こどもたちの夢を育てる 一声社 |
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非常に不恰好なへっぴり腰で、ようようの思いで出発点に舞い戻った、ヨネヤンと奥さん。
「ちょっと、ちょっと。高所恐怖症の僕が頑張って渡ってんのに、高いところは絶対大丈夫、とか言うてたキミが立ち往生してどうすんねん!」
「絶叫マシーンとか、絶対大丈夫やと思える乗り物なら大丈夫なんよ。
そやけど、あの橋は、下は丸見え、床は節穴まであるただの木の板、風が吹いたら大きく揺れる、おまけにバイクは通る、ってむちゃくちゃ怖いやん!」
なんぼ高いところが大丈夫やいうても、絶対落ちんっちゅう安心感が無いと怖いらしい。
あああ、高所恐怖症の僕が、せっかく、ええ方法を思いついて、このままやったら渡り切れそう、って思うてたのになあ。ああ、怖〜。
それにしても、あの橋をバイクにまたがって走り去るおばちゃんは、すごいなあ。
歴戦のつわものや、おそるべしおばちゃんや、史上最強や。
良い子の皆さんは決して真似しないでください。風が吹いて端が大きく揺れたりしたら、バランスを崩して川へ転落するでしょう。鍛え上げたおばちゃんやからこその芸当ですわ。
家の2階や3階でも怖い僕が、よう、あの橋を戻ってこれたなあ。54メートルでっせ。揺れてるんでッせ。バイクをよけなアカンのでっせ。ワイヤーの上に足を乗っけて、立ってるんでっせ。
今思い出しても、体が縮む。
えっ? 家の2階や3階?
そういえば、アルバイトでそんなとこに登らされて、あんときも気絶するかと思うたなあ。
(完)
もう、お終いや・・・。高いところは絶対大丈夫や、と自信満々やった奥さんよ。
あんたが、恨めしい。せっかく、前だけを見て、走り抜けようとし、うまいこといってたのに・・・。呼び戻されて恐怖がよみがえり、おまけにバイクが通るからいうて、床板さえはずしてワイヤーの上に立たなアカンやねんて。
神さんをも恨みますわ、いやほんまに。
顔は真っ青。横のワイヤーにしがみつくようにすがって、目をつぶって立つ哀れな男、それがヨネヤンだ。
「はい、ありがとうねぇ〜!」
原付バイクの音も軽やかに、おばちゃんが悠々と走り去って行きます。
「あのおばちゃんやったら、絶対、木ぃの上かてバイクで走ってんな。絶対や。
橋、揺れてんねんで、風で。そやのに、全く問題なしや。見てみ、あの安定感。
神業や。いや、天狗さんかもなぁ〜」
走り去るおばちゃんの背中を呆然と見送った後、我に返りました。
「そうや、橋を渡りきらんと・・・」
一度恐怖を感じた後では、例の「前だけを一心不乱に見て、橋を道路やと思い込む作戦」は全く通用しません。そんな作戦はウソやと、体が知ってしまってるんですから。
それでも、渡りきるか、元に戻るか、どっちにしてもこのまま橋の上で生活するわけにはいかんのですから、腹をくくらんとしゃあないですわ。
「できるだけ、下を見んようにして、一歩ずつでも前に進も。いや、戻るほうが早い。元に戻ろ」
・・・頼むから、もうバイクのおばちゃん、来んといてね・・・神さんでも、仏さんでもええから、こんなときだけお願いしてなんやけど、くれぐれもお願いしときます・・・・もう、横によけたりできまへん・・・・・・・
幸いといおうか、日頃の精進の賜物といおうか、バイクのおばちゃんとは二度と遭遇せず、風も弱まりました。
「風が止まった・・・」
ナウシカのようなことを口走りながら、脂汗を流しつつ、進みます。それでも、えらいもんですなあ。そのうち、なんとか少しは慣れてきて、すれ違う人を避けるために、片足だけでも板からはずしてワイヤーに乗っけることができるようになりました。
「もうちょっとやで。がんばろ!」
雪山で遭難したかのような大げさなエールを送りつつ、2人で進みます。
ようよう元の地点にたどり着き、地面を踏みしめたとき、両足といい、背中といい、秋で涼しかったのにすっかり汗びっしょり。足はガクガク、膝は笑うてます。
緊張の糸が切れたのか、自然と笑いがこみ上げます。
(ラストへ)
揺れる吊り橋につかまって立ち往生するヨネヤンと奥さん。
2人の耳に、かすかにエンジン音が聞こえてきます。
「えっ? どこ? だれ? 下は川やのに。空耳? アカン、幻聴まで聞こえてきた。こりゃあ、重度の高所恐怖症や〜。どないしょ」
そうするうちにも、エンジン音はどんどんどんどん近づいてきます。もちろん音がどんどん大きくなっています。
「やっぱり、空耳や無いわ。でも、横を見る余裕が無い」
ヨネヤンは横揺れする橋の上で、しっかりとワイヤーを握って、通路に背を向けて震えていますから。つまり、走ってくるバイクであろう未確認走行物体を確かめるために、顔を動かす余裕が全くないのです。
やがてエンジン音が間近になってくると、声まで聞こえてきました。
「ちょっと、どいてね〜! バイクが通るからねぇ〜」
「天の声?」
「いや、おばちゃんの声や」
「・・・。もしかして、歩くだけでも立ち往生してるこの橋の上を、バイクに乗っ
て走ってんの? 木下大サーカス?」
「いや、地元のおばちゃんやろ。あの声から言うたら、60歳は超えてるな」
「ここは、もう天国かなんか?」
「それに近いかも知れん。ぼくらは、あまりの恐怖で幻覚を見てるんかもなぁ」
「ちょっと、そこのお二人さん。横にどいてねぇ〜」
もう、バイクはすぐそばに来ています。
「でも、横によけるちゅうても、どこによけるん?」
そうなんです。吊り橋の床板は、人が2人すれ違うのが精いっぱいの幅しかないのに、バイクが走ってきたんですから、板そのものから足をどけんとアカン。でも、どこに避けるん?
しゃあないですわ。この橋は、生活橋やさかい、一観光客の僕らがよけんと。
ヨネヤンと奥さんは、バイクを止めて待っているおばちゃんの無言の圧力を感じながら、まずしっかりとワイヤーを握っている手を何とか離し、床板から足を一歩ずつ離したあと、橋下面のワイヤーにこれまた一歩ずつ足を乗っけた。
ワイヤーの上に乗ってるんでッせ。下は丸見え。おお、神よ・仏よ、閻魔様よ。
足元は甚だおぼつかなく、おまけに相変わらず風が吹いて、橋全体がかなり揺れています。
ヨネヤンと奥さんの運命や、いかに?
(またまた続く)
極度の高所恐怖症なのに、有名な谷瀬の吊り橋を猛然と走って渡っていたヨネヤンでしたが、奥さんの悲鳴を聞いて助けに戻り、哀れ、高所恐怖症が再発!!
ここで賢明な読者の方は、ある疑問が湧いてくることでしょう。
「悪性の高所恐怖症とかいうけど、走って渡ってたんやったら、大したことなかったんちゃう?」と。
それは、素人の浅はかさ。
ヨネヤンが、ただただ前だけを見て走っていたのを覚えておいででしょう。
ヨネヤンは、自分が極度の高所恐怖症であることを熟知していました。
端から、この橋を普通に渡れるはずも無いことを知っていたのです。
そこでヨネヤンが取った驚きの行動とは・・・・・・・。
そうです。この橋を、ただの直線道路やと思うことにしたんです。
向こう岸だけをみて、下どころか、横も見ない。斜め前さえ見ない! ついでに言えば、耳も閉ざし(実際に閉ざしたわけではなく、前を見ることにひたすら集中したんです)、臭いもかがず、6感のうち、視力だけを生かしてあとは密封したようなもんです。
この作戦は、ズバリ当たりました。
まさに、己を知り敵を知れば百戦危うからず、ですな。
ところが、ところが〜、折角の作戦も、なんと、自信満々だった奥さんによって打ち破られました〜!
