こどもたちの夢を育てる 一声社 |
楽しいバックナンバーも、お時間がありましたらぜひどうぞ。 このページの一番下に主な記事の見出しがありますので、 興味のあるものからお読みください。 |
<おっちゃん 鹿に襲われる の巻>
「ジョギング中の主婦 鹿に襲われ死亡」
―また今年も出たか、犠牲者が・・・。ナンマンダブツ・・・―。
あれは、おっちゃんが大学1回生(1年生のこと。関西の大学ではこういう言い方をする)の頃、男子寮の談話室で新聞を読んでた時のことやった。
おっちゃんは、大学の寮に住んでたんやけど、ここは古〜い木造2階建て、廊下にはゴミが散乱して、部屋の中はその廊下をさらに散らかしたような有様。ゴミで床が見えへん・・・。お世辞にもキレイとは言えへんとこやったけど、おっちゃんにとっては、小奇麗なお部屋では決して学べへんことを、学んだ場所やった。
おっちゃんが奈良に来て、何をびっくりしたと言って、早朝の商店街でゴミあさりしている野良犬ならぬ野良鹿の姿。
もっともそんなものは、後々のアンビリーバブルな(信じられない)事態に比べれば、大阪で阪神ファンに出会うくらいに当たり前のことやった。寮では、中庭に鹿が歩き回っているどころか、こんなこともあったでぇ!
春やと言うのに、奈良はちょっと冷えこんで肌寒いある日の早朝のことやった。
おっちゃんが寮の2段ベッドの下で心地よい眠りをむさぼっていると、廊下をコツコツ、コツコツ、コツコツと誰かが歩く音がする。
時々、ズズゥ〜、ズズゥ〜と何かを引きずるような音も・・・。
「誰や、こんな朝早うに。しかも、革靴か何かで、廊下を平気で歩いて!」
当時、男子寮には厳しい掟(おきて)があった。
寮の中で履いているスリッパで外に出てもええけども、外用の靴で寮の中を歩いたらアカン! これは、絶対的な掟やった。
もっとも、おっちゃんは靴なんかほとんど持ってないから、この掟は全然苦にならんかったけど・・・。
そんな厳しい掟を破って、寮生ともあろうものが、高そうな革靴で早朝に廊下を歩き回るとは!
(寮生は、夜は遅くまで騒いでいるけど、大変な朝寝坊で、こんな時間に起きてる奴なんか一人もおらん!)
おっちゃんは、珍しく朝早く目が覚めたのと、腹立たしいのとで、
「どんな奴か、顔見たろ!」 と、部屋の戸を開けた。
ゴミが散乱して床が見えないはずの廊下が、戸が開くところだけ綺麗になって、扇形の床が現れたことは、このお話の筋には全く関係がない。
戸を開けたおっちゃんが、ふと目を上げた途端、目の前を猛烈なスピードで走り去っていく巨大な影・・・。
「なっ、なんや?」
事態がまだうまく飲み込めないおっちゃんが(寝ぼけてるんかも知れんし)、慌ててそやつが走り去った方向を見ると、そのモノ(者)は廊下の端(はし)で急激に方向を変え(行き止まりやし)、出口に向かう瞬間、おっちゃんを見た!
その真っ黒い大きな目で! そいつは、毛深いし、足も長い!
そのモノが、風のように走り去った廊下には、散乱した生ゴミと、寝グセのついた髪の毛を逆(さか)立てて(あの頃は、逆立つくらいには髪の毛があったんやなぁ、おっちゃんも)、口を開けたまま間抜けな顔をして突っ立っているおっちゃんだけが取り残されたのであった・・・。
そのモノの名は・・・・・・、野良鹿! 以後、夢ゆめ、お忘れなきように。
「おいヨネ! 鹿って、どうやって人を襲うか知ってるか?」
「いや、知りませんよぉ。故郷の街中(まちなか)には、鹿、歩いてませんしねぇ。馬みたいに蹴(け)るんとちゃいます?」
一緒に新聞室にいた寮の先輩・Mさんが、おっちゃんに声をかけてきた。
鹿が人を襲う? それだけでも信じられへんかったのに、鹿の攻撃方法なんか知るわけないやんか!
と内心では思いつつ、先輩には逆らえまへん。
「じらさんと、教えてくださいよ〜」
「鹿はなぁ、蹴るんとちゃうで! たたくんやで」
「たたく? 人間みたいに張り手か何かで?」
「ちゃうちゃう! まあ、ヨネも、いつか分かる日が来るで。そのうちにな・・・」
なんや、なんや? その不気味な終わり方は・・・。
「やめてくださいよ〜。脅すのは!」
せっかくの先輩の忠告を、おっちゃんを「怖がらせようとしてるんやぁ」と、無理に受け取って納得したはずやった。
しかし、その日から遠からずして、ついに「未知との遭遇(そうぐう)」を果たすことになろうとは、奈良の大仏でも予想できひんかったやろ・・・。
あれは、部屋変えの翌日の朝やった。
寮では、半年に1回、部屋変えをする。
まあ、荷物といってもほとんどないんやけど、部屋を綺麗にして明け渡すのが、これ、社会の常識やから、散乱してたゴミをかき集めて、寮の食堂のほうでいっせいに燃やすんやね。寝泊りしている建物と、食堂や風呂のある建物は別棟(べつむね)で、なんと、2つの建物の間に道路が走ってる。
その日の朝も、1回生のおっちゃんは、ほれ、使い走りみたいなもんやから、先輩のゴミとかいろいろゴミ袋につめこんで、ゴミの集積所まで歩いていった。
まだ早い時間、いくら寝ても寝たりないおっちゃんは、眠い目をこすりながら、うつむき加減に歩いてたんやけど、道路を渡りきったかな、というところで、向こうから近づいてくる大きな影に気がついた(向こうと言うのは、ゴミの集積所方面)。
そのモノ(者)は、静かにこちらに歩いてくる。
人を見ても、全く動じる気配はなし。おっちゃんは、その時までは、まだ鹿を甘く見ていた。
「鹿は臆病な動物やから、びっくりさせたら逃げるやろ!」と。
「こら〜!」と、おっちゃんは声を上げてみた。
鹿は、何も聞こえないかのごとく、歩調も一切乱さずにこちらに近づいてくる。コツ、コツ、コツ、コツ・・・。
おっちゃんは、なおも、「向こうへ行け!」と叫びながら、ゴミ袋を振り回した。
鹿には全く通用しない。あいかわらず、大きな黒い目でおっちゃんをじっと見つめたまま、同じ歩調で近づいてくる。
コツ、コツ、コツ・・・。
おっちゃんは、どんどん怖くなった。
「なんで、逃げへんのやろ!」
その時や、あの新聞記事を思い出したのは・・・。
「ジョギング中の主婦 鹿に襲われ死亡」・・・・・・
猛烈に恐ろしくなったおっちゃんが、逃げようとしたまさにその時や!
