足も大前提としてあるものの、12時からというお昼時に、しかも「食堂でおはなし会」という設定に無理があったようななかったような・・

当然皆さんは食べるのに夢中。食堂内にある模擬店の人たちも呼び込みと接待に夢中。開会時間の前に「これは、とてもヨネやんごときの力では、みんなを振り向かせることは出来ん!」と茫然自失。
それでも、そこは呼んでいただいた方への義理と人情、おはなし会をしている意地と、などなどが沸々とこみ上げ、やりました! ほとんど誰も聞いていないおはなし会を。しかも、楽しげに。しかもしかも、わずかに聞いていそうな人を見つけてはこちらから歩いていって話しかけ・・・。予定していたお話を大幅に変更して、短くて簡単な、しかも目立つようなことをして・・・。
聞くも涙、語るも涙の哀しい努力も上滑り。それでも、色々と準備してくださったスタッフの方には、笑顔で厚く御礼。

つくづく、お話を語ることの難しさを痛感。藤田さんならきっとみんなを振り向かせたはず。(『待ちぶせ』の唄でも歌いたい気分・・・)藤田さんの域に達するには、100年早い。

きっと主催者の方は、「お昼時の食堂なら、たくさんの方が集まるはず。聞く人が少ないと申し訳ないから」とこの時間と場所に設定してくださったのでしょう。
でも、やっぱりヨネやんの力では無理でした。

高く厚い壁が身に沁みた、晩夏のお昼時。
未熟者は、1にも2にも修行あるのみ。「今度もぜひ呼んでください」とリベンジをかけて売り込み。色よいお返事はいただけなかったものの、「これしきのことに、へこたれてなるものか」と闘志を燃やす猛暑の中。

ああ、未熟者は自らの不甲斐なさを呪いつつ、9月6日の横浜で再起をかけたおはなし会に挑む! 乞うご期待!


東京国際ブックフェアでカバンをなくしたよ その4 2009.7.19

にぎやかだった会場は、工事現場となり、ブルドーザーがゴミの山を築いています。
せっかく事務局の人を見つけたのに、「忘れ物には含まれていません。でも、会場を調べてみたらどうでしょう」
ほぼ絶望しつつ、その言葉に従ってブース近辺に行ってみると、うちの奥さんが座っているではありませんか?
「どないしたん?」
「ブースがあった場所にまっすぐ来て見た」
「よう、ここやとわかったなあ」
そうなんです。うちの奥さんは、地図は全く読めないのに、土地勘がやけに働くんです。
わたしなど、地図は読めるけれど、方向がすぐ分からなくなります。
デパートとかで、違う出口から出ようものなら、今自分が立っているのがどこなんだかしばし呆然としてしまうのです。奥さんはいつも、車を駐車した場所もしっかり記憶しています。

座っている奥さんの前には、なんと! わたしのリュックサックが無傷であるではありませんか!
「あったん?」
「そう。ここにポツンと置いてあったよ」
なんと、奇跡です。騒然とした工事現場の中で、ブルドーザーにもって行かれることもなく、忘れ物として届けられることも無く、ぽつんと1人で立っていたのです。
早速中を調べてみると、全部揃っていて、無くなったものは何一つありません。
「日本も捨てたもんやないなぁ」
二人でしみじみと言い合いました。
事務局の方を見つけてお礼をいい、版元ドットコムにもメールを送り、今度こそ一件落着。
ほんまに人騒がせなこっちゃ。終わりよければ全て良し。

お台場の忘れ物騒動、これにて全巻の終わりでございます。
どうぞ、笑ってやってくださいませ。


国際ブックフェアで、カバンがなくなった の巻 その3 2009.7.17

東京国際ブックフェアが無事終了し、疲れた体をひきずってうどん屋さんにはいろうとしたまさにその時、カバンを持っていなかったことに気づきました。

「えらいこっちゃがな。どこまで持ってたかな? 会社で荷物を降ろしたときには、すでに持ってなかったな。ということは・・・、やっぱり会場や」

版元ドットコムの実行委員さんに電話しようにも、ナンバーを登録していません。
「会社に帰って、事務局の固定電話に電話してみよ」
この時点では、それで見つかるものとほぼ100%確信していました。
小さな荷物でなく、大きなリュックなわけですから、絶対に持っていてくれるはず、と。

会社に戻り、事務局に電話してみると、
「まだ、会場の後片付けをしています。連絡をして、折り返しお電話をします」
とのこと。しばらくして、電話がかかってきました。
「これにて、一件落着!」と独り言をいいながら悠然と電話を取ると・・・、
「すみませんが、そういう忘れ物は無かったようです。明日、ブックフェア全体の事務局にお電話されたらどうでしょう? きっと、出てきますよ」
当然そこにあるものと決め付けていた私の脳は、それ以外の言葉を受け付けないようになっていました。
事態が把握できません。
「そうですか・・・」