奥さんを助けに元に戻ってしまい、悪いことに強い風が吹いて橋が揺れ、思わず下を見てしまったのでした。
しかも、このとき気づきました。なんと板の節穴とかかから、下が丸見えですやん。しかも、板の幅も狭い、狭い。橋の底前面に板が敷いてあるわけでもなく、両端はワイヤーが丸見え状態。
「あかん! 怖い!」
現実が見えれば見えるほど、怖さが増してきます。
ところが、ほんまに怖い目に遭うたんは、それからしばらく経ってからのことでした〜。
高所恐怖症のヨネヤンと、高いところ・絶叫マシーン大好きの奥さんが、奈良県は十津川村の「谷瀬のつり橋」の前に立っています。
奥さんは、一目見るなり、
「ちょっと怖いなあ。ほんまに渡れるん? わたしは大丈夫やと思うけど」
と、ある意味自信満々に聞いてきます。
「当たり前田のクラッカーやん」
写真では分かりづらいのですが、吊り橋の床はただの木の板なんです。
この時点で、ヨネヤンは、もはや違う世界に飛んでいっています。
「さあ、渡ろ!」
言うが早いか、ヨネヤンは猛然とダッシュ。
吊り橋に片足が乗ったところからさらに加速!
「ちょっと!」
という、奥さんの制止も聞かず、どんどん走っていきます。ただただ、前だけを見て。
調子よく走り続けていたんですが、ちょうど橋の中ごろまで来たかというときに、奥さんの声が聞こえてきました。
「怖い〜。ちょっと待って〜! 1人だけ行かんといて〜!」
ここでヨネヤンは急ブレーキ!!
奥さんのもとに戻ります。
「どないしたん?」
「だって、下が見えるよ。ただの板切れやん。風が吹いたら、揺れる〜!」
「大丈夫、大丈夫! 下を見るからアカンねん。前だけ見とき! そしたら、怖ないから!」
「高所恐怖症の癖に、よう走って渡るなあ」
ヨネヤンのことを、すっかりビビリだと見くびっていた奥さんは、高さ54メートルの橋の上を猛然と走っているヨネヤンを見直したようです。
ところが!! 好事魔多し。
ここで、かなり強い風が吹きました。吊り橋が大きく揺れます。
「きゃ〜!」
という、奥さんの悲鳴を聞いた瞬間でした。わたしの「高所恐怖症のスイッチ」が入ったのは・・・。
なんと、してはいけないことをしてしまったのです。そうです、思わず下を見てしまいました。
哀れ、高所恐怖症のヨネヤンは、高さ54メートル・長さ297メートルの橋の上で、自分が「極めて悪性の高所恐怖症」であることを思い出してしまったのです。足がすくみます。
「怖い〜!」
(さらに続く)
奥さんと十津川村に行ったときのこと。
奈良市からひたすら南へ南へと下っていきますと、桜で有名な吉野の山に入って行きます。このあたりで、まだまだ全行程の3分の1くらいでしょうか。ここからずっと山道ですから、時間にしてみると、4分の1か5分の1くらいかもしれません。
途中の山また山を越えて、十津川村に入ったあたりにあるのが、谷瀬の吊り橋。
長さは297メートル。村の観光協会のサイトをご覧ください。
http://totsukawa.info/joho/kanko/index.html
想像しておられるよりも、幅も狭いのです。人が2人並んだら、いっぱいいっぱい。
ちなみに私は、自慢するわけではないが、れっきとした高所恐怖症。
「食わず嫌い」という言葉がありますが、何度食ってもいつもいつも怖いのが高いところ。足がすくむんです。加速度にも弱く、回転にも弱い。
児童公園のジャングルジムでさえ一番上には乗れず、地球儀型回転遊具でさえ気持ちが悪くなり、土手をダンボールに乗って下りるのでさえ髪の毛が逆立つ。まあ、どれもその程度なら、あえて恐怖を味わいたい子ども心だったわけやけれど。
ただ、高所・加速度・回転、この3点セットが怖いとなれば、ジェットコースター
など乗れたものではありません。
「なんで、わざわざ高いお金を払うて、怖い目に遭わんならんねん!」
これが持論。
一方、奥さんはというと、この3点セットが大好き。
「垂直落下マシーン」が出始めの頃、姫路セントラルパークにあった「30メート
ル垂直落下」に勇んで乗り込んだのは、もちろん奥さん1人。一緒に遊園地に行った、私も私の妹もその子ども達も誰1人「一緒に乗ろう!」という奇特な方はいなかった。
そんな好対照の2人が、谷瀬のつり橋の前に立っていると想像してください。
「渡れる?」
「当たり前やん」
「ほんま?」
・・・・・
(続く)
十津川村の旅では、「野猿(やえん)騒動」だけでは終わらなかった。
十津川に行ったのなら、堪能してほしいスポットとして、温泉と谷瀬のつり橋、それに村の資料館がある。
温泉では、女性の方にはあまりお勧めできないが、露天風呂にはぜひ入ってみてほしい。何箇所かあるのだけれど、道路からちょっと入った、ただの岩場みたいなところに、服を脱ぎ捨てて、ドボン! この野性味がたまらない。
十津川から、和歌山の新宮の方に抜けたところにある、川湯は、文字通り川の中に露天風呂がある。これまた、絶品です。
さて、鉄製の吊り橋としては、日本最長という「谷瀬の吊り橋」。
最近新聞広告で見た、ある旅行会社のツアーでもこの橋を渡るツアーを2つ見つけた。
前にも書いたが、この橋は地元の人たちがお金を出し合って渡した「生活橋」なのだ。旅行会社がツアーを組むのなら、橋の通行賃を地元に払って欲しいもんですな。ツアー客がどやどやとぎょうさん渡って、橋が老朽化したら、誰がかけかえますか? ツアー以外の私たちのような一旅行客からも、やっぱりお金は取るべきやと思いますね。
富士山にしろ、尾瀬や屋久島にしろ、「観光」のあり方そのものを、そろそろ私たち自身が考え直さないと、荒らすだけ荒らして、私たちの世代で自然を壊してしまっては、全く申し訳が立たない。ごめんなさい、ではすまなかろうと思います。
あちこちの貴重な植物を取って行くなど言語道断の人々は論外として、登ったり歩いたりするだけでも自然には負荷をかけている、ましてや大勢の人々が通るストレスも相当なものでしょうね、自然にとっては。
さてさて、谷瀬のつり橋の話ですが、次回をお楽しみに。
残り少ない体力を使い果たし、もう一度最初からやり直しという事態に直面した精神的ダメージは、はかりしれない・・・。
ああ、もうアカン。助けを呼んで欲しい。
いやいや、奥さんに助けを呼びに行ってもろたりしたら、それこそ新聞沙汰や。
(この頃は、携帯電話など存在しなかったし、十津川村の野猿があるようなところに公衆電話があるとも思えなかった)
・・・・・・
遠くまで奥さんが走って行く。助けを求めて。近所に家などないのだから。どっちに走っていったら、人がいるのかさえ分からず、奥さんは走る。
ようやく1台の車が通りかかる。
「すみませ〜ん。助けてください!」
「どうしたん?」
「連れ合いが、野猿に乗って、帰って来れなくなって立ち往生してるんです!」
「あんた、野猿なんか、よほどの人やないと乗ったらアカンやろ。無謀や。でも、しゃあない。よっしゃ、消防団のメンバーを集めるから」
カーン・カーン・カーン
半鐘がなって、地元消防団の男衆が集まってくる。
「どうした?どうした?」
多くの目が、ぶらーん・ぶらーんと川の真ん中で、野猿の箱に乗って打ちひしがれている哀れな男に注がれる。
(あんなひ弱な体で、野猿に挑戦するなど、100年早いわ)
無言の非難が降り注ぐ。
やがて救出されたが、翌日の地元新聞に記事が載る。
「無謀なチャレンジ。野猿で立ち往生。地元消防団に救助される」
・・・・・・・
というような、想像が一気にヨネヤンの頭を駆け巡った!