鹿が、十分な間合いを持って、前足を2本、大きく振り上げたんや!
「これか、M先輩の言うとった、鹿の攻撃方法ちゅうんは・・・」
おっちゃんの頭の中を、それまでの人生がぐるぐると回りかけた瞬間、
「何してんのや! ゴミ袋を捨てろ!」
と、おっちゃんの頭の中で声がした。
そうや、ゴミ袋を捨てたらええんや! おっちゃんは、夢中でゴミ袋を鹿に投げつけて、猛然とその場を走り去った!
「Mさん! 分かったで! 鹿の攻撃方法が!」
「そうか! よう無事に帰ってきたな! 鹿の攻撃を見た者は、三途の川を渡ると言うからな
・・・」
あれから四半世紀以上、おっちゃんはいまだに三途の川を渡っていない。
あの時、「ゴミ袋を捨てろ!」と教えてくれた声は、奈良の大仏か、猿沢池の亀か、平城宮跡の木簡か、はたまた鹿せんべいか奈良漬か。それは、誰も、知らない・・・。
(鹿の巻 完)
<かまないはずの犬にかまれる の巻>
あれは今から20年以上も前の、ある夏の、まだまだ暑さ厳しい、夕暮れ時のことです。
おっちゃんはその頃、奈良市内に住んでいました。
「あなたと なら 大和路」
の奈良、平城京の奈良、奈良漬の奈良です。奈良は盆地やから、真夏でも朝は涼しかったし、昼間の暑さは厳しいところです。
おっちゃんは「カブ」というスクーターに乗って、アルバイトで集金に回っていました。
集金と言うのも中々大変なお仕事で、
「こんにちは〜 集金に来ました〜」
「今、誰もいませんよ!」
(アンタがおるやんか!)
とか、
電気がついているので、あ〜今日は奥さんが、おってや! あ〜よかった。と思い、
「こんちは! 集金です」と言うと、
「あら〜、今ちょうどお金がなくなったとこなんよ。明日の夜、8時ごろ来て!」
(なんで、夜8時なんや?)と不審に思いつつ、次の日の夜8時に行くと・・・、
「ちょっと、女一人住まいやのに、夜遅うに来んといてよ! 近所の噂になるやろ!」
(誰がアンタみたいな、おばあはんを! それに昨日、夜8時に来い言うたんはアンタやんか!)と、心では猛烈に怒りつつ、
「遅くにすみませ〜ん。ほんまに失礼しました。出直しましょか?」
「いやいや、わざわざ出直すことない! しゃあない、払とこ!」
とまあ、こんな苦労も多々あるわけです。
ところで犬の話はどうなったん? まあまあ、そう急がんと。
ある方のアパート入り口に付いて、スクーターを降りたときです。
「わんわん わんわん」
「どこのアホ犬やねん! 近所迷惑な!」
「あ〜、良かった。今日は奥さんおってや!」
そう思った次の瞬間です。その方の家から、小さな犬が猛烈に鳴きながら飛び出してきました。
「近所迷惑な犬は、おばはんとこの犬か! どうでもええけど、噛み付きそうな気配やな」
「あぁ 大丈夫、大丈夫! そんな怖がらんでも、うちのメグちゃんは、人を噛んだりせぇ・・・」
「せぇへんと言おう思たら、噛んでるなぁ」
「どこの誰が、どう見ても、人を噛んでますよ!」
「おかしいなあ、アンタ、メグちゃんに恨まれるような悪いことした?」
「今初めて会うて、いきなり噛まれたんでっせ! いつ悪いことしまんねん!」
「顔が気に入らんかったんかもな〜。大丈夫?メグちゃん?」
「お〜い、俺が犬をかんどるんか〜い」
なお、このお話は95%の真実に、5%の脚色を混ぜてお伝えしております。あしからずご了承ください。
テレビを見るときは、部屋を明るくして、離れて見ましょう。テレビを見る時間は、控えめに。
目が悪くなるし、考える力がなくなっていきます。
次回は、「おっちゃん 鹿に襲われる の巻」をお伝えします。
提供は、一声社でした。
ついでに、むずかしい言葉。「鉱さい」
「「鉱さい」を投げないようにしましょう!」
これは、僕らの小学校で、代々注意事項として廊下に張り出された標語です。
かくいう僕も、5〜6年生の頃の「美化部」でそんなありきたりの使い古された標語を採用して、廊下に張り出しました。
「鉱さい」?なんですの?それは?