しかし、次の瞬間、「会場に戻る!」と宣言。
疲れた奥さんを連れて、猛然と会場へ。あるとは思っていません。
しかし、何かの手がかりはつかめるかも。

会場に着いたのが・・・、着いたのがといっても会場はお台場ですから、遠いんですわ。
不便なんですわ。ともかく、会場に着いたのが夜の9時5分過ぎ。
あれほど賑わっていた会場内は、ブルドーザーやトラックが走り回る工事現場と化していました。
もうすでに、私たちのブースがどこにあったのかさえ分かりません。
ともかく、人が集まっているほうに走って行き、事務局の人を探します。
背広を着ているはずやから、絶対見つかるやろ。後片付けが終了するまで、絶対におるはずや。
そうに違いない。そうあって欲しい・・・。柱の影にちらりと動く、場違いな背広。
ちょっと、ちょっと待って。やっぱり、まだおった! 
「すみませーん、出展者なんですけど、カバンを忘れたんです」
「カバンですか? 忘れ物はこれだけですが、ありますか?」
そこに積まれていた忘れ物の山には、私のカバンはありません。
「これだけですか・・・・・・・・・」
「事務局に届いているのはこれだけです。でも、会場をお調べになりました?」
「いえ、もうどこがブースだったのかさえわからないので・・・」
「どこらへんか、覚えておられますか?」
「小間番号4-12です」
「それなら、あちらの柱の向こうあたりですよ」
お礼もそこそこに、猛然とダッシュします。なぜか? 
さっきからブルドーザーが、会場内のゴミをさらって1箇所に集め、大きなゴミの山を築いているのです。
「あの山の中に埋もれてたら、まず見つからんやろ。ああ、僕のカバンはあのまま夢の島に埋められるのか、はたまた後夜祭のキャンプファイヤーの薪となるのか・・・」

はたして、ヨネやんのかばんはあるのでしょうか? (続く)


国際ブックフェアリポート その2 2009.7.16


カバンがなくなった! の巻

今回のブックフェアで最大最悪、まさに危機一髪のハプニングです。最悪と書きましたが、良い話でもあります。

ブックフェアの最終日。毎日朝から立ちっぱなしで、イベントも連日こなし、その前の準備の疲れもあり、さすがに4日目の最後はもうぐったり状態。
6時閉館を機に、奥さんと2人で一気に自社棚を片付け、同じグループの他社さんで要員がおられないところを箱詰めし、棚を解体し・・・、と老体に鞭打って後片付け。
ようやく一段落つき、「それじゃあ、帰りまーす」とまだまだ片付け最中の実行委員の皆さんを尻目に、ビックサイトを後にし、会社へ。
荷物を降ろし、どっと疲れが出たところで、「帰りながらどこかで晩御飯を食べよう」と帰路に着く2人。その背中はどこか寂しい。
「ここにしよか」と、とあるうどん屋さんの横の駐車スペースに停め、「さあ、食べよ」と思った瞬間、疲れた脳みそがまさにフル回転したのでしょう。「車にカバンを置いたままやったらアカンから、持って出よ」とカバンをとろうとしたその時、カバンを持っていないことに気づきました。
「あれ?カバンを持ってない。いつから? 会社で降ろした記憶は全然無い。つまり! ブックフェアの会場や!」
これはえらいこっちゃ〜。どないしよ。


さあ、ヨネやんのカバンはどうなったのでしょう? 次回のお楽しみに。

 



東京国際ブックフェアで、怪しげなおっさん活躍する の巻 2009.7.15


ソックちゃんとヨネちゃん
東京ビックサイトに登場した、ヨネちゃんとまゆちゃんとソックちゃん。
事前の練習ではソックちゃんの出番がもっとあるはずだったのですが、本番になるとすっかりその存在を忘れ去られ、最初の挨拶だけで引っ込んでしまう日も。
版元ドットコムの日高さんからは「ソックちゃんの出番が少ないですねぇ。

そうなんです。それを聞いて、ファンのためならば、と急遽出番を増やす工夫をしてみたり、3日目のマイク使えない事件の後、「明日は最終日で親子連れが多いから、このプログラムを変えよう!」と奥さんと相談。
まゆちゃんも急な変更にもかかわらず、本番前の打ち合わせだけで対応してくれ、結果的にこの日が一番盛り上がりました。
この日は、共演のまゆちゃんにも黙ってヨネちゃんが突然連発した「親父ギャグ」 に会場が凍りつく! という楽しいハプニングもありました。

『ほしい』(藤田浩子)
『ほしい』(藤田浩子)を演じるヨネちゃんとまゆちゃん
『こっちむいておはなしおもちゃ』
『こっちむいておはなしおもちゃ』のバレリーナを使って、 会場の皆と体操をするまゆちゃんとヨネちゃん

あまりに自分達が楽しんでいたため、版元ドットコムの寺門さんからは、 「あんた、すごいわ。今日初めてじっくり聞かせてもらったけど、本作りをやめてイベント専門にしたらいいんじゃない?」とお褒めの(?)お言葉を頂戴しました。ありがとうございます!

 


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