くそ〜! 新聞沙汰はイヤや。なんとしても、帰るぞ!
火事場のバカ力とはこのことでしょうか。
ヨネヤンの目は血走り、眉間には血管が浮き出、汗は全身から流れ落ち、般若の如き形相でロープを手繰り寄せるヨネヤン。
はあ、はあ、くそ〜、もうちょっと。アカン、また手を離しそう。いや、ここで手を離したら、また一からやり直しや。もうこの次はないで。この1回で決めんと、もう体力は残ってない!
最後が・・・、きつい・・・、くそぉ・・・・・うんっ!
「着いた!」
奥さんの歓声と共に、元の岸の台(野猿着き場というのか、そんな木の台)に着いたヨネヤン。
もう、何か言う気力さえ残っていません。崩れるようにへたりこみます。
少し経って、車に乗ろうとしましたが、ハンドルを握る力さえ残っていませんでした。
「よう帰ってきたなあ。」
まるで、三途の川から戻ってきたみたいに、奥さんが言います。
ほんまや。よう、戻って来れたわ。あのままオオカミの餌になるかと思うたで。
いや、骨と皮ばかりやから、オオカミも食わんか。
ついに、人間界に戻ってきたヨネヤン。これ以後、二度と野猿に乗ることはなかったそうな。
(完)
「海で溺れかけたときもびっくりしたけど、野猿のときもびっくりしたわ。あれ、書いたら?」
と、勧めてくれたのは奥さんでした。終わり。
野猿で地獄の苦しみを味わったヨネヤン。哀れな非力男・・・。
しかし。しかーし、ほんまの地獄の特訓は、これから始まったんです!
そうです! 向こう岸に渡っただけやったらアカンのです。こっちに帰ってこんと。歩いて渡って帰ってくるわけにはいかんのですよ。
隅田川の言問橋を渡って川沿いに迂回し、吾妻橋を渡って戻る―そんな生易しいモンではないんですよ。ここは、十津川村・・・日本オオカミが棲んでるかもしれん、秘境ですょ・・・。
ああ、えらいこっちゃ。元に戻らんとアカン。
でも、アカン。腕に力が入らん。限界や。いやいや、それでも戻らんと。ここで暮らさなアカンようになるがな。えらいこっちゃ〜!
調子に乗って、こんなもんにチャレンジせんといたらよかった・・・。自分の体力の無さをもっと冷静に分析しとくんやった。ほんまに、調子モンの性格を恨むわ。
あかん、あかん、今頃嘆いてもあとの祭りや。
もうちょっと元気が回復してから戻ろ。
重い体と重い心に鞭打って、ようやく再チャレンジ。
またまた真ん中までは、調子よく進みます。
問題はここからや・・・・・・。
よいしょ、うんしょ、どっこいしょ・・・。
「がんばれ〜!」
ゴール地点から、奥さんが熱いエールを送ってくれます。
よっしゃ!力強いエールをありがとう! でも、エールよりも手伝うて欲しい・・・。
よいしょ、うんしょ、どっこいしょ・・・。
もうアカン・・・・・・・・・・・・。しゅるるる〜る・・・る。
力尽きた野猿の箱は、無情にもまん中の地点まで戻っていきます。
奥さんの悲鳴が山の中にこだまします。
目の前が真っ暗になりました。
今までの苦労が、一気に水の泡?!
最初からやり直し?!
ああ、ヨネヤンは無事に奈良市まで帰れるのでしょうか?
(ラストへ)
「これが、野猿やで。この箱に乗って、向こう岸に渡るんや」
「え〜っ! そんなん出来るん?」
「出来んわけが無い! まあ、見とき!」
そういう何気ない会話から始まった、ヨネヤンの野猿チャレンジ。
よいしょっと。まあまあ、乗り心地は悪うないわ。
このロープを引っ張って、移動するんやな。よいしょっと。
おうおう、進む進む。
気持ちええがな。
と・・・、気持ちよかったのに、止まってしもた。
ここからは、うんしょっと、うんしょ・こらしょ。ああ、しんど。
きついわあ。ちょっとずつしか前に進まん。
それにどんどん、きつくなってるで。
あかん、体力の限界や。もうちょっとで、ゴールに着く。もうちょっと・・・。
向こう岸に着いた時点で、腕の力はもうすでに使い果たしてる感じ。
息はぜいぜい。肌寒い日やったのに、汗びっしょり。
「大丈夫〜?」
向こう岸から、奥さんが声をかけてきます。
こっちも意地がありますから、
「はあ、はあ、だ大丈夫ぅ〜!」
と、返事をしますが、もちろん大丈夫ではありません。
そうなんです。これが「恐怖の野猿」の正体なのです!
みなさん、1本のロープを横に長〜く張っているところを想像してください。
そのロープに、分銅でも、洗濯物干しでもなんでもええから、ぶら下げてみましょう。できれば、ロープを滑るような形のものがいいですね。
すると、どうなります?