これは今でもむずかしい言葉ですが、僕らの学校では、校舎と校舎の間や、体育館に行く通路などに敷き詰めてあった、要するに石です。これを、おもしろがって投げ合うわけです。時々は、鯉のおる池に、チャポンといれたり・・・。
そんなことしたらアカン、他人にあたったら危ない、そういうことやったんですけど、なんでストレートに、
「石を投げないようにしましょう」
と言わへんかったんか、未だに不思議ですね。むずかしく言わな標語の格が下がるとでも思うてたんですやろか?
「「鉱さい」を投げないようにしましょう!」
1年生に分かりますか?
標語はだれにでもわかるもんやないと意味無いと思うんですけど、まあ、今でもやたらと四文字熟語が氾濫したときは、なんやら危ないですね。
政治改革・構造改革・国際貢献・自己責任・地方分権・・・、やたらめったらありましたけど、四文字熟語になった途端に、その意味を考える思考がストップして、盛り上がってしまいますね。
これからは、「新宿駅前」とか「頭痛腹痛」とか、「水戸納豆」だの「焼肉好物」 だの、「嫁姑敵対」やら「振込詐欺」やら「花婿修行」「公約違反」「野茂英雄」 だのなんだの、なんでもかんでも四文字熟語にしてあそびましょやないかいな。
こっちむいておはなしおもちゃ |
「りす」 (小道具セット4) |
「いないいないばあ」 (小道具セット1) |
「くるくる変わり絵」 (小道具セット3) |
続おはなしおばさんの小道具 |
さてさて、ここからが本題。ほんまにえらいこっちゃ〜ですわ。
なんと、着ていった背広が破けてたんです!
なんでそうなったか、というと、前日の夜遅くに札幌から帰ってきたもんですから・・・、いやいや帰りにもひと騒動あったんです。空港バスから近くまで帰ってきたんはええんですけど、(奥さんに車で迎えに来てもろて)、車に乗り込んだ途端、「あっ! バスに荷物を忘れた!」。えらいことです。空港バスの荷物入れに預けたまま、手荷物だけを持って降りてしもたんです! えらいこっちゃ〜! 空港バスなんか、めったに乗らんからどこに電話したらええんかもわからんし、バス停に書いてある番号にかけたら、「恐れ入りますが、本日の営業は終了しております・・・・」というコンピューターさんの声だけ。
104に聞いてようやくわかり、無事荷物を取り戻したんです。そんなこんなでただでさえ遅いのに、またまた遅くなって、朝起きても疲れは取れず(寄る年波ですな)、スーツを選んでいるときに、よっぽどボ〜っとしてたんか、処分する予定の古いスーツを手に取ってしもたんです。
どれくらい古いんかっちゅうて、なんと成人式の前に買うたスーツでっせ!
もう、袖がもげそうになってるんです。穴も開いてます! なにかに使うかもしれんと思うて、箪笥に吊り下げといたんですけど、捨てとけっちゅうねん!
「おじいさんの大事なコート」 (小道具セット2) |
今日の格言
『他人の振り見て、我が振り直せ』
*ほんまは、これ着て行こう!と思っていたスーツは、一番手に取りやすいところに釣り下がっていました。
それをわざわざ取りにくいところから、ボロを引っ張り出すやなんて、まさに灯台もと暮らしですな。
(ちなみにこの言葉、小学校の頃は、デモクラシーと関係がある言葉かと思うてました。まず、教科書に載っていた「大正デモクラシー」という聞きなれない言葉を覚えて、これは「デモ」(ストライキとかのデモ)ばかりやって暮らしていることかいな?と思うてたんです。デモ暮らしですね。
その次が、教師が言った「灯台もとくらし」。まずは、東大やろと思うてたんですが、モトクラシー、これなんやろ? デモクラシーと関係あるんやろな? 東大が? なんとも不思議な魅力的な言葉でした。これ、ほんまの話です)。
さて、札幌のコーチェンフォーさんを訪問するのは、車が無いとなかなか大変でした。地図で一番近い駅を探して、バスの路線を見て、ないときはタクシーを拾って・・・・。美しが丘店さんを訪問したときは、小雨交じりの寒〜い日。行くときは駅からちょうど良いバスが出るときだったので助かったのですが、いざ帰ろうとバスの時刻表を見たら、25分くらい待ち時間があります。屋根つきの待合所があるにはあったのですが、寒いの寒くないのと、ブルブル震えながら待って、すっかり身体が冷え切ってしまいました。
札幌はまだしも、北海道はローカル線がだいぶなくなって、住んでおられる方々は本当に大変やと思います(高校生の通学とか)。札幌の叔母から、「近頃は病院もどんどん閉鎖されて、北海道の地方で生活するのがますます大変。札幌に人口が集中している」と聞きました。出張で全国各地を回りますと、文字通りのシャッター通りを見、寂れ具合を肌で感じ、またどこでもホームレスの人を見かけます。
「地方の時代」「地方分権」という美しい言葉をお使いになる方々は、まず地方のそういう現実を直視していただけたらと思います。病院にすぐに行ける道路を作るんだ、とおっしゃいますが、遠くにあるその病院もやがてつぶれ、さらに病院が遠くなり、またまた高速道路を作って・・・。んんっ? どうにも発想の出発点が違うような気がしますな。
それでも、色々工夫して、元気に生きていかねばなりませんが、努力次第で何とかなる! 自己責任で! というなら政治も要らんし、税金も要らんのんとちゃいますか? 「これからは、税金も一切徴収しまへん、そのかわり全部自分でやってくださいや〜」、というのがほんまの自己責任とちゃいますか? そしたら、政治家に払てる「無駄」なお金も一切不要でっさかいね。
結論から言えば、気にせんとこ!というアドバイスしかありません。それに、ものすごく高いかつら(東南アジアなどで、超低賃金労働で作らせて、高く売るということも腹立たしいし)につぎ込むお金は、もっと楽しいことや、人のために役立つことに使ってほしいですね。
「どれだけ深刻に悩んでるか、アンタわかってないんや!」
という方もおられるでしょう。それでも、その自分を受け入れるしかないやないですか。
かくいうわたしも、すっかり頭髪が寂しい状況。若い頃にはそれなりに気になりました。
開き直って早幾年。開き直ったら強いもんです。
3〜4年位前に、仲の良い小学生の子どもがわたしの似顔絵を描いてくれたんです。
