ヨネやん、溝に落ちる―の巻 その3
ようやく前振りが終わりました。ふ〜っ。しかも、クリスマスイブには全く相応しくない話題をこれからします。苦情は寄せないでください。
溝に落ちる話は、アニメに関係があります。
溝とアニメ?
そうなんです。
最近のアニメがどんなものかあまり詳しくないのですが、私らが子どもの頃、アニメのお約束みたいなものがありました(スポ根ものではない)。
登場人物が何かを追っかけたり、本を読むのに熱中して歩いているときに、崖が出てきます。
なんで、いつもいつも崖が出てくるのかは不明なのですが、例えば私がそのアニメの主人公だとしましょう。
にっくき敵のドラ猫を見つけて、猛然と追いかけます。もう少しで捕まえられるという時に、崖になるわけです。でも、私は崖に全く気づいていないのです。
ドラ猫が猛然と崖から飛んで、崖の向こうにせり出している木の枝につかまっています。私は、すごい勢いで走ってきて、猫の手前で止まります。
「もう、捕まえたぞ。観念しろ!」とか言いながら、崖を通り過ぎて空中に浮いています。
そのとき、猫が下を指差します。
私は何事かと下を見て、空中に浮いていることを初めて知り、慌てて手足をバタつかせますが、哀れ、見事に落下します。
私はこの場面を何度も色んなアニメで見ていたので、すっかり信じ込んでいたのです。
「空中にいることが分かっていないと、空中に浮くことが出来る」と。
小学校の1年生のときです。
なんで、1年生やと分かるかというと、集団で下校していたからです。
朝は、小学校6年生の班長を先頭に集団登校。でも、帰りはそれぞれバラバラ。
1年生だけは、同じ方向に帰る子どもらが、連れ立って集団下校していたのです。
「ほな、ぼくはこっちやから、また明日な」とか言いながら、枝分かれして行くんです。
ともかく、クラスの皆と集団で下校している途中で、私が言いました。
「ぼくなあ、空中にうくことができるでぇ」
「うそやあ」
案の定、みんなは口々にいいます。
ふんっ! みんな知らんな。僕は空中に浮ける方法を知ってるんや。まあ、驚くなよ。
そんなことを内心思いながら、不敵な笑みを浮かべている小学1年生って、結構不気味なものがあるでしょう。
「まあ、見ててみいや」
と言うなり、僕は例の方法を始めました。
そうです。空中に浮いていることに気づかへんかったら、ええ訳ですから、あれをやるんです。
目ぇつぶって、歩く!
私が目をつぶって歩き始めますと、女の子らが口々に騒ぎ立てます。
「やめとき!」「危ないで」「こけるでぇ」
まあ、見とけっちゅうねん。今にすごいことが起きるから!
不敵な笑みを浮かべたおかしな少年は、目をつぶったまま歩き続けます。
どっかに崖がないかなぁ?
(崖がなくて、ほんまに良かったんです。)
そうこうするうちに、女の子らの騒ぎが大きくなります。
「危ないやん!」「どぶがあるで!」
どぶ? ええやんか! そこにあったか!
よっしゃ、よっしゃ!
そのまま目をつぶって歩いていくと、女の子の声が絶叫に変わったと同時に、体が沈みました。
続いて、前に倒れ、両手を突きました。そうです。どろどろのヘドロの中に・・・。
「えっ? なんで? 最後まで目ぇつむってたのに・・・」
浅い小さなどぶ(溝)やったから、よかったんです。
どぶのコンクリートで足をすりむいたのと、服の袖やら前やらがどろどろになったのと、靴がヘドロに埋まって脱げて探すのに苦労したのと、お母ちゃんにえらい剣幕で怒られて、こっぴどく叩かれたのとを除けば・・・。
どうか、良い子の皆さんは真似しないでください。車がほとんど走っていない時代です。
今そんなマネしたら、間違いなく車に轢かれてしまいます。
それにしても、どぶには縁がありますなあ。
小学1年生で身をもって(痛い目をして)、「人間は空中には浮かない」ことを知った少年。
「空中浮揚」などという全くばかばかしいたわ言に、大の大人が騙されるのが不思議でしょうがない大人に育っていました。
ただの偏屈、根性曲がり、皮肉屋かもしれませんが、生きて行くうえではそれも大切な知恵というものですな。
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