ロープを噛んでへんのやったら、重いものはだいたいまん中で止まりますな。ロープは? Vの字型にまん中が低く、両端が高くなってますわね。
そうなんです。すでにお気づきの通り、こっちの端から錘(野猿)に乗ったとしますと、真ん中までは何の苦労もなく滑って行くんです。
ここから上りが始まり、最後に向こう岸に結わえたアタリでは、ほとんど垂直になっているかと思うような角度です。
これを、自分の腕だけを頼りに、ロープを手繰り寄せつつ、自分の体重も両腕にイヤというほど感じながら進むんですよ。
いや〜、地獄の苦しみでした。
(さらに続く)
エンジン音を苦しげに響かせながら延々と山道を上り、後ろにピッタリとくっついて「どけ。どけ」と急きたてる普通車に焦りつつ、かといって横によけるスペースも無い山道を、方や岩肌あらわな山・方や奈落の底、の恐怖におびえつつ、ようようの思いでたどりついた十津川村。
有名な谷瀬の吊り橋の話はまた別の機会に譲るとして、村の資料館で明治の大水害の様子を見つつ、「野猿(やえん)」にチャレンジ。
チャレンジ、と言っても、別にチャレンジせんでもええ訳ですよ。
もともとは、橋が無い川(谷)の対岸(向こうの山)に渡る為の、交通手段ですから。生活必需品ですから、僕ら観光客風情が遊び半分で試したらアカンのです(といっても、すでに観光スポットでしたが)。
ここで「野猿」をご存じない方に、ちょっとご説明を。
川や谷があるたびに橋があると思うたら大間違い。昔も今も、政治をつかさどるモンが見てるのは、利害関係があるとこと自分が住んでるとこくらいなもんですから。中央から遠く離れた十津川村のあちこちに、誰が橋をかけますかいな。
谷瀬の吊り橋かて、周辺の家々がお金を出し合うて作ったと聞いています。「ふるさと創生金」とかのばら撒きででっちあげた橋とは、まあ、生まれも育ちも違う訳ですな。
そこで、この野猿。
向こう岸に渡ろうにも橋が無い、渡れるところまで迂回してたら、日が暮れるし、そんな都合の良いところがあるとも限らない。
そこで、何とかして向こう岸の大きな木に綱(後にワイヤー)をかけ、その綱に人が1人乗れるくらいの小さな箱をつけます。最初はきっと箱でさえなくて、モッコみたいなもんでしたでしょうな。
その箱に乗って、綱を自分で手繰り寄せながら箱を前に進め、向こう岸に渡る。
大雑把に言えば、そういう感じです。
こないして書いてしもたら、何やらあっけないけれど、どうしてどうして。かなりえげつないもんでっせ。
(続く)
すっかり涼しく、いえ寒くなりました。
つい先日までは、猛暑日だったのに、いきなりのこの寒さ。連日の熱帯夜から、寒さの余り目が覚める明け方へ。急激な温度変化に、齢を重ねたこの体が対応できず、震えております。
ようやく、秋になりました。近くの公園でも、彼岸花が満開です。
秋になると思い出します。十津川へ行ったときのことを・・・。
十津川村。
奈良県の面積の五分の一くらいを占める、日本一広い村。
日本オオカミが最後に発見された村。
十津川郷士の村。
1889年の大水害で村が埋まり、北海道に移住した人々が作ったのが、新十津川村。
いくら長年奈良に住んでいたといっても、十津川村はおいそれと気軽に行ける距離ではない。東京に出るほうが早いくらいだ。
この十津川村に、近所のおっさんと1回、奥さんと1回の計2回行った。奈良市から、延々と車に乗って。
車といっても、中古の軽四。馬力は甚だ心もとない。よくぞ、たどり着いたことよ。行きは、ほぼ全行程が「上り」だと思っていただいて結構でしょう。それを、安〜い中古の軽四で上っていったんですから。褒めてあげたいですね、軽四を。
そこで、問題の野猿(やえん)。
いえ、野生の猿が出た、とか、最近噂の噛み付き猿の話題ではありません。
もちろん、いろんな野生動物がいるんです。
なんせ、オオカミが棲んでるかもしれないんですから(?)。十津川村のちょっと高くて見晴らしのいいところに立って見回してみると、「こりゃあ、ほんまにおるかも知れんなあ、オオカミ」と思ってしまいます。
(続く)
朝っぱらから怪談かと思うたら、何のことは無い。歩いて坂を上ってる、しかも農具を担いでるおばあさんに、走ってる先輩が抜かされたらしい。
しかし、どうやったらそんな無様なことになるのか、まだまだ謎は解明されていない。
「先輩! 教えてください」
「そうやな(もったいぶって)。
僕は疲れきってるやろ。しかも、上り坂や。そこを走ってる、ちゅうのんがえらいハンデなんや?
なんでやと思うやろ。これやから、早いヤツにはほんまのことはわからんのよ。
走る、ちゅうのがどういう行為か考えてみ。
片方の足は、地面から離れてるやろ。
これがハンデなんや。
おばあさんは、よたよたとしてても歩いてるから、一歩ずつでも前に進むねん。
ところが、疲れきってるこっちは、どっちかの足が地面を離れてしもてる分、前に進んでないのよ。
つまりや、地面についてる足を踏ん張って前に進めんと、上っていかんやろ。ところが僕は疲れてるから、地面を蹴る力がない。つまり、その場で足ぶみをしてるみたいなもんやがな。
その横を、鋤を担いで歩いてるおばあさんに悠々と抜かされたわけよ。
まあ、こっちも歩いてたら、絶対あんな老婆には負けへんけどな。根性で走り続けたわけよ」
そういう問題かいな?
あきれ果てまっせ。
鋤を担いで、しかも農作業をした後に、上り坂を歩いて家に帰る、75歳は優に過ぎているであろうおばあさんに、まだ練習前で元気なはずの、しかも体力のある大学生が、抜かされるやなんて!
あきれ果てたついでに、だれかの「はははは」という力無い笑いが全員に蔓延し、一同大笑いしたのであった。
あまりにも遅いY氏のお陰で、体が冷え切って寒くなるわ、朝食時間は短くなってトマトをお腹一杯食べれんようになるわ、えらい災難でしたわ。
でも彼のお陰で、合宿を乗り切ったようなもんです。
「ああ、こんな人もおってんやなあ。ランニング中に、老婆に抜かされるやなん
て。ああ、面白い。まあ、こんな人が部長やねんから、なんとか乗り切れるやろ」
無事に合宿を乗り切れるかどうか、戦々恐々の1回生は、笑わしてくれるY部長の椿事に力を得て、全員が合宿最終日を無事に迎えたのであった。
翌年からも、Y氏のこの美談・笑い話をことあるごとに披露しつつ、笑いのうちにみんなで辛い練習を乗り切ったのだから、Y氏の功績は山よりも高く、海よりも深い。偉大な先輩であったことよなあ。
(完)
Y氏談
「走ってたらな、もうしんどくてしんどくて、途中で止まりそうやったんや。
それでも、みんなに走らせて、自分だけ止まるわけにもいかんから、根性で走ってたんやがな。
(心の声:もうちょっと、根性出して欲しかった。遅すぎるわ)
それでもな、下の道路はまだよかってん。平坦やから。そっから、坂を上ってくるやろ? あれが効いたわ。
もう、足が上がらんねん。それでもな、根性を出して、走り続けたんや。
そしたらな、あるところまで来たら、後ろからヒタヒタと足音がするやんか。初めは、空耳かと思たんや。でもな、ほんまに聞こえんねん。
やっぱり聞こえるわ、空耳とちゃう! と、思ったらな、その足音が、どんどん近づいてくるやんか!」
キャー!
ここで、女の子数人の悲鳴が少しだけ聞こえました。
夜のランニングやったらわかるけど、朝っぱらから怪談? そら、ないやろ?
引き続き、Y氏談
「もう怖くて怖くて、絶対後ろは振り返らんとこ、と思うて前ばっかり見て走り続けてたら、その足音がついに僕の隣まで来たんや!
えらいこっちゃ! と思うて、怖いものみたさで僕の右横を見たらな・・・
右横を見たら?(ゴクッ)
「おったんや」
誰が?
「おばあさんが!」
キャー!
「75歳くらいかそれ以上に見えるおばあさんや。それがな、僕の横を通り過ぎて、僕を抜かして行くんや!」
「えっ? 先輩、走ってたんでしょ。走ってる先輩を、おばあさんが抜かして行ったんですか!!」
ここにきて、さすがのヨネヤンも背筋が寒くなりました。
「そうや。ほんまに情けなかったわ」
「情けない?」
「そうやがな。鋤とか担いだ75歳かそれ以上の歩いているおばあさんが、走ってる僕を抜かして行くやんなんて! 腹立たしかったで!」
「先輩! もしかして、歩いてるおばあさんに抜かされたんですか!」
「そのとおり」
「どうやったら、抜かされるですか?!」
(続く)
「老婆よりも遅い」?
いったい、どないして走ったら、老婆よりも遅くなるんや?
疑問はもっともです。
腰の曲がった、畑帰りの老婆(恐らく75歳以上)よりも遅く走るほうが難しかろう。
そのお考え、納得です。
ネタか?