上手に描いてくれて、よう似てるんですわ。でも、初めて見せてもろたときに、思わず自分で爆笑してしまいましたで。それは、・・・髪の毛がほとんど描いてなかったことなんです! メガネもかけてますし、ちょうど波平さんみたいな感じになってますね。
「う〜ん、子どもの目にはここまで毛がないように見えるんか〜。子どもの目は誤魔化せんなぁ」と感心することしきり。
(このページの今年の2月にわたしの写真も載っているので、とくとご覧アレ)
毛がないのは、母親の家系ですな。
わたしのおでこや頭全体の感じが、母方の祖父や叔父とそっくりなんですわ。2人とも故人ですが、叔母もわたしを見ては
「あ〜、お父さんが帰って来たった〜!」と涙声で言うんです。
なんやらうれしいような、哀しいような、背中の辺りがもぞもぞ、すーーっっとするような・・・。
「おっちゃん、背中におぶさってんのかなぁ」と、ちょっとびっくりしまっせ。
「髪は、長〜い友だち」というコマーシャルがありました。
わたしの友だちは、短い付き合いで次々に去っていったようです。殺生やなあ。薄情やなあ。いや、髪の毛だけに、薄毛(はくもう)やなあ。
この頭髪が思わぬ事態を引き起こすことも・・・。
あれは東京に引っ越してきて、そんなに経ってないある日のこと。
以前は、格安散髪屋で済ませていたわたし。わたしが通っていた格安のところは、安かろう悪かろう。
でも、そんなにご大層な髪の毛やなし。この値段の方が魅力や! とせっせと通うてました。
東京に来たら、右も左も分からず、近所に格安のところもなかったものですから、まず一番近い散髪屋へ。
これがものすごく丁寧なんやけど、時間がかかるかかる。
2人が散髪台に座って、3人がソファで待ってたもんやから、「これは順番がはよまわってくるやろ」と店に入って待ってたら、待てど暮らせど一向に終わっていかん! なんと、最終的にわたしの散髪が終わるまで、延々6時間待ってました〜!
(連れ合いは、散髪が終わって映画でも観にいったのかと思うたそうです)
時間がかかるはずですわ。ようやく私の番が来てすわったら、
「まず前髪をどのようにしますか? このカタログを見て選んでください」
「次に、うしろのすそをどのようになさいますか? 今度はこっちのカタログを見て選んでください」
「もみあげはどのようになさいますか? もみあげのカタログはこれから選んでください」
前髪くらいは「ほな、これにして!」とか答えてたんですが、あまりにカタログを見せながら「選べ選べ」とあれこれ言うもんですから、しまいに嫌になってしまいまして、
「どうでもよろしい。そんなご大層な髪の毛やなし。前髪だろうが、すそやろうが、もみあげやろうが、全部短く切ってしもて! カタログって、これに掲ってる人ら、み〜んなかっこええモデルばっかりやんか。少なくとも、こんな風にだけはなりとうないですわ」
かわいそうな、親切なおじさんは、困ってしまったようです(すみません)。
「ここは、丁寧なんはええけど、時間がかかりすぎるし、モデルを目指してるんとちゃうんやから、あれこれ聞かれても「どうでもええです」しか答えられん。 ぼくには合わんなあ」
そこで、次の散髪屋を探して、また飛び込みで新しいお店にいったとき、事件は起こりました・・・。
「ああ、髪の毛が伸びて鬱陶しい。耳にかかってんのも、襟首にかかるのもうっとうしい。あっ! ここ初めてやけど、入ってみよ! ちょうどええ、空いてる〜」
「いらっっしゃい。お客さん、初めてですね」と、わたしの父親くらいのおじさん。
「お客さんをよう見てはんなあ。初めてやとわかるんやなあ」
と感心しながら、早速散髪台に座ります。
おじさんは、初めての客にニコニコと愛想を振りまきながら、
「どんな感じにしますか?」と聞いてきます。
「全体に、短こうしてください」
「お客さん、関西の方ですか?」
「今の一言でわかりますか?」
「ええ、すぐわかりました。どこのご出身です? わたしは東京下町の生まれで・・・」と、話はつきません。
話す間にも、手は休めず、準備を整えていくおじさん。さすがベテラン。すっかり安心したわたしでした。
両手でわたしの頭を支え、大きな鏡をじっとみつめたそのとき、事件は起こりました。
しばらく鏡を見つめた後、やおらおじさんは、こう言ったのです。
「う〜ん、お客さん、前髪だけどこかで切ってきました〜? ちょっとバランスが悪いですねえ」
・・・・・・・・
・・・・・・・・
「おじさん、前髪だけどっかの散髪屋で切ってから、また他の散髪屋に行く人おりますかぁ? これねぇ、地毛です。前髪は、切ってきたんやのうて、もともと少ないんですわ。ほかの部分の髪だけ、伸びたんやね」
・・・・・・・・
「すっ、すみませんででしたた。き、きょうはは、お天気が良くて、よかったですねえ」
「雨降ってますけど」
「いいいやぁ。そうですかかか。ずっと部屋の中におるものですから、はははは。
さてと、・・・」
慌ててはさみを取りに行くふりをして、その場を離れたおじさんでした。
わたしは、一生懸命お客さんと話をしようとして余計なことを口走り慌てているおじさんを見て、「このおっちゃんやったら、正直もんや。間違いない。仕事も丁寧やろ」とすっかり気に入り、それ以後ずっとその散髪屋さんを使ってます。
今は息子さんに代替わりしましたけど、先日も臨時休業日やとしらずに行ったわたしを、快く店に入れて散髪してくれたんは、このおじさんでした。戦時中の話なんぞをあれこれしながら、気持ちよく散髪してもろたんです。
長〜い友だちは去っていきましたが、また新しい友達もできますな。
今日の格言。
捨てる髪あれば、拾う髪(神?)あり
そういう怪しい電話は、「社長いる?」とか「○○さんいらっしゃる?」とか、まあ、馴れ馴れしいんです。
いかにも知り合いみたいに、ね。社長本人に話さなあきませんから、取り次いでもらうために色々考えてるんですわ。
社長の名前なんて、ちょっと調べたらすぐ分かりまっさかいね。
「そんなに儲かるんやったら、アンタがやりなはれ」 ようはそういうことです。
素人さんがいとも簡単に儲かるんやったら、世の中に貧乏人は存在しませんわな。
しかも、そんなうまい話を独り占めせんと、いや、自分は儲けないで他人様にお勧めくださるとは、なんちゅう美しい話やろか!
昔から言うてます。
「うまい話には、裏がある」 先人の教えを軽んじたらあきません。
近頃はあの手この手で、「おはようございます! ・・・会社です。社長はいらっしゃいますか?」と、肝心の会社名をもごもご言うてわざと誤魔化すパターンや、
わざと居丈高にドスの効いた声で脅すようにかけてくるパターン、などいろいろ。
話を聞かずに切ることが多いですが、あるとき切ったらすぐに電話がかかってきて、「今、なにか電話が切れたようですねぇ。話の途中でしたのにねぇ」 と、ドスの効いた声でかけ直してきた輩も。こっちは、あまりに見え見栄の芝居に笑いたくなるのを抑えて(脅すと、ついつい話を聞いてしまったり、怖くてその場を逃れたくて契約する人も多いのです)、 「いきなり電話してきた見ず知らずのオタクの話を、聞かなアカン法律でもありまんのか?」「何やったら、警察に相談なさいますか?」 と、丁寧に申し上げて、静かに電話を切りました。
振り込め詐欺被害も過去最悪とか。ヤクザが組織的にやっている場合がほとんどでしょう。騙されるのは、闇の世界の潤すだけです。重々注意しましょう。
それと。息子であれ、孫であれ、不始末をお金で解決(誤魔化す)など、被害者にも失礼極まりない。起こってしまった不始末には、「自分でちゃんと責任を取りなはれ」と言いましょう。
何よりも、まとまったカネを出してくれという重大な話を、たとえ本人だとしても、手をついてお願いに来るわけでもない、電話1本で何とかなると思うてるような輩やったら、同じようなことをまたしでかすでしょう。年金で暮らしておられる親御さんに、お金を出してと言うんですよ。
「そんな息子やないで!」ということでしたら、涙ながらの電話がかかってきたら、こう言いましょう。
「自分で責任を取りなさい」「可愛い子には旅をさせよ」「心を鬼にして」
これまた、先人の教えを大切に。
蛇が出てこうへんやんか? そうなんです。問題はこれからです。
猿に叩かれてから、山を降りるときに、山道の(もちろん舗装なんかされてませんでぇ)ちょっと前方に、木の枝のような、紐のようなものが落ちています。
それまで全然気づかんかったですけど、ふと見たときからなんやら嫌な予感はしたんです。それでも、付き合い始めて間無しですから、慌てふためくわけにもイカンやないですか。話を続けながら、目はその長いものに注いでます。そのものを無事にやり過ごそうとした、まさにその時!
蛇が、さっと鎌首を持ち上げたんです!
もう、見栄も外聞もありませんわ。「あわわわわ〜」と言うたと思うたら、腰が抜けてしもたんです。つまり、急いでそこから逃げなアカンのに、足が言うことききまへん。「アカン、格好悪い」「はよ、逃げな!」・・・頭では分かってるんですよ、でもいかんせん足が動きません。地面にへたってしもたんです。なんちゅう格好悪い!
そこで連れ合いが一言。
「腰が抜ける、っていうのを生まれて初めて見た!」
「こっちもなあ、猿に叩かれた奴を初めて見たわ〜」
最後は、声が震えている、
とっても惨めな若き頃の私のなのでした。
さて、子どもの頃、中秋の名月には、白玉のお団子を作って、月見をしていました。
白玉粉を練ったものを、兄弟妹でそれぞれ耳を作ってみたり、口をあけてみたり、粘土細工みたいさせてもらいながら、鍋に入れてたんです。お月さんにはウサギがいて、という話を母親から聞きながらね。月にアポロが行ってしまって、ウサギなんかおらん!ということになったんですけど、月も遠いけど、アメリカも遠い、なんかどっちも遠い国の話ちゅう感じでした。
月面着陸を夜中にテレビで見た、という子もおったけど、子どもが夜更かしをしたら絶対アカン、という家が多かった時代です(うちもその代表格)。夜中に、しかもテレビを観てるなんて、そうそうおらんかったですね。テレビなんか、当然一家に1台しかない時代ですから、こっそり観ることもできんし。しかも、白黒ですよ。カラーテレビが友達の家にもちょこちょこ入りだして、『巨人の星』 だけは2階に住んでるH君の家にカラーテレビを観に行ってました(兄貴と2人で)。普段、テレビを観ていると、「赤のズボンをはいて走っているのが、○○選手。白黒テレビでは、黒っぽいズボンの選手です!」とか、わざわざ言うてました。まあ、青いズボンでも、紫ジャージでも、黒っぽいズボンになるんでしょうが・・・。
名月を取ってくれろと泣く子かな
一茶
昨夜も私らと同じくらい夜遅くに、同じ電車で帰ってきた子どもがいました。
ある塾のカバンを背負っています。小学校4〜5年生くらいでしょうかねぇ。同じ年頃の僕らならとっくに寝てた時間です。月をじっくり観る、そんな余裕があるのでしょうか? こんな時間まで勉強して、ストレスをためるな、という方がおかしい。親個人の責任に帰するのは酷です。子どものためを思って必死になっている親御さんを、そこまで追い詰めるものが腹立たしい。
全国学力テストの結果を、市町村ごとに、また学校ごとにも公表せえ! ちゅう人が少なからずおられます。何のために? 「学校や教師がどれだけ努力しとるか、見るためや」ということなのでしょう。自分が廃止したい施設の職員がどれだけ真面目に働いとるか調査する、と<盗撮>してた知事もおりました。これもそういう発想でしょう。ただ、この知事さんは、公務時間中に公用車でスポーツジムに行ってたんですけどね。自分自身の努力を公表するために、自分を盗撮したらええんちゃいますか? いみじくもこの事件のとき、「一般の職員とは違うことを理解してほしい」と言わっしゃいましけど、これホンネですね。自分はええねん!