いえいえ、真実です。
Y氏は、クラブの部長ながら、ランニングは極めて苦手。
僕らがとっくに走り終わり、遅れてみんなも次々にゴールイン。女の子達もようやく揃って、みなしてしばらく休みます。乱れた息の調い、そろそろ待っているのも飽きた頃になっても、Y氏の姿は見えてきません。
「Yさん、遅いなあ。どっかで道草でも食うてるんかいな?」
「ほんまや。1人でスイカでも食うて休んでるんちゃうか?」
「えげつないおっさんや」
1回生の僕らが口々に、小さな声で罵っていた頃、Y氏はまだ上り坂を登っていたのだ。全行程のまだ3分の2もいってないだろうあたりを。
待っているみんながイライラして怒りが頂点に達しようとした頃(ランニングの後にただひとつの楽しみである朝食が待っているんですから! 食べる時間がなくなるやん!)、ようやくY氏の姿が見えてきました。
まるで42.195キロ走ってきたみたいに、足がもつれ、目の焦点は合わず、左右に蛇行しています。
「あのおっさん、ちょっと大げさやなあ。そら、しんどいけど、あそこまでしんどないやろ」
僕が(心の中で)悪態をついていたころ、Y氏はこれが人生のゴールだといわんばかりの満面の笑みでゴールインします。みんなの拍手に迎えられて。
「Yさん、どないしたんですか? あんまり遅いから、どっかで倒れてるんとちゃうか、思うて迎えに行こかと思ってたんですよ」
そんな話は一向に出なかったのに、しかも心配している雰囲気さえなく、かえって怒りのオーラが充満していたのに、いけしゃあしゃあとそんな気遣いをのたまう御仁もいます。
Y氏談
「いや、それがなあ・・・」
(続く)
♪夏が来れば想い出す 老婆よりも 遅い人
山での遭難騒ぎ(別に誰にも助けを求めていないので、騒いでいたのはヨネヤンだけでしたが)は、また今度ご紹介することとして、夏のクラブ合宿の話を少々。
大学時代、毎年夏合宿のために信州を訪れた。
春には鳥取大学での合同練習、夏は信州戸狩高原、冬は寒稽古というスケジュール。
さてさて、信州といえば、初めて連れて行ってもらったスキーで、あわや遭難というお話をさせていただきました。
その現場・八方尾根からは相当離れているとはいえ、同じ信州の民宿で毎年、地獄の夏合宿をしていたのです。
体育館という名前の、ちょっと大きなプレハブのようなところに畳を敷き詰め、練習します。
1日のスケジュールは、朝の高原ランニング。午前練習。午後練習。夜はひたすら傷んだ体の手当て・・・。
民宿ですから、ご飯は大変美味しい。これだけが楽しみです。スイカが食べ放題の年もあったし、トマトが食べ放題の年もありました。トマトも大好物だったものですから、塩をかけて、山のように食べたものです。木成りですから、美味しいの何の。いくらでも食べられました。
朝のランニングが苦手、という仲間も多かったのですが、私は逆にランニングの方が好きでした。
民宿を出て、坂を下り、かなり下の道路に出たら左折してそのまま道に沿って走り、しばらく行くとまた左折して坂を上って高いところまで走り、またまた左折して民宿に帰る・・・、そういうアップダウンのある四角形のコースです。これを2周くらいしたかもしれないですね。
夏とはいえ、高原ですから朝は涼しく、畑や林の中を走るのは爽快でした。もっとも、走ることそのものは結構苦しかったのですが。それでも、毎日5番以内では走っていたでしょうか。
さるところに、ランニングが極めて苦手な先輩ありけり。
人呼んで、「老婆よりも遅い」Y氏なり。
(続く)
3
恐るべし、離岸流。
疲れ果てて、何とか浜に打ち上げられたヨネヤン。
ぐったりと横になって休んでます。
ようやく、少し元気が回復した頃、どこかの家族連れが「キャ〜!」とはしゃぎながら、浜にやってきました。
僕らのすぐ横で、家族みんなで準備体操をしています。
そのうちに、小学校2〜3年生くらいの女の子が、浮き輪をつけて海へ走って行きました。
疲れ果てた頭と体でしたが、「危ない!」と咄嗟に起き上がって、後を追いかけました。
女の子が浜から海へ入った途端、
「きゃ〜!」
という叫び声とともに、物凄い勢いで沖へ流されそうになったんです!
そのとき、ヨネヤンの手が浮き輪を掴みました。
すごい力です。
浮き輪を持って踏ん張ってるのがやっと。
その状態から、足場を固めて、浮き輪を離さないように、女の子が浮き輪からは
ずれないように注意しながら、一歩、また一歩と浜に引き上げます。
ようやく、女の子を引き上げました。
もうぐったりです。
「怖かったょ〜!」
女の子は、泣きながらお母さんのところに走っていきます。
女の子から事情を聞いたお母さんが、走ってやって来て「ありがとうございました」とお礼の言葉をかけられました。
もう、こっちはクタクタです。もともと披露困憊して泥のように寝てたんですから。少し回復した体力が、この件でまた0に戻ってしまいました。
返事をするのも億劫ながら、これだけは言うとかんと、と
「ここは、浜から沖へ向って、すごい流れがあるんですわ。僕も沖まで行って帰ってこようとしたら、全然進まんと溺れかけましてん。一気に遠くまで運ばれますから、子どもさんは危ない。ここは止めた方がよろしいで」
「ありがとうございます!」
後々、「離岸流」というものを知り、あのときの流れはこれやったか! と納得しました。
離岸流に遭ったら、絶対に流れに逆らって泳いだらあきません。
浜と平行に泳いで、幅の狭い離岸流をはずれること。これやそうです。
ヨネヤンのように、必死で離岸流に立ち向かったりしたら、ほんまに溺れてしまいまっせ。
よう、あんときドザエモンにならんかったこっちゃ。
今では、海水浴場に「離岸流に注意しましょう」とか看板があるんでしょうが、ほんまに、よう注意を喚起してほしいなぁ。
離岸流の正体と、対処法さえ知っておけば、そんなに慌てることも無い。
「正体」を見極めることは、なんにしても大切ですなぁ。
さてさて、今度は山で遭難しかけたお話にしましょか。
そう、なん?
日本海のとある海水浴場。
季節外れで、人影まばらな、さらに周りに人が見えない沖合いの波消しブロックから、浜に向って泳ぎ始めたヨネヤン。
すぐに、異変に気づきました。何が異変かって?
全然前に進まへんのです!
泳いでも泳いでも、浜が近づいてきません。いえいえ、もともと浜のほうから近づいては来ないのですが、自分から見た浜が全然近くならんのです。
アカン、どないしたんやろ? 泳ぎ方が悪いんかな?
さっきは(沖へ向ったときは)、あれだけ前に進んだのに、今度は全然進まへんやんか!
えらいこっちゃ〜!
だんだん不安(=溺れる)が増してきます。
不安が増してくると、体に変に力が入って、ますます前に進みません。
アカン、これはほんまにアカン。
それでも、前に進まんと!
もう、平泳ぎはやめて、クロールに切り替えました。それでも、中々進みません。
最後は、もがくようにして(傍目には、ほとんど溺れているように見えたことでしょう)、やっとの思いで浜にたどり着き、疲れ果てて、座り込みました。
奥さんが真っ青な顔をして、声をかけてきます。
「大丈夫?
最初は、『こっちに近づいてないように見えるけど、遠いからかなぁ』と、思うてたんやけど、全然こっちに来うへんやんか。
なんか、もがいてるみたいやし。
よっぽど、助けを呼ぼうかと思たんやで!」
大丈夫やない・・・。それだけしゃべるのがやっと。
しかし、この頃はこの言葉さえ知らなかった(全く知識なし)離岸流は、恐ろしい代物やったんです!