テストの成績を上げるために、教師が机間巡回しながら間違ってる答えのところをコンコンと叩いて教える、勉強の出来ない子を試験当日休ませる、など今でもアチコチで問題になっています。そら、そうなるでしょう。それが、学校ごとに全部公表するようになったら、そして結果によって予算が増えるか減るかになったら、勉強が出来ひん子、苦手科目がある子、空恐ろしい地獄になりますよ。イジメも不登校も今の比やなくなるでしょう。
しろがね(銀)も 黄金も玉もなにせむに まされる宝 子にしかめやも
山上憶良
「りす」 (小道具セット4) |
のびる絵本「ほしい」 |
「お手玉・まりつき・ゴムとび」 |
まりつき用の特注ゴムまり、 好評発売中! |
もう一つ、中学時代の失敗談。
校門の前が工事中でした。ひび割れた地面にコンクリートを塗りなおし、整備していたのです。ようやく「立ち入り禁止」の黄色と黒の柵も撤去され、工事のおっちゃんが最後の仕上げをしていたまさにそのとき、私は通りかかりました。
友だちと連れ立って帰る時、下足箱のあたりはゆっくり並んで歩いとったんですけど、徐々に徐々に早足になり、校門近くではどちらともなく走り出したんですわ。。
(そのとき歴史は動いた。今日のそのときまであと10秒。
・・・NHKさん、楽しい番組をありがとうございます! なお、今説明している内容と本放送は、一切関係はございません。今後、放送される予定もございません。
登場人物及び事件そのものは事実に基づいております。あしからずご了承ください)
まさに、無言の競争。なんであの頃は、あんなに競争したがったのか、歩くスピードさえ競って過熱したんか、・・・??
それはともかく、「うおりゃ〜!」と叫びながら、2人して走って校門を駆け抜けようとしたまさにそのとき。私の目の前に広がる「塗りたてのコンクリート」 と背中を向けて座って作業しているおっちゃん。
「あっ!」と思ったときには「時すでに遅し」。私の靴は、固まっていないコンクリートの中へ、さらに一歩、二歩・・・。
突然のことに驚いて見つめていただけのおっちゃんが、数秒経って怒鳴りました。
「なにしよんじゃあ〜!こらぁ〜!」。
今日のそのとき。
ひたすらおっちゃんに謝るぼくと、そのまま走り去って無関係を装う親切な友達
・・・。おっちゃんがコンクリートをそのまま塗り直さなければ、わたしの靴跡が今も中学校の校門前にくっきりと残っていたでしょう。しかし、無情にもすぐに塗りなおされてしまったのです。
「名」ならぬ「靴跡」を残し損ねた一無名中学生の失敗談を思い起こしながら、
今日は失礼しましょう。
のびる絵本「ほしい」 |
あとで藤田浩子さんにお伺いしたところ、「分科会の参加者の方から『そちらの道具を、下でおもしろくやってらしたわよ』といわれたので、あちらは関西弁の語り、私は福島弁で語ります、とお断りしてから、福島弁で語りました」とのこと。偽の藤田浩子さんが、関西弁であちらこちらに現る! という感じです。きっと、これからも全国各地に関西弁の偽藤田が出没することでしょう・・・。
ところで、AKIRAさんとRIKAさんのステージのときに、親父ダンサーズ?なるコーナーがありました。
参加者は、ほぼ女性で、ごくごく少数の男の参加者を舞台に上げて踊らせよう!という企画です。
「さあ、男の参加者は舞台へ!」という掛け声で次々に壇上に上がるのを本の前で「ぼぉ〜っ」と眺めてたら、メリーゴーランドの森さんから「さあ、一声社さんも!」と声をかけられ、「えっ!」と驚いたものの、気が付いたら舞台へと続く流れの中に身を投じておりました。
「なんで、ここにおるんやろ?」
「さあ、男性は衣装変えだ」と、これまた突然の宣言!
舞台袖にある揃いのはっぴを着て、ポンポンを両手に持って、再び登場。またまた突然音楽がスタート!
「さあ、踊ろう!」。この時点では、もう「なんでやろ?」と考える暇もなく、ポンポンをふって両足をあげたり下げたり、激しいダンスをしていました。
でも、
踊りながら突然観客の目線に気づき、またまた現実の世界へ。何やら気恥ずかしい・・・、いやいや盛り上げに協力せんとアカン! 日ごろの運動不足と寄る年波ですっかりなまっている老体に鞭を打ち、気力を奮い立たせ、「さあ!踊りきるぞ!」
ようやく長い(私には)ダンスが終わり、無事退場。
メリーゴーランドの森さんには、「版元(出版社)さんが踊ってくれるのは珍しいです。ありがとうございました。一目見たときから、踊ってくれるという予感がありました・・・」。
「いやぁ〜、それほどでも。次は心の準備をしてもっと上手く踊りまっせぇ〜」
え〜っ? 次も踊るつもりかい?