(まだ続く)
♪夏が来れば想い出す 日本海の 離岸流(りがんりゅう)♪
奥さんと2人で海に泳ぎに行ったときのこと。
プールではうまく泳げなくても、海ではまあそこそこ泳げると、薄っぺらい自負をもっていたころの話。
日本海のとある海水浴場。
最初は、天橋立付近で泳いでいたのですが、お盆頃で時期が悪かったためか、波が来るたびに小石がぶつかって、泳ぎにくいの何の。そこで、同じ日本海沿いの別の海水浴場に移動しました。
「ここはええわ。泳ぎやすいし。人も少ない」
浮き輪をつけて波打ち際で遊ぶ奥さんを尻目に、沖へ沖へと泳ぐヨネヤン。
「あの、波消しブロックあたりまでなら、まあ余裕やろ。
それに、なんやろ? えらい、調子ええんか、どんどん進むで!」
まるで水泳選手のように、どんどん前へ進む脅威の泳力。
われながら惚れ惚れするなあ。
それに、波打ち際と違うて、海のきれいなこと。
海底が見えるがな。
まるで、空中に浮かんでるようやなぁ・・・。
ここで気づくべきやったんです。海で少し長い距離なら泳げても、早く泳ぐことなどできっこない自らの力を、認識すべきやったんです。
ああ、もうブロックまで着いたがな。早かったな。
もともと人が少ないうえに、波消しブロックあたりでは、だれも泳いでいません。
そこらへんで寝っ転がって、日向ぼっこをし、しばし物思いにふけった後、
さあ、ぼちぼち帰ろか。
と、今度は逆コース、浜に向って泳ぎ始めます。
ところが、ここで大変な事態が〜!
(続く)
親切な人の紹介で別の病院に移り、あらためて全身を検査してもらった。
頭蓋骨骨折・あばら骨4箇所骨折・顎を強打したことによる顎間接のズレ・そしてもちろん足の骨折。
頭蓋骨骨折も初めて聞いた・・・。やっぱり転院してよかったわあ。
その病院では、優れた目医者さんも紹介してくれた。
例の医者が「一生治らん」と宣告した、二重に見える目だ。
その目医者さんは、やさしく言ってくれた。
「元通りになるということは、ほぼないんです。でも、人間の体というのは不思議なものでね。体のほうが慣れてくると言いますか、リハビリをしていくうちに、うまいこと見えるように目のほうが慣れてくるんですね。ですから、心配いりませんよ」
今でも疲れたり、アルコールが入ると焦点が合わなくなってくる。でも、日常生活にはさして不便は無い。
なによりも、「一生治らん」と言われた目が、何とか見えるようになったんですから。やっぱり、医者は「絶望」を与えたらあきませんよ。
この交通事故の顛末、最初に入った病院のえげつなさ、などをだいぶアチコチで吹聴して宣伝しておいたのですが、その成果というか、後日談があります。
私の知り合いのおばさんが、自転車に乗っているときに車にはねられたんです。
ほとんど意識がなくなったそうなのですが、救急車に乗せられるときに、朦朧とした意識の中で叫んだそうです。
「▲病院だけはやめて〜!」
後でこのおばさんに感謝されました。
「あんたがよう言うといてくれたから、救急車の乗るときに『▲病院だけはやめて!』いうてな、叫んでん。ほなら、あんた、あんたが後で入れてもろた□病院に運んでくれたんやがな。ほんまに助かったわ〜」
最後に一言。
救急病院がもっともっと全国各地に増えるように、小児科医や産婦人科やいろんな医者が当直できるように、医者や看護士が疲れ果てて患者がたらいまわしされるような現状が改善されるように、切に願います。
救急車を有料にしよう、などとべら棒なことを声高に叫んでる一部政治家や一部評論家や一部マスコミの人たちは、どうぞ有料の救急車をご使用ください。わたしら庶民は、今のままで結構です。
ついでに、都合が悪くなったら入院する悪弊もやめてほしいもんですな。医療費が高すぎる・もっと減らせ、と日頃言い募る人ほど、賄賂とか他の嫌疑がかかると、さっきまで元気やったのに即入院しますな。医療費のムダでっせ。
手術室のベッドの上のヨネヤンは、日曜大工道具のような穴開け機で、足の骨に穴を開けられているのですが、痛いのなんの。
最初の「ぐりぐり」ぐらいは、「手術ちゅうのはこんなに痛いもんなんか、麻酔かけてても」くらいに思ってたんです。
それが、次の「ぐりぐりぐり」くらいになると、とてもやないが我慢できんかも知れん、という気持ちになり、最終的に「止めてくれ!」と叫んだのです。
「何? 痛い? これくらいで痛い言うててどうすんねん!」
「いや、我慢できん!」
何せ、いくら痛いと言うても「捻挫や! 我慢して歩け!」と罵った医者ですから、信用できん。ここは、「痛いもんは、痛い!」と強く主張しておきませんとな。
「ほんまに、最近の若いもんは・・・はははは」
こっちこそ、「ほんまに」ですわ。頭から決め付けて、耳を貸そうとせんのですから、「ほんまに、最近の古いモンは!」と言いたくもなりますわな。
「しゃあないなあ。ポンポン(患部を手のひらで叩く)、これ感じるか?」
「感じる」
「えっ! ほなら、これは?(と、患部をつねる」
「つねってる」
「ほんまかいな? 麻酔、効いてへんがな。そら、痛いやろ。はよ、言わんかいな」
(なんでも患者のせいか!)「そやから、さっきから痛い、言うてますやん!」
「おい、麻酔や」
(また、痛い麻酔の注射するんか。でも、しゃあない。打ってもらわんと、骨に穴を開けられへん)
麻酔の後、骨に穴を開け、金具を通してビスで止め、開いたところを縫って・・・。
「よし、終わった」
しかし、ほんまの痛みは、手術の後、麻酔が切れてからやってきた。
「この痛みが取れるときが来るんかな」
と、思うほどの痛みやった・・・。
臥薪嘗胆
患部の痛みに耐えながら、ヨネヤンはこう思った。
「この病院を一刻も早く出よ!」
ただの捻挫や! 歩け! 痛い?我慢が足りん!これやから最近の若いもんは!
と、罵倒されていたヨネヤンでしたが、再検査の結果、骨折が判明。
「そやから、捻挫とちゃう、あまりに痛い。調べてくれ、いうてなんべんも言いましたやん」
と、ここまで強く医者に言うことも出来ず、憮然として、明日の手術を待つ哀れなヨネやんであった。
ここまでの人生で、手術というものをしたことがない(小学1年生のときに、まぶたがお岩さんのように腫れあがる病気になり、麻酔無しで切り取った経験はあり)。骨折そのものが未体験の領域。
明日の手術なるものが、いかようなものになるのか、不安は尽きない。
いよいよ手術当日。朝から緊張の度合いが増します。
「さあ、手術しよか」
と、まるで「さあ、風呂に入ろか」みたいな軽いノリで、医者が手術開始を宣告します。
ゴロゴロと移動ベッドに載せられ、手術室に入り、まずはじめに局部麻酔を打たれました。局部麻酔ですから、意識は非常にはっきりしているわけです。しかも、麻酔の注射が痛い〜。
足にメスを入れ・・・
「なんか、痛い・・・。メスを入れる感覚が、ずいぶんはっきりしてる。大丈夫なんかなあ・・・」
そこから、ドリルで骨に穴を開けます。日曜大工道具のような、ハンドルを持ってぐるぐると回しながら穴を開ける機械で。
ぐりぐり・・・痛い
ぐりぐりぐり・・・痛い!
ぐりぐりぐりぐりぐり・・・痛〜い!止めてくれ!
(続く)
医者に「目は不治」「足は捻挫やから、せいぜい歩け」と宣告されたヨネヤン。
目のことはどうにも悔しいことながら、そのことだけやないですから、足のリハビリに励みます。
松葉杖をついて、一生懸命歩くんですけど、どうにもこうにも痛い!
歩く練習どころか、右足を床について力を入れるだけで物凄く痛いんです。
アカン、どうにも我慢できん。
看護婦さんに訴えます。
「足が痛いんです。歩けって言わはるけど、歩けへん」
「先生の指示に従ってくださいね」
看護婦さんに訴えても埒が明きません。
事故から1週間くらい経った診察の際、医者に直接言いました。
「先生! 歩け歩け、言わはるけど、どうにもこうにも痛くて歩けません。足が折れてるんちゃうか、と思うんです。もういっぺん、診てください」
「ほんまに、近頃の若いやつは、大体が我慢がタリン。捻挫やちゅうとるやろ」
このあたりで、こっちも相当頭に来てます。
「そんなこと言うけど、歩けへんがな。絶対捻挫と違う! 捻挫やったら、こんなに痛みが長引くはず無い!」
ヨネヤンの剣幕に、医者は不承不承、
「わかった、わかった! もういっぺん調べたるがな」
そうして迎えたレントゲン。
その結果が出たのが、事故からほぼ10日。結果は・・・・・。
「先生、どないです?」
「うん? これ、折れてるなあ。なんで見つけられんかったんかなあ」
・・・知らんがな、そやから捻挫とちゃうって、あれほど言うたやん・・・
「骨折やから、歩いたりしたらアカン!」
・・・あんたが歩けっちゅうたんやろ! しかも、人を根性なしみたいに言うといて。よう言わんわ・・・
「よしっ! すぐに手術や!」
え〜! いきなりその展開か! 捻挫や、我慢して歩け!と昨日まで言うとったのに、いきなり手術かい!
翌日にはすぐさま手術決行!
この手術がまたまた曲者やったんです。続く。
目が覚めたら病院のベッドの上。
「ここ、どこやろか? なんでここにおるんやろか?」
事実は小説よりも奇なり。こんなこともあるんやなあ。
それにしても見えにくいなあ。何もかもはっきりと見えん。メガネがどっかに行ってしもたんやな。
そうか、車にはねられたんや。でも、どんな風にはねられたか覚えてへん。それにしても眠い、むちゃくちゃ眠い。
頭を強く打ったせいでしょうか、事故当日から1週間くらいはほとんど眠っていました。目を開けてご飯を食べて眠り、起きて診察を受けまた眠り、ずっと眠っていたのです。
メガネは知人が事故現場から拾ってきてくれました。ツルはゆがんでいるものの、レンズは大丈夫です。
奇跡やなあ、でもよかった、これで見えるわ。
メガネをかけたら・・・。はっきりとは見えたものの、ものが二重に見えます。
ぼんやりと見えにくかった画像が、はっきりと二重になっただけのことでした。
えらいこっちゃ〜
事故から数日の診察の際、驚くべき事実を2つ告げられました。
「先生、目が見えにくいですわ。物が二重に見える」
「それは、事故の後遺症やな。頭を強く打ったら、目が見えんようになったり、臭いがわからんようになったりするねん」
「治るんですか?」おそるおそる聞きます。
「いや、治らん。一生そのままや」
医者の言うセリフかいな。今思い出しても腹立つ。
しばし、呆然としました。目の前が真っ暗になる、というのはこういうことを言うんやな、とぼんやりと思いました。
それでも、もう1つこっちから聞いとかなアカンことがあります。
「先生、右足が痛いんですわ。どうにも我慢できません」
「なにを捻挫くらいで、大げさな。捻挫はなあ、動かさんとアカン! 病室の中とか、廊下をせいぜい歩いてリハビリしときや!」
1つ目の「目は一生、治らん」というのも大間違いなら、この2つ目の「捻挫なんやから、我慢して歩け!」とうのも、実は大間違いだったのだ!
ここで、閑話休題。
これから書くことは、決して救急病院の悪口ではありません。
厚生労働省や政治がどうしようもなくて、救急病院は次々に撤退。残った救急病院は患者が多数運び困れて大忙し、医者も看護婦もへとへと。それでも受け入れられず、患者はたらいまわし。それが、今の実態でしょう。
それで誤診とか医療ミスがあったら、訴訟モノ。病院経営にとっても割に合わん。
だれも得せん。得するんは、医療費を払わんで済むお国くらいなもんですがな。
そやから、ヨネヤンが救急病院でえらい目に遭うたからといって、救急医療を批判していると思わんといてほしいもんです。
もっともっと、救急病院を全国各地に作るべきです。
♪夏が来れば想い出す ホンダのカブ ばらばらに〜♪
今を去ること25年ほど前。
そう、あの日も猛暑でした(といっても、恐らく30度弱ではなかろうか?)。
愛車・ホンダのスーパーカブを駆って、奈良市内を颯爽と走っていたヨネヤン。
颯爽とは走っていても、やはり焼け付くような暑さ。
「暑いなあ。ちょっとヘルメット脱ご」
その頃は、原付のヘルメット着用が、義務ではなかったんです。安全のために、いつもはヘルメット着用で走っていたヨネヤンもあまりの暑さのため、停車してヘルメットを脱ぎました。
「ああ、涼しい〜」
まだまだ豊かにあった髪の毛をなびかせて走ります。風が心地よい。
(今のような暑い風とはちゃうんです。涼しい風です)
気持ちええなあ。
しかし、好事魔多し。
気持ちよい走りが、突如暗転したのは、ヘルメットを脱いでからおそらく15分以内だったでしょう。
とある住宅地の中を気持ちよく走っていたヨネヤン。
碁盤の目状に整備された新しい住宅地です。次々に十字路を超えて進んでいきます。
あんまり暑いからか、車がほとんど走ってないなあ。
そんなことを思いながら走っていたことまでは覚えているのですが、突然記憶がなくなりました。
そうです! この瞬間に、出会い頭に車と衝突し、意識を失ったのです!(ちなみに、カブはバラバラ状態になったそうです)
意識不明の重態・全治2ヶ月。といえば、そのときの衝撃が伝わるでしょうか?
ヨネヤンは、意識不明のまま救急病院に搬送されました。
この病院と後でひと悶着あろうとは、夢にも思っていません。いえ、意識不明ですから、夢も見ていませんでしたが・・。
どないなるんやろ?
盛岡のジャージャー麺と冷麺、最高!
盛岡でうまいもんを食べました。奥さんと僕と、ポエムさんお二人で。
ジャージャー麺、美味しかったです。特に、熱いヤツ。
最後にスープみたいにして飲むのも、ほんまに美味かった。
ありがとう、盛岡市!
ブログの更新を1ヶ月以上もさぼっていました。
その間の暑さといったら・・・。
今月初めに盛岡に出張しました。
「盛岡=避暑」。夏の東北・・・、爽やかな風・・・、宮澤賢治。妄想たっぷりに訪れた盛岡市。
暑いの何の。
岩手大学での催しでは、1日で14人もの方が熱中症に。
炎天下、外で本を販売していました‐というと、「そら、大変ですなあ」となるんですけど、どうしてどうして大学の講義室に閉じこもって勉強している方に比べたら、天国でした。
お客さんが来ないときは、木陰に涼みに行ったり、飲み物を買って飲んだり、うろうろと歩いたり・・・。
ずっと座って話を聞いているのは、本当に辛かったでょうなあ。
それにしても、盛岡で熱中症続出??