その前に、電車の話。
朝はいつも混んでいるんですわ。これが最初全然慣れなくてね。何が慣れないかというと、まず混雑。
それから混雑に関係しますが、降りられない恐怖。最後に揺れ。
・今までの人生で電車通学通勤したことがないもんですから、「これ以上は無理やろ!」という状態からさらに相当詰め込まれる、あのラッシュを体験してビックリ仰天。入り口あたりでぎゅうぎゅうともみあっているところに、電車の揺れが「良い」効果をもたらすのか、隙間が均等していく、つまり容器をとんとんと揺さぶってモノを入れるあの感じ。他人との密着・・・。
・降りるべき駅のドアから必ず遠ざかっていく変な法則、目指すドアまでには多くの人がひしめきあっている、「これで降りられるんやろか?」という恐怖ですね。
・「揺れ」は不思議なもんです。最初は全然まともに立ってられず、揺れるたびによろけて人にぶつかる、足を踏んでしまう、舌打ちをされる・・・。ところが、
周りの人は全然よろけていない! 「東京の人は、何と足腰の強いことか!」と本気でビックリしました。
ところが、「揺れ」は「慣れ」もありますね。急停車は別にして、ある程度の揺れは「慣れ」で克服できます。自分で実験もしてみたのです。進行方向右側のドアを見ながらしばらく立っています、そこで突然今度は左側のドアを見て立つんです。すると・・・、よろけます。
満員電車に「慣れ」ていくなんて、ほんまにええことでしょうか?
もちろん、最初みたいにいちいちイライラしてたら、身も心も持たないでしょう。
でも、慣れてしまう人間にはあまりなりたくないです、私としては。
それはそうと、東京のおばさんの話はどうなった? そう、せかさんといてください。
もよりの駅から朝のラッシュ電車に一緒に乗り込んだおばさん5人組。
駅のホームで電車を待っている間から、ずっとしゃべりっぱなし。
その会話が途切れることなく電車に乗り込み・・・、といっても混雑してますから5人が一緒に、ずっとかたまってられないわけです。駅の乗り降りのたびにちょっとずつ離れていく。
でも、そんなことでおばさんがへこたれてどないします?
そのうち、私を間に挟んで、1人のおばちゃんとあと2人がおしゃべりをしているんです。
私はもちろん無関係の人ですわ。でも、わたしなど眼中にないかのごとく、まるでテーブルを挟んでしゃべるかのごとく、おしゃべりは続く。「そうそう、それでね・・」
♪おしゃべりは続くよどこまでも・・・。
そのたくましさよ! 5人がまだ固まって立っていた時の会話。
何がおもろいかというと・・・。
「それでさ、うちの嫁がね。なんかシャレたお料理を作ったのね。なんとかいう名前だけどね、おぼえてられないわよ。それがね、ちょっと変わってるというかぁ
・・・」
「そうそう、私もねこの前映画に行ったときにね、日比谷だけどね、観たのはね
今話題のほらアレ!アレ・・・」 「そうでしょう〜。この前テレビでね、ほら、みのさんが『ココアが身体にいい』っ
て言ってたじゃない。あれ、すごいわね。近所のスーパーでもあっと言う間になくなったわよね。わたしは、ほら、ずっと前からココアを飲んでたから・・」
「あら、そうそう、ねぇどこで降りるんだっけ? わたしさぁ、この前主人と電車に乗ったときね、降りる駅を・・・」
これ、文章で面白さを伝えるのが難しいですねぇ。
私の文章表現力も問題ですが
・・・。
それぞれのおばさんが他人のしゃべったことは全然聞かずに自分のいいたいこと
を言い合っている、しかもお行儀よく順番に、全くかみ合っていないようでいて何だか少しかみ合っているような何とも言えない深い味わい・・・。
私の面前で繰り広げられる前衛劇団の舞台のような空間に、私はしばし呆然としつつ笑いをこらえるのに必死でした(満員電車ですから笑うわけにはいきません)。
私をとびこえておしゃべりを続けるのには閉口しましたが・・・。
ますます混んできておばさんたちの輪がくずれていく・・。
あぁ〜、ちょっと待ってゃ〜、もうちょっと聞かせてや〜!
のアンコールもむなしく、満員電車劇場の幕は静かに降りていくのでした・・・。 完
「いないいないばあ」 (小道具セット1) |
「いないいないばあ」 (小道具セット2) |
「くるくる変わり絵」 (小道具セット3) |
「りす」 (小道具セット4) |
その後、梅田の居酒屋で打ち上げ。これも面白かったですねぇ。読み聞かせの苦労話・失敗談などを、おもしろおかしくそれぞれ出し合って、明日への活力がうまれる感じでした。
帰りの電車の中で、たまたま目の前にいたおばちゃん仲良し2人組が言うてました(もちろん見ず知らずの人)。まあ、声は大きくなかったんですけど、なんせ目の前やから、よう聞こえたんです。
「この前な、テレビでやってたんや」
「なにを?」
「大阪のおばちゃんは、こんな小さなすきまがあったら、無理やりお尻を入れて座る、いうてなあ」
「そんなん、詰めたらみんな座れるんやから、ええやんなあ」
「そやそや、ほんでも、おばちゃんやいうてもそんなんでけへん人もようけおんのに、テレビいうたらなんであんなおばちゃんばっかり出してきて、『大阪のおばちゃんはこんな人!』いうて決め付けるんやろ?」
「ほんまや、失礼やなぁ」
さて、約束の時間よりも早く着いた私は、会場の駐車場を聞こうと車を停め、受付へ。
親切なおじさんに場所を教えてもらい、車に戻ろうとしたその時です!