その少し前、北海道の北見市で38度を記録。同じ日の沖縄・那覇の最高気温が31度。
そやから、奥さんと言うてますねん。
「これからは、沖縄に避暑に行かなアカンなあ」
ここ東京で歩いていますと、下からはアスファルトの猛烈な熱気。まるで、温泉の足湯の中をざぶざぶと歩いているようなもん。
上からはビルのクーラー室外機の熱が降り注ぎ、これまたサウナのミストを浴びているようなもん。
これにぎらぎらとした日光が、さらにプラスされます。気持ち悪うなりまっせ。
ほんまに今年の夏の暑さは、異常です。えらいことですがな。
今まで、駐車場の謎ののぼり旗=「最大料金」について、縷々説明してまいりました。
いや、なんともはや、何度思い返しても、この潔いキャッチコピーよ。
(ちなみに、こののぼり旗は、あれからもずっと夏の空にへん翻と翻っています)
例えるなら、有名ラーメン店が、
「マスコミの宣伝はウソ! このあたりで一番不味いラーメン 食わせます!」
という、のぼりを立てるとか。
はたまた、政治家が選挙中のたすきに、
「公約は全部ウソ 選挙さえ終わったら、誰がお前達になんぞ頭を下げるかい!」
と、書くとか。
テレビの解説者が、
「今わたしがしゃべっていることは、1週間後には180度変わっていますよ。
いや、そのまた1週間後には、さらに90度くらいは変わっている。しかも、平気な顔でそれをしゃべります。
テレビの前にアナタ! まじめにうなずいて、聞いてる場合やないで!」
と、テロップを出しながらしゃべるとか。
それくらいの潔さがあります。
ああ、最大料金よ。君を泣く。
君が主張する訴えは、あまりにも奥深く、そこに気づく人は誰もいない。
かえって、客足を遠ざけてしまう。
いつの日にか、「高くて何が悪い!」という、その毅然とした態度が、受け入れられる日が来るのか。
はたまた、車が1台も止まらない苦痛に耐え切れず、君は店閉まいをしてしまうのか・・・。
もしくは、「●円以上は高くなりません」という、極めて分かりっやすいけれども、大層通俗的なレベルに自らを貶めてしまうのか。
ああ、今日も悩みは尽きない。
(完)
今日は、三省堂書店成城店さんのおはなし会ですが、それはまた別の機会にご報告しましょう。
前回は、複雑怪奇な、、かつ小学校算数の理解力が試される東京の駐車場事情をお知らせしました。
そこで、タイトルの話です。
「謎ののぼり旗」
何が謎なんでしょう?
ごく最近、近所にまたまた新しい駐車場がオープンしました。
すでに過当競争ですから、目立たないといけません。ちなみに、初めての場所なんかだと、せっかく駐車場があっても見つけるのが大変なんです。特に、東京の道は一方通行が多いですから、すぐそこに見えていても入っていけない。「向こうから回ろう!」と別の道を探しているとまた一方通行・・・、そうやってぐるぐるしているうちに自分がどこを走っているのか見当が付かなくなります。
そういうわけで、せっかく競争相手が多いところに開業したんですから、やっぱり目立たないといけない。
そう思ったのでしょう。
駐車場には、たくさんののぼり旗が林立しています。まるで、戦国武将の旗指物。
いや、まさに合戦の気分なのでしょう。
連れ合いと会社への行き帰りに通る道沿いなものですから、いやでも林立する旗指物が目に入ります。
「7月オープン!」とか「駐車●台!」とか「大型車OK」などなど・・・。
その中に、ひときわ目立つのぼり。しかも同じ文句ののぼりが少なくとも3本は立っています。こののぼりを見て、連れ合いと二人で悩みました。何を悩んだかといいますと、その文句です。ご紹介しましょう。たった4文字なんです。
「最大料金」
この4文字! 他には何も書いていないこの4文字だけが、白抜きで目立ち、はたはたとはためいています。「最大料金」!と。
「最大料金? なにが最大やの? しかも、これを一番言いたい見たいやなあ。
ようけ同じ文字の旗があるわ」
みなさんは、この4文字から何を想像されますか?
以下、連れ合いとの会話より。
「最大料金って、なんや?」
「知らん。何が最大なんや?」
「わかった! この地域で一番料金が高いということやろ!」
「そうか。駐車場多いからなあ。やっぱり目立たんとアカン! 止めてくれへんからなあ」
「そやそや。この界隈で一番高い、最大料金や! ちゅうのは、ものすごう目立つなあ」
「やっぱりそうかぁ。これでこの駐車場のウリができたなあ。そんじょそこらの駐車場とちゃいまっせぇ。
ウチは、この地域で一番高いんや。よう覚えてね、とな」
「そこやがな。まずは、覚えてもらわんとアカン! 目立つこっちゃ」
「成功してるがな、この駐車場。戦略が当たったな。僕らももう覚えたもんな。
ここは、地域最大料金やちゅうことが、な」
「でも、一番高い駐車場っちゅうのは覚えてもろたけど、それで実際にここに止めるドライバー、おるかなぁ」
「そこや! このアイデアの最大のウィークポイントやがな。ウリは成功して覚えてもろたけど、実際に止めるかっちゅうとこにいくと、俄然このアイデアの弱点が表面化するな」
「商売ちゅうのは、難しいこっちゃ」
「(嘆息)」
実際には、ある料金までいったら、あとは何時間止めてもそれ以上上がりませんで、ということらしい。
しかも、それも土日やとどうとか、平日は何とか、看板には小さく書いてあるんです。ここもまたややこしい。複雑怪奇です。
短いキャッチコピーで宣伝しないといけませんが、あまり短いと何が何やら分からんようになってしまいますな。
ようやく、のぼり旗の謎を解明した私たちは、すがすがしい心持で我が家へとゆったり歩いていったのであった。
東京の夜空も捨てたもんやないなぁ。
(完)
会社の近辺には、有料駐車場が結構あります。
警察が駐車違反を民間に丸投げして以来、宅配便やら納入業者やらのトラックが止めるところを探して、大変です。
民間がやるということは、駐車違反を見つけることすなわちお金になるわけですから、どんどん取り締まりますね。
さて、駐車場を探すときに、当然みんな安いところを探しますね。少しでも安いところを。
でも、どんどん値下げ競争するわけには行きません。東京は土地がべらぼうに高いんですからから、値下げ競争なんかしたら、儲かりません。
そこで・・・、料金体系が複雑怪奇になったのでしょう。
A:30分300円
B:20分250円
C:15分200円
D:50分500円
E:60分600円・以降30分ごとに400円
さて、みなさん、ここから質問です。
太郎君はこれから1時間半駐車します。次郎君は45分、三郎君は1時間と10分駐車します。
三人それぞれ、A〜Eのどの駐車場に止めればお得でしょう?
子どもの頃の算数の宿題を思い出しますね。
大変なのは、車を運転しながら、アチコチの駐車場をぐるぐる回って、これから車を止める出す予想時間と料金体系を念頭に、瞬時に「この駐車場がお得だ!」
と決断しなければならないことなんです。
いやあ、小学校の算数は、きちんとやっておくべきですねぇ。
今年もたくさんの方にお声をかけていただきました。ありがとうございました。
末吉正子さんの2人語りイベントも、お陰さまで盛況でした。
ただ、今年から「子どもの本のコーナー」が、会場外のエスカレーター降り口付近に移動してしまい、子ども連れがこちらに流れてこない仕組みに。
痛手です。
準備と後片付けの際は、冷房を効かせないという、主催者の温かいご配慮。
開場前の、大音量による主催者事務局の宣伝。
などなど、楽しいことも結構ございました。
「来年度のご出展も満員になるのは確実であります!」
と、大音量のマイクで流す意味が今ひとつ理解できない。
満員になるのが確実なら、何も大きな音で宣伝しなくても良かろうものを。
まあ、ともあれ、無事に終わってホット一息です。
教育書保育書福祉関係の版元で協力し合ってコーナーを作りました。
ジュンク堂書店池袋本店の青木さんが私たちのコーナーに作ってくださった、フェア棚も新しい試みとしてとてもよかったです。
みなさん、ありがとございました。