あれ?足が?遅れてくるよ?まるで(いっこくどう)さんのような状況になり、すってんころり!
よくマンガで、足をばたばたさせながら派手にこける絵がありますが、「そんなふうには転ばんやろ」というまさにその通りの正当派の転び方。両足がツルツルっと何度か上に上がったあと、左肩から地面に激突!
その場に、ご高齢の方が4人くらいおられたのですが、「あらまああ、大丈夫?」と心配され(ちなみに、ご高齢の方は誰一人転んではおられなかったのです)、恥ずかしさのあまり「大丈夫です!」ときっぱり言い切って、元気よく立ち上がりスタスタと(見栄を張って)。
藤田さんのお話会の最中は緊張していたためか、ほとんど痛みを感じなかったのに、終わった途端、左肩と左手首の痛みがどんどん増し・・・。
藤田さんには開会前にご報告していたので(恥ずかしい失態を)、開会直前に 「これからお話会が終わるまで時間がありますから、病院に行かれた方がいのでは?」とわざわざお声をかけていただいていたのです。
その時は「なあに、なんともありません」と胸を張っていたのですが、どうやらよる年波には勝てず、 「動くから骨には異常がないようやけど、筋をちがえたかもしれんなあ」と思い始め、弱気に・・・。
結局、翌日、整形外科に行って「骨には異常なし。打撲と捻挫」ということで一件落着。
その会館は入り口付近に、見た目のためか、足を踏みしめやすいようにという配慮なのか、つるつるの石のようなものがコンクリートにたくさん埋め込まれているのです。それが雨に濡れたら滑る滑る。アイススケートのように派手に滑りました。一緒に一声社をやっていて藤田浩子さんと大の仲良しのうちの連れ合いに報告すると、「高齢の方でも滑ってないのに、よほどどんくさいのでは?」と。
それよりなにより、帰宅して転んだ話をした時の連れ合いの最初の反応は・・・、
爆笑でした。
このお話会に一緒に行く予定で風邪のために家で静養していた彼女は、「そんな
おもろいことするんやったら、無理してでも行くべきやった。何としても惜しい。
見たかった〜!」
う〜ん、結構大事にされているなあ・・・。
お話会はしょっぱなから大いに盛り上がり。
参加者の皆さんが心から楽しんでおられるのがひしひしと伝わってきました。途中、藤田さんの子育て論には熱心にメモを取ったり、わらべ歌を歌えば「メモを取っておられる方に、ここはドドソソ〜」などと音階を説明され、昔話の語りでまたまた盛り上がり・・・。本当に楽しいひと時でした。
えほんやさんのお店で、手づくりのおはぎなどをいただきながら交流し・・・、 「あ〜、こんなにも地域の皆さんに愛されて、地道な努力を続けてこられたお店を閉めなければいけないなんて」と残念でなりませんでした。
数年前には、東京都府中市でがんばっておられた「モリス」さんも閉店されました。
こちらにも本当にお世話になっていたのです。
本は、本来とても売りにくい商品です。消耗品のように「なくなったらまた買う」 「新商品が出たら買う」というものではなく、本を買った方は1冊の本をいつまでも大切においてくださっています。しかも、単価が非常に安いのです。(これには異論のある方ももちろんおられるでしょうが、本には数千円数万円の商品は ほとんどなく、子どもの本なら1000円以内というものも) 大切に次の世代に受け継いでいただく、本来これは出版社や書店冥利に尽きるのです。これほどうれしいことはありません。でも、もともと利幅の薄い本で、しかも単価が安いものを売って経営を維持するのは本当に大変なことです。お野菜を売ってがんばっておられる商店街の八百屋さんなども本当に大変でしょう。
「効率」ばかりが叫ばれる時代(最近少し違う風も吹いていますが)。お絵かき教室や育児相談、作家の講演会、豊富な本の知識で子どもにあった本をすすめ・・・、そういう子どもだけでなく若いお母さんを育てていこう、一緒にすすんでいこう、と努力しておられる全国の児童書専門店は、生き残るのが大変。「余計なことをしないで、本だけたくさん売っておけばよいのだ」ということになるのでしょうか?
何とか改革がテレビを席巻していた頃、あるテレビのニュース番組で新聞社のコメンテーターが「日本の個人商店は努力が全然足りない。アメリカを見習うべき」 と堂々と発言されていてびっくりしました。
私の親友が神戸で酒屋さんをやっています。お酒のディスカウントがあちこちにできていたころですが、町の酒屋さんとディスカウントの仕組みの違いを彼から聞いて、どこの世界にもありことながら腹立たしく思いました。テレビなどで持ち上げられている企業と町の個人商店では、同じものを売っていても土俵が違うのです。それを「努力が足りない」と言い放つ。まあ、庶民の生活をご存じない方に、それを期待する方が間違いかもしれませんが。
親友は新聞奨学生で大学に通っていました。早朝の配達から夕刊の配達、集金に、とスーパーカブで走り回っていたもんです。私も彼も実家が経済的に苦しく、仕送り無しでがんばっていたのですが、2人ともあの時代だったから大学にいけたと思います。国立といえども授業料がどんどんアップし(僕らの出た大学は、学費が約3倍。35万円以上アップしています)、奨学金にまで利子を付けて返せという時代。
私らの後にバブルの「贅沢学生」が取りざたされた時代もありましたが、今はある意味私らの頃よりも大変。家の経済状況で学ぶ機会が奪われて良いものでしょうか? 自分だけが奨学金のお世話になってよかったよかった、ではすまない時代ですね。
親友の酒屋さんには、ホームページがあります。どうぞご覧ください。
(親友の酒屋さんのホームページはこちら)